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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第1章 出会いと想い
17/123

10の2. 思いやりと本心と②

「なんで…」


 なんでそうなるのよ、そう言いたかったのに言葉が声にならなかった。

 郁弥さんがいなくなる理由なんてない。一緒にいてほしいと願っているのはあたしなのに。良い影響って何よ。与えられてばっかりで悪い影響なんてあるはずないじゃない。


「これから先、日結花ちゃんを困らせたり悩ませたりするわけにはいかないんです」


 困ったように眉を曲げて続けた。


「でも…一緒にご飯食べに行くって約束したでしょ」

「それは…すみません」


 本気で悪いと思っているのか、目を伏せて頭を下げる。


「実を言うとこれを思ったのは日結花ちゃんの話を聞いてからなんです。今日はいつもよりいい顔してるなぁとは思っていたんですが、さっきの話を聞いて納得できました」


 話さなければよかった…とは思わない。どうしてもお礼を言いたかったから。でも、それがこんなことになるなんて…"いつもよりいい顔"って、そんな違いがわかるくらい見てくれてるのに…なに考えてるのよ。全然わかんない。


「……」

「日結花ちゃんが一歩進めたなら、それでもう十分です。今日見た日結花ちゃんなら、きっと大丈夫ですよ」


 心底安心したような、綺麗な笑みを浮かべる。


「…ううん」


 色々、本当に色々言いたいはずなのに言葉が出ない。なんでなんで、と彼の言っていることが理解できなくて考えがまとまらない。


「…うう」


 駄々をこねれば、きっとこの人のことだからこれからも付き合ってくれるとは思う。でも…そんなの"対等"じゃない。結局あたしが頼り切って寄りかかってるだけになる。それじゃだめ。嫌。


「…」


 ……考えよう。この半年の間に彼とは何度も話した。何考えてるのかわからないことも多いけれど、知っていることだってたくさんある。優しくて心配症で照れ屋で緊張しいでそれでいて……。


「……」


 それでいて、自分のことを話さない人。

 彼が…郁弥さんが自分のことを話していないって、今になってようやく気づいた。…ううん。そうじゃない。前からわかってたのにあんまり気にしてなかっただけ…。


「…ん」


 とにかく、どうしてあんな結論になったのかがわかんない。自分のこと話さない人だけど、この人の気持ちならいつもあたしに伝わってきてた。

 だって顔と雰囲気で全部わかるんだもの。隠す気全然ないから…。


「…」


 いくら考えても彼があたしを大好きだってことにしかならない。好きでもなかったらあたしの振る舞いにニコニコ笑って甘やかしてなんてくれないはずだし、彼が言っていた"恩人"云々(うんぬん)を抜きにしても好き以外に考えられない。


「……」


 ……だとすると。


「……」

「……」


 顔をあげて、静かに言葉を待っている郁弥さんを見た。

 顔を、目を見る。気持ちを読み間違えないように強く見つめる。


「っ」


 わかった、すぐにわかった……彼は今でも変わらずだだ甘で、あたしが話してきた人そのまま。


「…もう」


 なんでもないように装っていても不安と心配が瞳には映っていて、全然隠しきれていない。

 自分を無視してあたしのためにって考えて、それが間違いなのに、あたしは感謝してるのに。あたしのこと見てても、あたしの心はわかってないじゃない。


「ばか」


 さっきまで上手く出なかった言葉がするっと出た。言いたいことを詰め込んで一言だけ。目の前にいる臆病な人のことを考えていたら予想以上にあっさりと声が出せた。同時にこわばっていた頬が緩む。


「え…」


 驚いたように声をあげる。なんでそんなこと言うのか、なんでそんな顔してるのか、そんな疑問にあふれた表情。

 …ほんとにわかってないのね。さっきまであたしも同じだったから人のこと言えないけど。すれ違いって不思議だわ。悲しかったり嬉しかったり…でも、そうね。すれ違ったって最後に分かり合えればいいのよ。


「ばかって言ったの」


 焦って悩んで考えてたあたしがばかみたい。郁弥さんは郁弥さんのまま。これまで接してきた彼を見て聞いて話して、最初からわかってたことじゃない。どこまでいってもあたしのことを考えてくれている人。その理由はまだわからないけれど、今はいいの。そのうちきちんと教えてもらうつもりだから。


「ふぅ」


 小さく息を吐いて、彼に近づいていく。

 いったい何を考えてこんな結論に至ったのか。色々突っ込んで聞いてみたいところではある。

 でも、まずは郁弥さんの考えで間違っているところを訂正しないと。せっかく仲良くなってきたのにいなくなられたら困るわ。


「な、なんです」


 身構える彼を無視して、そのまま一歩前に進み。


「えい」


 ――ぱんっ!


