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次の日、窓を開けることをしなくとも、家の中にまで怒声が届いていた。
大人を連れに行った一〇人の子供が戻らなかったこと。その事実が町中の子供たちに混乱をもたらしていた。
作戦が失敗に終わったことで、新たに指導者となった男――進藤は、一部の子供から不信感を抱かれるようになっていた。進藤に不信感を抱く者の中からは鴨居に寝返る者も現れて、ますます町は混沌としていった。
時間が経てば経つほどに食糧不足はますます深刻化して、子供達からは目に見えて余裕が消えていく。そうなれば、自制の効かなくなった子供同士の争いが頻発するのは当然の流れだ。
進藤派と鴨居派はお互いに信じるものの違いから、衝突を繰り返した。
子供だけの、子供のための世界。それが、音を立てて崩れ去っていく。まるで砂の城のようにあまりにも脆く、一度崩れて仕舞えば、崩壊を止めることなどできるはずもない。
しびれを切らした進藤派の子供達が、今度は一〇〇人規模で大人エリアへと向かっていく様を、創は優花と並んで家の窓から遠巻きに眺めていた。
「今度の奴らは帰ってくるかな?」
「分からない。けど、前回の人たちが帰ってこないことに、何か特別な理由があるのなら、きっと今回も結果は変わらないんじゃないかな」
「特別な理由って?」
「分からない。けど、あれだけ意気揚々と出て行ったんだよ?理由がないなんて、あるわけないよ」
大人の元を離れた子供はあまりにも脆く、満足に食事をとることすらできない。
大人を連れてきて働かせるなんて息巻いているけれど、結局は助けを求めに行っているのと変わらない。
今までこの島の中で大きい顔をして歩いていた子供達も、結局は大人の手によって飼われていただけのことだった。どれだけ特別な力を持っていたって、自分たちだけでは生きていけない。きっと誰もがその事実に気づいていて、それでも必死に目をそらしている。
所在なく外の景色を眺めていると、また家の前の通りで喧嘩が起こっているのが見えた。まったく、子供のための世界じゃなかったのか、ここは。本当にバカみたいだと、窓の外で醜く争う子供達を見て、心の中でつぶやく。
彼らはいったいどこへ向かいたいのか、この惨状ではそれすらもまったく見えてこない。行き場のない彼らが向かうのは、破滅とも言われる道だろう。こんなにも何もない世界で、望んだものが全て手に入るこの世界で、子供達はきっと何かを想像することさえしてこなかったのだろう。
このままジリ貧になるまでどうすることもできずに、この狭い庭の中で意味もないほえ声をあげ続けるのだ。
窓の外、いくつかの走る子供の姿が見えた。走るというよりは逃げていると表現した方が正しいかもしれない。後ろを気にしながら、全力で足を回して走り続ける。逃げる子供のうち、一人の女子が足を縺れさせて派手に転げた。
その女子の前に、一人の少年が現れた。尻餅をついたような体勢で倒れている女子を、少年は酷く冷たい目で見下ろしている。
ふと、その少年の顔に見覚えがあることに気づく。
「あいつは……」
「知ってるの?」
「ああ、知ってるってほどじゃないんだけどさ。ちょっと見かけたことがあったんだ。あいつは、いじめられっ子だった」
いつの日か学校の廊下で見かけた、いじめられっ子の少年。執拗に追いかけ回されながら、なぶるようにチョークをぶつけられ、それでも一切抵抗をすることのなかった少年。
彼が今、あの時とは立場を逆転させて、自らをいじめてきた子供の前に立っている。
地面に座り込む女子のことを助けようと、共に逃げていた三人の子供が駆けつける。一人が少年へ向けて殴りかかった。
だが、見えない何かがそれを阻むと、少年は目にも留まらぬ速さで殴り返した。殴られた子供の身体はあっけなく吹き飛んでいく。
