7.お見舞い。その②
「ええっと、そうそう。聞きたいことあったのよ」
「なに?」
「あんたが全力で抱きしめてるそれのこと」
「……これがどうかした?」
「青美ってそういうの使ってたのね」
「…悪かったわね。そういうの使ってて」
語尾をきつくして、そのまま抱き枕に顔をうずめてしまった。先ほどよりもぎゅっと抱き着いているように見える。抱き枕の大きさがかなり大きいおかげか、青美が全身で抱き着いても余りが出ている。
「別にだめってわけじゃないわよ。あんまり見たことなかっただけだから」
「……そうなの?」
「うん。抱き枕って結構大きいのね」
「大きいものを買ったのよ」
「へー」
青美が実は寂しがりや説強くなってきたわ。今の姿見ているとわかりやすい。なんていうか…抱き枕って安心するのかしら。
「青美さ、寂しがりやでしょ」
「べつにそうでもないわ」
抱き枕に顔をうずめているから声がくぐもっている。それでも早口なのはわかりやすく、あっさりと動揺が伝わった。
「あたしはいいと思うわよ?」
「…抱き枕のこと?」
「そそ」
「…あなたは持ってないの?」
「うん」
「買う気はある?」
「んー、使い心地による、かな」
そんなにいいなら試すのもありかなーとは思う。青美の顔がにへらと崩れて緩んでるからね。あたしが気持ち緩めてるときよりひどいわよこれ。
「そ、そう?そうね。この心地良さは使った人にしかわからないでしょうし?」
「見ればだいたいわかるわよ」
「…どういう意味かしら」
そわそわきらきらと目を輝かせていたのが一転、むっとした表情で返してくる。
そんな言い方されても青美自身が顔だけ抱き枕から離して全身はひっついたままだから威圧感のかけらもない。むしろ笑いがこぼれそうになったわ。あぶないあぶない。
「今まで見たことない顔しといてよく言うわ」
「…参考までに聞くけど、どんな顔?」
「こんな顔よ」
さっきの青美のようににへらと頬を緩めて見せた。
我ながらいい出来だと思う。表情作りは基本よねー、お仕事的に。
「そんな顔していないわっ!」
「あーはいはい叫ばないの。病人なんだから」
顔を赤くして声を荒げる青美をなだめる。ほんと色々正直なんだから。
というか。
「それでも抱き枕から離れないのね…」
呆れて小さく呟いた。
青美は身体は動かさず顔だけで抗議してくる。器用にも手足を一切動かさず声を荒げているわけで、どんな反応をすればいいのかわからず本音が漏れてしまった。
まあ隠す本音でもないからいいけど。
「…どうしてそんな頭の緩そうな顔をしていたのかしら?」
「いやあたしに聞かれても困るから」
「…本当に落ち着くのよ。疲れが少しずつほぐされていくの…」
そう言って再び顔を埋める。耳に届いたのは心底柔らかい声で、ストレスなんて微塵も感じさせない声音だった。
それにしても頭の緩い顔って、あんたそれ自分のことなのによく言えるわ。あたしだったらもう少しオブラートに包んで言うわよ。気が抜けた、とかさ。
「ねぇ」
「ん、なに?」
数分ほど、あたしがお茶を飲んだりするだけの静かな時間が過ぎた。揺れるお茶の水面から視点をずらすと、顔をあげて天井を見つめている青美がいた。
「あなた、声者になって何年目?」
「また突然な…うーん、まともにお仕事するようになってからは5年くらいじゃない?」
まともの定義にもよるとは思う。声者として歌劇やら拡歌をできてなきゃいけないっていうならもっと短いし、声当てやら吹き替えだけでいいならもっと長くなるし。
中間ぐらいが5年だと思う。資格的にも一応5年目になるから、たぶんこれが最適。
「そうよね。あなたと初めて話したのも5年ほど前だったわ」
「ふふ、あんたすっごい緊張してたわね」
「それは当たり前でしょう!……そうではなくて、その話は今はいいから」
「ん、まあいいわ」
今蒸し返して不機嫌になられても困るもの。
「それから"あおさき"を始めることになるとは思ってもいなかったわ」
「今はこうしてお見舞いに来てるわけだし?」
「ええ。わざわざ来てくれるとは思っていなかったわよ」
「友達だもの、来るわよお見舞いくらい」
くすりと笑みをこぼす。
ただの仕事仲間ならお見舞いなんてこないでしょ?
