少女と黒猫Ⅳ
「賭けは私の勝ちのようだな」
「…賭けですか?」
「ああ、こうしてお主が私の前に居る、それこそが私の望んだ結果だ」
眼前の麗人。
アインハローツ外交特使アスベル・マーリッジ侯爵を見据え、彼、グラバールは勝者の笑みを浮かべていた。
アスベル侯爵が持ち込んだ手土産こそ彼が待ち望んだもの、彼の父、ジラール・シュラザードを王座から失脚させることが出来る切り札とでも言うべきもの。
人の頭部が丁度スッポリと入りそうな大きさの桐箱、それこそが彼が望んだものであった。
「おやおや、この箱が気になりますか?」
「ああ、とてもな」
「これは、果物ですよ。いま、私の領地で栽培させているものなのですが、とても甘くてご婦人方に人気が高いのですよ?」
「ほう、それは楽しみだ」
「ええ、ぜひ、お一人のときに開けて下さい、ほかの人に盗られてしまっても困るでしょ?」
「ありがたく、いただこう」
頭を下げることは無いが、目礼を持って箱を受け取る。
ずしりと箱は重かった、大体人の頭一つ分の重さであろうか。
「クラリス嬢は息災か?」
視線を桐箱に固定しながら、唯一の気がかりをたずねる。
「ええ、元気ですよ」
「砂漠越えは、われわれにとっても過酷な旅だ、ゆっくり身体を休めたほうがよい」
「そうですね想像以上に過酷な旅のようでした。今は、落ち着いたものです」
「そうか、それは良かった」
彼女の身の安全、それこそがこの賭けにおいて一番の気がかりな点であった。
彼女の身に一生残る傷でも負わせていようものなら、彼が継ぐはずのこの国は影も形も残さないで消えうせている可能性すらある。
それだけの事を出来る力があの国にはある。
そして、眼前の白い麗人もその一人。
アインハローツで怒らせてはいけない相手の筆頭である。
「しかし、まあ、よくもこれだけ不完全な策を実行しようと思ったものです」
「正直な話しをしよう。どちらでも良かったのだ、成功しようと失敗しようと」
グラバールにとって、たとえ致命的に失敗しようとも、彼にとっての痛手は少ない。
だからこそ穴だらけの策を実行し、他者が介入できるだけの隙間を残していた。
「結果として、自らの利益を得たものは多い、弟にとってもな」
弟は、乗り気ではなった婚約を破棄することに成功した。
婚約の破棄を現国王である父に伝えた次の日には、ジハールは家族の縁を切られた。
それこそが彼の目的だったのだ。
あれには幼い頃から好いている幼馴染が居る、そして、政治の才は無いがあれには商才はあるようだ。
機を見る力、それを失わなければ弟は商人として生きていけるだけの才がある。
「真実の愛ですか」
「ああ」
「聞いた当初は何をとち狂ったのかと思いもしましたが、よくもまあ巧妙に隠し通したものです」
弟にとって一番危険だったのは実の父親である。
歳を経てからの現国王の色狂いは甚だしく、好みであれば部下の妻にすら手を出す勢いであったのだ。
だからこそ、弟は巧妙に隠し続けた。
クラリスという隠れ蓑、そして、マリーナという絶好の機会を待ち続けたのだ。
「ラハードもまた賭けに勝ったのだろう。
例えこれからの生活が苦しくなろうとも、好いたものと共に生きる生活を望んだのだ、ならば、兄としては否は無い」
それこそが、今回のことの裏側。
二人の兄弟が望んだ故に、起こった今回の真実である。
そのはずだった。
「くすくす、ふふふ」
「…アスベル殿?」
「そうですか、こう見事にすべてを纏め上げるとは、負けましたよ」
賞賛の言葉。
しかし、それはここには居ない誰かへと向けられた言葉だった。
そして、彼は語り始める、一人の少女とした約束。
とある賭けの話を。
-黒猫と少女Ⅳ-
「……婚約ですか?」
「いや、その為の見合い期間とも言うべきものかな、ともかくクリスにはシュラザードへと留学して欲しいんだ」
心底不服だというばかりに顔を顰める少女へと、白猫は柔和な笑みを浮かべて、彼を知るものにとっては有無を言わさぬ笑顔でもって告げた。
「それは、この国を離れるということですよね」