「って痛い!」


 怯んで一歩下がったところに再度詰め寄り、軽く足を伸ばすようにして両手で頬を挟み叩いた。

 うん、いい音。


「まったく。なに考えてるのかと思ったらそんなこと」

「そ、そんなことって」

「そんなことはそんなことよ!あたしが言ったこともう忘れた?」

「僕は…」


 何を言えばいいかわからないのか、口を開いたり閉じたりと迷っている。その間にあたしはすらすらと思ったことを口にしていく。相手のことがわかったぶんだけ想いがあふれて言葉が出てきた。


「あたしはあなたのことを"友人"だって言ったのよ。良い影響だとか悪い影響だとか知らないわ。あたしがあなたと一緒に話して一緒にいたいと思ったからそう言ったのよ。そこのところわかってる?」

「……っ」


 どうやらわかってなかったみたいね…驚いた顔してるもの。


「だからね。何も気にしなくていいのよ?」

「…」


 ニコリと笑みを浮かべる。作った笑顔じゃない、自然と出てきた心からのもの。


「それに…あたし、友達は逃がさない主義なの。楽しくお話できる人をそう簡単に離すわけないじゃない」


 一歩下がりつつウインクしながら言った。郁弥さんは…気まずさと恥ずかしさ、嬉しさの入り混じった複雑な表情を見せる。


「…日結花ちゃんはすごいですね」

「当たり前でしょ?これでも長々とお仕事やってきてるのよ?」

「そうでした……」


 小声で話す郁弥さんの顔には、まだ躊躇いのようなものが見え隠れしている。

 当たり前だけど、この人にはこの人なりの悩みがあるんだと思う。誰にもわからない、もちろんあたしにだってわからない。だとしても、言えることはある…いえ、言いたいことはある、ね。


「もう一つ、郁弥さん…あなた自分がどんな顔してるかわかってる?」

「え…」


 言わないといけない。伝えなきゃと思う。あたしも郁弥さんも、きっと後悔する。でもそんな未来は訪れないわ。遠慮も躊躇もしない…そう決めたから。


「寂しそうなのよ」

「っ」


 じっと見たらすぐわかった。あなたが何を考えているのか。もともとわかりやすい人なのに、ただでさえあたしと話してて隠し事なんてできないのに、大事なことを隠し通せるわけないじゃない……そんな顔して、自分を押し殺して…そんなのだめよ。あたしが許さないんだから。


