13.違いと予定と
「終わったわねー、おつかれ」
「おつかれー。なんだかんだ疲れたね」
「そうね。時間も夕方だし」
控え室に戻って智美と話をする。壁の時計は夕方を過ぎた時間を示していた。
何回お仕事しても疲れるものは疲れる。声を使うお仕事も疲れるけど、人と接するのもすごい疲れるわ。
「それにしても日結花ちゃんにあんな親しい人がいるなんて思ってもみなかったよ」
「それ、まだ引っ張る?」
疲れていることもあって冷めた目で智美も見る。そんな眼差しを向けられても気にした様子がなく、軽く笑みを浮かべて返してきた。
「だって気になるし。良い人だったね、藍崎さん」
「当たり前でしょ。郁弥さんだもの」
「ふふ、ほら今もそう。口元緩んでるよ」
にやにやしながら言う智美の言葉を聞いて、咄嗟に部屋の鏡へ目を向ける。
見慣れた口元は笑みの形をとっていて、すぐさまむむっとした表情に移り変わる。
「偶然だわ」
「いま鏡で見たでしょ」
「……」
「んふふ」
全力でにやつく智美から視線をそらして、荷物の整理をする。
「べ、べつにいいでしょ。話してて楽しいんだから」
「あはは、日結花ちゃんいつもは猫被ってるもんねー」
「…あたしだけじゃないでしょ。猫被ってるのなんて誰だってそうだし」
「うん。でも日結花ちゃん落差激しいから」
「どうかしら…お客さんと接するときはあたしも気合入れてるから。それはあるかも」
笑顔作るのも慣れてるし、人と笑顔で話してると相手も皆笑顔だから嫌いじゃないのよ。やりたいものでもないけど、苦手意識は別にない。結構お仕事してきたからっていうのもあるかな。
「オフで見る日結花ちゃんはあんまりテンション高かったりしないし、お仕事中は営業スマイル全開だし。だから今日は驚いたよ。すっごく楽しそうに自然と話してて新鮮だった」
「…変だった?」
智美の言ってることがだいたい合ってるから困る。現場でお仕事前に他の声者と話すときもテンション高いわけじゃないし。
ていうか、あたし自身普段から元気に満ちあふれてなんてないから。郁弥さんが特殊なのよ。
いつの間に笑顔にさせられて、面白かったり嬉しかったり楽しかったり、どれにしても気付いたら笑顔になってる。いや、あの人恥ずかしいこともよく言うから笑顔だけじゃないんだけど…。
「ううん。なんかさ。年相応に見えた。いつもは年齢通りになんて見えないから」
「そっか…」
年相応、ね。
郁弥さんと話してるときのあたしって、そんな風に見えるんだ…前から少しは自覚してたわ。でも改めて他人から言われると、こう胸に詰まるものがある。悪い意味じゃなくて。
「…そうだったのね」
自然に、無意識でそう振る舞っていた。彼がそうさせてくれていることが嬉しい…あの人絶対何も考えてないわよ。天然だもの。
「日結花ちゃんほんと大人びてるからねー。見た目はともかく」
「む、見た目はってなによ」
「え?そのまんまだよ?」
「ま、まだ成長するわ」
あたしが一人で感傷に浸っていたのに気づかず失礼なことを言ってくれる。
ちらりと自分の身体に視線を巡らせても…なんともいえない。身長が低いことからわかってはいたけど、薄く小さい。何がとは言いたくないわ。あたしより年上の智美がそこそこあるんだし、まだ平気よ。
「はー、日結花ちゃん17歳なんだよねぇ」
「そうね」
「頑張ってね」
「ん、なにを?」
「全部」
「全部って…まあ頑張るけど」
呆れて見た智美の顔が幾分か真剣な気がしたので、あたしもきちんと答えた。
珍しく雰囲気固めだったわ。いつもはのんびりテキトーに過ごしてそうなのにね。ほんと珍しい。
「んー、藍崎さんかぁ」
「郁弥さんがどうかした?」
「私もあんなお兄さんが欲しいと思って」
「ふ、ふーん」
さらっといつも通りの智美に戻ったと思ったら、また反応に困ることを言い出した。
…あげないわよ?
