46. 知宵家にて
「―――こんなところね」
「へー。今の話だと割と時間かかる感じ?」
「そうなるわ。どれくらいかは収録の状況にもよるからなんともいえないけれど」
「なるほど…ま、それは高凪さんの方で調整してくれるでしょ」
生き生きと説明してくれた知宵に軽く返した。
明日も楽しみだけど、今は今日のこと考えよう。そろそろみんなも戻ってくるはずだから。
―――♪
「お二人とも、お待たせしましたっ!」
タイミングよく車の鍵を開ける音が聞こえて、篠原さんが車に乗り込んでくる。
「もう終わりましたか?」
「はい。知宵ちゃん。知宵ちゃんの家まで案内お願いしますね」
「わかりました。任せてください」
周囲は暗く、車はゆっくり進む。知宵の案内ですぐに温泉街っぽい雰囲気の街まで来た。そのまま進んで10分ほど。あっさりと知宵の実家にたどり着いた。
「…到着よ」
「着いたわねー。あー疲れた。早く行きましょ?」
「そう、ね…」
歯切れの悪い言い方に知宵を見ると微妙に表情が固い。どうやら緊張しているらしい。
珍しい…でもそっか。知宵からすれば5年ぶりになるのよね。そりゃ緊張もするわよ。…ちょっと背中押すぐらいはしてあげようかな。
「ほら知宵。せっかく帰ってきたんだし早く行くわよ。お父さんもお母さんも待ってるんでしょ?自慢できるくらいにはお仕事できてるんだから、そのこと話しに行かないと。ね?」
「…ええ、そう、そうよね…。あなたの言う通り。ありがとう。降りるわ」
肩をくっつけて軽く押しながら話せば、緊張が解けていつも通りの知宵になった。
…人って、ほんのちょっとした言葉で気が楽になるものなのよ。今の知宵みたいにね。
「…ていうかあれね。周り広いわね」
いや、別に悪く言ってるわけじゃないのよ?もう夜なのに見晴らしが良くて結構遠くまで見えたり畑が多かったりするから、ちょっとした感想を言っただけで。
「だから言ったでしょう?田舎だって」
―――♪
言いつつインターホンを押した。
月明かりでも景色が結構見える。人工の光があんまりなくて星が綺麗…って、ほんとに星綺麗じゃない。誰も話題にしないから全然気づかなかった。すごい。
「はーい!」
横開きのドアが開いて見えたのは以前見た知宵のお母さん。柔和な雰囲気なのに知宵の面影はある。元気で明るい知宵を想像すれば…うん、ないわ。変。
「た、ただいま…」
「知宵…おかえりなさい。皆さんも暗い中ようこそいらっしゃいまして、どうぞ入ってください」
「…うん。ただいま」
しんみりした様子の知宵に優しく笑いかける知宵ママ。お言葉に甘えてぞろぞろと入らせてもらった。和風な外見とは違ってフローリングの廊下とリビング。結構広い家だから全員がリビングに入っても余裕がある。
「こんばんはー、いつも知宵さんにはお世話になってます。咲澄日結花ですっ」
「お、おお…咲澄日結花さん、ですか。初めまして知宵の父の青美守です」
出迎えてくれたのは知宵のお父さん。身長は180くらいありそうでかなり大きい。短髪に精悍な顔つきが、どことなく知宵のかっこよさや大人っぽさを感じさせる。
知宵パパに挨拶をしたのはいいけど…どうしてこんな感無量みたいな顔してるのかしら。渡したお菓子だってそんな変なものじゃないのよ?
