少女と黒猫Ⅰ
注意:主人公は悪役令嬢ではありません
この国では、『知らない大人に声をかけられても着いて行ってはいけませんよ』。
を教わる前に、必ず教わる言葉がある。
『何かあれば、猫を探しなさい』
『迷子になったら猫を探しなさい』
『遊び場所を探すときは猫が居る場所にしなさい』
それは、貴賎問わず教わる言葉、平民でも貴族でも王族すらその言葉を教わって育つ。
ここは、猫の居る国、縁を紡ぐ猫に守られた国。
-黒猫と少女-
「見てみて、ネコさんだ黒ネコさん、寝てるよ何でー」
「やめろよ、クリス、黒猫は起こしちゃいけないんだ」
「何でよあいぎす、私ネコさんと遊びたいのに…」
小さな子供が二人、綺麗に整えられた庭園を駆けていく、その視線の先には黒猫と呼ばれた少年が一人、綺麗に刈そろえられた芝生の上で静かに寝息を立てている。
子供たちを見守るように周りについている兵士も、侍女たちも見慣れた光景なのか微笑ましそうに頬を緩め事の推移を見守っていた。
「母上が言ってた、黒猫が寝ているのは国が平和な証拠だって、だから、寝ている黒猫を起こしてはいけませんよって」
「おうき様が?でもでも、近所のネコさんは声をかけたら何時も遊んでくれるよ?」
「よくわかんないけど、黒猫は特別何だって、俺にも、よくわかんないけど」
爽やかな風が吹く中、大きな声で叫びあう子供たち、勿論、まだ年端も行かない子供たちの声には寝ている猫が起きないようにといった配慮など無く、総じて大きなものとなる。
しかし、周りの声も聞こえないか、黒猫と呼ばれた少年は目を覚ますことなく眠り続けていた。
「それに、貴族街にいる猫ならチシャ猫だろう?
あいつらは遊ぶのが好きなんだって、よく王宮にも来るぜ、楽器弾いたりとか手品したりとか」
「そうそう、だから黒ネコさんも何か出来るんじゃないの?特別なんでしょ、黒ネコさん」
姦しくも微笑ましく、黒猫周りで議論を交わす子供たち、その光景を微笑ましく見ながらもいい加減停めるべきかと侍女の一人が動く。
しかし、それより早く、黒猫の傍へとたどり着きしゃがみ込んだ少女の頭へと黒い手がぬっと伸びた。
「ふえ?」
「……元気なのはいいが、少しうるさいぞ、娘」
まだ、声変わり仕切れていない、少し高い男の声。
それが、眼前で眠たげに目を開いている黒猫のものだと、少女は最初理解できなかった。
カラスを思わせる艶のある漆黒。
髪も目も着ている物も、墨をこぼしたように光沢のある黒。
思わず、目がその色に吸い寄せられる。
「……どうした、鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
腰を持ち上げれば、しゃがみ込んだ少女よりも目線が高い。
吊られるように自然少女の顔も上がり、日を翳らせた黒い手袋がそっと髪に触れた。
「黒ネコさん……、起きちゃった」
「……ん?俺が、起きたら悪いのか?」
「黒ネコさんお越しちゃ駄目だって…」
「ああ…、そうか。……娘、名前は?」
「クラリス、みんなクリスってよぶよ」
少女の瞳は困惑に揺れながら、一心に吸い込まれそうなその黒い瞳を見つめ続けている。
その目元がふっと緩んだ。
「なら、クラリスは悪い子だな、悪い子にはお仕置きしないとな」
「クリス、悪くないよ…」
年上の兄が見せる悪戯気な雰囲気、緩められた目じりに嫌な予感を覚えた少女は必死に首を振る。
優しく頭に触れていた黒い手が、すっと頬に触れる。
「言い訳は聞かん」
その瞬間、おでこにピシりと痛みが走り、少女はそのまま後ろへとコロンと転がってしまった。
「うひぃ」
奇妙な悲鳴を上げて彼女は草原へと身を転がす、額がジンジンする。
うっすらと涙の滲んだ瞳を見開いて、黒ネコへと文句を言ってやろうとすれば真っ青な青が視界いっぱいに写りこんだ。
何時も転ばないように駆けていた彼女は下ばかり見て、あまり空を見た事がなかった。
滲んだ涙に反射して、キラキラと輝く空。
その光景に言葉を失い、気がつけば隣になれない体温があることに気づく。
横を見る、そこには楽しげに笑う黒い猫。
「空は、綺麗だろ?」
「……うん」
「なら、こんな日は、昼寝に限る」
そういって目を閉じながら楽しげに笑う黒猫。
「うん!」
思わず頷いてしまった少女の横で、黒猫はまた瞳を閉じる。
空の青、その中心にぽつんと墨を落としたような漆黒の猫。
少女は、呆けたように黒猫を見続けていた。
「いいなー、俺もねるー!」
その後、羨ましくなったアイギス少年が飛び込んできて、皆草だらけになり侍女に怒られたのが、事の顛末である。
「と、まあ、そのような麗しい記憶を語りながら、お茶にしませんことオズ様」
「いい加減、俺に、付きまとうなクリス」
時代はそれから10年後。
すでに空を知らない無垢な少女は無く、王宮の庭で気まぐれに昼寝をする少年も居ない。
「いいじゃないですかオズ様、私、暇なんですよ」
「知るか、こう見えても、俺は忙しいのだ」
強かに美しく成長した16歳の少女と、気だるげに伸びをする21歳の黒猫と。
「まあまあ、いいじゃないオズ、クラリス嬢は破局したばかり、不幸な女性を守るのは黒猫の仕事だよ、お仕事はちゃんとしなきゃね」
その二人を眺めながら楽しげに笑う、純白の青年の姿があった。
ここは猫が守護する国。
アインハローツ。
猫が住まい、猫が守り、猫が縁を紡ぐ国。