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自由の島  作者: 琴羽
第4章 反抗
30/43

4-6

次の日の朝、目が覚めたは九時ごろのことだった。昨日はあれだけのことがあったというのに、午前九時なんて目覚めの時間には早すぎる。それほどまでに今の自分に余裕がないのだと思うと、あまりにも情けない。

全身にはまだ昨日の疲労が残っているのを感じたが、今からもう一度眠りにつく気分にはなれなかった。覚悟を決めて布団から立ち上がる。

優花に会うために学校に行こう。休息を欲する身体に鞭打って、出かけるための支度をする。こんな時間に起きていることを母親から怪訝に思われるかもしれないと危惧したが、そんなことを気にしている余裕もなかった。

台所で食器の片付けをしていた母親は、創の存在に気づくと少し驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの畏まった表情へと変えた。

「おはようございます。朝食なら準備できていますよ」

「ああ」

こんな時間に起きてみても、きちんと朝食が準備されていることに関心をする。いったい何時には朝食の準備が仕上がっているのか興味が湧いたが、そんな疑問をわざわざ口にすることはしない。喉の通りの悪い朝食をどうにかゆっくりと食べきって、足早にこの家を出て行った。



外に出ると、何一つ音の聞こえない静寂が広がっていた。しばらく歩いてみても、時たま子供の姿は見かけたが、出歩いている大人の姿は見当たらない。家の外に出ては危険だと、さすがに大人たちも察知したのだろうか。

大人たちが身を隠している間に大人狩りの活動が下火となり、そのまま子供たちの間から忘れ去られてしまえばいい。そんなことはありえないとわかりつつも、そう願わずにはいられなかった。結局学校に着くまでの道のりの間で、大人の姿を見かけることは一度もなかった。

学校の正門を超えて敷地の中に入ると、創を待っていたのは、昨日以上の周りからの白い目だった。ひそひそと噂をする声は嫌でも耳に入る。大人の味方をする異端だとか、実は子供じゃなくて大人なんだとか、そんな言葉が飛び交っている。

噂なんてものは、一度流れて仕舞えば、広めた本人ですら制御することは難しい。一晩経ったことで昨日の噂に尾ひれはひれが付いて、より酷い内容の噂に書き換わったのだろう。

逃げ隠れるようにして校舎の中に入り込み、優花が受けているであろう講義の行われている教室を目指した。校舎内にいる子供の数は、校庭で遊ぶ子供の数に比べれば少ないが、それでも全くいないわけではない。居心地のいい場所なんてあるわけがなかった。

やっと講義の教室にたどり着くと、扉を開ける。教室の中あったのは、優花と講師のたった二人の姿だけ。教壇に立って講義を行っていたのは木下だった。

「あ、おはよう」

「おはようございます。また来てくださったんですね」

「あ、いや……」

木下が興味深い講義を行うことは知ってはいたが、今の創にはおとなしく講義を受けるだけの余裕はない。けれど、ここで優花を連れて教室を出ていくのも気が引ける。どうするべきかと迷っていると、優花は隣の席をとんとんと叩いて、ここへ来るように合図をした。おとなしく優花の呼びかけに応じ、そのまま木下の講義に耳を傾けた。

こんな時だというのに、木下の講義は変わらない。大げさなまでに身振り手振りを交えて、熱意にあふれた言葉で語る。入念に準備を重ねてきたことが伝わってくるような、洗練された印象を受ける。けれど、面白いはずの木下の講義さえ、今日ばかりはまったく頭に入ってこなかった。

やがて講義が終わり、木下は片づけを始める。講義が終わったのを合図に、創は席を立った。

「悪い、ちょっと待っててくれるか?」

隣の席で荷物を片付ける優花に問いかけると、怪訝な顔をしながらも頭を縦に振った。それを見てから教壇の方へと歩き出し、木下へと声をかける。

「なあ、こんなことしてる場合なのか?今町を出歩けば、間違いなく子供に襲われる。それくらい、あんたなら知ってるだろ?」

「もちろん、存じ上げております。それでも、学校へ来ないという選択肢は、私にはありませんから」

「どうして?襲われたら無事でいられる保証はないんだぞ?」

納得の出来ない木下の言葉に、じれったさを覚えた。

「そうですね。確かに恐ろしくはありました。それでも、私には大人として、教師としてこの教壇に立つ義務がありますから」

「どうせ、大して話を聞いてくれる子供もいないのにか?」

それが意地悪な質問であることは分かっていたが、問いかけずにはいられなかった。どうして彼らはそれほどまで自らの仕事をやり遂げようとするのか。そのモチベーションがわからなかった。

そんな創の問いに対して、木下は穏やかな微笑みを崩さずに言った。

「それでも、今日は二人も来ていただきました」

この人には敵わない。改めてそう思った。彼の言葉は質問の答えとしての本質をはぐらかしている。けれど、そんなことが気にならなくなるほど、柔和な笑みがそれを隠している。

