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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第1章 出会いと想い
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1の2. 自分のこと、仕事のこと、家族のこと

 歌劇も終わって感想もしっかり聞いてアンケートも読み終えて、帰り支度も終えてようやくの帰宅。


「ふぅ…」


 一つ息を吐き出し、考えるのは緊張さんについて。色々とお仕事をしてきて、こんなにも気になる人がいたことはなかった。

 声者のお仕事として、吹き替えとか声当てとかラジオとかナレーションとか歌とか、そういうので応援してくれる人は正直気にならない。普通に応援してくれれば嬉しいし、会って"頑張ってください"とか"咲澄さんのラジオ大好きです!"とか言われたらもっと頑張ろうって気にはなる。でも…声者の本業とも言うべき、"歌劇かげき"とか"拡歌(かくうた"とかのファンは少し特別。

 あたしの場合、拡歌はほとんどしたことないから置いておいて…歌劇はさっきもそうだったけどみんな眠るから…。


「……はぁ」


 そ。眠るのよ。拡歌は歌劇と違って歌だけだし、沈静効果以外も求められたりするんだけど…歌劇は完全に沈静だから。眠るも眠る。せっかく抽選で通った数百人がすやっすや。録音の歌劇と生の歌劇の沈静…もとい睡眠効果は格が違うもの。眠るために来ている人もいるのは知ってるわ…ていうか、ほとんど全員それなんだけど…。

 でも、話をする側のあたしの身にもなってほしい。眠っている人に向かって話しかける脱力感、徒労感。どうしようもないのはわかってるわ。

 そんな微妙な気分になる中、最後まで聞いてくれるファンは一人残らず全員いい人たち。そもそも起きていられる時点で心が凪いでいるような人たちなのよ?…やっぱりみんな聖人。共通してそれぞれ変なところあるのはともかく、それを抜きにすればみんな紳士な人たちだから…歌劇のいいところはそれね。


 ―――♪


 電車のベルが鳴る。ゆらゆらと揺れる電車は考え事に最適だと思う。

 それで、そんな紳士しかいない人たちの中で際立つのが緊張さん。まず変なところがない時点で高ポイント。緊張さんはまとも。もう普通の人よ。癒しよね。むしろあの人が歌劇やってあたしを癒してほしいくらい。緊張がひどいのは少しずつ緩和してきているからセーフよ。

 次に既視感。いわゆるデジャヴュと呼ばれるもの。どこかしらで会ったことあるような気がするのは大きい。いつか聞き出そうと思う。

 前に聞いた会ったことないとかいうのは嘘よ。きっと。


「……」


 三つ目は波長。なんとなく緊張さんとは波長が合う。

 馬が合うってやつかしら。あと顔は…普通ね。モブみた…いえ、近所のお兄さんみたいな感じ?あたしは別に嫌いじゃないわよ?笑顔が素敵なお兄さん、いいじゃない。


 ―――ぷしゅー


 結構大きい駅を通って人がどたどた入ってきた。

 どうでもいいけど、電車のドアって無駄に滑らかに開くわよね。音がなかったら寄りかかってる人危なそう。たまに音とか無視して寄りかかってる人いるけど、あれは別よ別。

 とにかく、近所のお兄さん的な緊張さんは…あぁ、他にも今日のことがあったわ。"恩人"だとかなんとかそんな話。既視感と同じで聞き出さなくちゃいけないことが増えちゃったじゃない…。

 これで四つ。これだけあったらそりゃ気になるわよ。無駄に笑顔が幸せそうでこっちまで微笑ましくなるのもあるかも。見ててお喋りしてて楽しいと、もっとお話したいなぁくらいは思うもの。あたしだって人間だし。あたしと話すだけで幸福オーラ出してくれる人とはお喋りしたいわ。気軽にあたしも嬉しくなれるでしょ?


「…ふぁ」


 あ、あぶない…あくびが出そうになった。というか出た…。ぎりぎり手で押さえられたのはよかった。

 お年頃の少女としては大口開けてのあくびってよくないから…はしたないのはよくない。マネージャーに怒られるし、第一あたしだって気にする。

 ていうか、緊張さんのこと勝手に評価してたわね。なんの評価よ。自分で考えておいて意味わかんない。……まあでも、結局あたしの歌劇何度も聞きにきてくれて(豪運の持ち主で)、あたしの歌劇最後まで聞いてくれて(強い精神力で)、その上であたしのことあれだけ想ってくれたら印象に残るのは当然なのかもしれない。


「……」


 想い、ね。

 …声者のママを持って、昔から親にかかわる複雑な想いっていうものはあった。だからなのか、自分自身への想いは残りやすい。それが強くて優しい想いときたら、残らないはずがない。

 あたしと話すのが楽しいって気持ちが全身から伝わってくるんだもん。そんなの残るに決まってるでしょ…。今みたいに複数の条件が重なってマッチしたことがなかったっていうのもあるかも。

 ていうか、これに限っては他の人だってなかなかないと思う。人に強く想われるっていうのは、それだけその人に影響を与えたってことで…そう簡単にできることじゃない。あたしだってまったく自覚ないわ。気づいたらそうなってたって感じなのよ。

