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再び校舎の前まで戻って、考える。大人狩りの原因を突き止めると決めたはいいが、具体的にどう動いていいのかも分からない。一度優花と会いたいと思っても、今日の講義が終わるまではまだ時間がある。いつもであれば学校の空き教室で時間を潰すが、今日ばかりはそういうわけにもいかなかった。
もうこの学校に居場所なんてないと言うことを改めて痛感させられる。それならばいっそのこと、学校から出て行ってしまった方が気が楽だ。再び校門のところまで戻り、学校の敷地を出た。
学校を出て、すぐのところで足を止める。こんなところにあってはならないはずの二つの顔が、創の足の動きを止めた。驚きのあまり、思わず言葉に詰まった。
「おまえら……」
今日学校に来る途中に助けた優花の両親が、全身につけた傷もそのままに立っていた。その姿は、あまりにも無防備だ。
二人は創の姿を認めると、深々と頭を下げた。
「なにやってるんだよ、こんなところで。隠れてろって言ったはずだろ?」
半分怒鳴るような調子で創は言う。わざわざ助けてやったと言うのに、もしもまた子供に襲われたらどうするというのだ。
「申し訳ありません。ただ、先ほどは満足に感謝も告げられないままになってしまいましたから。だから、どうしも一言改めてお礼が言いたかったのです」
やっぱり間違いなく、彼らは優花の両親だ。こんな馬鹿みたいに律儀なやつ、他に見たことがない。彼らの顔を見ていると、怒る気力も湧いてこない。改めて、彼らを助けたその選択は間違いではなかったと確信できた。
「まったく、本当に馬鹿なやつらだよ。家で隠れてりゃあ、安全なものを。お礼なんてまた別の機会でもいいだろう?どうせ、またすぐに家でも遊びに行くのに」
「はい。あなたがいつものうちに来てくださる優花のお友達だということは分かっておりました。けれど、次はいつうちに来られるかも分かりませんでしたし、何より優花の前で今朝のお礼をするのは憚られたものですから」
「そうだな。今日のことは、優花には知られたくないかな。もちろん、俺が大人を助けたっていう事実はすぐに知れるだろうけど、助けたその相手が自分の両親だと知ったら、あいつは間違いなく引け目を感じるから」
「申し訳ありません。助けていただいだけでなく、余計なお気遣いまでさせてしまって……」
父親の方がそう言うと、二人揃って頭を下げる。本当に申し訳なさそうに萎縮する姿を見て、どこか罪悪感を覚えた。
「いいんだよ、そんなことは。それよりも、身体は大丈夫なのか?ずいぶんと派手にやられてたけど」
「はい、おかげさまで。全身が痛みはしますが、日常生活に支障をきたすほどではありません。あなたに助けていただかなければ、きっとまともに歩くこともできない身体になっていたでしょうから、本当に感謝しています」
「そうか、ならよかった。おまえらに何かあったら優花が悲しむからな」
「そうですね。あの子は本当に優しいですから、きっと心を痛めるでしょう。それを分かっていながら、大人と言う立場ゆえ、彼らにされるがままにならなければならないのは、心苦しくありました」
優花の父親が口にしたこの言葉は、きっと大人としては相応しくない。子供に対する反抗的な態度と捉えられてもおかしくなかったが、それを指摘するつもりはない。彼にとって優花は特別なのだ。
「あんたらはさ、ここまで子供に好き放題やられて悔しくないのかよ。大人狩りだとかわけのわからないことを言って、ムカつくじゃねえか」
大人がどうなろうと、創が知ったことではない。その考えは変わらないし、今後も変えることはない。けれど、デカイ顔をして町中を闊歩する子供たちを見るのは気分が悪い。
そんな創の胸中とは対照的に、優花の母は穏やかな顔をして言った。
「仕方のないことです。子供の皆様からすれば、私たち大人は不愉快な存在でしかないでしょうから」
「ずいぶんと従順だな。あれだけのことをされておきながら、どうしてそこまで子供の肩を持つ?言えた立場じゃないのは分かってるけど、あんな連中にそれだけの価値があるとは思えない」
ずっと疑問に思っていた。どうして大人はこれほどまでに子供を信仰しているのか。当たり前のことだと信じ切っていたこの事実は、あまりにもいびつな形をしている。今はただ、その理由が知りたかった。
「それはあなたたちが奇跡の力を使うからです。見えない力で何かものを動かしたり、実際にはそこにないはずのものを生み出したり、はたまた自分自身の身体能力を高めたり。まさに想像を現実に変えるその力は、奇跡の力に他なりません」
優花の母が語るその言葉は、大人と子供の間に確かに存在する共通認識だ。子供は大人にはない特別な力を使う。だからこそ、大人はその力を奇跡と崇めて子供を信仰する。けれど、その構図はおかしい。
「本当にそれだけなのか?あんたらだって、昔はこの力が使えたはずだ。この力だけを信仰の理由にするには弱いように思えるけど?」
「確かに、あなたのおっしゃることはごもっともです。けれど、感情というものは理屈ではありません。人は自分にないものを畏怖するものなのです。たとえそれが過去に持っていたはずのものでも、同じことです」
「そんなものなのかな。あんたらの言うことはいつもよく分からない」
彼女の言葉は口の中で溶ける綿飴のように、頭の中で咀嚼しようとしても、すうっと消えて無くなって行く。子供である創には理解できない感情なのだと、それだけはかろうじて理解できた。
「そうですね。ひょっとすれば、私はおかしなことを言っているのかもしれません。それを理解できないのは、無理もありません。けれど、たとえ今は分からなくても、きっといずれ腑に落ちる瞬間が来るのです」
そう言う彼らの、その優しい目が怖かった。今まで大人を相手に恐怖を抱いたことなんて、一度だってなかった。その目に見つめられていると、自分のずっと深いところまで見透かされてしまいそうで、身体の芯が冷えて行く感覚を覚える。これ以上その目を見られなくなって、思わず目をそらす。
それを拒絶的な態度と捉えてしまったのか、優花の母はすまなさそうな顔をした。
「すみません。つまらない話をしてしまいましたね」
「いいよ、別に。その辺のつまらない子供と話しているよりはずっといい」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、助かります」
二人はまた頭を下げる。もういい加減、話を切り上げる頃合だろう。
「そろそろおまえらも本当に家に帰れよ。今ここでまた襲われでもしたら、今度こそかばいきれないぞ」
「はい、そうですね。またあなたにご迷惑をかけてしまうのは本意ではありませんし、一度家に戻ることにします」
「この度は、本当にありがとうございました」
最後に二人は今までで一番深く頭を下げた。そして、頭を上げると「それでは」と口にして、また小さく頭を下げながら家の方へと歩いて行った。
その背中を見送って、つぶやく。
「さて、俺はこれからどうするかな」
すべての講義が終わって、放課後の時間になるまでは、まだ三時間ほど残されている。時間を潰す当てなどなくて、少しの逡巡の末、結局家まで向かうことにした。
両親に見つからないようにこっそりと家の中に侵入し、自室へと向かう。家に着いたからといって、何かやることがあるわけでもない。部屋に入ると、敷かれたままの布団にそのまま横になる。
今日はやけに疲れた。登校途中に襲われていた優花の両親を助けて、それを見ていた高坂に噂をばらまかれ、学校での居場所を失った。そして、そのことを涼子と竜司に謝りに行ったのも今日の出来事だ。
朝起きてから今まで、それほど時間が経っているわけはないが、まるで丸一日動き回った後のような疲労感だ。すぐに意識は薄れていき、あっという間もなく眠りへと落ちた。