そんな光景を目の前で見せられて、残った三人の子供の顔には恐怖が浮かぶ。たまらなくなって逃げようとする子供たちを、少年は見逃さない。そこから先は、あまりにも一方的だった。
窓越しで声までは届かないが、少年は何か怨嗟の声を上げるようにしながら、彼女たちのことを嬲り続けた。
「あの子、すごい。たった一人なのに、四人を相手に圧倒してる」
「こんなことができるような奴には見えなかったのにな。前にいじめられているのを見たときは、まるで抵抗する様子さえなかったんだ。それなのに、今は一切の躊躇がない」
窓の向こう側で繰り広げられる一方的な暴力に優花は目を背ける。止めに入ろうと言い出すのは時間の問題かと思った時、不意に少年は力を振るうことをやめた。糸の切れた操り人形のようにだらりと腕を垂らし、その姿からは完全に闘志を感じない。
少年の手によって全身に傷を負わされた彼女たちは、想定外の行動に戸惑いつつも、一目散に逃げ出していった。少年はそれを追うことはせず、ただ興味を失ったかのようにその背中を眺めていた。
不意に目の前のことがどうでもよくなる瞬間は、きっと誰にでも訪れる。それが彼にも、たった今訪れたのだろう。
「ねえ、ちょっと外に出てみない?」
「大丈夫なのか?もし誰かに見つかったら……」
「大丈夫じゃない?今のみんなに他人を気にするだけの余裕があるとも思えないし」
慎重な優花にしては珍しく、適当な調子で口にした。優花がそう言うのなら、それを断る理由はない。
手早く支度を済ませて、優花と二人で外へ出た。
外へ出ると、明らかに昨日よりも町全体が疲弊していた。通りを歩く子供たちの顔には覇気がなく、やつれている印象を受ける。通りの真ん中で現状への不満を吐き出し続ける者もいれば、通りの隅で小さくなって、大人を連れにいった進藤派の仲間を待つ者もいる。だがその誰もが、現状に我慢の限界を迎えているのは確かだった。
通りかかった小さな公園のベンチに、二人で腰を下ろす。
「ねえ、私たちこれからどうしようか。いつまでもここにいたって、飢え死にするだけだし」
「そうだな。もうこの町が限界なのは違いない。どこかへ二人で逃げちまうか。……と言っても、逃げる場所なんて一つしかないけどさ」
「だね。大人エリアで匿ってもらうしか道はないよね」
結局、子供は子供だけでは生きられない。進藤はこの町に大人を呼び戻して奴隷のように働かせることを宣言したが、その恩恵を与る気は毛頭なかった。
「さっき大人エリアへと向かって行ったやつらのことも気になるし、出発は今日の夕方頃にしようか」
「うん、そうだね。涼子ちゃんにも一言言っておきたいし」
「そうだな、涼子には一言言っておかないとな」
この町を離れると伝えたら、涼子はどんな顔をするだろうか。きっと賛成するでも反対するでもなく、ただ静かにうなずいて見送るのだろう。最後まで涼子の優しさには甘えっぱなしだ。
そんなことを考えていると、遠くの方から子供達の賑わうような声が聞こえてきた。町に溢れた恨み言とは、明らかに毛色の違う声だった。
「どうしたんだろう。なんだかやけに盛り上がってるね」
「ああ。ちょっと気になるし、行ってみようか」
ベンチから立ち上がり、声のした方を目指す。少しだけ走ると、それはすぐに見つかった。ゆうに二、三〇を超えるほどの子供達が小さな公園に集まって騒いでいる。彼らの視線は、ある一点へと向けられている。背伸びをして、視線の先を追う。
そこに、彼はいた。
何かを手にした右腕を掲げ、子供たちの視線を一身に受けながら鴨居は立っていた。
「それを俺にもよこせ!」
一人の男が叫ぶと、周りの子供達も、「俺にも」「私にも」と口々にする。
「あいつらは、いったい何をしてるんだ?」
「わかんない。鴨居はなにを持ってるんだろうね」
