52. 知宵家とのお別れ
「お父さん、お母さん。私は…ふふ、お父さん。どうして泣いているのよ」
「ぐす…そ、そういう知宵だって…泣きそうだろうが」
「べ、べつに私は…っ…泣きそうだなんてことはないわ」
ちょっとしたお話に花を咲かせ、あっさり1時間が経過。時刻は午後5時。玄関を出ると空は茜色に染まっていた。
「はいはい、二人とも。さっきまでたくさん話していたでしょ?また泣いてないで、みなさん待たせてるわよ。泣きやみなさいな」
「…あぁ…そうだ、な…よし、知宵」
「ちょ、ちょっと…髪の毛乱れるのだけれど」
「はは…これくらいいいだろ?知宵…俺は…いや、俺たちか」
「ええ。私と守さんの二人よ」
ぐりぐりと頭をなでられ抗議する知宵と、そんな姿に優しく微笑む知宵ママパパ。あたしが思った通り、知宵のことはご両親に任せて正解だった様子。篠原さんと顔を見合わせて笑いあう。
「俺たちはさ…誰よりも知宵のこと応援してるから。頑張れよ」
「ふふ、いつでも待ってるからね。私たちが会いに行くのもそうだけど、あなたも帰ってきなさいよ?」
泣きながら、それでも嬉しそうで…こんなにも幸せそうな知宵は見たことなくて、少しだけあたしの方もじーんとしてきた。
「…ぐす…わかっている…わ」
「あらら…もう、泣かないの。ステージで見た知宵とは大違いね。可愛い顔が台無しよ?」
からりと笑って知宵の涙を拭く知宵ママは、子供を見守る親そのもので…なんか、親子っていいわね。
「わ、私…頑張るから。これからも…ずっと見ていてちょうだい」
「ふふ、見ているわよ。今までも、これからも…ずっと見ていくから安心なさい」
「ああ…いつだって俺たちはちゃんと知宵のこと見てるからな…安心して行ってこいっ」
「ええ…ありがとう。お父さん、お母さん…行ってくるわ。行ってきますっ」
空気を読んで高凪さんと史藤さんは先に乗り込み、知宵も車に乗車した。
…ここはあたしが先に乗るんじゃないの?すっごくタイミング逃した感じなんだけど。もらい泣きしそうになってたらやられたわ。
「日結花ちゃん」
「え、はいっ」
内心なんとも言えない気持ちで車に乗り込もうとしたら、知宵ママからお声がかかった。相変わらずの優しい顔。
「昨日話したことだけど、あなたもまだ子供なんだから…人に頼りなさいね?」
「…はいっ!」
「ふふ、いい返事。両親や友達、うちの知宵じゃ頼りないかもしれないけれど…とにかく抱え込まないようにするのよ?」
「あはは、大丈夫ですよっ。…ちゃんと帰ったらママとパパに話すので…それに、知宵だって大事な友達ですから。頼りにしてます」
「それなら安心かしら。あとは…これからも寂しがりやなあの子と仲良くしてあげてね?」
「もちろんですよ。ふふ、でも知宵パパと同じこと言ってますよ?」
少しは遊びに連れ出してあげないとね。あの子、家でだらだらするだけになっちゃうから。
「あら…そうだったの?」
「…まあな。昨日似たようなことを頼んだよ」
知宵の両親も似た者同士なのね。知宵のこと心配して…あの子の周りって結構そういう人多い?篠原さんもそうだし、あたしもそれなりに。他の友達は…みんな同じような感じなのかな。今度会ってみたいかも。
「そうなの…なら私からこれ以上言うのもあれね。じゃあ日結花ちゃん、これは私からのアドバイスになるわ」
「はい」
なんだろう。アドバイスって言われると…お仕事とかじゃなくて人生経験的なやつよね、たぶん。
「恋をして色々悩むと思うわ。でもね、恋に必要なのは勇気よ。踏み出す勇気さえあればなんとかなるわ。だから頑張りなさい」
「…あ、え、ええと…わ、わかりました…」
頬が熱い。別に恋とかそういうんじゃないけど…なんか否定するのは変だし。だから…うん。胸にとどめておこうかな。一応よ?一応。
「ふふ、じゃあね日結花ちゃん。またいつでもおいで。歓迎するわ」
「そうだな。知宵と一緒にでも来てくれ。いつでも歓迎するぞ」
「は、はい!ええと…色々教えてくださってありがとうございました!知宵と今度は収録外で来ますので、そのときはお願いしますっ」
知宵ママパパに挨拶をして車に乗る。
