48. 知宵の部屋とちょっとした振り返り
「ところで守さん」
「なんだ?」
「日結花ちゃんへの言葉遣いが変わっているわよ」
「…あぁ、そういえばそうだったな」
「あら、いいの?」
「あたしは全然気にしてませんが…」
むしろそのことについては敬語とか取り払ってくれると助かるわ。話を聞いてくれた相手にさん付けはちょっと…あたしの方の気が引けるから。
「いや…いいわけじゃないんだ…。ただ、咲澄ちゃんが普通の子供なんだと思ったら…今でも尊敬はしてるしすごい人だっていうのはわかっているが、娘を持つ親からするとつい、な」
眉を寄せて険しく難しい顔をする。それこそ、知宵とそっくりな表情。
「あはは、いいですよそれで。あたしが子供なのは事実ですから」
「そ、そうか。ううむ…咲澄ちゃんがいいならいいか…」
「ふふ、そうしなさいな」
難しい顔をしたままの知宵パパと、それを見て微笑む知宵ママ。どちらも知宵本人で見たことあるような、そんな表情。
…ほんと似てる。親子よね、これは。知宵パパともそっくりだし、笑い方とかは知宵ママとそっくり。いいところ…だけじゃないけど、パパとママ両方の特徴しっかり受け継いでるわ。
「ふふ、それにしても…日結花ちゃんも女の子なのねー」
「え、なんのことですか?」
あたしが女の子って当然だし、そんな微笑ましいもの見る目を向けられる理由がないんだけど。
「さっきの友達。男の人でしょ?」
「な…ど、どうしてわかったんですか?」
性別とかまったく話してないのに。友達がいるってことしか言ってないはずよ、あたし。
「日結花ちゃんの表情が違ったもの。あんな魅力的な顔できるなんて、恋する女の子じゃないと、ね?」
「こ、恋って!あたしはそんな恋とか…そういうのじゃありません!郁弥さんはそういうのじゃないですから!」
「ふふ、いいのいいの。わかってるから。日結花ちゃんもお年頃なのよね」
「全然わかってませんよ!」
あの人はそういうんじゃないのよ…恋とかそういうのじゃなくて、もっと…ええと。あたしもわかんないけど、恋じゃないわ…恋じゃ…ないのよね。自信なくなってきた。
「日結花、顔赤いけれど…とお母さんお父さんも。三人で何を話していたの?」
自分の気持ちに自信がなくなってきたところで、知宵がお風呂から帰ってきた。ナイス知宵。ちょうど話題変えたかったところなのよ。
服はピンクのパジャマで…ピンクのパジャマかぁ。
「…なにかしら。その不愉快な視線は」
お風呂上がりだというのにいきなり疑わしい眼差しを向けられた。失敬な。
「ううん。ピンクのパジャマなんだなーって思っただけ」
「…私がピンクで悪い?」
「え、別に?いいんじゃない?似合ってるわよ」
そんな不機嫌な顔しなくてもいいのに。先に知宵の部屋見てるからあたしは驚いたりしないわよ。
「そ、そう…それより何を話していたの?」
「なにって、知宵の可愛いところを話してただけよ」
「かわっ!?な、なんてことを話しているのよ!!」
ぱっと頬に朱を散らす知宵は誰が見ても可愛いと言うはずで、案外あたしの言ったことも間違っていないかもしれない。ともあれ…後の話は知宵のママパパに任せてあたしはお風呂に行かせてもらおうかな。
「じゃああたしはお風呂いただきますねー。お先にすみません」
「あ、日結花ちゃん。場所わかる?」
「あー、わかりません」
「ふふ、そうでしょ?知宵。場所教えてあげて」
「ええ、わかったわ」
知宵に先導してもらって、まずは知宵の部屋に。来たときに荷物を置かせてもらった少女チックな部屋。落ち着いているように見えてところどころにピンク色の家具やぬいぐるみ、それに抱き枕が目立つ。
「知宵。今ブラ着けてる?」
「突然なに?当然着けているけれど…」
「んー…」
着けてるのか…そっか。お風呂出てからも着けるのね。
「お風呂上がりで着けた方がいいのかなって。まあ寝る前のことなんだけど。あたし家だとブラしないし」
「…あなた、しないつもり?私の両親とはいえはしたないわよ」
