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次の日、偵察の意味も込めて辺りを散策していると、たくさんの子供達が熱心に働いている様子があった。子供の世界を定義する境界となっているのは、等間隔に打ち付けられた木の杭と、それらを結ぶ太いロープだ。彼らは自分たちの世界の境界を補強するように、結ばれたロープに沿って石を積み上げていく。一つ石が積み上がるたび、世界の境界は強固になり、子供だけの町とそうでない場所との区別を鮮明にする。
黙々と石を積み上げるその行為は、大人たちが家の工事をする光景にも似ていた。
力を使い、子供達は手早く作業をこなしていく。軽々と石を持ち上げては、それを乱雑に積み上げる。しばらくの間そんな様子を眺めていると、みるみるうちに辺りの境界は補強されていき、やがて向こうから補強を進めていた別のチームと合流をする。そこまでが彼らの役割だったのだろう。彼らは補強の完成を喜び、合流をした仲間たちと浮かれはしゃいだ。
今頃はもう、一周全ての補強が終わっているだろうか。それを確かめたくなって、創はこの境界に沿うようにして歩き始める。
何か急ぐような理由があるわけでもない。力を使うことをせず、ただゆっくりと周りを歩き続けた。
五分ほど歩いたところで思う。たった一週間の間で、ずいぶんと広くなったものだ。初めは公園の周りを簡素な杭で囲んだだけだった世界は、いつの間にやら城壁のような壁を持った、広く強固な世界へと変わっていた。
子供達の作った世界は、元の町の半分ほどの敷地とは言え、あまりにも広大だ。円状になっている境界を半周ほどすると、これ以上の散策は意味のないことに思えてきた。
もはや疑う余地も文句をつける隙もない。これはまさしく、鴨居の目指した子供のためだけの世界だった。
境界に沿って歩くのをやめて、家の方へと進路を変える。その途中に、この世界の起点となった公園があった。賑やかな声がして目を向けると、ゆうに一〇〇を超えるほどの子供が集まって、まるで何かパーティーをするかのように浮かれ騒いでいた。
この世界を本当の意味で手に入れたのだと、そんな声が聞こえた。
遠目から少し眺めていると、一週間前と同じように、鴨居が中央の壇に上がっていくのが見えた。それぞれがバラバラに騒いでいた子供たちは、真打ちの登場に大きな歓声をあげる。
いつまでも人目につく場所にいることは避けたかったが、熱狂する観衆の目には、今は鴨居ただ一人の姿しか映らないだろう。思わず足を止めて、これから語られるであろう言葉に耳を傾ける。
壇上に立つ鴨居は自信に満ちた顔で、観衆を俯瞰した。その目に射抜かれた子供はますます歓声を大きく変えて、心酔したような目で鴨居を見る。この公園に集まった何百もの子供達の視線は、壇の上に立つ鴨居にのみ集められる。
彼らが見つめる鴨居の姿の向こうには、この世界の未来があるのか、それとも何もありはしないのか。その答えは、どれだけ考えても見えてくることはない。
「今日は集まってくれてありがとう。まずは、これだけの短期間で境界の補強を終わらせてくれたことを感謝したい」
それは、今日一日の苦労を労うような、そんな優しい声色だった。苦労が報われた喜びからか、そこで上がった歓声はひときわ大きいものだった。
「境界の補強が終わった今、僕たちの、僕たちのためだけのこの世界は盤石だ」
一言一言区切るようにして、はっきりと語り続ける。
「大人狩りによる革命を始めてから、おおよそ一週間と少しの時間が経った。それが長いと取るか短い取るかは人それぞれだと思う。けれど、確かなことがただ一つある」
一度息を吸い、わずかな間を作った。そして、ありったけの力を込めたような声で、鴨居は叫んだ。
「僕たちは革命を成し遂げた。それだけはまぎれもない事実としてここにある!」
子供たちはただ静かに鴨居の姿を見る。しかしそれは士気の下がった静寂などではないことを、彼らのギラついた目が証明している。
「理想の世界を手に入れるため、朝早くからから夜遅くまで僕たちは大人狩りを続けてきた。それはとても大変な作業だったと思う。けれど、僕たちはその努力の果てに、ついに理想を手にできた!