今更周りの目をにしても仕方ないと思いつつ、こっそりと集団の方へ近づいていく。一歩近づいていくたび、鴨居の手にしたものは鮮明になっていく。やがて、理解した。
「あれは、おにぎり……?」
あまりにも意外な正体に、すぐには理解することができなかった。だが、手にしているものが本当におにぎりなのであれば、目の前の群衆の言動にも合点がいく。今は誰もが、喉から手が出るほどに食料を欲している。
「けど、どうして鴨居はそんなものを持ってるの?お米を大量に備蓄していたとか?」
二人でいくら考えたところで答えは出ない。鴨居の口から語られる言葉に耳を傾ける。
「そんなに焦る必要はない。今ここにいるみんなの分くらいの数は用意してあるさ」
「そんなことより、それはどこから手に入れたんだ!」
一人の男が叫ぶ。その問いを受けると、鴨居は得意げに笑ってみせた。
「生み出したんだよ。米粒から塩の粒まで。僕たちには、それが出来るだけの力があるだろう?」
さも当然のことにように語られた鴨居の言葉に、この場にいた誰もが言葉を失った。食べ物を生み出す、そんなことができるなんて、想像さえしていなかった。
「そんな、できるはずがない。食べ物を生み出すなんて、どんな風にイメージをすればいいんだ」
何もないところから物質を生み出す生成は、頭の中のイメージをそのまま外の世界に構築する技だ。内部の構造がイメージできなければ、それはただの見せかけだけのハリボテだ。そして、内部構造が複雑で、細かなものほどイメージは難しい。食べ物を生み出すなんてことがもし仮に本当に可能なのだとしても、実際に生み出すためには相当の想像力と集中力を要するだろう。
鴨居の言葉を受けて、辺りでは何人かが食べ物を生み出そうと試みているが、結局生まれてくるのは食べ物の見た目をした何かだ。次第に辺りからは失望の声が聞こえ始める。
「確かに食べ物を生み出すための技術を得るには、相当の練習が必要だ。だが、一度技術を身に付けることができれば、僕たち子供の世界は……!」
落胆する観衆を前に必死に訴えかける鴨居の声を、突然慌ただしい足音が遮った。
息を切らした一人の少年が、乾いた喉で叫んだ。
「大人が、大人たちがやってきたぞ!!」
子供たちの目が一斉に、突如現れた少年の方に向く。少年は言葉を続けた。
「食料だって持ってる!大人たちが、俺たち子供に謝りにきたんだ!」
子供たちの目の色が変わった。すぐそばにいるはずの鴨居なんてどうでもいいとでも言うように、その少年の元へと駆け寄っていく。
「おい、行こうぜ!ようやく飯にありつけるんだ!」
「待つんだ、大人の元へなんて行ってはいけない!」
大人の元への向かおうとする子供たちを引き止めようと、必死な声で鴨居は叫ぶ。だが、その叫びに耳を貸すものはもういない。
「うるせえな、大人との完全な別離とか、そんなことはどうだっていいんだよ。あいつらがいれば、わざわざ自分たちの手で食料を作る必要なんてなくなるんだ」
「だが!」
「だいたい、こんな具のないおにぎりなんて誰が食うんだよ。勝手に一人でやってな!」
そう吐き捨てると、鴨居の周りを取り囲んでいた子供たちは皆、大人たちの元を目指して走り去って行った。鴨居はもう、それを追うことをしない。
鴨居ただ一人が、この場に取り残されていた。
「私たちも行こう」
優花に促され、この場を後にしようとしたその時、一人の大人の男が創の隣を通り過ぎるのが目に入った。その大人は、真っ直ぐに鴨居の元へと向かっていく。
なぜこんな場所に大人がいるのか、思わず足を止めて男の方を振り返る。その大人は何者で、鴨居に対して何をするつもりなのか。
優花は大人の存在には気づかなかったようで、みるみるその背中は遠く離れて行く。大人の正体は気がかりではあったが、後ろ髪を引かれながらも、遠くなっていく優花の背中を慌てて追いかけた。