「いやするから。それくらいわかってるって。そうじゃなくて、知宵はいつもブラしてるの?家にいるときも」
この感じだと知宵はいつもしてるっぽい。
「ええ。しているわよ。むしろしないなんて……あぁ」
話途中でしたり顔を見せる。何に納得したのか、視線があたしの胸元に…すっごく不愉快な気分になった。
「…ねえ、あんた今あたしの胸見てたでしょ」
「ええ。今も見ているわね。それが?」
まったく悪びれる様子がない。むかつく。
「なに?あたしの胸に何か文句でもあるの?喧嘩なら買うけど?」
「いえ別に…ただ、その慎ましい胸にブラジャーが必要なのかと思っただけよ」
…ふーん。そう。喧嘩売ってるのね。
「このー!!」
「きゃ!や、やめなさいっ!」
可愛らしく悲鳴をあげてくるのを無視して目の前のものを掴む。
「こいつが!あたしをばかにする原因よね!?もぐわよ!!」
「な、なにしてるのよ!痛いから離しなさい!!」
「あらそう?ごめんあそばせ?」
「同じ目に合わせて…あぁ、あなたには掴むものがなかったわね。残念」
「ぐ…」
くぅ、これだからCカップは…あたしとサイズ2つしか違わないはずなのに…なんなのよこの圧倒的な差は。掴んだ感じも結構しっかりしてたし、相変わらず腹立つ胸してるわ。Cカップが世間で言われているより小さいってよく聞くけど、実際はそんなことないから。十分すぎるほど大きいのよ。
「ふ、ふん。いいわよ別に。あんたとあたしそんな変わらないし」
「そうかしら?あなたはAで、私はC。見た目からして違うでしょう?あなたは胸の重みで肩こりする?私はするわよ」
わざとらしく肩を動かしてそれっぽいことを言う。人によっては胸の重みで肩こりがあると聞いたことがある。あたしは経験がなかったし、そんな話を誰かとしたことがなかったから縁がないと思っていたのに…肩こり?あたしなんてゼロよゼロ。
「ふ、ふん。いいわよ別に。あたしは小さくていいもん。胸が小さくたってあたしのこと好きになってくれる人いるわよ」
「ええ。それはそうでしょうけれど」
「はいはい!終わり!で!知宵はいっつもブラしてるんでしょ?寝る前もしてるのはどうして?」
まだ何か言いたげなところを遮って話を戻す。
もともと聞きたかったことはこれなのよ。寝る前に着けてると、いくら素材が良くても圧迫感あるし邪魔くさい。それでも着けてる理由が知りたかったの。
「…はぁ、いいわ。それで?私がしている理由ね。形が崩れないようにすること。ナイトブラそのものが可愛いから着ていたいこと。この二つが主な理由かしら」
「ふーん?…ナイトブラ…今着けてたりする?」
「もちろん着けているわ」
「じゃあ見せて?」
「…面倒ね」
露骨に面倒くさそうな表情をする。それでもパジャマのボタン外してくれた。思ったより乗り気らしい。
素直じゃないわね。見せて自慢したいならそう言えばいいのに。
「ほら、これでいいでしょう?」
「おー…」
ボタンを外して前が全開になった。見えるのはピンク色のブラ。
「まあ普通ね」
肩紐の幅が広くてカップも完全に包まれる形。胸の下部分まで覆うような大きいブラを着けている。これと同じ形式のブラがうちにも何個かある。
ナイトブラって言い方が違うだけで普通のルームブラなのね。
「ええ。日結花も持っているでしょう?こういう形のもの」
「うん。近くのスーパーに買い物行くときとかに着るわ」
「そう…もういいかしら?」
「いいわよー、ピンクの可愛いブラでした。ありがと」
「べ、べつに褒めなくてもいいわよ…」
ほんのり頬を染める知宵を他所に鞄から下着とルームウェアを取り出す。今日はパジャマじゃなくて人に見せても大丈夫な服装にした。
知宵だけならパジャマでもいいけど、知宵ママパパがいるもの。おしとやかな部分をアピールしていかないと。
「ほら知宵。照れてないでお風呂まで連れて行ってちょうだい」
「て、照れてなんかいないわ」
「はいはい。早く」
「…もう。わかったからついてきなさい」