「日結花ちゃんが羨ましいよ」
「そ、そう?」
「うん。優しくて穏やかで落ち着いてて、私を甘やかしてくれそう」
「……はぁ」
どうにか反論しようとして、上手く言葉が出てこない。ため息しか出なかった。
全部当てはまってるし、しかも"甘やかす"の部分が的を射ている。口ではだめと言っても我儘言ったら"しょうがないなぁ"とかなんとか言って全部やってくれるのよね。冗談抜きで郁弥さんが本当にやってくれそうだから怖い。そもそもあたしが頼んだら文句も言わず無条件で引き受けそうだもの。
「ほんとにそうしてくれそうだから怖いわ」
「だよね?あの人好きな相手にはとことん甘いタイプだよ」
「っ、ええそうね」
あぶなかった…。智美が変なこと言うから詰まっちゃった。
なによ好きな相手って。別にあたしがそういうのじゃないし、郁弥さんだってそんなこと思ってないでしょ。だいたい甘いのは好きとかそんなのじゃなくて、あたしが"恩人"とやらなわけであって何か他に理由があるわけじゃないわ。話してからまだ半年くらいだし彼だって心開いて…いるかもしれないけど、教えて貰えてないこともあるし、特になんであたしが彼のいう"恩人"とやらなのかとか!あぁもう!気になってきたじゃないっ!!
「日結花ちゃん大丈夫?顔赤いけど」
「え?…ええ、大丈夫よ。気にしないで」
「それならいいけど」
顔赤いのね。わかってた。だって頬熱いし、体温上がった気がするもの。
「そ、そういえば智美には郁弥さんみたいな人いないの?年上の優しい頼れる人とか」
「…いたらこんな話しないよ」
じとっとした目であたしを見る。
そうよね、いないわよね。ごめん、まだちょっと頭が回ってないかも。
「そもそもさ。年上の優しい頼れる男の人なんてそれもう恋人だよ。従兄弟とか兄弟くらいしかありえないでしょ。だからこそ日結花ちゃんが羨ましいんだけど…」
「こ、恋人って…」
「あー私も恋人がほしい。私を甘やかしてくれる人がほしい」
郁弥さんが実は従兄弟でもなんでもなくって知り合ってまだ半年ほどだと知ったらなんていうかしら。こ、恋人とか、そういうんじゃないけど…言えないわ。
「さっき私一人暮らししてるって言ったじゃん?一人暮らし続くとさ、やっぱり人恋しくなってくるんだよね」
「そういうもの…なの?」
「うん。まあねー」
「智美さ。一人暮らし始めてどれくらい経つ?」
「え、うーん。5年くらい?かな」
5年なんて想像もつかない。上京してる人っていっぱいいるし、智美だけじゃなくてだいたいそれくらいは経ってるわけよね…。
「まあ…うん。色々頑張りなさいよ。あたしも頑張るから」
「うん、お互い頑張ろ。色々ね」
深くは知らないにしても察することはあるもので、二人揃って苦笑いで会話を終えた。
あたしのマネージャーさんこと峰内さんに呼ばれて部屋を出ると、閉じた扉がすぐに開いて後ろから智美も出てきた。
「あんたも帰り?」
「うん。さっきから呼ばれてて」
「ふーん…あたしと喋っててよかったの?」
「あはは、あの人早めに呼んでるだけだからねー」
「そ」
待合室――部屋というわけではなく、通路を大きくした休憩所のような形となっている――への短い間に軽く話をし、お互いのマネージャーの元へ行く。
「日結花、お疲れ様」
「うん、疲れたわ」
峰内さんに声をかけられ、それに返しつつ椅子に荷物を置いて改めて帰りの支度をする。
「話は帰りながらしましょう?その方があなたもいいでしょうし」
「そうね……忘れ物もなさそうだし行きましょ」
荷物のチェックも終えて、智美とそのマネージャーに別れを言って待合室を出た。峰内さんと一緒に担当の人と挨拶をしてから駐車場の車に乗る。
もちろん免許を持っていないので峰内さんが運転席で、あたしは助手席。
「あら、珍しい」
「そう?」
「ええ。日結花いつもは後ろの席でしょう?何かいいことでもあったの?」
車を動かしながら横目で見つつ質問してきた。
「別にないわ」
いいこととか特にない。お仕事しただけだし。
「ふふ、本当にいいことあったみたい。顔、緩んでるわ」
「ゆ、緩んでなんてないでしょ!」
いいことなんてなかったし…色々話したから楽しかったとかそういうのないから。
ちょ、ちょっとくらいなくはないかもしれないけど…少し話したくらいで頬緩んだりなんてしないはずよ。
「そういえば、最近日結花元気よねぇ…何か心境の変化でもあったの?」
ちらりとこちらに視線を向けて明るい口調で尋ねてくる。
「…そう見える?」
「ええ。前はいつもつまらなそうだったじゃない。それなのに、この頃なんでも楽しそうで笑顔も多いわ。あ、もちろん仕事中以外の話よ?」
