プロローグ
この世界は何かがおかしいと、そう思い始めたのはいつからだったろう。始め、それはただの違和感でしかなかった。けれど少しずつそれは確信に変わり、頭の中ではっきりとした形を持つようになった。
この世界は歪んでいる。
けれど、そんな気づきは一部の親しい人間を除き、誰に伝えることもなく、胸の奥にひっそりとした仕舞われたままだった。声に出したところで、どうせ誰からも理解されない。そんな諦めの思いがあった。
理解してくれないという言葉は正確には正しくないだろう。どうせ誰も理解しようとさえしない。それが当たり前の子供たちの感情。
俺が気づいていたことなんて、きっと誰しもが心の奥深くでは気づいていたはずだ。けれど、気づいても気づかないふりをする。
無意識のうちにそんな思考の停止が働いてしまうほどには、この世界が子供達に与える恩恵は大きかった。
――子供信仰。
すべての子供達は自我が芽生えたその瞬間から大人になるその瞬間まで、特別な力を持っている。その力は神が与えたものであり、その力を行使する子供はまさに神の使いである。大人たちはそう言って、いつだって子供たちの前にひれ伏した。
それがこの世界における絶対的ルール。誰一人、その縛りを逃れることはできない。
ぬるま湯という表現ではあまりにも不十分なほどに不自由のない世界の中で、子供達は与えられたものに何一つ疑問も抱かず、ただ享受を続けていた。甘い蜜をすする、その蜜の正体さえ分からずに。
それこそが、子供と言う存在の抱える罪なのかもしれない。
1月9日、冬の寒さがいよいよ本格化して、今年初めて見かけた霜柱を足で踏み潰した日。時刻はちょうど23時を迎えていた。今てっぺんを向いているこの長い針がもう一周し終わる時、俺は17歳の誕生日を迎える。
17という数字が持つ意味は特別だ。17歳の誕生日を迎えるその瞬間、どんな例外もなく子供は大人へと立場を変える。
誰も子供のままではいられない、それがこの世界の掟。
あと1時間後、24時を迎え日付が変わるその瞬間、大人たちが家の前まで迎えに来て、俺を大人の世界へと連れていく。そしてそのまま施設へと行き、大人へなるための儀式を受けなければいけないらしい。およそ1ヶ月間、泊まり込みの教育を受けた後、俺たちは大人になる。
それが、小さいころに聞かされた大人になるための決まりだ。
ずっと遠い存在だった大人というやつに、どうやらあと1時間後にはなってしまうらしい。
目を閉じて、天井へ向けて息を吐く。
17歳の誕生日が、子供としての俺の命日だ。そんなことを考えながら最期の夜を過ごす。
部屋でじっとしているのも億劫になり、扉を開けて庭へと出る。その瞬間、凍えるような冷たい空気が全身をなでた。思わず身体が細かく震える。吐いた息が白い。
空は雲一つなく、冬の澄んだ空気も相まって、月がやけに明るく光っている。辺りは風の音すら聞こえないほどに静かで、なんだかやけに物悲しい。
まるで今日で最後だなんて思えないほどに平穏な時間が流れている。けど、これでいい。こんな最期こそ自分にはふさわしい。
もう一度時計を見る。
時刻は23時5分。静かに、ただ静かに終わりの時を待つ。
子供という立場に固執する気はないが、最後の時と言うのはさすがに感慨深いものがある。静かに目を閉じて、今日までのことを想った。