32. 新年③
「…恋する乙女な雰囲気を見せることはできない?」
「…なにそれ?」
ちょっと意味がわからない。
「昨日、私が恋愛指南本の話をしたことは覚えている?」
「うん。甘えろとか手を繋げとかボディータッチしろとかそんなこと言ってたわね」
色々考えてみたけど、やっぱり手を繋ぐとか肩にもたれかかるとか無理。そんなの告白してるのと同じじゃない。
「告白はできない。直接的に手は繋げない…昨日のことと重なるけれど、彼がかたくなにあなたを意識しないようにしているとすれば話は簡単。そのガードを突破するレベルの攻撃をすればいいのよ」
「…うーん」
「そのためには告白が手っ取り早いのだけれど…まだできないのでしょう?」
「うん…」
…言いたいことはわからないでもない。要は、告白しちゃえば意識しないとか無理ってことでしょ?好きです、なんて言われたらさすがに言い訳のしようがないものね。でもできないものはできないし…。
「告白以外だと恋する乙女な振る舞いをするしかないと思うの、私は」
「…その振る舞いとやらは、例えば?」
「例えば…ほ、頬にキスとか」
薄っすらと顔を赤くして言う。知宵の思う恋する乙女は頬にキスをするらしい。
「なんで恥ずかしがってるのよ」
自分がするわけでもないのに妄想たくましいことで。
「…頬にキスなんてしたこともされたこともないからに決まっているでしょう」
「ふーん」
「…なにかしら、その反応。あなたはあるとでもいうの?」
「え、ないけど?」
あるわけないじゃない、そんなの。なに言ってるのかしらね、この子は。
「…ひどくイラッときたわね、今」
「んー…まあ頬にキスならそのうちするかなーって」
だって、ね?恋する乙女な振る舞いその1が頬にキスなんでしょ?少なくとも今年中に実行するわ。
「そう…するつもりなの。いいわね、あなたは。相手がいて」
「あー…うん。ごめんね?でも郁弥さんはあげないから」
「それくらいわかっているから大丈夫…結局紹介してもらえなかったし、私は気長に待つとするわ」
布団にぎゅっとしがみついて諦めの息を吐く。
「それより、他に何か思いついたことでもある?」
「恋する乙女なやつ?」
「ええ」
気を取り直して話の続きをする。
相手に意識させる、ねぇ…今までしてきたことから考えた方がいいかも。一緒に歩いて、お話もたくさんした。プレゼント交換したり…お話したり……うん。それだけ。
予想外に恋人っぽいことしてない。やばい、なにこれ。いや、恋人じゃないから正しいっちゃ正しいんだけど…あたしが舞い上がってたせいか完全にデート気分だったし…これは問題よ。大問題。
「…知宵。問題が発覚したわ」
「あら、ふふ、そう。なにかしら?教えなさい?」
「あんた楽しそうね…」
声を弾ませて身体をあたし側に向ける。
あたしにとっては大変なことなのに、知宵はずいぶんと楽しそうで気分がよろしくない。
「ふふ、そうかもしれないわね。だって今の流れなら郁弥さんとの関係でよくないことがわかったのでしょう?面白いに決まっているわ」
「むむ…たしかによくないことだけど…」
「ほら、早く話しなさい?」
わくわくと笑顔を見せる知宵に仕方なく口を開く。
結局話すんだし早く伝えちゃおう。
「…あたしさ。郁弥さんと色々デートしてきたじゃない?」
「聞いた限りそうらしいわね」
「まあ楽しかったんだけど…どれもお話するだけだったのよ」
「…どういうこと?」
「だから、お話するだけでそれ以上は何もなかったってこと」
手繋いだり腕組んだり…は恋人じゃないから無理にしても、デートらしいことならたくさんあるのに。ご飯食べたりお茶したリして会話してただけで…遊園地行ったり映画見に行ったりしてない!あと同じジュース飲んだりアイスとかパフェ食べ合いっこしたり間接キスしたりとか全然してない!!