…もう、ありがたいけど複雑な気分よ。おかげで顔は熱いし。
「日結花。何の話をしていたの?」
「将来設計について、少しね」
「あぁ…」
納得してくれた。知宵にもだいたいのことは話しているからこれだけで伝わった。
「ヒントになった?」
「うん。すっごく」
ここに来なかったらまだうだうだ悩んでいたと思う。だから本当に助かった。恋とかそういうのに対しても少し自信なくなってきたから。…うん。余計に揺らがされたのはともかく、知宵ママパパには感謝しかないわ。
「ふふ…当然よ。私の両親だもの」
自慢げに笑みを浮かべる知宵とまだ顔の熱が引かないあたしを尻目に、全開の窓からはみんなの声が聞こえてくる。
「みなさん。今回は本当にわざわざここまで来てくださって、うちの知宵のためにここまでしてくださってありがとうございました。私も守さんも…こんなに嬉しいことは他にありません。ありがとうございました」
「…知宵は、わがままで頑固で生意気で、やる気も見せないだらけた娘ですが…本当は誰より優しくて人を想える寂しがりやな娘なんです。だから、これからも知宵のことをよろしくお願いします」
窓から二人が頭を下げる姿が目に映る。
「い、いえいえいえ!!頭を上げてくださいっ!私たちの方こそお礼を言うべきですよ!美味しい食事までいただいてしまって…」
「ふふ、降りなくて大丈夫ですよ」
「そ、そういうわけには……いえ、それでは車上から失礼します」
いそいそと車を降りようとする大人組三人を笑顔で押しとどめた。座席の位置的に史藤さんは応対できず、高凪さんが主軸で喋っている…けど、ほんと高凪さんのかっちりした喋り方って違和感あるわ。いっつも砕けた丁寧語だから変な感じ。でもま、空気読めるところは大人よね。さっすが。
「青美さんだけならまだしも、私たちの方まで歓迎してくださってありがとうございました…青美さんのことは、はい…せっかくですね。固いことなしでみんなから言葉をもらいましょう」
『…え?』
あたし含め全員が高凪さんの発言に戸惑いの声を漏らした。
この人は突然なにを言っているのか…ううん。言ってることはわかるのよ。ちょっと突然すぎただけで。
「まずは私…いえ、僕から。青美ちゃんは仕事仲間ではありますが、それ以上に近所の子供みたいな気分なんです。これは咲澄ちゃんもそうですが…ですから、はい。例え"あおさき"が終わっても気にかけさせていただきます。大丈夫です。青美ちゃんにはしっかり見ていてくれる人たちがいますから!」
なんかすっごい良いこと言われたような…"あおさき"が終わるとか微妙なこと言われたような…ていうかほんとに言ってくのね。みんなからの言葉。
「…ええと、運転席からすみません。だいたいは高凪と同じですが…そうですね。"あおさき"が終わる気配はまったくありませんので、これから先のイベントでも協力させていただきます。今までよりもっと輝く青美さんをお見せするつもりでいきますから、楽しみに待っていてください」
まるで知宵の宣伝のようなコメント。史藤さんはさすがの年長者。言葉遣いも少しだけ崩す程度で、空気を読みつつ礼儀を忘れない大人な対応だった。
「私も車上から失礼します。知宵ちゃんとは…知宵ちゃんが仕事を始めてからの付き合いですので、もう5年になります。これまでずっと一緒に仕事をしてきて、たくさんのものをもらってきました。私が知宵ちゃんに教えてあげるどころか、教えてもらってばかりです。私が知宵ちゃんに何をできるのかはわかりませんけれど、私の精一杯で知宵ちゃんを支えていくつもりですので…任せてください!頼りない私ですが、この5年間で知宵ちゃんのことは誰より知っていますから」
ちょっと支離滅裂だったけど、気持ちは伝わってきた。あたしですらこれなんだから、言われる側の知宵ママパパにはしっかり届いていると思う。
「…ん?え?なんでみんなあたしのこと見てるの?」
何も考えずみんなの話を聞いていたら視線を感じた。
ちょっとおかしい。もうご両親には知宵のことは友達だから~とかなんとか話したし、今さら言うことでもないのよ?それに、今の流れは大人組が別れの挨拶する感じでしょ……はぁ。
