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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第4章 踏み出す先と踏み出した先と
119/123

108. 恋人としての一年

「さて、と。これで晴れて恋人になったわけなのだけど…な、なんかそう考えたらドキドキしてきたわっ」

「…僕もドキドキしてるよ。でも、その前に一ついい?」


 横になって顔を見合わせた状態は終わり、今は座ってぴたっとくっつき互いの体温を楽しむ体勢。

 顔を見ているのもいいけど、あたしは全身密着している方が好きかな。幸せ感が段違いだもの。


「いいわよー」

「勘違いしないでほしいんだけど…」


 そこで一度区切る。郁弥いくやさんにしては珍しく先にクッションを置いてきた。ついでにあたしの身体に回された腕の力が強くなる。

 …今さらながら顔が熱くなってきた。恋人…恋人なのよね…。


「とりあえず恋人の期間は一年にしよう」

「は?」


 ちょっと今意味不明な言葉が聞こえた気がする。つい反射的に声をあげちゃった。


「わー怖いなぁ。だから勘違いしないでって言ったでしょ?」

「はぅ…さ、囁かないでっ。変な声出ちゃうから」

「あはは、ごめんごめん」


 笑いながらあたしの背中に添えた右手を動かして、抱きしめたまま頭をなでてきた。

 なんて、なんて人なのっ。だめ、これはだめ。抱きしめながらなでるなんて卑怯にもほどがあるわ!全部流されちゃうっ。


「んん…だ、だめっ。怒れなくなっちゃうからぁ」

「本当、日結花ひゆかちゃんは可愛いなぁ。いちいち仕草が可愛いよね。こんな可愛い姿見ていたらみんな幸せになっちゃいそうだ。どうせなら仕事に生かしてみたらどう?世界獲れるよ世界」


 調子に乗っておばかなことを言う恋人を怒りたいのに、なでなでされて気持ちがふわふわしちゃう。

 あたし、もうだめかも。


「えへへ…お仕事にねー…お仕事…お仕事?」


 なんかちょっと冷静になった。

 このままずっと甘やかされて生きたい気持ちはあるけど…お仕事は違うでしょ。


「お仕事なんかにこんなだらしない甘声使えるわけないでしょ?もう。あなただから、あなたと一緒だからあたしはこんな…ばか。恥ずかしいこと言わせないでよっ」

「…嬉しい。ありがとう」


 恥ずかしくなって顔を埋めれば、お礼を言いながらやんわりと髪をなでてくる。


「それじゃあ恋人期間のこと話そうか」

「…ん、いいわ。文句は聞いてから言うことにする」


 どんな言い訳でも聞いてあげようじゃない。だからちゃんとなでながら話すのよ?もちろん抱きしめるのもやめちゃだめ。


「ふふ、ありがとうね」

「ん」


 再度のお礼には頷きだけを返して話を促す。単純に今の心地よさを味わいたいというのもあるけれど、話を聞きたいというのもちゃんと気持ちとしてあるので、その点は大丈夫。


「まず誤解を解いておこうかな。期間限定の言い方が悪かったね。一年後、僕とやっていけるかどうかを聞きたいんだ」

「…んー」


 なんとなーく、わかったようなわからないような。


「…ちょっとわかってない感じ?」

「ん、まあ…」

「ええっと…恋人になるとさ。色々見えてくると思うんだ。良いところも悪いところも全部。これまで見せてきていない部分があるだろうし、一年間付き合ってみれば色々わかると思うんだよね」

「それは…そうかも?」

「だから、目安として一年。もちろん途中で嫌になったら別れるのだって仕方ないし、一年後にまだ好きでいられたならずっと恋人で…ううん、それ以上でも…ま、まあそれは今はいいか」


