prologue『神と人と...』
ελωι ελωι λιμα σαβαχθανει -わが神、わが神、なぜ私をお見棄てになったのか?
これは新約聖書の一節、イエス・キリストが処刑される前に祈った言葉である。
人間は元来、危機に瀕した時、苦難にぶち当たった時などに神に縋り付いてきた。
大切な誰かのために、憎悪する誰かのために、自分の欲望を叶えるために...
願いの形は様々だが自分では成し遂げられないことも神に押し付けてきた。
必死に願うことでいつかきっと願いが叶うと信じて願い続けた。
しかし、現実は非情である。
避けられない危機は避けられないし、叶わない願いは絶対に叶わない。
願い通りになったとしても、欲深い者などは次の願いを口にする。
それが単なる偶然から生まれたものだとしても神に頼り切り、結局、破滅する。
そうなると、愚かな人間たちはこう叫ぶ。
「なぜ、願いを聞き届けられなかったのですか?」「なぜ、私を助けなかったんだ!」「祈れば叶うのではないのですか?」「なんで「なぜ「なぜ「な・・・・・
「なぜ、私たちを見捨てたのだ?カミよ!」
人間とはつくづく愚かで、無知で、傲慢な生き物である。
神に救いを求めながらも、それと同じ程争いを求める。
「生きていたい!」と叫ぶくせに、「もっと血を!」と怒号を上げる。
中には、自らを聖人と称して「神は、私たちをお救いになってくれる」と声高に言いふらす救いようがない者までもいる。
いったい、人間はどこまで愚かになれば気が済むのだろうか?
「それはさぁ、際限なくどこまでも、じゃない?」
ここに、そんな人間たちを見下す正真正銘の神が一人。
「まぁ、でも...そんなニンゲンたちを見てるのも面白いかもねぇ?滑稽でサ!ハハハハハ!」
神はそう一言呟くと、人々の心理の海の中で、再び惰眠をむさぼり始めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
人間は神に縋り付いてきた。
本当にそうなのだろうか?
縋り付いているのは神の方ではないのか?
本来、神とは古代の人間達が様々な自然現象を擬人化してきたもののはずである。
山、川、海、空、森 etc...
それは人々の願いや、思いなどの感情が形作った幻想のはずである。
それが、今では人々を従え我が物顔で生活を、世界を侵食している。
例えば物、現象、果ては語源にまで神は大きな跡を残している。
いったい、いつから神は世界の支配者のようになったのだろう。
人はいつから、神々に媚びへつらうようになったのだろうか?
古代の人々が伝える神話には数々の逸話が残っている。
人間の女性を追いかけまわし、幸せではなく不幸をもたらした話。
人間を自分の駒として扱い、自らの敵である他の神を倒させる話。
挙句に、世界を滅ぼしてしまった話などもある。
人々に幸せをもたらす?どこにそんな話が残っているのだろう。
神もたいがい人間とは変わらないように見える。
果たして、本当に人間は愚かな生き物なのだろうか?
「いいや、違うね!本当に愚かなのは神どもの方だ!」
ここに、神を心の底から憎悪する人間が一人。
「いつか、この手で、神なんてものをこの世から消し去ってくれる!」
人間はそう一言叫ぶと、自らの夢の奥で静かに眠りについた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ここまでキミには相争う二つの存在を見せたわけだが...
さてさて...キミは一体どちらを選ぶ?
「僕は...両方選びたい!」
「フハハハハ!|これは傑作だぞ!それでは始めようではないか、なぁ、諸君!」
最っ高に愚かな者共の、戦争を!
その声を聴くと、彼は電子の海に、意識を手放した。




