63. "良い人"にお花見に
「……」
結構色々聞いたわね。ほんとにたくさん聞いた。今まで納得いかなかったことも大半は納得できた。
細かい出来事はともかく、郁弥さんがときどき寂しそうにしてた理由がわかったのは大きいわ。彼が知宵とは違ったベクトルの寂しがりやだっていうこともわかった。それと…なによりあたしを信頼して、あたしを"かけがえのないほどに大事な人"って言って自分のことを話してくれたのが嬉しくてたまらない。
「ねえ郁弥さん」
「なにかな」
長い話を終えて少しだけ疲労気味。それでも、すっきりとした面持ちで返事をしてくる。
「あたしが大事だから、大事だからこそ誠実なお付き合いがしたい、ってことよね?」
「うん?…うん。そうだね?」
「なら、恋人(仮)くらいなってもいいんじゃないの?」
このまま勢いでいける気がする。言いくるめるのよ。あたし。
「ん?え?どうして?」
「いい?恋人(仮)は恋人じゃないのよ?恋人っぽく振る舞うだけで実際はお互いが楽しく過ごすための遊びみたいなものなの。前のデートだってすっごく楽しかったでしょ?」
「楽しかったけど。え?いや…それでいい…いや…いいのかな…」
「あれだけ楽しかったことをもうしないなんてもったいないと思わない?郁弥さん他に恋人(仮)でいてくれる人いる?」
「…そりゃいないよ」
「ね?だったらほら、お互い"かけがえのない人"って思ってるんだから、恋人(仮)くらいこなさないと損よ」
「そう、だね。うん…そうかもしれない」
…ときどき思うんだけど、郁弥さんってばかなところあるわよね。こんな雑なやり方で納得しちゃうなんて…変な人に騙されないか心配になる。でも、今はそのばかさ加減に助けられたわ。ありがと。おばかなところも大好きよ。
「ならこれからも恋人(仮)でお願いね?」
「うん、わかった。でもその呼び方は少し変えよう?あと、人に紹介するときは普通に友人でいいよね?」
「ええ、それでいいわよ。恋人(仮)なんて面倒な関係説明しにくいもの」
「そうだよね。あとは呼び方だけど…」
…ふぅ、これであたしたちもついに本当の恋人(仮)。郁弥さんから完全な了承を得たおかげで遠慮なくデートに誘えるようになったわ。人に紹介するときに恋人がどうとか言えなくなったのはマイナスだけど、それを加味してもプラスだと思う。さすがあたし。上手く言いくるめられたものよ。
「日結花ちゃんいい案ある?」
「…呼び方ねぇ」
呼び方かー。舞い上がってないであたしも考えないと。
恋人(仮)をもっとわかりやすくするなら…。
「色々思いつくわ。言いやすい方がいいのよね?」
「うん。僕らしか使わないけど、それでもわかりやすい方がいいかな」
あたしたちしか使わないっ!なにそのすっごくきゅんとくるセリフ!二人だけのシークレットメモリー、みたいな?素敵っ!
…ばかなこと考えてないで早く決めましょ。
「愛人とかどうかしら?」
「…いや、どう考えてもまずいからね、それ。むしろひどくなってるから。もっと健全な言葉にしようか?」
「むぅ」
名案だと思ったのに。愛人がだめなら。
「懇ろ?」
軽く携帯で調べてそれっぽい単語を抜き出した。
「…懇ろってあれだよね。懇ろな仲ってほら、やらしい意味なやつ…」
「別のを探すわっ!」
そ、そういう意味で言ったんじゃないのよ?まだそういうのじゃないもの。もっと健全なの探さないと。ええっと…真面目に調べるならことわざとか四字熟語を参考にした方がいいわよね。言いやすく短くするとして、単語を組み合わせたら……うん。少しはまともなのできたかも。
「郁弥さん」
「日結花ちゃん」
あら、ちょうどいいタイミングでかぶったわ。どうせ先に言うのはあたしなんだからちゃっちゃと伝えちゃいましょ。
「あはは、先にいいよ?」
「ん、そう言うと思った。これなんかどう?」
ぱぱっと打ち込んだ文字を愛しの恋人(仮)に見せる。
「"良い人"?…いやこれ、日結花ちゃんのお母さんとかマネージャーさんとかに言われたやつだよね?」
「ふふ、待ちなさいな。これはただの良い人じゃないのよ?これはね―――」
あたしの解説タイム。
"良い人"の読み方は"いいひと"。ここは普通だけど、語源が色々と違う。あたしたちの関係は簡単じゃない、なんらかの縁で結ばれているようなそんな関係。その"縁"という言葉。読み方として"よ"るとも言う。