 途中で誤魔化すように話を切った。

 結構気になる単語があったのだけど…それより言いたいことがあるわ。


「…いくつか聞いてもいいかしら?」

「うん」


 少しだけ体勢を変えて恋人の肩に頬を預ける。

 はぁ、落ち着く。…よし話そう。


「一年後を目安にするのはわかるわ。でも毎月、それこそ会うたび好き好き言い合っていればいいことじゃないの?」


 すごく恥ずかしいことを言った気がするけど、気のせい気のせい。ほんとのことだもん。言う予定だからいいの。


「うん?僕は毎回伝えるつもりだったよ?」

「あ、そうなの」

「うん。それはそれとして、一年後に改めて話ができたらいいなと思って」

「そっかー…」


 あたしの恋人にとっては当たり前のことだったらしい。びっくりした。嬉しいし楽しみだけど…ん、さすが郁弥さん。あたしの恋人なだけあるわね。(あなど)りがたし。


「わかった。それについてはいいわ。じゃあ次。話聞いた感じ、あたしがお断りするみたいな流れだったでしょ?」

「うん?うん」

「あなたが嫌になることはないの?」

「え?」


 ぽやっとした顔がもっとぽやぽやした。可愛い。きゅんきゅんきた。


「あはは、嫌になるわけないよ。例え日結花ちゃんが世界を滅ぼしたとしても、僕が君を嫌いになることはないからね」

「ふーん…」


 無駄に壮大なのはともかくとして、自信満々すぎて何も言えない。

 この人、どれだけあたしのこと好きなのよ。惚れるわよ?惚れてたわね。


「あたしのこと好き?」

「好き」

「大好き?」

「大好き」

「どれくらい好きー?」

「誰にも負けないくらい世界で一番に好きだよ」

「えへへ、あたしも大好き」

「ふふ、どれくらいかな?」

「んふふー、あたしも世界で一番好きー」

「あはは、それは光栄だ。ありがとう、大好きだよ」

「やーん、あたしも大好きー」


 イチャイチャぎゅーぎゅーと。抱き合って好き好き言うだけの素敵な空間が出来上がった。

 もうね、なんなのかしら。幸福よ幸福。幸せすぎて今の状況から抜け出せないわ。あったかいし包まれるし安心するし落ち着くしドキドキするし。このまま郁弥さんの腕の中で動かずじーっとしていたいくらいよ。


