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自由の島  作者: 琴羽
第5章
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1-2

 いつだって子供は自由で、その生活には何の制約もない。好きな時に寝て、好きな時に起きて、好きなだけ好きなものを食べる。ただ気の赴くままに、その時々に自分のやりたいことだけをやって生きている。けれど、何のしがらみもない生活を送る子供にも、ただの3つだけ守るべきルールが存在している。あるいはそれは、大人から子どもへのわずか3つのお願いとも言えるだろう。

 その一つが班制度だ。14歳の誕生日を迎えた瞬間、子供たちは班に入ることが義務付けられている。自分の意思とは無関係に、大人たちによって決められた班に組み込まれる。

 班員の数は基本的に5人と決まっていて、17歳の誕生日を迎えて子供を卒業するものが出れば、新たに14歳になる子供を迎え入れるまでの間4人の班となる。そんな風に、班の人数は4人と5人を繰り返しながら、いつまでも続いていく。

 同じ班に選ばれたものは、様々な場面で行動を共にすることが決められている。普段の“学校”へ通う時や、毎年夏に開催される“抗争”の大会への参加など、日常の大多数の部分で行動を共にすることが多い。

 班員の組み合わせは住んでいる家の距離で決められるのか、幼少の頃からの長い付き合いになることも多い。創にとっての優花が、まさにその関係だ。

 創と優花のようにこうして良好な関係を築くことができればよいが、必ずしもそううまくいくばかりではない。近くに住んでいながら険悪な関係であったり、同じ班のメンバーでありながら嫌い合ったりする事例も少なくない。そうなってしまった班は、嫌い合っているメンバーのどちらかが卒業するまで正常な班として機能することはない。

 班の移動を大人に申し入れることも出来るが、実際に班を移ったという子供の話はあまり耳にしたことはない。

 創たち5人の班は決して仲が良いという訳でもないが、取り立てて仲が悪いわけでもない。嫌いな人間と常に行動を共にしなくてはいけないという苦痛は、想像して余りある。

 この班と言う制度がいったいいつ作られて、いったい何のために存在しているのか、その理由は分からない。少なくとも、創に自我が芽生え始めた頃には、当然の決まり事として当たり前に存在して、自由が約束されているはずの子供たちを、縛り付ける役割を果たしていた。

 いったいなぜこの班という仕組みが作られたのか。その理由を考えたことが無かったわけではない。ただ、その度に答えが出ずに挫折をした。班行動自体にさして不満がなかったせいもあって、そんな疑問は答えの出ないままにいつの間にか掻き消える。何より、そんな細かなルールがあったところで、崇められる存在である子供の自由は揺るがない。

 班での活動の他に、子供達に課せられたルールは2つ。週に5日”学校”に通うこと、そして、月に一度の礼拝には参加すること。どれも若干の不自由を伴う決まりだが、それを不満に思う子供はそれほど多くはない。

 子供を縛り付ける、たった3つだけの規則。大人から子供へのお願い事。それは縛りつけると表現するには不適切なほどに、弛緩された紐のような規制。

 子供たちはいつだって、自由の中で生きてきた。


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