「そうは言うけれど、今まで来たことなかったじゃない」
「む、それは…」
…たしかに。そもそもこの子がほとんど病気にならなかったっていうのもある……それ以上にあたし自身余裕がなかったから…恥ずかしい限りだわ。今は周りに気を配ることができるようになったのよ。少しは、ね。
「このことよ。あなたに聞きたかったのは。心境の変化でもあったの?」
「な、なるほど」
「あなた雰囲気変わったもの。自分では気づいていないでしょう?」
「…うん。変わったの?」
「ええ」
…そっか。変わったんだ…青美は話すことも多いから気付いたのかな。長々とラジオも一緒にやってきたし。
「すぐわかった?」
「話していればわかったわよ。それで、何があったの?」
こういうときだけじーっとこっちを見てくるんだから…。
「言った方がいい?」
「ええ。友達でしょう?」
ニッコリ笑顔で友達と言い切ってきた。
むむ、ここでそれを言ってくるか。さっきあたしが言ったことだから言い返せない。うーん、どうしよ。マイルドにふんわり伝えようかな…うん、そうしよう。
「えっと…そうね。あたしも色々悩んでたんだけど。これからの方針どうしようとか、お仕事このままでいいのかとか、ちょっとお仕事減らしてもらおうかな、とか」
「……結構深刻じゃない」
「うん」
真剣な声で呟く青美に苦笑いで返す。ふんわり話すっていっても、ずっと悩んでただけあってなかなか話しにくくはある。
「青美はナレーションとかそういう仕事したくてこの業界入ったんでしょ?でもあたしにはそういうのなくて…目標がなかったのよ」
今だって目標がないのは変わらない。ただ、少しだけ前を向けるようになった。具体的な目標を探す気になったともいうかもしれない。結局は心の持ちようだったわけで、それに関してはあの人に感謝しないと。
…直接お礼なんかすると"いえいえとんでもない"とか言いそうね。
「それでもいろんな人と話してようやく前向きになれたから、今はかなり良好よ?」
「そう…」
うん。それっぽく話せた。大筋は間違ってないから大丈夫。
「一つ気になったのだけれど、あなたそんなに話す人いたの?」
真顔で何を言い出すのかと思えばひどい。話す人くらいいたわよ。あたしだって。失礼な。こんな悩みを打ち明ける人がいなかったっていうのは正しいけれど、話せる人はたくさんいたわ。実際に親しくしていたかどうかは置いておいて。
「もちろんいたわ」
「ふぅーん…まあいいわ。というか、あなたにも悩みとかあったのね」
「…誰だって悩みの一個か二個くらいあるでしょ。それが重いか軽いかは別として」
「それもそうね」
真面目な話を終えて一息つく。
長く友達やってても真面目な話はあんまりしてこなかったから慣れないわ。ただ…こういう話すると前より親しく、気を許せるっていうのはあるかも。
「ん、ねぇ青美。お互いちょっと込み入った話もしたわけだし、そろそろ名前で呼び合いましょ?」
「な、名前で?」
「そ」
どうしてそんなに驚くのか。ちょっとよくわからない。
でも、せっかくだし前からちょっと考えてたことだから…一緒にラジオもやってきたわけで、何かきっかけがあればと思ってはいたの。一時期あたしたち不仲説流れてたぐらいだし…いやそれは"あおさき"で解決させたからいいのよ。
「ま、まあいいわよ?」
「いやなんでわざわざ起き上がってくるのよ」
かたくなに離さなかった抱き枕も解放して姿勢を正してベッドに座る。
これが冬なら寒さで大変だったかもしれない。幸いにも夏はまだ終わっていないから、むしろ体温を逃がすのにちょうどいいんじゃないかと思う。
にしても、わざわざ姿勢を正すほどのことじゃないでしょ…。
「いえ、少し気を取り直しただけだから気にしないで…それより、どうするの?」
「どうって…呼び方?」
「ええ」
呼び方なんて普通でいいと思っちゃうのはあたしだけかしら…。
「んー、青美知宵でしょ?普通に知宵でいいんじゃない?ね、知宵」
「んん!?そ、そうね!」
挙動不審に、というか声も詰まり気味に返してきた。
そんな知らない仲でもあるまいし、このくらいの気軽さでいいと思ったのに……。
「……」
「……」
…なんでなにも言わないのよ。
「え、いや、次は知宵があたしの呼び方決めるべきでしょ?」
「そ、そうだったわね…」