お互いに敬いあって、人としての尊敬を忘れない想いで"敬う"。この敬うの読み方は"うやま"う、と"けい"の二つ。今回は"けい"を取り上げた。
こうして縁と敬の読み方を合わせて"よい"ができた。転じて"良い"となり、"良い人"となった。読み方を整えて"良い人"。
「つまり、あたしたちは"良い人同士"ってわけ。わかった?」
「…なんかすごいことしたね」
呆れたような、驚いたような、尊敬でもしてるような、そんな曖昧な表情を浮かべている。
「あらそう?それならこれでいいかしら?」
「そこまで考えてくれたら、うん…いいと思う。でも、せっかくだから僕のも聞かない?」
「ふふ、いいわよ?話して?」
「うん、ありがとう。僕の方は―――」
彼いわく、言葉は"恵友"。
繋がりという言葉から"けい"。この"けい"を読み方で探して"恵"という文字を持ってきたらしい。この"恵"もただそのままじゃなくて、"恵まれた"という意味合いから持ってきていて、出会いに恵まれたからこその"恵"だって。
そんな友達だから"恵友"。
「…どうかな?」
どうって、そんな期待と不安ないまぜな顔しないで。好きになっちゃうでしょ?…いえ、もう好きだったわね。手遅れよ。
「言葉としては良いわね。すっごく合ってると思う。ただ…言いにくい。言いにくくて固いわ」
「だよね。うん、そうなんだよ。だから僕のは却下かな」
「ええ、あたしので行くわよ。これであなたはあたしの良い人。いい?」
「いいよ。僕らが良い人同士ね、うん。わかった」
あたしの良い人が良い人になった。やったっ。
「…さて、あたしの郁弥さん」
「あ、や…ええと。そ、その呼び方はちょっと…いやかなり恥ずかしいかな」
顔を赤らめて恥ずかしがる姿はなんとも心をくすぐる…じゃなくて、あたしの…郁弥さんか…なるほど、つい口が滑っちゃったみたい。
「そう?あなたも同じように呼んで結構よ?」
「…んん、こほん、僕の日結花ちゃん」
「…はぅ」
うぅ…ずるい。優しくとろけるような声で言わないでっ。あぁ、やだ…本気でまた惚れちゃう。
「…なんかあれだね。人が照れてる姿見ると落ち着くね」
「すぅ…はぁ……ふぅ、あたしは全然落ち着かないわよ、まったく。べ、べつにあたしは郁弥さんのものじゃないのよ?わかってる?」
もう、あれだけ恥ずかしがってたからやらないと思ったのに。すぐ呼んでくれちゃって…もっとあたしの気持ちとか考えて呼んでほしいものだわ。
「それを言われると僕も日結花ちゃんのものでもないんだけど…」
「え?なにを言ってるの?あなたはあたしのものでしょう?」
「え?」
「ん?」
二人で見合って首をかしげる。
どうやら、なにかしらの齟齬が生じているらしい。
「ええっと…僕っていつの間に日結花ちゃんのものになってたの?」
「いつ…?」
いつからって。
「生まれたときから?」
「…はぁ、うん。まあなんでもいいや。おーけー、君のでいいよ。どうせ他にそんなこと言う人いないし、せっかく良い人になったんだもんね。それくらいお安い御用さ」
「うーん…うん」
冷静に考えると別にあたしのものでもなんでもないのよね。頭の中でいっつもそんな恋する乙女みたいなことばっか考えてたから忘れてた。もう少しセーブしないと…。そこそこ関係が進展してきたぶんボロが出始めたわ。
「それで。何か話があったんだよね?」
「え?…ええ。そうなのよ」
一瞬なんのことかわからなかった。さっきはあたしから呼びかけたんだった。
「これからのことを話そうと思ったの」
これよこれ。あたしたちのこれからについて。
「これから?」
「そ」
「…全然考えてなかったなぁ」
「ふふ、だから今決めるんでしょ?」
「そうだね…はは、うん。決めようか」
さっぱりとした笑顔で答えてくれた。色々と考え込んでいたことを吐き出して楽になった様子。少し前のあたしを見ているようでくすりと笑みがこぼれる。
「ふふ…じゃあまず、郁弥さんはどうしたい?」
「また漠然ときたね…あ、ふふ。一つ思いついてしまったよ」
とても楽しそうな顔。
どんなことを思いついたのかな。きっと、あたしも楽しくなれる素敵なことだと思う。だって郁弥さんだもの。
「なになに?教えて?」
「ふふ、お花見だよ」
ほらやっぱり素敵なことっ!