「ほらお父さん…日結花が困っているわよ」
「そうだな知宵…咲澄さん。皆さんも。わざわざ知宵のためにここまで来てくださってありがとうございました」
あたしに関しては置いておいて、史藤さん高凪さん篠原さんと知宵ママパパの大人組で話を進める。あたしと知宵はテーブルから離れてソファーに座った。
「…いい家ね、ここ」
「ええ。そうね…。私、帰ってきたのよね…」
並んで座ってソファーに背中を預けて話すと、知宵の声が静かでいつもより優しく聞こえる。
「どう?変わったところあった?」
「いえ…何も。何も変わっていないわ…私の知っているままの家よ。お父さんも、全然変わってない」
史藤さんたちと話している知宵パパを見て、ふっと微笑む。
「そう…でもいいの?お父さんお母さんと話さなくて」
さっき挨拶したときにも少しだけ話したのよ。最初は知宵と家族で話した方がいいんじゃないかって。みんなでそう言ったんだけど、本人が大丈夫って言って聞かなくて。話したいことならたくさんあるはずなのに。
「いいのよ。お母さんとはあなたが来たときに話したわ。それにお父さんとは…後でお母さんと三人でゆっくり話すから。今話したら…私きっと泣くわ。今でさえ結構限界なのよ?」
言った通り、知宵の目からは今にも涙がこぼれそうになっていた。澄んだ笑顔が綺麗で一瞬目を奪われる。
「…そっか。うん。なら落ち着くまで待ってあげる」
「…ええ。ありがとう。少し時間をもらうわ」
食卓?の方で行われている話が終わるまで数分。あたしは何も言わず、ただ知宵が気持ちを落ち着かせるまで待つ。静かに座っているとみんなの話し声が耳に入ってきた。
「それで、うちの知宵は…どうですか?仕事はできていますか?」
「ふふ、知宵ちゃんほどきっちりしている人を私は他に知りませんよ。いつも仕事とは真摯に向き合って全力でやり切ろうとする…ずっと一緒に見てきた私が言うんですから。大丈夫です!」
「そうですか…。あんな怠けてだらけた知宵がそんなにも…」
「だから言ったじゃないの。知宵なら大丈夫だって。私たちの娘なのよ?少しは信じてあげなさいな」
「う…だけどな燈佳。知宵は倒れたじゃないか…心配ぐらいさせてくれよ」
知宵のお母さんって燈佳って名前だったんだ。前も聞き忘れちゃってたわ。お母さんが燈佳さんで、お父さんが守さんね…よし、覚えた。
「そ、その節は申し訳ありませんでしたっ!私がもっと知宵ちゃんのことをしっかり見ておけばよかったのに…」
「あぁ篠原さんが頭下げることなんてないですよ。知宵が体調管理をできていなかっただけですから。ほら、守さんも」
「燈佳の言う通りです。篠原さんは悪くありませんから気にしないでください。それより、その…知宵の仕事について教えていただけますでしょうか?」
「は、はいっ!もちろんです!」
知宵のお仕事で一番身近な篠原さんが受け答えをしつつ、史藤さんと高凪さんは椅子に座って頷いたり頷いたり頷いたり…あの二人あれね。"あおさき"以外で話せることそんなにないのね。当然だけど。
「他に何か仕事で聞きたいことでも…私の知っていることならなんでも答えますからっ。遠慮なくおっしゃられてください」
「あら、それなら私からいいですか?」
「はい!なんでしょうか?」
「せっかく皆さんが来てくださっているので、ラジオのことをお聞きしたいと思いまして」
「ら、ラジオですか…」
ラジオって…。
「"あおさき"のことよね。おそらく」
「あ、知宵。もういいの?」
突然の声に振り返れば元気な知宵の顔。涙がこぼれそうな様子も声が震えている感じもしない。
「ええ。大丈夫よ。落ち着いたわ」
「そ?ならあっち混ざる?」
「…どうしようかしら。私たちが行ってもいいけれど、意味あると思う?」
「んー…」
意味は…ないかな。収録でもないし、個人的に知宵のパパママとは話したいけど、今はそういう雰囲気でもないし。
「…ないと思う。呼ばれるまでは混ざらなくていい気がしてきた」
「そう…ならそうしましょう」
「うん」
二人して耳を澄ませる。向こうで話していることはちょうど"あさおき"について。さっきまでは篠原さんだったのに、今は史藤さんがメインになっている。
「青美さんと咲澄さんはさすがというべきか…お二人とも喋るのが上手です。自然体で話題も事欠かず、おかげさまで今では人気番組ですよ」
「あら、あの子のラジオ番組人気だったんですね。私たちも聞いてはいたんですが、そんな人気だったんですねぇ…」
「はは、それはもう大人気ですよ。イベントも満席で…お父さまお母さまも見に来ていらっしゃっていたとは思いますが…」
「ふふ、はい。私も守さんも驚きました」
「…さすがにあんなに人がいるとは思ってなかったからなぁ」
無駄にあたしたちが持ち上げられている。
人気番組って…正しいといえば正しい。もちろんもっと人気な番組だってあるから、実際は"それなりに人気のある番組の一つ"って感じなのよ。
「にしても、お父さんお母さん来たことあったのね」
「知らないわ」
「…ん?」