「ねー、もう一つ聞いてもいい?」

「いいよ、なに?」


 ひたすらイチャイチャちゅっちゅしていてもいいけれど、ひとまずお話だけしていかなくちゃ。

 だってもう17時だもの。真っ暗よ真っ暗。ほんの少しの明るさはあっても、雨だし真っ暗みたいなものよ。こんな中郁弥さん帰るなんて…帰るなんて……。


「…ごめんなさい、先に別のこと聞かせて?」

「え?うん。なに?」

「…今日、お泊まりしていかない?」

「……うん?」


 反応が鈍い。

 突然すぎたかな。でも今言わないと。準備するならするで色々あるし、もう17時だから帰り道真っ暗になっちゃうし。それに、冬の雨で外寒いし。風邪ひいちゃうわ。


「だから、お泊まりしていかないかって…」

「ええ…。いや、うん。聞こえてはいたんだけど…さすがに無理があるよ」

「んん…べ、別に無理なんてないし」


 頑張ればなんとかなるもん。


「ええと…」


 彼の身体からちょこっと離れて、顔を見合わせる。あたしの恋人は思った通り困った顔をしていた。ちょっぴり罪悪感。

 ごめんなさい、困らせるつもりはなかったの。でも…帰ってほしくないんだもん。


「…そんな悲しい顔しないでよ。じゃあ仮に、仮にだよ。お泊まりするとして」

「…ん」


 沈んでいたらなでてくれた。嬉しいのと悲しいのとが混ざって変な感じ。

 …とりあえず抱きついておこう。


「っと…どうかした?抱きしめるくらいいくらでもするけどさ」

「ううん。なんでもない。続けて?」


 …はぁ。すぐ抱きしめ返してくれた。落ち着く。マイナスな気持ちも全部解けてリラックスできるわ。あたし、やっぱりくっついている方が好きかも。


「そう?ならいいか…。ええと、お泊まりするなら色々必要になるよね?服とか布団とか歯磨きセットとか。夕飯だって…まあ抜けばいいけど、普通は食べるでしょ?」

「ん、そうね」

「日結花ちゃんのご両親に迷惑かけることになるし、いきなりなんて困ると思うよ。いくら娘の恋人とはいえ、連絡なしのお泊まりは断られるのが当然だし」


 説得するような言い方。

 常識的なこと言ってくるけど、ママとパパは…うーん。わかんない。さすがにお泊まりとなるとすぐおーけーはくれないかも。事前に伝えておけば普通に大丈夫だとは思うのに…。


「むぅぅ…」

「あ、あはは。むくれないむくれない。いつかなら大丈夫だからさ。今日は我慢してよ」

「んん…でも」


 ―――がちゃっ


「話は聞かせてもらったわ!!」

「あ…」

「…ママ、とパパも」


 なだめるように優しくなでてくれても受け入れたくなくて、まだ駄々をこねようとしたらドアが開いた。ドアの先には変に楽しげなママが立っていて、後ろにパパもいる。


「ふふ、郁弥君。うちに泊まりたいんでしょ?」

「え?あ…ええと」


 郁弥さんが目を合わせてきた。困ってる。可愛い。


「と、とりあえず離れようか」

「それは嫌」

「ええ…」

「あぁ、そのままで構わないわよ。話を聞いていて状況はわかっていたもの。今さら気にしないわ」

「僕も気にしないからそのままでいいよ。むしろ盗み聞きしていてすまなかったね」


 もう色々言いたいことすごくありすぎるけど、今はいい。

 大事なことは郁弥さんが帰らないであたしと一緒に寝てくれるかどうかだもん。まだまだ全然話し足りないし、今日は絶対帰ってほしくないわ。


「そ、そうですか…。じゃあすみません。このままで失礼します」

「ええ。それで、泊まりたいのでしょう?」


 同じことを聞かれて、また目を合わせてきたので頷いてあげる。


「…そうですね。ご迷惑になるとは思いますが、できれば場所をお借りしたいです」

「いいわ。私たちに任せなさい」


 びしっと即答。最初から答えが決まっていたような早さだった。

 お泊まりするなんて、いくらママでも予想はしてなかったと思うのに。かなりあっさり決めちゃったわね。


「ほ、本当にいいんですか?色々手間をおかけしてしまうことになると思うのですが…」

「いいのよ。どうせほとんど日結花がやるんだから。私は食事を作ってあげるだけ。お客様用に色々揃っているからあまり気にしないで?この家。無駄に広いでしょう?お客様の一人や二人どうってことないのよ」

「…ありがとうございます」

「ふふ、どういたしまして」


 好きな人の横顔っていいものね。ほっぺにちゅーとかしたくなってきちゃう。真面目な顔してるからすっごく魅力的。


「夕飯はこれから作るけど、19時頃でいいかしら?」

「はい。僕はいつでも大丈夫です。ありがとうございます」

「そう?なら二時間後にリビングまで来てもらえる?」

「わかりました。お手間をおかけしてすみませ…いえ、ありがとうございます」

「うふふ、任せなさいな」


 はぁぁ…。横からの抱き寄せも素敵…。ドキドキは正面よりこっちの方があるくらい。より抱かれてる感があるのよ。後ろからもかなりきゅんきゅんきたけど、これはこれで満たされ率が高いわ。