だからこそ、今ここに宣言する。今日をもって、僕たちの革命は成し遂げられた!!その事実を今日はみんなで祝おうじゃないか!」
その言葉に、観衆がどっと沸き立った。溜め込んだ全ての感情を爆発させるかのように、子供達は歓喜する。つい数瞬前の静寂が嘘のように、歓喜の声が辺りを包む。
子供たちは近くのものと喜びを分かち合い、腹の底から思い切り雄叫びをあげる。どうしてこんな風な表情をできるのか、創にはまるで分からなかった。
まるで手品師だ。言葉だけを武器にこれだけの子供達を操ることができるのは、この世界にはきっと鴨居の他に存在しない。
誰も彼も本当にバカだ。まんまと口車に乗せられて、都合のいい駒程度にしか思われてないに決まっている。それにも関わらず、この革命の先に望んだ未来が待っていると盲信し、考えることをやめている。
“こんなお祭り騒ぎはそう長くは続かない。”今の創に出来ることは、その言葉を頑なに信じることだけだ。
眺めていると、何やら大きな旗のようなものを持った一人の子供が壇に上がって、控えめにそれを鴨居へと渡した。その旗は鴨居の身長をゆうに超えるほどの高さを持ち、旗の布の部分には、何か文様のようなものが描かれていた。
それを鴨居は力強く突き立てる。
「この世界は何者からの干渉も受けない。未来永劫、僕たち子供のーー子供のためだけの世界だ!!」
鴨居が高らかにそう叫ぶと、再び子供たちは割れんばかりの歓声で応える。それは今までに聞いたどの歓声よりも大きく、歓喜と熱気に満ちていた。
きっとこの旗が、この世界のシンボルなのだろう。この場に集まったすべての子供達が一つの大きな生き物になっているような、そんな光景にも見えた。
こんな風に子供たちが団結をしたことなんて、今の今まで一度だってありはしなかった。きっともう、鴨居一人を倒したところでこの勢いは無くならないだろう。一つの世界を手にした子供は、その世界の中で好き勝手に生きていく。
ただ、そんな暮らしの果てに、いったい何があるのだろう?感じることと言えばそんな疑問程度で、もはや別段恐れや不安もない。
歓声はいつまでも続く。子供達は一向に騒ぐことをやめようとはせずに、いつまでも歓喜の余韻に浸っていた。
こんな光景をいつまでも眺めていてもしょうがない。創は彼らに背を向けて、再び家へと歩き出す。
優花の家に行く途中、この町のもうどこにも落ち着ける場所なんてないことを悟る。子供たちは町のそこら中で理想の達成に浮かれ騒いでいる。
あんな鴨居の演説など聴かずに、真っ先に家に戻っていればよかったと後悔をする。いつの間にか、ずいぶんと辺りに子供の姿が増えている。
道の真ん中に座り込んで騒ぐもの、家の周りの塀に立って、その存在を誇示するかのように騒ぐもの。創は思わず、それから目を逸らす。
けれど、どれだけ目を逸らしても、浮かれ騒ぐ子供の声は耳に届く。
「俺、明日で一七になるんだ。鴨居の革命のおかげで、こうして大人になんてならずに済んで、本当に嬉しいよ」
「おめでとう!」
「子供最高!イエー!」
顔を見られないようにと、騒ぐ彼らの横を足早に抜けていく。けれど、これだけの人数を相手に、まったく気づかれることもなく歩くことは不可能だった。
一人の子供が創の存在に気付くと、血相を変えて近づいてきた。面倒なことになったと、聞こえないように舌打ちをする。
「おい。お前、大人の味方をしてたやつだろ?なんでおまえがここにいるんだよ。ここは俺たち子供のための世界なんだ。大人の仲間は出ていけよ」
そう一方的に責め立てると、強い力で創の肩を小突いた。バランスを崩して、思わずよろめく。こんなやつ、すぐにでもやり返してやりたい。身体の影に隠すようにして、右の拳を握り締める。
けれど、実際にそれが振り上げられることはない。すべてが子供のためのこの世界で、万に一つも勝ち目などあるわけがない。握った拳を悟られないように、今はじっと耐えることしかできなかった。
「おい、なんだよ。なんか言えよ」
男は苛立ちの声をあげる。それでも黙っていると、やがて興味を失ったのか「つまんね」と吐き捨てて去っていった。
これでいい。これが今の自分に取れる最良の選択だと、必死に自らに言い聞かせる。耐え抜いたこの先に勝機はあると、今はただそれを信じて耐える他になかった。