「だから知らないのよ」
首を振って知らないと言う。一瞬なんのことか迷ったけど、イベントに両親が来ていたことを知らなかった…だと思う。たぶん。
「ええっと…両親が見に来てたこと?」
「ええ。私は聞いていなかったわ」
「史藤さんとか知ってる風だったけど?」
「そうね…私は知らなかったわ」
「ふーん…隠れて見に来てたってことかしら」
知宵に隠す理由はわかる。でも史藤さんとかに話通す理由ってある?…ちょっと知宵の話聞いてみるとかそれくらいしか思いつかないわね。
「あのときはありがとうございました。皆さんのおかげで知宵の仕事をしっかり見ることができました」
「いえいえ、ただ席を用意しただけですから。こちらこそ青美さんの仕事ぶりを"あおさき"でお見せできて光栄でした。ありがとうございます」
なるほど。関係者席の用意のためか…納得。それならスタッフに話通した方が早いわ。
「…来たなら言ってくれればよかったのに」
あ、知宵が拗ねかけてる。この子、実家帰ってきて幼くなってるんじゃないの?…いや、いつもこんなもんだったかも。
「知宵が家出してたから内緒にしてたんでしょ」
「家出って…それくらいわかっているわ。ただ、その言い方はやめなさい」
「じゃあなに?他になにか言い方あるの?」
「それは…」
そんな無駄話を続けて数分か、10分か。それなりに時間が経過した。知宵ママパパの話が終わってひと段落した様子。次はあたしたちの出番かと思いきや、知宵ママが"ご飯食べていきませんか?"と。
冷蔵庫からばんばん料理を持ってきてテーブルに置いて置いて温めて置いて……。
「多すぎない?」
「この人数なら余裕でしょう?」
「…そうなのかなぁ」
目移りする料理の数々がテーブルに並んでいる。7人が座っても余裕あるテーブルなのに、上は全部埋まっていて隙間がない。
…とりあえずいただきますしなきゃ。
「今日はありがとうございました。お食事までいただいてしまって、とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ふふ、喜んでいただけてよかったです。明日も知宵のこと、よろしくお願いします」
食事を終えて篠原さんたちがホテルに戻っていった。料理はというと、当然のごとく食べきれず翌日に回すこととなった。予想通り。
食器を片付け、食器洗いのお手伝い。主に知宵が。あたしはやろうとしたら断られた。お客様だからって…そして知宵パパと食卓に二人で待っているのが現状…。
「…咲澄さん」
「は、はい!」
自分の親と同世代にさん付けされるのはもう慣れたけど…友達の親っていうのが入るとまた違うものなのね。ちょっと変に固い。リラックスしていこう、あたし。
「知宵のこと、よろしくお願いします」
「わっ、頭上げてください!そんなお願いいりませんよ。あたしはただ知宵の友達やっているだけですから」
「そうですか…友達ですか。ありがとうございます」
さん付けはともかく頭下げられるのは…ちょっと困る。そんなお願いされるような立場でもないもの。
「…知宵は、昔から友達も少なくて人と遊ぶことも少なかったんです」
「…あんまり今と変わらないですね」
「はは、今もそうなんですか。やはり変わっていないようですね」
にこやかに笑う姿から知宵への想いが伝わってくる。あたしがよく知る人に似た優しい笑顔。
「寂しがりやで意地っ張りで強がりな知宵ですが、咲澄さんみたいな友達がいるなら僕も安心できます」
「ふふ、任せてください」
知宵のことを任されてしまった。友達として相談に乗れるくらいのつもりではいるから、軽い気持ちでいこう。
これでも人に気を配れる余裕ならあるのよ。数か月前のあたしとは違うわ。
「ところで…咲澄さん」
「はい」
なごやかに話が終わって、そろそろ知宵とママさんも戻ってくる頃合いかなと思ったらパパさんから話が。
今度はなにかしら。また知宵のことだとは思うけど…。
「サインを、いただくことは…可能でしょうか?」
「サイン…?」
「はい…だめならいいんですが、その、サインです」
「あ、はい!もちろん大丈夫ですよ!」
サインかー。予想外なことを。知宵のパパらしい。あたしのサインが欲しいって…まさかのこんなところにもファンがいたとは。友達の親が自分のファンっていうのも不思議な感じするわね。
「ほ、本当ですか!それではこのDJCDにサインをお願いします」
「はーい!」
勢いで返事をして、ささっとサインを書く。
それにしてもDJCDって、これvol3の山梨編よ?今さらっと取り出してたけど、そんなすぐのところに準備してたってことは最初からサイン頼むつもりだったのかしら。サインくらい別にいいんだけど、知宵先じゃなくていいの?
「あたしは書きましたけど…知宵のサインはいいんですか?」
「知宵には後で色々書いてもらいますから大丈夫です。今まで色々と娘の出演作は見て聞いてきましたので…一通り書いてもらいますよ、はは」
「あ、あはは…そうですかー」
知宵…大変そうね。頑張って。