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恋よりさきのその先で  作者: 坂水 雨木
第4章 踏み出す先と踏み出した先と
114/123

103. 本題前にイチャつきながら話すだけのこと

郁弥いくやさん。聞いてもいい?」

「うん。どうぞ?」

 

 "独白6"まで読み終えて、少しの間目を閉じてから問いかけた。郁弥さんの声に震えはなくて、あたしの言葉で開かれた瞳にも揺らぎはない。思っていたよりも平常心らしい。


「あなたが臆病で泣き虫で壊れやすいガラスみたいなおばかさんだっていうのはいいわ。面倒な人だっていうのもわかってたし、あなたへのあたしの影響力がとんでもないことになってるのもいい」

「うん」

「あなたがあたしのこと大好きだとか、結婚してほしいとか、今すぐ抱きしめてぎゅーってしたいとか、そういうのもいいわ」

「う、うん」

「ほら、抱きしめさせてあげるからぎゅーってしなさい」

「え?」

「さあ早くっ」

「え、う、うん」


 再び向き合った体勢からのぎゅー…っと。はぁ…幸せ。


「ん…ふぅ…ふふ、これで一つおしまいね」


 この温かさよ。ぬくいぬくい。幸せ。


「嬉しいは嬉しいんだけど…」

「…ええ、そうね」


 困惑した様子な恋人の声を聞いて、緩んだ思考を元に戻す。

 とろけたままじゃ何もできないわ。本題はここからよ。ハグしたのはただあたしがやりたかっただけだもの。


「それじゃあ聞くわ。ノートにあった"独白6"だけど、あれ、いつ書いたの?」

「ん?6なら最近だね。鈴花すずかちゃんと話をして色々考えてすぐだから」


 さくっと答えてくれた。あっさりすぎて少し拍子抜け。


「…あたしは別にいいんだけど、あなたが話したいことの大筋はわかっちゃったわよ?」

「あぁ。うん。それはいいよ」


 結構大事なことだと思ったのに、郁弥さんは爽やかに微笑んで軽く言う。

 表情は見えないけど、あたしにはわかるのよ。好きな人の浮かべている表情くらい目で見なくてもわかって当然ね。


「僕がこれから話そうと思ってることって、僕がどんな風に育って考えて生きてきたかだからね。最終的な部分はそこまで大事じゃないんだ。あ、でも日結花ひゆかちゃんのこと大好きだっていうのは重要かな」