「そ、そこまで違う?」
「ふふ、自覚ないってことは本物ねー」
峰内さんの言うように変わったのは確か。
悩みとかほとんど解消されたし、話し相手もいるしで気持ちもすごく楽に過ごせている。でも、それが顔とか態度とか雰囲気に出てるとは思わなかった。
「そうそう、今日の最後の人。私も見ていたんだけど、何か関係あったりする?」
「っど、どうして見てたの?」
「スタッフの人が聞きに来たのよ。時間大丈夫ですかー、って」
「う……」
結構時間オーバーしちゃったかなぁとは思ってたけど、そういうことだったの…。
誰も何も言いに来ないから気にしなかったのに…峰内さんに話通ってるとは思いもしなかった。
このあとの予定がなかったから勝手に時間過ぎても大丈夫だと勘違いしてたわ、失敗。
「こういうのはよくないからダメよ?時間はきっちり守らないとね?」
「うん…ごめんなさい。次からは気をつけるわ」
これじゃあ舞い上がっているって言われても仕方ない。反省しないと。
「ふふ…でも、日結花が自然体だったからね」
真面目な顔から一転、ふっと表情を崩して柔らかい笑みを浮かべる。
峰内さんは長い付き合いなだけあって事情も色々と知っている。だからか、細かいところにもすぐに気がついてくれたのかもしれない。
「それに、今までこんなことなかったもの。あなたが時間過ぎるなんて初めてじゃない?」
「そう、ね」
「うふふ…それで?ずいぶん親しげに話してたみたいだけど、あの男性は誰?」
「まだ聞くのか…」
笑顔で話す峰内さんに苦笑いを返す。
聞かれて困るわけじゃない。でも、郁弥さんのこと一度も話してないからなにを言われるか…。
「当たり前でしょう?日結花がそんなにも気にする人なのよ?知っておかないといけないわ」
「べつに気にするとかそういうんじゃないし。それにいく…あの人は従兄弟よ」
あ、あぶなかった。郁弥さんの名前言っちゃうとこだった。
「従兄弟…ねぇ。あなた前に年上の男性の従兄弟いないって言ってたわよ?」
「えっ!?あたし言ってた?」
「ええ。しっかりと」
「そ、そう…」
ぜ、全然覚えてない。家族の話はしたことあるけど従兄弟なんて…思い出せない。
どうしよう。これだとまた説明が難しくなる。どうやってごまかそう…。
「えーっと、そうね…」
知り合いじゃあ変だし、友人っていうのは少し違う。違くないんだけど、いきなり友人とか言っても信じてもらえないでしょうし…こ、恋人とかそれはだって……ち、違うわ。そうすると…。
「相談役、かしら」
「ふふ、従兄弟じゃなかったの?」
「違ったみたいね?」
「ふーん?ふふ、それで?相談役?」
無理やり感満載で、誤魔化しきれてないけど峰内さんがいいっていうから問題なし。あんまり考えないようにしましょ。考えても仕方ないわ。
「そうそう。相談役」
「なるほど。じゃああの人に色々相談したのね」
「そうよ」
「日結花が良い方向に変わったのはあの人のおかげってことね?」
「そう、よ?」
「それなら日結花があの人に心開くのも無理ないわねぇ」
「…そうね」
深い意味はないと思う。あたしだって深く考えて答えたわけじゃないし、相談役っていうのも事実。心開いているのも…恥ずかしいけど正しい。
「あなたがあんな風に接している人初めて見たわ。日結花を変えてくれたのもあの人みたいね」
「うん…」
「だから私は何も言わないわ。むしろ歓迎したいくらい…ただ、男の人ってだけで邪推する人もいることだし、その点は気をつけるのよ?」
「わかってる。郁弥さんには迷惑かからないようにする」
そういう風に見られる関係じゃないけれど、人に広めないに越したことはないわね。峰内さんみたいに従兄弟設定が通じない人もいるもの。
「ふふ、"郁弥さん"ね。これはもう重症じゃない」
「っ!?」
つい名前を出してしまった……いやでもよく考えたら別に言ってもいいかも。峰内さんはこれからもたくさん話すわけだから、むしろ先にボロ出してよかったんじゃないかしら。
「い、いいでしょ?あの人がいいって言ったんだから」
「ダメとは言ってないでしょう?そのうち私にも紹介してね?マネージャーとして人柄とか見ておきたいし、うふふ」
「…時間があったらね」
紹介するのは別にいいんだけど、あの人なんて言うか…軽くいいですよーぐらいに流しそうだわ…変なところで物怖じしないのよね。
「ともあれ、日結花が変わった理由もわかったし納得できたわ……ふぅ、ふふ、日結花にもそういう人ができたのねぇ」
「そ、そういう人ってなに!?峰内さん勘違いしてるわよ?」
「ふふ、わかってるわ。私は応援するから」
「だから違うって!」