本来ならさっさと服取ってお風呂まで行く予定だったのに、別のことに気を取られて時間がかかっちゃった。早くお風呂入ろ。
―――ところ変わって山中温泉某ホテル
「…高凪さん」
「…なんですか史藤さん」
「…実は食事が入らなくて」
「…僕もですよ。どうにか詰め込んでいますが、鍋物が重いです…無理です」
「はは…同じです…比べて篠原さんは…」
「そうですね…前にも似たようなことありませんでしたか?」
「ありましたねぇ…」
「これも美味しいですねー!お魚もお肉もどれも美味しいです。お二人は…あれ?あまりお箸が進んでいないようですが…」
「…ええと、篠原さん僕が手を付けてないもの食べます?お鍋とかノータッチなので」
「…僕も寿司には触れていませんので…よかったらどうぞ」
「え、そうですか?…でも、もったいないですよ?それに、ふふ、私も知宵ちゃんの家で色々いただきましたから。さすがに食べられませんよ」
「そ、そうですか…はは…史藤さん。食べましょう」
「…はい。お互いもう少し頑張ってみましょうか」
お風呂上がりにちょこっと青美一家と話して、知宵家の中で軽く収録を済ませた。それからは特にやることもなくぐだぐだ話して寝る時間。知宵の部屋にお布団を敷いて寝る体勢になった。
「てかさ。知宵って、お布団で寝てるのに抱き枕はあるのね」
最初この部屋に来たときから思ってた。普通抱き枕っていったらベッドでしょ。お布団だと普段から敷いてあるわけじゃないし、抱き枕だけ放ってあるのも変。お布団と同じでしまえばいいとは思うんだけど…知宵のは部屋の壁に立て掛けてあったのよ。インテリアみたいに。
「…おかしいかしら?」
「んー…普通にしまうんじゃだめなの?」
「だめではないけれど、私に付き添ってくれた友を押し込めるのは気が引けるわ」
「友って…」
無駄に真剣な言い方するからあたしが間違ってるみたいじゃない。知宵は友とか言うけどただの抱き枕だから、それ。
「…まあ知宵の部屋だし。あたしがなにか言うことでもなかったわね。それより、今日どうだった?」
「どうって…私はあまり話すことないわよ」
「色々あるでしょ色々。DJCDの収録についてもそうだし、久々に帰ってきて両親と話してどうだったとかさ」
来てすぐの気持ちは知宵の泣き顔ですぐわかったけど、今日全体を通しての感想は話していなかったから。
「…収録のことは明日にでもDVD用に録るでしょうから、そこで話せばいいかしら?」
「あー、そういえばそんなのもあったわね。いいわよ」
豆電球だけ点いた暗い部屋で話を続ける。横をちらりと見れば天井を見つめて考え込む知宵がいた。思ったより真面目に考えてくれているらしい。
「あとは、私が帰ってきてのことだけれど…」
「うん」
「…帰ってきてよかったわ。お母さんとお父さんにも色々と話ができて…また応援されたのよ。二人そろって私の参加作品ほとんど見てきたと言っていたし…」
頬を緩めてふんわりと優しい笑みを浮かべる。
さっきということは、この話はあたしがお風呂に入っている間にでもしたんだと思う。
「一つ…肩の荷が下りたわ」
知宵にしては珍しい、柔らかな笑顔。それだけほっとできたのかもしれない。
自分の家に帰ってくることが、この子にとってはそれくらいの大きい出来事だったんでしょうね。
「そう…よかったわね」
「ええ」
…あたしが知宵を連れてきたっていうのもあるから、少し心配はしてたのよ。杞憂だったけどね。あたしも…頑張ろうかな。これだけうだうだ悩んで相談してきたんだもの。決着、つけないと。
「うん…あたしも頑張るから、いい夢みなさいよ。おやすみ」
「いい夢って…まあいいわ。頑張りなさい、日結花。おやすみなさい」
背中越しに優しげな言葉が届いた。知宵もあたしと話してきて、色々と察してくれているんだと思う。それでも聞かないでくれるのは彼女なりの優しさか…いえ、ただ面倒なだけなのかも。
どちらにしても、知宵にまで背中押されちゃったわ。家に帰ったら、ちゃんとやることやるわよ、あたし。