「ん…えへへ、ありがと」


 なんともきゅんきゅんくることを言ってくれる恋人にお礼を一つ。ぎゅーっとプラスハグをしてあげた。


「…はぁぁ、あったかいなぁ。僕より体温高いんじゃない?」

「んー、そう?あなたの方があったかく感じるけど?」

「そっか…」

「……」

「……」


 …よくない。このままだとまた何もしたくなくなる。お話しないと。


「…ねえ、さっきのノートのことだけど」

「…うん」


 わー郁弥さんも元気なーい。…ほんとだめね。絶対離れないけど。


「あたしたちの関係がおかしいってわかってたのね」

「あー…」


 ほんのり苦味が入った声色。話すことは"独白6"に書いてあった関係が歪とかその辺について。


「…まあ、さすがにねぇ」


 続けて気まずそうに言った。

 …まあ、うん。そりゃ、そうよね。あたしもわかってたわ。


「…ちなみに、どの辺りがなの?」


 興味本位で。


「…聞きたい?」

「っもう!いきなり囁かないでよ!惚れるわよ!?」

「あははっ、ごめんごめん」


 突然声のトーン落として囁かれると困る。すごく困る。


「笑いごとじゃないわよ、まったく」

「ふふ、ごめんね。でも惚れちゃうって、今さらじゃない?」

「言われてみれば。じゃあ惚れ直しでどう?」

「いいと思うよ。嬉しい、ありがとう」

「ん、えへへ、どういたしましてっ」


 お互いの気持ちがほとんどわかっているようなものなので、今までよりグッと近い距離感での話ができる。もちろんそれは、心の距離に限らず物理的な意味合いでもある。


「それじゃあ言うけど…そもそも"良い人"って何さ」

「なにって…恋人(仮)でしょ?」

「それはそうなんだけど、仮にしてはやってきたこと派手だよね」

「…嫌だったの?」

「そんなわけないよ。わかって言ってるでしょ。嫌だったらここにいないし、だいたい僕が日結花ちゃんのする事なす事を嫌がるなんて」

「はいはい。わかってて言ったわよ。いちいちあたしのこと持ち上げなくていいから。それより続き話しなさいな」


 満足いく答えをもらえたので、ぱぱっと話を遮って続きを促す。


「…ええと、だからね。冷静に考えて恋人じゃないのにあーんしたり腕組んだり二人で写真撮ったりしないよね、って話」

「…」


 …うん。


「でも、手繋いだりはしてないわよ?」


 ぎゅーってするのとかもしてこなかったし。


「…それも今だから言っちゃうけど、僕さ。できるだけボディタッチは避けてたんだよ」

「…そうだったの」


 ぽつりと言われて思い巡らせれば、たしかにそんな雰囲気はある。

 腕組むのだって写真撮ったときくらいだし、あたしから服掴んだり手掴んだりはしても、彼からのそういったアクションは一つも記憶にない。


「日結花ちゃんとの距離が近くて気が気じゃなかったよ。歩いてるときも手なんか触れ合っちゃいそうでさ。結構ドキドキすること多かったなぁ」

「…それ、ノートにも書いてあったわね」


 その辺のこと表情に出したりしなかったし、あたしは全然気づかなかったけど。


「うん。手とか繋いじゃったらもう言い訳できないと思って」


 …言い訳、か。


「言い訳って、恋人になっちゃうってこと?」

「そうだね。なんでだろう。僕の中でラインがあったんだよ。直接的に触れ合っちゃうと仮の恋人だなんて言えない気がしてさ」

「ふーん…」


 なんとなく、気持ちはわからないでもないかな。


「だから、今こうやって抱きしめているのも一つの決意だったりするんだよね」

「すば…ん、そう」


 素晴らしき決意ねっ!!…あやうく叫ぶところだったわ。ふぅ、なんとかこらえられた。まさかそんな素敵なことを考えてくれていたなんて。驚いたわ。惚れ直しちゃった。通算何百回目!


「それじゃあ…よし、そろそろ話そうか」

「ええ。お願い」


 ついにというか、やっというか。イチャイチャし続けて数十分。12月中旬なので16時半近いとなれば外も暗い。雨による暗さも相まって夕方はあっという間に終わってしまいそう。早くシャッターを閉めないと。


「の前に、ダーリンダーリン。シャッター閉めるわよ」

「え?あ、うん。僕が閉め…って閉め方わからないや」


 一瞬立ち上がろうとするも、すぐに困った顔で腰を落とす。そもそもあたしがしっかり抱きついているので身動きが難しいというのは置いておく。


「郁弥さんはあたしのこと後ろから抱きしめていてくれればいいから。はいちょっと腕緩めてー」

「え、うん」


 素直に腕の力を抜く恋人に胸キュンしながら身体を回転させる。向かい合う体勢からあたしの背中を彼の胸に預ける体勢へ。


「じゃあもう一回抱きしめて?」

「うん」


 ―――ぎゅぅっ


「あ……えへへ」


 や、やばいこれ。後ろから抱きしめられるのちょっとほんとにやばい!ドキドキするのもすごいあるんだけど、包み込まれる感じがすごすぎる。これは幸せ。ほんとに幸せ。…このまま一生包まれていたい心地よさがあるわ。


「これで?」

「っう…さ、囁きまで入るとはっ…ひ、卑怯よ!」


 だから耳元で囁かないでってあれほど…あぁでも、そっか今の体勢だと郁弥さんがあたしの肩に顎乗せる形になるんだ…。これはだめかも。癖になっちゃう。


「ふふ、ごめんね。でもこの体勢だとちょうど日結花ちゃんの耳が近くてさ」

「も、もう…そ、それより立ち上がるわよっ」

「うん」


 すぐに耳から口を離してくれたのがほっとするやら名残惜しいやらで複雑。そんな難しい乙女心は置いておいて、とにかく立ち上がってシャッターを閉めに行こうと背後の恋人に声をかける。


「じゃあ電気消すけど、いいわね?」

「どうぞー」

「ん」


 承諾をもらってリモコンでぱぱっと電気を消す。まだ深夜というほどでもないので、視界がなくなるわけではない。これが真っ暗闇だったらそれはそれで…いえ、今はそんなことを考えている時間じゃないわ。


「せーので立ち上がるのよ」

「…ねえ、今さらだけど面倒…いや、いいや。いいよ。いつでもいいよ」

「諦めが良い人は好きよ。じゃあ、せーの…っと」


 言いたいことを飲み込んでくれたダーリンに甘えて、さっさと立ち上が…。


「…冷静に考えてこの体勢から立ち上がるって無理じゃないの…」

「…まあ、普通に立とうか」


 言ってしまえば、郁弥さんは斜めに伸ばした足が机の下にある状態。身体の向きはあたしにあるとしても、そのまま立ち上がるのは色々と難しい。あたしもあたしで足を真っすぐ斜めに伸ばしていて、身体は腰と肩から回された恋人の腕に固定されて上手く動かない。