「自分のこと優先したっていいじゃない。さっきも言ったけど、あたしはあなたと一緒にいたいの。だったらあなたが躊躇う必要なんてないでしょ?」

「……」

「あたしが人にここまで言うなんて初めてなんだから。感謝してよね?」

「……かなわないなぁ」


 ようやく漏らした一言はぎりぎり聞き取れる声量で、諦めたような、けれど影のない柔らかな笑みを浮かべてくれた。


「じゃあアプリのコード交換しましょ?ネミリ、やってるでしょ?」

「い、いきなりですね。やってますけど」

「ふふん、逃がさないって言ったでしょ?」

「…あは、あはは。なんかもう…改めて好きになりました。ありがとうございます」

「そ、そう?ありがと」

「ネミリは電子コードでいいですよね?はい僕のこれです」

「う、うん。電子コードね」


 何が楽しいのか満面の笑みでSNSアプリ『ネミリ』の電子コードを見せてきた。一瞬ドキッとしたのを抑えてコードを読み取る。

 さっきまでしんみりした空気だったのに……これいま絶対頬赤くなってる。なんの脈絡もなく恥ずかしいこと言うのなしにしてほしいわ。すごく心臓に悪いから。


「ん、終わりっ」


 ちらりと彼の顔を見てみれば頬が朱色に染まっていた。

 自分で言って照れているみたい…照れるなら言わないでよね、まったく。


「僕なりに結構考えてはいたんですけど、日結花ちゃんが全部取り払ってくれたおかげで胸のつかえが取れた気分です」

「あら?やっぱり悩んでたの?」

「…当たり前です。せっかく日結花ちゃんと仲良くなれたのにそれを自分から捨て去るなんて…なんて残酷なことを強いるんですか日結花ちゃん」

「いやあたしに言われても困るわよ」

「そうですよね。ともあれ、これからまたよろしくお願いします」

「ふふ、よろしくね」


 ネミリのコードも交換して改まってよろしくと言ってきた彼に、小さく笑ってよろしくと返した。どこか晴れやかな郁弥さんの姿を見られて、なんとなくあたしも気分良くなる。

 なにかしら、良いことした後のちょっとした余韻みたいな感じ。


「あ、和食レストランの予定は後でいいわよね?もう連絡もできるんだし」

「はい…な、なんか照れくさいですね。連絡取り合うのって」

「な、なんでよ。あなたがそんなこと言うからあたしまで照れくさくなってきたじゃないっ」


 意識なんてしてなかったのに変なところで照れてくるせいで、あたしまで影響受けちゃった。

 あぁもう頬が熱いっ。


【こんにちは】

【ほら照れくさいです】

【日結花ちゃん元気ですか?】


 微妙な空気になってしまっていたところで、ぷるぷると震えた携帯に気づきすぐさま取り出す。ぱぱっとネミリを開けば、さっきコードを交換したばかりの人から文章が届いていた。


「なんでここで使うのよ…」


 謎すぎる。照れくさいことを実感したかったからっていうのはわかるんだけど、目の前にいるんだし解散してからすればよかったのに。


【ちゃんと喋りなさいよね】

【…たしかにちょっと照れくさいかも。でもすぐ慣れるわよ】


 さっと文章を送り返して彼の方を見る。


「日結花ちゃんの言う通り慣れますね、これ」

「そうそう、まあそのうち予定決めましょ?お互い時間合う日にでも」

「はい。ってもう16時過ぎてるんですか」

「結構時間経ったわね」


 歩いているうちに人通りも多くなって駅も見えるところまで来た。

 話したいことも話せたし、濃密な時間だったわ。ほんとに色々話した…。


「……」


 …うん。郁弥さんが打ち明けてくれたんだからあたしも話そう。

 自分の本心を知られることは誰だって怖い。自分がいくら考えてたってそれが本当かどうか本人に聞くまでわからないし、話したことで相手にどう思われるかもそう。

 でも…向こうもそれをわかってて話してくれたんだし、あたしも話さないと。今勢いで言わないとこれから躊躇ちゅうちょしちゃって言えなくなりそうだもの。


「ねえ、以前話したとき"機会があればまた会いましょ?"とかなんとか言ってたじゃない?」

「はい…似たようなこと言いましたね」

「郁弥さん…あたし、迷惑だったりしない?」

「え?」


 彼が悩んでいたのと同じように、あたしも少しは悩んでいた。

 これまで何も考えず話したいこと話して好き勝手してきたから、もしそれにストレス感じてるなら……ちくりと胸が痛む。


「ど、どうしてですか?」

「自分で言うのもなんだけど、あたし鬱陶うっとうしいと思うの」


 さっきだって向こうが諦めてくれたからいいものの、ほとんどあたしの押しつけみたいなものだし。自分勝手だって言われても言い返せない。そもそも話し方名前の呼び方からして馴れ馴れしかった。

 もしあたしが接点少ない人からいきなり下の名前で呼ばれたら呆れて物も言えないわ。気の合う人、よく話す人、仕事仲間、とかならいいけど。

 こうしたプライベートゾーンは誰だって持っていて簡単に踏み込まれたくないはず。もちろん郁弥さんにだってあるはずで。


「―――だから、あなたが本当に嫌なら…」


 滔々(とうとう)と、溜め込んだものが吐き出されるかのように言葉が流れていく。思ったよりダメージが大きかったらしく自分の声が弱々しくなっていて、終わりが見えたところで言葉が途切れた。


「日結花ちゃん」

「な、なに?」


 いつの間にか小さくなっていたあたしの声を遮って語気強めに、でも柔らかい声音であたしの名前を呼ぶ。


「…そうですね。僕が日結花ちゃんと話してもなんにもならないと思っていましたけど、少しは影響があったみたいですし色々話して気が楽にもなっていますので、ちょっとだけ本音で話しましょうか」