「郁弥君。料理はいいけど寝る場所はどうする?日結花の部屋かい?」

「え?さすがにそれ」

「そうね!!それがいいわ!!!」


 ちょ、ちょっと声のボリュームが上がり過ぎたかも…。ごめんねダーリン。話遮っちゃったし耳近いし、悪いことしちゃった。わざとじゃないの。許してちょうだい。


「…日結花ちゃん」

「ご、ごめんなさいね。耳痛い?」

「い、いや、それは大丈夫だけど。そうじゃなくて、いくらなんでも同じ部屋はだめだよ」


 さわさわキュートな耳を撫でさすってあげれば、抗議の目を向けてきながらも、頬は綺麗な桜色。

 照れ弥さんほんと可愛い。もっと照れさせてあげたくなっちゃう。


「だめじゃないわ。ねーママ?パパ?」

「うふ、そうねー。いいんじゃないかしらー?」

「まあ、どれも経験だからね。特に問題はないと思うよ」


 二人ともにこやかに笑って了解をくれた。さっすがあたしの両親。


「ほら?二人ともこう言ってるでしょ?」

「おかしいよね…。僕はおかしいと思う。一緒の部屋なんて、何かもし大きな間違いが起きたらどうするのさ」

「起こすの?」

「起こさないけど…」

「じゃあいいわね」

「ぐ…だ、だめだめ。やっぱりだめ」


 む、珍しく強情。いつもならとっくに"仕方ないなぁ"とか言ってぱぱっとおーけーくれるのに。


「どうしてだめなの?あたしと一緒じゃ嫌?」

「う…そんな、嫌なんてことあるわけないよ」

「じゃあどうして?」


 …自分で言うのもなんだけど、なんでこんな甘え声で尋ねているのかしら。普通に喋っているつもりなのに、すっごく声が甘ったるい。良い声なのは変わらないけどね。あたしだもん。


「だって…恥ずかしいから」

「…えへへ、やだもぅ」


 照れちゃうっ!頬赤くして恥ずかしがっちゃってー。郁弥さん可愛いなぁ。かっこいいのに可愛いし大好きだし。あたしまで照れ照れきちゃう…えへへ。


「それならそうと…早く言ってよねっ」

「え、それじゃあ…」

「添い寝はしなくても許してあげるからっ」

「ええ…」


 照れながら器用にも呆れの混じった微妙な顔を見せる。

 どこか変なところあった?普通のことしか言ってない気がするんだけど…。


「ふむ…どうしようか?郁弥君が恥ずかしいなら一人でもいいと思うけど…」

「はい…。できれば僕一人にさせていただきたいです」

「えー」


 不満。あたし不満よ。


「日結花。そう頬を膨らませないの。郁弥君がだめなら仕方ないじゃない」

「だって…」

「また今度泊まりに来てもらえばいいでしょ?」

「それは、そうかもだけど…」


 ママから視線をそらして恋人に移す。じーっと見つめれば困り気味に眉を下げながら口元を緩めて、あたしの髪をさわさわなでてきた。


「ごめんね。今日は許してくれる?」

「ぅ…」

「できればちゃんと段階を踏みたいんだ。一緒の部屋で寝るのはさすがにまだ早いよ」


 ぎゅぅっと抱きしめる力を強くして諭してくる。

 段階…段階かぁ。


「…段階を踏めば、ちゃんと一緒にお泊まりしてくれる?」

「うん。もちろん」

「…わかったわ。今日は我慢する。でも、今度埋め合わせしてちょうだいね?」


 郁弥さんを困らせたいわけじゃないもの。あたしだってそのくらいの分別ならあるわ。今はちょっと…離れたくなかっただけなのよ。


「うん。それならいくらでもするよ。ありがとう日結花ちゃん。大好きだよ」

「ん…あたしも大好き」


 もう一度ぎゅっと抱きしめ合って好きの交換をした。

 はぁ…。落ち着く。癒される。


「じゃあ私はお料理でも始めようかしら?正道さん、行きましょ?」

「それなら僕も手伝うよ」

「うふふ、いいわよ別に。あなたが手伝ったら私がすることなくなっちゃうじゃない」

「おっと、たまにはそれでもいいんじゃないかい?」

「えー?だめよ。せっかくお客様が来てるのに私が作らないでどうするの?ほらほら、ちゃっちゃと行きなさいー」


 ぱたりと閉まりながらのドア先からそんな話が聞こえてきた。

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