 つまり、お互い動けないということ。


「はぁ。もう仕方ないから普通に閉めるわよ」

「あ、あはは」


 虚しくため息をついて、のろのろと立ち上がる。そのまま窓際まで進み、障子と窓と網戸とを開け。


 ―――ひゅぅぅ


「ぅぅ、さむ……っあ」

「おっと、ふふ、これで少しはあったかいんじゃない?」

「え、えへへ…」


 うううう!後ろから郁弥さんが抱きしめてくれたぁ!!だから郁弥さん大好きぃ!!もうもうもう!あたしがしてほしいことすーぐしてくれるんだからぁ…はぁぁ。きゅんきゅんくるぅ。


「んふふー」


 外から見たらイチャイチャ甘々オーラが強すぎて胸キュンしそうね。きっと。

 自分の表情がとろけてしまうのを自覚しながら、ぱぱっとシャッターについているボタンを押してすぐに網戸を閉める。自動で下がるシャッターを他所に、窓と障子を閉めてくるりと反転。


「えへへ、だーいすき」


 ぎゅーっと抱きつきながら、自然に思いを伝えていた。

 無意識…とまではいかないけど、ついこぼれちゃったのよ。それだけ郁弥さんのこと大好きってことね!


「うっ…あぁぁ、今のはちょっときた。日結花ちゃんが可愛すぎて胸が痛くなってきた」

「んふ、ふふふ。もっーとドキドキさせてあげるわっ」


 今すぐ押し倒してイチャイチャごろごろぎゅーぎゅーしたいところをぐっと抑えて、さっさともう一つの窓も同じようにシャッターを閉める。

 用事を済ませて部屋の明かりをつけ直し、さっきまで座っていた座椅子に戻る。位置は変わらず、あたしも郁弥さんも斜めな座り方。


「…なんかあれだよね。今さらだけど、僕の足の上に日結花ちゃんの足が来るって色々おかしいよね」


 強烈なイチャつきを経て、ようやく戻ってきた(椅子に)と思いきやの意味不明な言葉。


「なに言ってるの?じゃあ別の体勢にする?」

「別って…例えば?」


 む…例えば…。あたしたちが正面で、というより向き合って抱き合うのは外したくないでしょ?とすると…あたしが郁弥さんの足伸ばしてない側、お尻側に足伸ばせばいいかもだけど、それは人肌温もり的にもったないからだめ。

 そうすると、残る選択肢は…。


「あ、あなたがいいならそれでもいいわよ?」

「えー…。どうして恥ずかしがっているのかわからないんだけど…」

「だ、だって…」


 向かい合う体勢なんてあと一つしかないじゃないっ。しかもそれ、結構…ううん。めちゃくちゃ大胆なことよ!?


「あ、あたしに言わせる気?」

「…いや、なんかすごくよろしくない気がしてきた。ちなみに、抱き合い方はさっきみたいな後ろから?それとも横?正面?」

「正面に決まってるでしょ。なに言ってるのよ」


 まったく、恥ずかしい恥ずかしい。変に暑くなってきちゃったわ。ていうか、郁弥さんってば抱き合うこと前提なのね。いいわよ、あたしも同じこと考えているもの。その考え方大好き。


「なるほど…。な、なるほど…そっか。うん。それはだめだね。うん」


 向き合って抱きしめるという点ですぐに思い至ったのか、みるみる顔が赤くなる。可愛い。

 照れ弥さん超可愛い。癒される。


「ね?さすがに恥ずかしいでしょ?」

「う、うん。…このままでいこう」

「ん、じゃあ…」


 あたしの言葉途中で軽く腕を広げてくれたので、ぎゅっと抱きついてこれで元通り。


「はぁぁ…やっぱりここが一番落ち着くわぁ」

「あはは。…うん。僕もすごい落ち着くよ」


 郁弥さんに正面から抱っこされるような色々と絵面的にアウトな体勢はなかったことにし、ついに話を始められるところまでやってきた。


「…ふぅ、話そうか」

「ん、お願いね」


 脱線に脱線を重ねて、ようやく大事な話に入れる。大好きな人と抱き合い寄り添いながら、ゆっくりと落ち着いて話し始める恋人の声に耳を傾ける。始まりは―――。

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