「勿論、これを機に生涯をかの国で過ごすかもしれないことも覚悟して欲しい」
「…結婚」
「そうだね。
シュラザードは交易によって発展した国だ、国の始まりすら商売を機転としている、だからこそ世界情勢の中では舐められることが多い。
わが国の、古き高貴な血という箔が欲しいのだろうさ」
沈痛な面持ちで黙り込む少女。
その姿を眺めながら、白猫は内心ではこの少女がこの少女にとって思わしくない現状をどう打破するのか興味があった。
白猫は気がついている。
隣国の王族との結婚は、クラリスにとっては決して許容できることではない。
彼女が幼い頃から憧れを抱いていたのは、そして、いつからかその憧れを確かな熱へと昇華させていったのも、少女を気だるげに見守り続けていた黒い守護者に対してである。
「アス様」
「わかっているよ、これは決して決定事項ではない、あくまで将来を見据えた顔合わせ的なものだ」
憂いを帯びた眼差しに、確かに揺るがない決意が灯る。
「アス……、アスベル様、お願いがございます」
「うん、聞こう」
僕ら猫はとても気まぐれで、快楽主義者。
僕らは国なんかの意義よりも、より面白い展開を好む。
クラリスの瞳には、何か面白いものを見せてくれような期待感が持てた。
「私と、賭けをしていただけませんか」
「対象は?」
「婚約の破棄」
「国として、隣国との繋がり、それ以上の結果を残せるならかまわない」
「ありがとうございます」
頭を下げるクリス。
その小さな頭の中では、現状を打破するための方策が今渦を巻いていることだろう。
「報酬は、何が欲しい?」
「私の、婚姻の自由を」
「いいけど、あれに関しては、本人が首を縦に振らなければ許可することは出来ないよ?」
「かまいません、そこからは私が精進するのみですから」
彼女が引き出したかったもの、それを引き出せたのだろう、会心の笑みを浮かべて彼女は席を立った。
「それでは、これで失礼いたします。
出立の準備と、暫しのお別れの言葉を言ってまいりますので」
「別った、気をつけていきなさい」
扉を閉じると共に、駆け足で去っていく足音が聞こえる。
これは彼女にととってもいい機会だ、生まれ育った環境を離れ自分を見つめなおすには良い時間となるだろう。
それを越した上で、それでもなおアレを求めるというなら応援してやるのも吝かではない。
「さてさて、逃げ切れるかな黒猫は…」
笑う白猫。
その口元にはいつまでも消えない愉悦の笑みが浮かべられていた---。
---。
「それが、彼女と交わした約束、クラリスの望んだ結末さ」
対面にすわり絶句したように口を開けている王子へと、白猫は楽しげに話を締めくくった。
「しかし、いや、だからこそ……か」
「そう、舞台に上がったすべての役者が同じ方向を向いていたから、今回の話は破談となったのさ」
「そうか、私は彼女を侮っていたようだ」
「ふふ、いい事を教えてあげよう、君は僕らが彼女を救い出したと考えているようだけど、国境ギリギリ、一日の距離まで彼女は自らの足で逃げ切ったのだよ。
もし彼女に侍女を見捨てるだけの酷薄さがあれば、あれは自らの足で国を超えただろうね」
今度こそ彼は言葉を失ったようだ。
いすに座し沈黙を続ける彼を置き、白猫は退出を告げる。
「それではね、時期国王、僕も国へと帰るとするよ、彼女の最後の賭けの成果を見させてもらわないといけないからね」
まだ、約束は一つ果たされていない。
それこそが、彼女の望む自由の対価。
隣国との友好以上の何か。
しかし、予想外に賭けの結果は直ぐ前へと迫っていた。
扉を開け部屋を辞す、白猫へと一人の少女が声をかけたのだ。
「クリスは、元気かしら?」
幼い頃から、彼女を愛称で呼ぶのは彼女がそれを許したもののみ。
つまり、それだけの友誼を彼女と結んだ証。
シュラザードの王族で彼女をクリスと呼んだものは居ない。
この国で、彼女を『クリス』と呼ぶ唯一の人物。
クルック王国次期王女マリーナ・クルックが、白猫へと悠然と微笑みかけていた。