……あー、そっか。この子、誰かと気安く下の名前で呼び合うこと少ないのかも。それならこの態度も納得。慣れてないなら仕方ないわ。かわいそ…いえ、人なら悩みの一つや二つあるものよ。仕方のないこと…うん。
「…何か失礼なことを考えていない?」
「いやべつに?どうして?」
「視線が不愉快だから」
「あら、ごめんなさい」
ぺこりと小さく頭を下げるあたしを見て、一つ小さく息を漏らす知宵。
「ふぅ…今さらなことね。日結花と話していると考えるだけ損した気になるわ」
「うん?ふふ、やればできるじゃない」
自然に会話中で混ぜ込んできた。言った本人を見れば薄っすらと頬が赤くなっている。綺麗に整っていた姿勢を崩してどうするのかと思いきや布団にもぐりこんだ。
「また戻るのか…」
「病人だもの」
ここぞとばかりに病人だと言い張って元いた位置に収まった。
「はぁぁ…落ち着く……」
何か言いたいってわけじゃないんだけど、改めて知宵の姿が新しすぎてイメージが崩れていく。
もっと早くこんな姿を見ておきたかったわ。そうしたら今までの対応も少し変わってきたでしょうし、"あおさき"でも少し違ったものがあったと思うし…これこそ今さらってものね。これから話していけばいいわ。
「ていうかさ、あたしたち二年もラジオ一緒にやってて、なんで名字で呼び合ってたの?」
「…知らないわよ。私に聞かないで」
「…知宵はなんでずっと名字で呼んでたの?……よく考えたらあんたあたしの名前全然呼んでなくない?」
ちょっと考えてみても"あなた"とか"ねえ"とかしか言われた記憶しかない。なにそれ、反抗期の妹じゃないんだから…。
「べ、べつにいいでしょう。咲澄さんって…他人行儀だし、呼び捨ては馴れ馴れしいし、咲澄ちゃんだと私が年上に思われそうだったし…」
「いや年上だから」
「…若さに胡坐をかいていると地獄を見るわよ」
「…知宵だって十分若いでしょ」
まだ23でしょ?たしか。これで若さがどうとか言ってたら先輩の人たちが怒るわよ。
「それはいいの。そもそもの話、タイミングがなかったのよ。呼び方の話をする前に私たち不仲説が流れ始めたのが全ての元凶じゃなくて?」
「あー、それはあるかも」
「放送で否定した後、いつ呼び方を変えればいいのかわからなくなったわ。それ以降、リスナーもみんなそのことに触れなくなったじゃない」
「うん」
今さらながら、呼び方に関するメールは全然来ていない。あれから一回も見た記憶がないレベル。
うちのリスナー変なところで一体感発揮するのよ。意味わかんないわ。
「だからタイミングがなかったって話よ。ほら、この話は終わりにしましょう?」
「…うん、わかった」
運悪く呼び方を変える前に微妙な空気になったせいで、いい感じにタイミングがつかめなかったってこと。ずるずるそのままきて、あたしは自分のことに手一杯、知宵は消極的だったから変わらなかったと…周りを見るのって大事。もっと早く気づいておけばよかった……っと、まだ話すことあったんだ。
「あと知宵」
「ん?なに…ってあなたくつろいでるわね」
「え?そう?」
布団から顔を出す知宵を横目に、あたしも足を伸ばして頭にクッションを置いて横になっていた。
「別にいいけれど。で、なにかしら?」
「来週さ、DJCDの収録行くじゃない?石川に」
「ええ」
「知宵の出身って石川でしょ?」
「そうね」
「せっかくだしあんたの家も行かない?」
「…それは収録?」
「うーん、そのつもりはなかったけど…その辺はみんなが決めてくれると思う。でもたぶん収録になるかな」
ホームシックな知宵にはちょうどいい休養になると思う。わざわざ石川まで行くなんてめったにないことだし、寄り道するくらいの時間ならあるでしょ。
「……そうね。そろそろいいかもしれないわ」
「ん、帰りたくない理由でもあったの?」
「帰りたくないというか、帰らないようにしていたというか…」
帰らないようにする、ね。
「やりたいことをやるために我儘言って都会に来たから、自分なりに決めていたのよ」
「実家に帰らない、って?」
「そう」
「そろそろいいってことは、もういいの?」
「ええ。タイミングもちょうどいいから」
「タイミング?」
「私たちも人に言えるくらいには仕事ができているということよ」
「あー」
なるほど。それなら納得。
売れに売れてお仕事に追われているとかじゃないけれど、あたしも知宵もいろんなお仕事ができている。順調にこなしてこれたから、もう若手とは言えないレベルには来ている…はず。ちゃんと声者らしく本業もできているもの。