「いいわね!お花見しましょ?場所は?できるだけ早くしないと散り切っちゃうわよね?遅くても来週には行かないとだめでしょ?ね?どうする?」
「い、いったん落ち着こう?近い近い。顔が近いからっ」
「あ…」
無意識に身を乗り出してしまっていた。郁弥さんの顔が近い。
目と鼻の先ってこんな状況を言うのかもしれないわ。…案外冷静なものね。このままちゅっと軽く唇合わせてもばれないんじゃないかしら?……いや無理でしょ。なに考えてるのよあたし。落ち着かないと…。
「…こほん…失礼したわ。淑女にあるまじき振る舞いだったわね」
「ううん。気にしないで。日結花ちゃんなら僕は全然気にしないから」
軽く笑って許してくれた。
郁弥さんが気にしないということはつまり、あたしはもっと強引にいってもいいということで…今度はもうちょっと近づいてみようかな。
「ふふ、そう?ならあたしも気にしないことにするわ」
「あはは、日結花ちゃんが一番可愛く見えるのは日結花ちゃんらしくしてるところだからね。やっぱりそのまんまが一番だよ」
「えへへ、ありがと。嬉しいわ」
ぽわぽわふわふわと、和やかな空気が満ちる。"さくらミルクティ"は春の香りに甘みが少し。ミルクティにしては珍しく後味すっきりなものを一口口に含んだ。
うん、美味しい。
「それで、お花見どうしようか?僕の方は来週末仕事入ってないけど…」
「ん、ちょっと待って。今スケジュール見るから」
ごそごそと鞄からスケジュール帳を取り出して、見るのは来週。
4月中旬よね……なるほど、お仕事か。
「…あたしはお仕事らしいわ」
お仕事はお仕事でも、土曜日は午前中だけ。日曜日は声当てしたり他所のラジオ参加したり別のお仕事の打ち合わせしたりと色々で一日。ちなみにお休みは金曜日がまるまる一日で、あとは半休と早上がりと…連休がないってひどいと思うの。
「土日どっちも仕事?」
「ええ。でも大丈夫よ?土曜日の午後は空いてるから!」
翌日お仕事でも平気。許容範囲内よ。"郁弥さんとの"お花見のためだもの。
「…無理しなくていいからね?」
心配を全面に出した声音。
その優しさは胸にくる。ときめいて惚れちゃうからやめて。…ううん。もう惚れてたからもっと優しくしてくれてもいいわ。いくらでも優しくしてちょうだい。もっともっと大好きになるから。
「ふふ、いいのよ。好きでやるんだから」
「うん…それならいいんだ。じゃあ最初はお花見だね」
「来週の土曜ね。たぶん14時くらいにはなっちゃうから、お仕事終わったら連絡するわ」
「おーけー。あとは場所だけど…」
場所…お花見の場所かー。色々あるにはあるのよね。別に東京のどこかでもいいし、郁弥さんならちょっと遠くても普通に来てくれるでしょうし…だからこそ、できれば近場がいいのよ。あたしの家か彼の家か。まあだいたいこの辺の地域ならどこでも。
「あたしは…いえ、郁弥さんはどこがいい?近いとか遠いとかでいいから」
「え?うーん…」
眉を寄せた悩ましい顔。
たぶん近場になる。この人ならあたしの思考読み取って近場がいいとか言ってくれるはずだわ。
「…今さらだけど、今日お花見した方がいいんじゃないかなって」
斜め上の回答ね!
まさかの今日とは予想外。あたしとしては別に今日でもいいのよ?気がかりなのは…来週のお花見デートがなくなって暇になること。
「いいわよ。早くしないと散っちゃうものね。でも、来週はどうするの?なにもなしにするのは少しもったいない気がするのだけど…」
…なんか、それとなく言おうとしてあたしらしくない言い回しになっちゃった気がする。
「来週か…日結花ちゃんがいいなら別の場所でお花見してもいいけどね。品種によって開花の時期も違うからさ」
「なるほど…」
「あと、今日はこの辺の近く…言っちゃえば僕の家近辺になるから。今度は日結花ちゃんの家近くとかね。来週は日結花ちゃんも家近くの方がいいと思うし」
…どれだけ気を遣ってくれれば気がすむのよ。そんなにあたしのこと考えてくれるなんて、もしかしてあたしのこと好きなの?ちなみにあたしは郁弥さんのこと好きよ?今のでまた好意ポイント上がったわ。
「ふふ、ありがと。今のプランでいいわ。それじゃあ今日のお花見スポット探しましょ?それともわかってたりする?この辺のことならあなたがよく知ってるものね?」
「川沿いかな。公園はちょっと遠いし、川沿い歩きながら公園まで行くのが綺麗でいいと思うよ」
「ん?この辺川なんてあった?」
あんまり考え込まずさくっと答えてくれた。
「うん。日結花ちゃんはこっち側しか来てないみたいだけど、駅を挟んで向こう…東側には川があるんだ。そんな大きい川じゃないから静かにお花見できると思うよ」
「へー…駅向こうね」
知宵の家も郁弥さんの家も西側だから、東は行ったことがなかった。というより、行く必要がなかった。
「どうかな?」
「いいけど…案内お願いね?」
「あはは、承りましたっ」
お花見予定も決まったところで、行くなら行こうという話に。飲み物も飲み終えて、お店を出ようと席を立つ。