「ふむ…恋人じゃないのなら当然じゃなくて?」
「…これだけ好きなのに恋人っぽいことしてないのは由々しき問題だわ」
「…よく恥ずかしげもなく言えるわね」
「そりゃ好きだもん」
呆れ目を送ってくる知宵にさっと答えた。
つい一カ月くらい前までは好きかどうかさえわかっていなかったのに、自覚してからはもう好き以外のなんにもない。目標は私生活の…いえ、人生のパートナーよ。支え合える関係が理想ね。
「…あなたの感情は置いておいて、恋人になることを頭に入れたのが昨日なのだから、今まで恋人らしさがなかったのは仕方ないことでしょう?」
「…うん」
そうはいっても…自分を振り返れば知宵の実家行った時点でもう好きになってたんだと思う。そのときから結構経ってるのに…。
「はぁ…日結花」
「…ん?」
ため息をついてあたしの名前を呼ぶ。知宵にしては少し真面目な雰囲気。
「あなた焦り過ぎよ」
「…そうなのかな」
「ええ。郁弥さんとの関係でいえばまだ友人なのよ?私も焦らせるようなことを言ったのは悪かったわ。一つ聞くけれど、あなたが彼と出会ってからどれくらい経ったの?」
どれくらいって…個人的にはどこかで会ってるとは思うんだけど、それ抜きとなると…春から?
「半年…ううん。九カ月くらい?」
「九カ月…だいたい1年ね。その1年で名前呼びから一緒に買い物したり食事する仲になったのでしょう?」
「まあ、うん」
「ならいいじゃない。昨日今日と話してきたことはこれからすればいいのよ。段階を踏んでここまで来たのだから、案外順調なのかもしれないわよ?」
「むぅ…」
そう言われるとそんな気がしてくるから困る。最初より緊張もないし心開いてくれているのはわかるから。
これから間接キスしたりボディータッチしたり、いろんなところ行ったりすればいいのよね…。
「なんにせよ、大事なのはあなたが次に何をするかよ。何かしたいことはないの?」
「んー…」
大事なことがこれからだっていうのはわかった。振り返ったって今さらだし。その上であたしがしたいことというと…。
「抱きしめてほしいわ…」
「はい無理。他は?」
「ど、どうしてよっ」
「…言わないとわからないのかしら?」
面倒くさそうな顔が目に映る。
そんな顔しないでよ…抱きしめてほしいんだもの。仕方ないじゃない。
「…いいわよ言わなくて。わかってるから」
手すら繋いでないのに抱きしめるとか無理に決まってるわよね。知ってる。
「そう?じゃあ他には?」
「…うーん」
色々ありすぎてこれまた困る。ちゅーしたいとかぎゅっとしてほしいとかはアウト。一緒にお風呂入りたいとか一緒に寝たいとかもアウトよね。わかってる。手繋いだり膝枕したりは…まだ恋人じゃないから…なんか恥ずかしいし無理。不意打ちでありえそうなあーんとか間接キスとかは…セーフ?
「不意打ち…不意打ちか…」
不意打ち…案外知宵の言ってた頬にキスとかありかも。あと、シチュエーション整えれば結構色々いけそう。ジェットコースターとか腕に抱き着いたりできそうだし、お化け屋敷とかも全開でいけそう。あとは…映画館も手を重ねたりできそうね…ちょっとドキドキしてきた。
「手っ取り早く手を重ねられそうな映画館がいいと思うわ」
「映画…親しくない仲の映画はよろしくないと聞いたけれど…あなたは大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。あたしの出てる映画見るから」
「あぁ、それなら大丈夫そうね。参考までに、どの映画を見るの?」
「『Magical Music2』だけど」
「…それ、確かミュージカル映画よね?」
「そうね」
去年の秋くらいに吹き替えして、新年に公開の映画。ストーリーとしては魔法を使った音楽ショーの世界大会を描いたもの。その大会の名前が『Magical Music』。
"2"とあるのは、もちらん1があるから。1で優勝した主人公たちに憧れた青年が2の主人公になるわ。ちなみに、あたしは主人公チームのライバルに当たる優勝候補なチームの一人。
「いつの間に参加してたのよ…」
「あれ?言ってなかった?来年映画出るって」
「聞いてないわ」
言ってなかったかしら…知宵の驚きようはほんとに知らなかった反応。別のところで言っただけかも。うん。
「そっか。とにかく出るから。見てね、よろしく」
「…面倒ね。DVDは?」
「いやあるわけないでしょ」
「…はぁ。DVDが出たら渡しなさい。暇な時にでも見てあげる」
だるそうにひらひら手を振ってテキトーな返事をする。
…見る気ゼロね。しかもDVD寄越せとはなんて上から目線。
「…いつか郁弥さんと一緒に見直すから、そのとき見なさい。三人で見ましょ?」
一度一緒に見た映画を見直すのも楽しいと思うの。ここのシーンがどうとか話せるし、お喋りしながら見れるのがきっとすごく楽しい。
「…私の前でイチャイチャするつもりでしょう?やめなさい。泣くわよ」
「あら残念。いい案だと思ったのに」
「よくないわよ…はぁ…不毛だわ。話を戻しましょう?」
「わかったわ。で、どう?映画見に行くのは」
名案だと思うんだけど…買い物食事はまた今度でいいし、遊園地はちょっと早い。お家デートとかはそれこそ早すぎる。この時期プールとかは合わないし…お散歩じゃいつもと変わらない。
「いいと思うわよ。当然映画を見た後のことも考えているのよね?」
「え…あと?」
後って…なにそれ?なにかするの?