「まったく、大人ってのはみんなこうなのか?」

「どうでしょう、大人にだっていろいろありますから」

木下は苦笑する。それは完璧な苦笑いだった。数ある笑い方の表現の中で、誰に訊いても誰もが苦笑いと答えるような、それほどに完璧な表情だ。そんな表情の引き出しを、木下は数多く持っている。

「突然変なことを聞いて悪かったな」

「いえ。お気になさらないでください」

「じゃあ、また聴きにくるよ」

「ありがとうございます。楽しんでいただけるよう、しっかりと準備をしてお待ちしていますね」

木下との話を終えると、片付けを終えて席で待つ優花の元へと戻る。

「お待たせ」

「木下とは何を話してたの?」

「別に大した話じゃないよ。ただ、昨日のことの忠告とか、こんな時でもわざわざ学校まで来る理由を訊いたり、それくらいだよ」

「そっか。学校に来る理由、木下はなんて?」

「そもそも学校に行かない選択肢がなかったってさ。本当、つくづく感心させられるよ」

「そうなんだ。やっぱり木下はすごいね。そんな人たちがこの世界から迫害されようとしてるなんて、そんなの信じられないよ」

優花は今も教壇で片付けを続ける木下に目を向ける。確かに、子供の行為は理解できないが、かと言って大人のことも理解しているわけではない。今自分たちはすごく特別な立場にいるのだと、創は改めてそう思った。

「どうして大人たちは抵抗しないんだろうな。子供の暴走をまるで自然災害か何かのように、諦めて受け入れてしまっているように見えるよ」

「分からない。だけど、大人の人がそう判断をしたのなら、きっとそれが正しい選択なんじゃないかな」

大人たちはいつだって正しい判断を下す。大多数の子供が妄言だと思うようなその言葉も、今ならば信じられる。ほとんどの子供たちが、大人という存在を軽んじているその裏で、大人たちは堅実な暮らしを続けてきている。何の特別な力もなく、信仰の対象である子供達から迫害をされてもなお、大人たちは今日まで確かに暮らしを続けている。今自分たちがしようとしていることは、余計なお節介なのではないかと、頭の中でちらついた。

そんなことは口にせず、優花に判断を託す。

「なあ、今日はこの後どうする?」

「うん、もちろん昨日の続きはするよ。木下の講義はいつも楽しみしてるから聴きに来たけど、やっぱり全然頭に入らなかった。だから申し訳ないけど、もうこの後の講義は諦めて、見回りに行こうかなって思ってる」

「そうだな。ずっと学校で大人しくしてるってのも辛いものがあるし、もう今日は抜け出しちゃおうか」

「本当はダメだけど、今ばかりは緊急事態だからね。私もじっとしているのには耐えられそうにないし」

緊急事態だと優花は例えたが、まさしくその言葉の通りなのだと思う。町の大通りに構えられた商店では、店の入り口に商品を陳列するばかりで、店主である大人は店の前には出てこない。

それでも子供のために品物を並べ続けるところはさすがだが、町に大人たちの姿が一切見えないこの光景は明らかに異常だった。

一日に予定されている講義はまだ残っていたが、こんな時くらいはと思い、創は優花と二人で学校の外へと向かった。

教室を出て仕舞えば、そこはもう子供だけの世界。創と優花、二人の裏切り者に対する子供達の視線は冷ややかだった。軽蔑と憎しみの混ざったような視線を受けながら、廊下を進み、校舎を抜ける。校庭へと出るとそれは激しさを増し、今にも近くの子供から襲われてしまいそうなほどだ。

この視線の中を歩く辛さは、もう昨日のうちに嫌という程味わった。けれど今は隣に優花がいる。それだけで、ずいぶんと心強かった。

二人で戦っていこうと決断したその選択は間違っていなかったのだと、そう信じられる。

全身に突き刺さる視線の痛みを耐え抜いて、ようやく学校の敷地を抜ける。校門のすぐ前までたどり着いた時、向かいから見知った顔が歩いて来るのが目に入った。それは、こんな時間になって登校をしてきた、涼子の姿だった。校門を挟んで、学校の敷地の中と外とで、創と優花は涼子と向かい合う。どんな言葉をかけていいか一瞬だけ悩み、結局口を出たのは「おはよう」というなんの変哲もない挨拶だった。

「おはよ、まだ一二時前だっていうのに二人はもう帰り?」

「えっと、まあそんなところ?」

優花が答える。その答えに、涼子は不満そうな顔を返した。

「隠さないでよ。どうせまた大人を助けに行くんでしょ?別に私は止めたりなんてしないからさ」

それを口にすることで涼子のことを巻き込んでしまうのではないかと、それを危惧する気持ちがあった。けれどそれ以上にきっと、涼子は隠し事をされることを嫌う。そして何より、これから子供と戦っていくことを決意させてくれたのは、他でもない涼子の言葉があったからこそだ。誤魔化すことなんて、できるわけがなかった。