「…本音?」

「はい。あ、嘘ばかりついているわけじゃありませんよ?…あんまり言いたくないことです。恥ずかしいので」


 何を言われるのかと思ったら郁弥さんの本音らしい。突然すぎて緊張する。

 身を固くしているあたしに比べて彼は頬を赤くして恥ずかしげに目をそらしていた……なにそれ、ずるい。


「僕は…これからも日結花ちゃんと話していきたいし、正直日結花ちゃんと話しているだけでこれまでにないほど幸せなんです……だから」


 "だから"と言葉を切って、ぴたりとあたしに目を合わせて続きを言う。


「迷惑だとかそんなことは全然なくて、むしろもっともっとたくさん話してたくさん笑ってください」

「っ」

「日結花ちゃんから直接仲良しだって伝えてもらったんですから、日結花ちゃんが飽きるまでいくらだって一緒に話して一緒にいた……ごほん、ええと、つまり、僕はまったくこれっぽちも嫌なんかじゃなくてむしろ僕から頼んでお話したいくらいってことです」

「あ……そ、そう。うん…そうなんだ」


 …ええ、平気。それならいいわ。郁弥さんがそこまで言ってくれるならあたしは気にしないことにする…。


「最近日結花ちゃんと話すことが多かったからか、僕も今回の話を伝えるのは精神的にきつかったんですよね。正直、僕自身の中で日結花ちゃんがこんなにも大きな存在になっているとは思ってもみませんでした。だからこそ離れようと思ったんですが…」

「…うん」

「こ、これで終わりです。もう言いませんから」


 小さく頷くあたしに対して頬を染めながら途中で話を打ち切った。。

 と、とりあえず迷惑じゃないしこれまで通り遠慮しないでいいってことね。…よかった。



「じゃあ今日はありがと。色々話せて楽しかったわ」

「こちらこそありがとうございました。本当に…いい日になりました」


 改札を抜けて駅構内で別れの挨拶を交わす。


「郁弥さん、またね」

「はい、また」


 さらっと挨拶をして駅のホームへ続くエスカレーターに向かう。途中で振り返ると、ちょうど郁弥さんも振り返ったところで小さく手を振ってきた。頬を緩めつつ手を振り返して、あたしもホームへと足を進める。


「……はぁぁぁ」


 顔が熱い、頭が熱い。いつの間にか駅まで来ていた。郁弥さんがあたしともっと話したいとかあたしにもっと笑顔でいてとかそんなこと言った辺りから記憶が曖昧。

 不安が綺麗さっぱりなくなって良かったのはある。でも、あんな風にあたしを全肯定して"幸せ"なんて言って、優しげな笑みで話されたらまともに返事なんてできるはずがない。嬉しい、嬉しいに決まってる。

 駅まで来て落ち着いたからいつも通りに話せたけど…一人になって思い返したら全身が火照ほてって熱くなった。


「えへ、えへへ」


 これでもう自由なのね。彼自身からお墨付きをもらったんだから大丈夫。

 だらしなくこぼれる笑い声をそのままに、ひとしきりにやにやする。これは仕方ない。あたしの悩みが杞憂きゆうだったのに加えて、彼があたしの思ってた以上にあたしのこと考えてくれてたんだから。


「ほんと、良い人に会えたものよ」


 ふぅ、と一息。

 秋の終わりを告げるように肌寒い風が吹く中、タイミングよくやってきた電車に乗り込む。偶然出会った郁弥さんとたくさんのことを話して、これまでにないほど濃密な一日になった。

 偶然も三回目となると、運命か何かなんじゃないかと思う。

 あたしと違って自分のことを話してくれない人だから、色々抱えているってことくらいしかまだわからない。

 でも、ここまで来たら全部話してくれるまで根気よく付き合ってあげる。これからは偶然なんかじゃなくって、きちんと約束して予定として会うことになるんだし…。うん、すっごく楽しみになってきた。


「……」


 日が短くなり、薄暗く変わる景色を電車の窓から眺める。夕方の茜空あかねぞらが明日からの毎日に対する期待を示しているようで、今日は気持ちよく眠れそうだと、晴れやかな気持ちを胸に、そう思った。


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