「…私は、ときどきあなたが馬鹿なんじゃないかと思ってしまうわ」
「ど、どうしてよ!?」
そんな呆れた眼差しを向けられる理由はない…はず。たぶん。
「映画を見てそれで一日が終わるわけじゃないでしょう。少なくとも食事くらいはするわよ、普通は」
「…そっかー」
言われてみれば…映画見てちょっと歩いてご飯食べてお散歩してが一般的なのかもしれない。
「それで?日結花はどうするつもりなの?」
「え、うーん…」
どうしようかなー。ご飯食べるのはいいけど、そうすると場所考えなくちゃ…映画館なら…やっぱ大きいところかな。それかモールよね。モールならご飯食べるところもたくさんあるし、見て回るのも十分楽しめると思うし。
「迷うわね」
「…その辺は私関係ないからあなたが郁弥さんと話し合いなさい。それより一つ聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「うん?なに?」
なんだろ。真面目な顔して。予定も映画で固まってきたし、他に何か大事なことでもあった?
「日結花は…どうやって手を重ねるつもりなの?」
「どうやって?そんなの普通にぎゅっと?」
「…向こうが肘掛けに手を置いていなかったら?」
「…っ!?」
「そんな驚くことかしら…それで、その場合はどうするの?」
思いも寄らない意見がきた。驚くあたしとは対照的に知宵はいつも通りやる気のない表情を浮かべている。
…ベッドでごろごろしてるくせして無駄に頭回るわね。恋愛指南本の成果なの?
「んー…」
予想外のことで一瞬取り乱したけど、どうしよう…もう強引にいく?暗くなってからでも映画の明かりで手の位置くらい見えるでしょ。それなら手を掴んで肘掛けに持っていっても…セーフよセーフ。暗いし。
「どうにかするわ!」
「そんな意気込んで言われても…いえ、いいわ。私は気にしない。あなたに手を重ねる程度の勇気があるかどうか聞きたかっただけなのよ」
「勇気?」
「そ。告白も手を繋ぐこともできないあなたにできるのかどうかをね」
…なんかすごいばかにされた気がする。
「あたし、ちゃんと恋人になったらすごいからね」
「…それはどういう意味で?」
「そりゃ…」
ほらあれよ。四六時中イチャイチャしちゃうわよ。朝から晩までずっと。ずっと離れないでくっついちゃうんだから。
「おはようからおやすみまでイチャイチャちゅっちゅするわ」
「…付き合ってくれるといいわね」
「ふふん、郁弥さんが付き合ってくれないわけないじゃない。恋人になってる頃には今よりもっと親しくなってるのよ?」
「親しくなっているのは当然でしょう?恋人なのだから」
「言葉の綾よ今のは。とにかく勇気がどうとかは大丈夫」
わざわざ心配してくれてありがと。人前じゃないなら全然平気。手ぐらいすぐに絡めちゃうわ。
「そう…ならいいわ」
話にひと段落ついたからか、知宵は脱力してベッドに身体を預ける。ずっとだらだらしながら話していたのに、もっとゆるっと力が抜けて今にも眠りそうな勢い。
「…ふぁ」
長々と話したからかこっちまで眠くなってきた。
これはお布団入ったら寝るやつだわ。よくない。知宵も寝そうだしあたしが寝たら…あぁでもママが起こしにきてくれるか。なら…。
「…あぁ、そう日結花」
「…んんー?」
ついつい椅子から降りてお布団に包まれてうとうとしてたら名前を呼ばれた気がした。
「…あなた、ちゃんと郁弥さんにデートするって言うのよ?」
「うん…デートね」
デート…今度二人でお出かけするときはデートって言おう。そうしよう…うん。
「日結花、聞いてる?」
「…ん、聞いてる」
「…いいわ。私もちょうど眠くなってきたところだし、後で話しましょう」
「うん…」
…デート。うん。早くデートしたいな…。