「ああ、そうだよ。本当は放課後になってからとも思ってたんだけど、やっぱりいても立ってもいられなかったからさ。今こうしている間も、どこかで襲われている大人がいるかもしれないから、俺たちは行かなきゃいけないんだ」

勢いで優花の両親を助けてしまい、途方に暮れていたあの頃の自分とは違うのだと、そんな覚悟を言葉に込めた。

それが涼子にはっきりと伝わったのかはわからない。涼子は未だ、少し怖いくらいの真剣な表情を崩さない。

「ふうん。本気なんだ」

「ああ。こんなところまで来たんだ、半端なところで引けるわけないさ」

見定めるような表情で、涼子は創の顔をじっと見つめている。きっと、言いたい文句の一つや二つはあるだろう。それでも涼子は不満の言葉を口にはせず、「そっか、まあ頑張ってよ」と、ただそれだけを口にした。

普段、涼子は自分の感情をあまり顔に出すことはしない。悔しいことがあっても、悲しいことがあっても、はたまた嬉しいことがあったって、その顔が感情で彩られることはあまり多くない。それでも今回ばかりはそうもいかなかったのか、細く真っ直ぐに伸びるその眉は、眉間の方がしわで歪められている。寂しさが、その表情からは見て取れた。

無理もない。修也はつい先日大人になって、今度はこの事件のせいで創と優花は異端扱い。あまりにも短かい期間で班がバラバラになってしまった。寂しさを覚えないわけがない。

「涼子ちゃん、ごめんね。全部私のわがままのせいで」

優花はまるで自分にすべての責任があるかのように、低く沈んだ声で謝った。涼子はそれを、気にも止めていないように軽い口調で返す。

「ううん、別にいいよ。どのみち水野が暴走して、遅かれ早かれこうなるのは目に見えてたから」

「暴走って、いつ俺がそんなことをしたよ」

「暴走でしょ?突然大人エリアに行きたいだなんて言い始めて。いつも振り回される周りの身にもなってほしいよね」

思えば、あの時からこうなる予感はあったのかもしれない。大人という存在に興味を持ってしまわなければ、優花の両親以外の大人まで助けようなどと思わなかったかもしれない。考えても仕方のないことだということは分かっていた。

「それは、悪いと思ってるよ」

「別に謝って欲しくて言ったわけじゃないよ。別に水野に振り回されるのは慣れてるし、それになんだかんだで嫌いじゃなかったし」

「そう言ってもらえると助かるよ」

必要以上の重みを持たせないような口調で、創は感謝を告げる。大会の時もそうだったが、大事な局面の時は、いつも涼子に頼りっぱなしだ。優花も創の言葉に続く。

「涼子ちゃん、本当にありがとうね」

「いいよ、別に。私はただ二人を見ていることしかできないわけだし」

涼子は感情を隠すことが上手い。さっきまで見せていた寂しさげな表情はすっかり消え去り、気づけばいつもの無感情な表情に戻っていた。

「優花は、水野のことをよろしくね。と思ったけど、よろしくするのは水野の方か。優花の方が意外に感情的になりやすいところあるし」

「うう、自覚はあるよ」

「まあ、優花はそれでいいんじゃない?二人とも、やるからにはしっかりやってよね」

きっとこれは涼子なりの激励なのだと思った。聞く人によっては、単なる上から目線の嫌味にも聞こえなくはないが、涼子ならきっと激励を送るときにこんな言葉を選びそうに思えた。

「ああ、ありがとな。それじゃあ」

「じゃあね。落ち着いたら、また学校で」

落ち着いたらと、優花は言った。そんな時が再びやってくるのかは分からないし、来るにしたって相当先の話なのは間違いない。

この別れの挨拶は、決別みたいにも聞こえた。

「水野も優花も、元気で」

涼子は校門を抜けて学校の敷地へと足を踏み入れた。そして、そのままの足で校舎の入り口である玄関の方へと進んでいく。きっと今日もまた、いつもの教室で一人、本を読んで時間を潰すのだろう。

遠くなるその背中を少しだけ眺めてから、校門を抜けて学校の敷地を出た。今もこの島のどこかで理不尽に襲われている大人を助けるため、創は優花と歩き出す。一度歩き出した足は、もう止められない。

そこからややあって、優花がふと口にした。

「やっぱり時々不安になるの。みんなからは異端扱いをされて、共感をしてくれる人なんて誰もいない。私のしていることは本当に正しいことなのかなって。だけどね、それでも私が前を向いて進めるのは、創が一緒に隣を歩いてくれるからだよ」

「そんなの、俺だって一緒だ。だから、最後まで一緒に歩いてくれよな」

「そっちこそ。ずっと一緒にいてよね」

「ああ、当たり前だ」

たった二人きりの反乱に終わりは見えない。ゴールの見えないマラソンは、まだ一歩目を踏み出したに過ぎない。それでも、二人で走るマラソンなら、どこまでだって走っていけそうな気がした。


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