 なんていうか…純粋な気持ちがこんなにも頭に残るものだとは思ってもみなかった。


「…うん」


 ちょっと色々考えてみよう。"恩人"についてとか、会ったことあるのか、とかその辺のこと。あれだけの想いを持ってくれるようになった理由がわかれば、きっとヒントになる。"人を笑顔にする"ことへのヒントに、ね。

 それに…あたし自身、知っておかないとすっきりしないもの。



 夜風を浴びながら気持ち(かろ)やかに歩いていると、次第に気分も落ち着いてきて、家に到着する頃にはすっかり冷静になっていた。さっきまでの浮かれ様が少々恥ずかしい。

 珍しくママの方が早く家に帰っていたようで、玄関をくぐると"おかえりなさい"という声が聞こえた。


「ただいまー」

「今日は遅かったのね」

「そうかな?ママが早いだけじゃない?」

「あら、言われてみればそうね。夕飯はこれから作るけど食べるでしょ?」

「うん食べるー、何時くらいにできるの?」

「そうね…19時頃かしら」

「わかった。それまでちょっと休んでるね」


 そうして二階へ上がり荷物を床に置いて、部屋のベッドに倒れこんだ。


「つかれたー」


 一言つぶやきながら体の力を抜いてベッドに身をまかせる。

 頭を巡るのはママのこと。喧嘩とかしているわけじゃないし、嫌い合っているわけでもない。むしろ関係は良好。ママは好きだし。ママだってあたしのこと好きだし。たぶん。

 ただ、ただそう…お仕事に関して、ママがあたしを大人として見ているだけ。あたしのことを認めてくれているっていうのはわかる。でも…もっと色々教えてくれてもいいと思う。声者のこととか含めまだまだ色々わからないこと多いし、知らないことだらけだから…。パパは…わかんない。あんまりその辺の話しないから。純粋に応援してくれてる感じ。パパにお仕事のこと聞いたって…わかんないでしょ。聞いたことないけど、たぶんわかんないはず。

 お仕事をどうしたいのか…も、正直よくわからない。


「……」


 べつに、お仕事が嫌いなわけじゃない。声者としてお仕事してきて、どのお仕事も楽しいとは思う。歌劇だって嫌いだったらやってない。

 文句ばっかり言ってても好きだからやってるのよ…でも、いつからか自分がわからなくなって、どうしてここにいるのか、何をしたいのか、自分のことなのに全然わからなくて、ぐるぐると頭の中が混乱しちゃってる。

 ママみたいに声者業と演劇とか舞台とか、そういうお仕事も全力でやるハイブリッドを目指すのは少し違う気がする。

 パパみたいな自由人になるのも絶対違う。あたしはやっと声者で落ち着いてきたくらいだし、ようやく考えるようになってきたところだもの…その考えることのせいですっごく疲れるんだけど…。

 そもそもこれまでどうやって頑張ってきたのか。目の前のこと以外にも手を伸ばせるようになったせいか進むべき道、進みたい道、目指すべき場所が見えなくなってしまった。"人を笑顔に"なんていっても漠然としすぎててもやがかかったみたいに先が見えない。というより、もともと見えてなかったのに今までは持ち前の幸運と能力で無視してきただけなのかもしれない…だいたい、なんであたしが悩まされなきゃいけないのよ。進路がどうとか考え始めたせいでこんなことになったわ。疲れた…。


「はぁ…」


 何度目かすらわからない溜息をついて、疲れた身体と心を休めようと目を閉じた。

 すぐに眠気は襲ってきて、ぼやけた頭に思い浮かんだのは今日一番印象に残った緊張さんの顔だった。



「ふぅ」


 部屋に帰ってきた。

 スッと眠りに落ちて今日は終わるつもり満々だったのにそんなことはなかった。

 普通にママに起こされて夕飯食べて流れでお風呂も入ってきたわ。寝起き直後は頭も働いてなくてお腹もすいていなかったけれど、とぼとぼ歩いてテーブルに着いたら目にも良いしお腹をくすぐる匂いもするしで問題なく食べられた。

 さっきと違って今度はお布団にもぐりこむ。お布団というより単純なタオルケットといった方が正しいかもしれない。


「…あっつ」


 お風呂の熱が冷めていないからか、じわじわと身体の熱が広がって暑い。それに真夏なだけあって室内が暑く、タオルケット一枚でも鬱陶しく感じる。

 これだから夏は好きじゃない。寝付きにくいにもほどがあるわ。


「……」


 うん。


 ―――ピッ


 クーラーをつけた。タイマーもセットして部屋の電気を消す。少し待っていると徐々に眠りやすい環境になってきた。

 目を閉じて少し考え事をすると脳裏に浮かぶのは緊張さん。幸せオーラ満載でニコニコしている顔がすぐ思い浮かんだ。そんな笑顔のまま、"咲澄さんは大恩のあるお方です"って…。


「……ふぁぁ」


 …寝よう。あの人の嘘がこんなところにも出てくるなんてひどい。もしかして大恩っていうのが事実なんじゃ…いやない。ないわよ……もう寝よう。無駄なこと考えてたら眠くなってきたし。難しいこと考えてるとほんと眠くなってくるわね。ちょうどいいしもう寝ちゃいましょ…。


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