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身体が痛い、目が覚めて真っ先に思ったのはそんなことだった。昨日の疲れが抜けきっていないことはすぐに分かった。
涙で固まってまともに開かない目をこじ開けて、光の刺す窓の方へと視線を向ける。窓からの光はその付近だけを照らし、部屋の中の方へは入って来ていない。もうだいぶ日が昇った後なのだと、寝ぼけた頭で理解するまでに若干の時間を要した。
慌てて時計を確認すると、二本の針が共に頂点の付近を指している。どうやらあまりにも眠りすぎてしまったようだ。
骨が軋む感覚を覚えながらも、痛む身体に鞭打って身支度を進めていく。着替えを終えて居間へと向かうと、そこには人の気配があった。傷が痛むのか動きはぎこちないが、それでもお昼ご飯の配膳をしている母がそこにはいた。
目が合うと、母はいつもと変わらない微笑みを浮かべる。
「おはようございます。ちょうどお昼の準備もできたところですよ」
「あ、ああ……」
どんな言葉を返しいいのか、思わず言葉に詰まる。あれだけの傷を負っていたにも関わらず、今こうして動けていること自体は安堵するべきことのはずだが、無理をしてここに立っていることは明らかだった。無事を喜べばいいのか、身体を心配すればいいのか分からなくなって、結局何も口には出来なかった。
「昨日の夜は何も召し上がっていませんよね?たくさんありますから、どうぞ満足のいくまで召し上がってください」
母に促されるまま、テーブルの椅子につく。テーブルの上に並べられているのは、今朝の食事と、ちょうど今並べられたばかりの昼食だ。そのどちらも山ほどの量が用意されていて、創の目の前でそびえている。普段ではありえないこの量も、昨日の夜何も食べていない創のことを心配してのことだと分かって、急に申し訳なさと恥ずかしさがこみ上げた。
箸を手に取り、それに手を伸ばす。まず先に手をつけたのは、朝から用意されていた朝食の方だ。朝食ということもあってあまり重い内容の献立ではないが、それでも純粋に量の多いそれは創の胃袋を圧迫していく。やがて朝食の方を食べ終わり、昼食の方に移るが、その時点で既に胃袋は大方満足をしていた。
昼食を半分ほど減らしたところで、胃袋は限界を迎えていた。これ以上箸を進めたところで、辛い思いをするだけだ。それが分かっていながらも、箸を止めるわけにはいかなかった。
意地と勢いに任せてその全てを腹へと仕舞うと、もはや深呼吸をすることさえ苦しいほどに胃袋は膨れ上がっていた。
あまりの胃の苦しさに意識が朦朧とすると、不意にとある古い記憶が思い起こされた。
昔、母に訊いたことがある。大人たちは皆食事を終えると、おかしな合言葉のようなものを口にする。その言葉が持つ意味を尋ねると、母は答えた。
『これは、食材やご飯を作ってくれた人に対する感謝を示す言葉なのです。ご飯を食べさせてくれてありがとうと、そんな想いをこの言葉に込めているのです』
あの時は、母の語る言葉の意味を何一つ理解をしていなかった。相変わらず大人は変なことを言うと、その程度の感情しかなかった。
今だってその言葉の意味を理解できたとは言い難い。けれど今なら、その言葉を口にしてもいい、口にしてみたいとさえ思えた。
大量に用意されていた食事の、その最後の一口を胃の中にしまいこんで、小さな声でその言葉を口にした。
「ごちそうさま」
それを耳にした母が、ハッとしたように顔を上げた。驚きに見開かれた目は、次第にしぼんでいくように薄く潰れていき、今にも泣き出しそうな表情になった。
「ああ……」
思わずといった様子で、母は声を漏らした。それだけで、この“ごちそうさま”と言う一言が、どれほど大きな意味を持っていたのかが伝わってくる。気恥ずかしさとか、いろいろな感情が渦巻いて、なんだかもう何も分からなかった。
これ以上この場にいられなくなって、うつむくような体勢のまま居間を後にする。けれどこれは、それほど嫌な感覚ではなかった。
一度自室へと戻って荷物を取ると、洗面台で身なりを整える。昨日の争いの後、鏡を見るのは初めてだったが、顔中に広がる痣や傷跡は想像をしていた通りだった。
今頃優花は首を長くして待っているだろう。痛む身体とやけに重いお腹に苦労をしながらも、慌てるようにして家を出た。
外の様子は昨日と変わらない惨憺たる景色が広がっている。壁に染み付いた血の跡は、そう簡単に消えはしない。こうして学校に向かって歩いている途中で、いつ大人が襲われている現場に遭遇するかも分からない。けれど今の創には、それを助けられるだけの余裕はない。
学校で優花と合流をするまでは、目立った動きはしないでおこうと、創は一人心に決めた。だからどうか、そんな現場に遭遇しませんようにと、そんなことを祈るように考えながら歩く。
そんな祈りが通じたか、結局学校にたどり着くその時まで、恐れていた現場に遭遇することはなかった。