「……もう、仕方ないわね…ええっと、知宵ママさん。知宵パパさん。さっき色々話しちゃってちょっと微妙な感じですけど、知宵とはお仕事でもプライベートでも、もっと親しくしていくつもりです。知宵ママさんが言ってた通り、あたしも知宵に頼っていきますから。任せてください」
…うん。言えたかな。みんなに負けず劣らず、普通に恥ずかしいセリフを言えたと思う。完璧。
「…あぁ…うん…ぐすん…ずず…みなざんっ、ありがとうございます!」
「ふふ、本当に良い方々に恵まれたわね…みなさん。これほど知宵のことを考えてくださっているだなんてありがとうございます。またいらしてください。小さい家ですが、私も守さんも歓迎しますから」
「「「「はいっ」」」」
笑顔の…それでも少しだけ目じりに涙をにじませた知宵ママにみんなで返事をする。それからエンジンをかけて、本当の本当に知宵家を後にする。
「お母さん!お父さん!いってきます!!」
「知宵っ!!行ってこい!!」
「知宵!いってらっしゃい!!」
大きく響く三つの声が夕暮れ空に響いた。窓から顔を出して手を振る知宵を支えながら、もらい泣きしてしまった篠原さんと二人で笑みを浮かべる。
あたしも頑張らないとね。やっぱり家族は…これくらいじゃないと。知宵のこと考えられるくらい余裕になるためにも、まずはあたし自身のことを解決させよう。知宵ママパパにだって言われたもの…大丈夫。もう迷いはないわ。
「行った…かぁ…うう」
「行っちゃったわねぇ…ふふ、あんなに大きくなっちゃって」
「…俺たちの娘だからな…ぐす」
「ええ…あんなにも目が輝いて、堂々と歩けるようになっているなんてね。遠くで見るだけとは大違いだったわ」
「あぁ…うぅ…悪い燈佳。涙が止まらん…」
「はいはい。ほら守さん。うちに入るわよ…まったく、知宵の泣き虫は全部守さんからね」
「うぅ…知宵ぃ…頑張れよぉ。俺は応援してるから…ずっと見てるからなぁ…ぐす」
「ふふ、手間がかかるのも知宵と同じね……さ、守さん。知宵のこともわかったことだし、今日はもう家に入るわよ。いつまでも外にいたってしょうがないんだから―――」
「終わりだと思った?残念でしたっ!まだ続くのよ!!」
「…あなた、誰に話しているの?」
「え、このCD買ってくれたリスナーにだけど?」
だって知宵の家であたしたち二人の収録したときそんな話したから。もう終わりみたいな雰囲気全開で録音して、録音切るときも次のトラックについてなんにも話さなかったのよ?ここで続きのこと言っておかないと変じゃない。流れ的に。
「…そう…いいわ。それより現状の説明はしなくてもいいの?」
現状といえば、今は毎度おなじみ車の中。
ていうかさっき知宵の家出たばかりだから現状もなにもないんだけど…。
「ついさっき知宵の家を出ました。以上」
「…それが正しいだけに何も言えないわ」
「あと、知宵がぐすぐす泣いて目元を赤くしてます」
「な、何を言っているの!!私は別に泣いてなんかいないわ!」
しれっと付け加えたら怒られた。
「はいはい。そんなことより高凪さん、このあとどうなっているんですか?」
「どうと言われましても…食事の予定です。今日は外で食べるのでお二人に食べたいものを決めていただけると…」
「なるほど…だってさ知宵。食べたいものある?」
ちなみに、あたしの食べたいものはない。知宵ママのご飯で地元っぽい感じのものはコンプリートしちゃったし、美味しい海産物なら近江町市場で食べたから。
「…お寿司はどうかしら?」
真面目に考えて出した答えはお寿司。知宵はまだお魚系を食べ足りないらしい。
「あたしはいいわよ」
「そう?なら高凪さん。お寿司でお願いします」
「わかりました。回転寿司なら…駅近く、というより駅直結のビルになりますけどいいですか?」
高凪さん以外の全員で返事をする。
高凪さんが選んだお店なら大丈夫。今もぱぱっと答えてくれたぐらいだから、もともとしっかりリサーチはしてくれていたんだと思う。美味しいお寿司をいただいたら…今日もあと少し、頑張りましょ。