その後も何人もの子供の隣を通り過ぎたが、目一杯顔を隠してそれをやり過ごした。何度か不審な視線を向けられもしたが、半ば逃げるようにして通りを抜けていく。そんなことを繰り返して、どうにか優花の家の前までたどり着いた。
家のチャイムを鳴らすと、安堵の表情を浮かべた優花が出迎える。
「良かった、無事に着いたみたいで。正直なところ、結構心配してたんだ。外はもう、気性の荒い子供ばかりだから」
「ああ、そうだな。実際、俺らの顔も結構知られてるから、もしも見つかったら面倒なことになるだろうな」
ここまで来る途中、町の子供に襲われかけたことは伏せておく。優花はいつも、過去の出来事に対してだって、当然のように心配をする。そんな下手くそな嘘が通用したのかは分からないが、優花はただ不安そうな顔をするばかりで、これ以上追求することをしなかった。
「だったさ、しばらくうちに泊まって行く?家に帰るまでの道も危ないし、それにもう親だって家にはいないんだし」
無理矢理明るさを取り繕ったような声で優花が言う。両親がいないことを理由にするのに抵抗はあったが、今はそれを気にしている場面ではない。願っても無いこの提案を断る理由なんて、どこにも見当たらなかった。
「悪いけど、そうさせてもらおうかな。それに、危険がどうとかを差し引いても、優花と一緒に暮らせるなら、こんなに嬉しいことはない」
「ふふ、そう言うと思った。じゃあ、しばらくは二人で籠城だね」
「なんだか、こんな時だって言うのに緊張感がないなあ」
「いいんじゃない?今はどうせ何もできないんだし、楽しくいこうよ」
今のこの状況を、優花はもっと悲観しているものだと思っていた。いつかはきっとチャンスが来ると言ってはいたが、それでもきっと不安はあっただろう。だが今は、開き直っているようにも見える。
優花と二人で暮らしていけるきっかけになったのなら、案外今の状況もそう悪いだけのものではないかもしれない。たとえ強がりでも、今はそんな風に思いたかった。
「おかしいね。今の私たちの状況を考えれば、かなりのピンチなはずなのに、なんだか楽しいなって思っちゃってるの」
「奇遇だな。俺もだよ」
優花は笑う。それは無理をした笑いなんかではなく、本当に満ち足りた笑顔に見えたし、きっとこれは思い込みなんかではない。
「たぶん、私たちは二人で居られれば、それだけでいいのかもね」
「そうかもな。もしも一生ここから出られなくたって、どうにかやっていけそうな気がするよ」
「うん。でもそれは、本当にどうしようもない時だけね」
苦笑する優花。もちろん創もそんな未来を望んでいるわけではない。それでも、例え世界がこのまま子供だけのものになったとしても、優花が隣にいてくれるのだと思うと、ずいぶんと気が楽になった。
「家、好きに使っていいからね」
「ああ、ありがとう。とりあえず、どこか部屋を一つ借りてもいいか?」
これから長い二人暮らしが始まるのだ。そのための支度を始めよう。荷物を持って立ち上がる。まさかもう家に帰らないことなるとは想像できていなかったせいで、カバンに入った荷物はあまりにも少ない。若干の不安と高揚感を抱えながら、優花に案内されるままに空き部屋に入る。
このおかしな共同生活はいったいいつまで続くのだろう。中身のない潰れたカバンを床に置いて、創は思う。一週間で終わることもあれば、一ヶ月で終わることもあるだろう。はたまた明日にでも終わることもあれば、二人で老死するまで続いて行く可能性だってなくはないはずだ。考えたところで、答えなんて見つかるはずもない。
「それじゃあ、私は今からご飯を作って来るね。この部屋なら自由に使っていいから、創はここで休んでてね」
「悪いな、任せちゃって」
「いいっていいって。どうせ創は料理なんてしたことないだろうし」
「それは確かに否定できないな。頼むな」
調理場へと向かって行く優花を見送ると、創は地面に身を投げた。
一人になってみると、不思議と心は落ち着いていた。子供による世界の支配は、もはや創一人の行動程度では何も変えられないほど、強固なものになっている。何をすることもなく、ただ変化が訪れる時を待つ。これから始まるのは、そう言う類の暮らしだ。そう考えると、もはや何も思案する必要のないことに気づいて、これ以上ないほどに心は静かだった。
今はただ、終わりが訪れるその時まで、優花と二人の暮らしを穏やかに過ごして行く。それ以外に何もなかった。