「日結花がいくら言ったってあんな顔見ちゃうと、ねぇ。あなたとはもう長くなるし…それくらいわかるわよ」
「全然わかってない!」
釈然としない気持ちを抱えながら色々と話して、あたしも疲れを感じてきた頃タイミングよく家に到着した。
久しぶりに疲れる話をした。それでも、話せてすっきりした部分も多くて結果的に話せてよかった気はする。…峰内さんが質問ばっかりしてきたのはきつかったわ。根掘り葉掘り聞こうとするのやめてほしい。すっごく恥ずかしいんだから。
「はー…」
家に帰って寝る準備まで済ませて自分の部屋に戻ってきた。
今日はどっと疲れたわ…あ、そうだ。郁弥さんに連絡しとかないと…疲れたし明日でもいい気はするけれど…でもさっき話しちゃったのよね…。
「うー」
めんどくさい。というかなんにもしたくない。やる気とかそういうのが全部なくなって今すぐ眠れちゃいそう。
どうにか気力を振り絞って右手を動かす。ベッドにうつ伏せで倒れ込んだまま、さっき鞄から放り出した携帯を手に取り、ネミリを開いた。
【はーい】
一言打ち込んで送信。ぺたりと顔を伏せるとすぐに眠ってしまいそうな心地よさが襲ってくる。眠気に耐えつつ目を開いたり閉じたりしていると、返信の音が聞こえた。
【こんばんは。お疲れ様です】
時間を見ると送信時刻から30分は経っていた。
ていうか受信してから5分経ってたわ。謎。音が聞こえてすぐ携帯開いたと思ったのに結構時間経ってたのね。
【ばんはー郁弥さん敬語】
なんとなく気になったことを送った。他の人が見るわけでもないし、いつも以上にラフでも平気。敬語のことは今日その話したばっかりなのに、あの人もう忘れてそうだからしょうがない。
【あーそういえばそうだったね。ごめんごめん】
【それでよし。ねえ眠いわ】
【いきなりだなぁ。日結花ちゃん疲れてるね】
【うん。峰内さんと話してたら疲れた】
【どなた?】
【マネージャー】
【なるほど。どんな話を?】
【郁弥さんが誰なのかって詮索されたわ】
【そんなばかな…】
「ふふふっ」
なによいきなり。敬語なくすとこんなのもあるのねー。面と向かってるわけじゃなくて文章だからっていうのもあるかもしれないけど、ぐっと距離近くなった感じする。
【なになに、どんな話されると思ってたの?】
【仕事?】
【それならこんなに疲れないわよ】
【仕事は慣れてるもんね】
【まあねー】
【それで、僕はどんな人になったの?】
どんな人って…あたしはきちんと説明したのよ?峰内さんが勘違いして、変な解釈されちゃっただけで…どうやって説明しよう。
「……」
だって男の人ってだけで"そういう"風に見てたんだもの。年上の男の人で、相談役で親しげに話してるだけじゃない……ちょ、ちょっとはそういう風に見られても仕方ないかもしれないわね。
【あたしの相談役よ!】
【そ、相談役?】
【うん】
【それは…いいの?】
【いいんじゃない?わかんないけど】
【日結花ちゃんがいいならいいか】
もう完全に起きた。文章送るとすぐ返ってくるから楽しい。ほんとに郁弥さんと話してるみたい。
【それで、ご飯食べに行くのどうしようか】
【それねー】
【日結花ちゃんこれからの予定どうなってる?】
予定かー。スケジュールどうだったかなぁ。平日は学校にときどきお仕事に、休日はお仕事。
【郁弥さん来週の日曜日どうなってる?】
【あーごめん、ちょっと予定が】
来週はだめ、と。なら12月よね。12月終盤はたぶん無理。"あおさき"のイベントもそうだし他にも色々重なってるから忙しい。お正月はさすがに彼だってだめでしょうし…12月中には行きたい。絶対お話するわ。なにがなんでも会うんだから。
【じゃあ12月ね】
【12月の初旬から中旬かな】
【あたしも同じこと考えてたわ】
【そっか。じゃあそれくらいを目処にしよう】
【楽しみね!】
【そうだねー。ようやくって感じするかな】
あー早く話したいなぁ。色々おしゃべりしたい。
【あぁごめん、明日早いし僕はもう寝るよ】
【あ、うん。またね】
【うん。また今度】
【それと】
ん、なにかしら。それと?
【おやすみ日結花ちゃん】
「んん……もう」
この人はほんとに。サプライズみたいに付け足すのやめてよね。心臓に悪いわ。
【おやすみなさーい】
返事を送信して部屋の電気を消す。
嬉しくて笑みがこぼれる。
おやすみだって…あたしももう寝よ。ぐっすり眠れそうだわ。とってもいい気分。
「ふぁ……」
小さく漏れた欠伸に従うようにぽすりと布団に身体を落として、そのまま眠りに落ちていく。
まどろんだ意識の中で浮かんだのは相変わらずの穏やかな笑顔を見せる郁弥さんだった。




