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鴨居が子供のためだけの町を作ると宣言をしたその日から一週間が経ち、世界は大きな変化を見せた。
鴨居の掲げた理想の町を作るため、子供たちの動きは迅速だった。子供たちは公園の周りをぐるりと柵で囲み、宣言通りにそこを子供の世界の起点とした。その柵はみるみるうちに広がって、様々な家や施設を飲み込んでいく。当然その柵の中は大人の立ち入りが禁止の区域であり、大人たちの居場所は必然的になくなっていく。一つの公園から広がったその世界は、今ではもうこの町の半分ほどを飲み込んでいた。
町を歩いても、もうほとんど大人の姿を見かけることはない。家の中に潜んでいる気配さえなくて、もうすべての大人がこの町から消え去ってしまったように思える。おそらく大人たちのほとんどは大人エリアへと逃げ込んだのだろうと思う。
子供と大人の生活域の分離。鴨居の謳った理想が、まさに現実のものへ変わろうとしていた。
今はもう機能していない町の商店からかっぱらったパンを片手に、家の扉を開ける。靴を脱いで居間へ向かっても、そこには誰の姿もなく、出迎える声もない。
創の家もついには子供の町に飲み込まれると、両親はこの家にいることを諦めて大人エリアへと避難していった。ドアを開ければ必ずそこにいたはずの彼らは、もう創のことを出迎えることはない。
別に両親がいなくなったことを寂しく思うわけでもなく、家を追い出された彼らを同情するわけでもない。ただ、自分の無力さを突きつけられているようで、どうしようもない空しさだけがあった。
廊下を抜けて自室に入ろうとしたその時、家のチャイムが鳴った。こんな時間にこの家を訪ねてくる人物を、創は一人しか知らない。ドアについたのぞき窓を確認することもせず、ドアを開ける。そこには優花の姿があった。
「ごめんね、こんな遅くに」
「いいよ、どうせ暇なだけだし」
優花の顔は明らかにやつれていた。暗闇の中でもはっきりとわかる。あれだけ仲の良かった優花の両親も、今はもう家にいない。両親は家に残りたがったが、優花は両親の身を案じて、大人エリアへ逃げるように説得をしたらしい。
優花らしい優しい決断だとは思うが、きっとそれは自分の心を削るような判断だったと思う。痛々しさすら覚えるほどにやつれた優花の顔を見ても、今はどんな励ましの言葉もかけられない。
いったい、こんな想いをいつまで抱き続けていかなければいけないのかと、何度目になるかも分からない言葉を、胸の内で吐き捨てる。自分の思い通りにならないことがこんなにもたくさんあるなんて、ほんの一月前までは、まるで知りもしなかった。
優花を部屋へ上げると、創は椅子に腰をかける。優花はいつものように部屋の壁に持たれるようにして座ると、適当な場所に視線を遊ばせながら、まるで世間話でもするよう話し出す。
「ねえ、聞いた?鴨居が領土の拡大を一度止めることを宣言したんだって」
「なんだって?意外だな、あいつのことだから際限なく増やしていくものかと思ってた」
「うん、私も最初はそう思ってた。なんでも、あんまり広げ過ぎても管理ができなくなるからなんだって。それを聞いて納得しちゃった。そう言うところは、やっぱり抜かりないよね」
敵わないと言ったような口調で優花は語る。
鴨居は常に想像の上をいく。このまま子供は子供だけの世界を確立し、その中でふんぞり返って生きていくのだろう。
もういっそ、諦めて仕舞えば少しは気楽になれるのだろうかと、弱気な思想が頭をよぎった。
「なあ優花。俺たちはこれからどうしていく?たとえこの島の中で居場所がなくなったって、俺は優花さえいればそれで……」
言いながら、優花の顔を覗き込む。そこには、もう諦めることを選んだ顔があるものだと思っていた。けれど、そこにあったのは、それとは真逆の顔。虚を突かれ、言葉が止まる。大人狩りを止めるのだと意気込んだ時と変わらない、強い意志を持ったままの双眸がそこにはあった。
「まだ私たちは負けてなんていないよ。あくまで私の希望的観測かもしれないけど、あいつらのこんな盛り上がりはいつまでも続かないと思う」
強い口調でそう言い切った。優花は誰よりもしっかりと現実を捉えている。そう言い切れるだけの理由があるのだと思った。
「根拠は?」
「なんとなくだよ。だけど普通に考えて、さすがの鴨居でも、これからもずっと子供たちの統率を取り続けるなんてことが出来るとは思えないの」
「まあ、確かにな」
「たぶんだけど、今はある種のお祭り状態なんだと思う。いつか必ず終わりが来る。きっと、近いうちに」
曖昧な言葉で濁しながらも、それは予言にも似た口調だった。優花が言うのなら、本当にそんな未来が訪れてしまいそうだ。
今の創にできることは、その言葉を信じて待ち続けることだけだ。
「なんて。ただ私がそう思いだけかもしれないけどね。でもたぶん、そんなに外れてはいないと思うよ」
「じゃあ今は、その時が来るのをのんびり待っていればいいわけか」
「うん、そうだね。今はそれしかないのかも。だから、信じながらのんびり待とうか」
言って、優花は優しく微笑んだ。ほんの少し前まではありふれていたはずのその表情さえ、ずいぶんと久しぶりに目にすることができた気がする。
こんな表情が何でもないことのように思える日々を、もう一度取り戻したい。改めて、そう思った。