「…知宵はさ。たしかさらっと声者になったのよね」
「…言い方が癪だけれどそうよ」
この子はどこぞのラジオ企画で視聴者投稿にかかって、トントン拍子に事務所に所属したって前に聞いた。それなりに珍しいオーディション形式じゃない、いわゆるスカウト。自分を売り込んでるからスカウトとは違うけど、イメージはそんな感じ。
実際才能あったのか、やりたかったナレーションもできるようになってるし天才なのは間違いない。お仕事始めて5、6年でここまで来てるんだから。それもほぼ独力で。さすがとしか言いようがない。
…ただのラジオ企画から声者輩出ってそうそうないわよ?素養があったにしても、声者としての性質が引っかかるって…どれだけ才能まみれなのよ…。
「…やっぱりあんた普通じゃないわ」
「…あなたに言われたくないのだけれど」
呆れた目で見られた。
知宵と比べてあたしは…小さい頃からママに声者のお仕事話をされて、家で練習したり遊びで指導されたりと、真剣になったのは10歳とかそれくらいだったはず。
「んー…」
子供の頃から学んできただけあって地力はあって、声質も親が親だけに良い方。声者としての素養だってママが声者なぶんしっかり受け継いだ。
そんなわけでぱぱっと事務所に所属して今に至る、と。
舞台系はノータッチなのよね。子供のころからずっとママが声当ててる映画とかアニメとか見てきて、その流れで声を使う方に行ったから。あとは…"泣いてる人を笑顔に変える"、そんな魔法みたいなことを夢見ていたわ…"夢見ている"の間違いね。
…なんにせよ、見事なまでの環境育成で少しだけ悲しい。以前なら考え込んで暗くなっていたかもしれないけれど、今のあたしはそんな小さいことは気にしない…あんまり。
「と、とにかく、あたしたち二人とも普通じゃないってこと」
「反論できないせいで釈然としないわ…」
前と違ってぼんやりしてても目標ができたことだし、お仕事に関してはそれに目を向けつつ今まで通りに進めていけばいいと思うの。
「それで、結局里帰りするのよね?」
「する」
「ま、スケジュールは大丈夫でしょ。たぶん」
「連絡は私がしておくわ」
「うん、よろしく」
一通り話したいことは話せた。
そろそろ帰ろうかな。元気そうとはいえ病み上がりは安静にしてた方がいいし。お母さんと話したいこともあるんじゃないかと思うから。
「んー!そろそろ帰るわー」
横になっていた身体を起こして伸ばす。鞄に携帯だけ放り込み、時間が経って温くなったお茶を一息に飲み干した。
「次は一週間後かしら」
「そうねー。新幹線乗る前じゃない?」
収録という名の旅行当日になる。
「…今日は話せてよかったわ。ありがとう」
「お礼なんていいわよ。あたしも色々話せて楽しかったし」
「ええ…うん、日結花。あなたやっぱり変わったわね」
「それ、どっちの意味?」
優しげな表情で話す知宵に尋ねた。どっちかなんてわかりきっているからニコリと笑って問いかける。
「ふふ、もちろん良い意味よ」
「ん、ならよかったわ」
あ…一つ思い出した。石川行くこと知宵のお母さんに話しておかないと。
「知宵、お母さん呼んで話しましょ」
「家に帰る話?」
「そそ。今話しちゃおうと思って」
「そうね。ええ…少し待ちなさい」
少しというから何かするのかと思いきや、特に何もない。ほんとに何もなくて1分くらい経った。
「…ねえ、いつまで待てばいいの?」
「…あと1分…いえ、あと5分待って」
こ、こいつは。ただ動きたくないだけか!なんてめんどくさい…これが知宵かぁ。素も素。こんな知宵初めて見た。なかなかにだらけた性格してる。
「はーい行くわよー。ほら起きて―」
「ちょ、なっ。さ、さむい。返しなさい」
「あはは、ほらほら話すこと話してちゃっちゃと帰るわよー!」
「うう…わかった、わかったから布団だけ返しなさい!!」
のろのろと起き上がってくる知宵を尻目に、笑顔でドアを開けた。
いつもの知宵も、今みたいな知宵も、どっちもいいものだと思う。これからはもっと色々話して、もっとたくさん知っていこう。きっと、それがあたし自身のためにもなるから。
知宵ですらあたしのことすぐわかったくらいなんだもの。みんなちゃんと見てくれているのよ…あたしも、周りの人をちゃんと見ていかないといけないわね。