さらば労働基準法
私は『労働基準法』が嫌いだ。
私は、中小企業や零細企業の利益を一切考えず、従業員一人に対して年間で最大40日間ものサボりを認め、予定以上の時間の仕事をするだけで1.25倍、さらには夜型のシフトを組んだだけで1.5倍もの賃金を発生させてしまう恐ろしい法律が嫌いだ。
私は、会社には良心が無く、個人には良心があると勘違いしている法律が嫌いだ。
昨今、義務を果たさないままに権利の主張ばかりをしてゴネ得をする人間が増えてきた。そしてその主張は、常に決まって独善的で自己中心的なものものばかりなのだ。
始まりは、朝一の橋間くんからの電話だった。
「高良川さん、今度アルバイトの伊勢谷が辞めることになったのですが・・・」
そう切り出した橋間くんは言いづらそうに言葉を続けた。
「本人が言うには、働いて1年と半年くらいになるので、辞める前に有給消化がしたいとのことなんです・・・」
我が社は、良くも悪くも「たくさん働いてなんぼでしょ!」と言う人間が多いので、有給を使用するという文化があまりない。
私自身も未だかつて有給というものを使用したことがない。
だが、まあそれは労働基準法に定められた従業員の権利なので、有給消化自体には何ら問題はない。
「橋間くん、別に会社は有給消化をすることを禁じてはいないので普通に・・・」
「いえ・・・、実は、彼が所属していた店舗はスタッフの数が少なかったこともあって、彼には入社時から「ウチには有給なんて無いから!」って伝えていたんです。それが今になって「無いのはおかしいと思います!労働基準監督署の人もおかしいって言っていました!」と喰ってかかられちゃいまして・・・」
なるほど。
「ちゃんと納得させてたんですけどね・・・。ただ、僕も有給に関してはあんまり詳しくないもので、彼の現状の有給付与日数を調べて貰えないかなと思いまして・・・」
橋間くんらしい。
「承知しました。では、今日明日中に彼の有給付与日数を調べて橋間くんに連絡しますね」
「ありがとうございます!本当に助かります!」
こうして、私はこのくだらないトラブルに巻き込まれてしまったのだ。
翌日の午前11時、橋間くんから電話がかかってきた。
「おはようございます。橋間です。高良川さん、今少し大丈夫ですか?」
「おはようございます。大丈夫ですよ」
「昨日の夜に送って貰った資料の件ですが・・・」
橋間くんには、昨日の夜の時点で、伊勢谷くんの有給付与日数に関する資料を送っていた。
ウチの有給付与日数は労働基準法に定められた最低付与日数と同じと定められているので、資料作りはそう難しいものではなかった。
まず、伊勢谷くんの給与台帳から、彼の勤務日数が入社から半年間で54日だということがわかった。
このことから、1年間で108日の勤務日数が見込まれたので、入社半年後に年間2日分の有給が付与されていた。
そして今、最初の有給付与から10カ月しか経っていなかったことから現時点での有給付与日数は2日分ということが判明し、資料にはそれを裏付ける給与台帳や有給付与一覧などを添付していた。
「伊勢谷は2日分では納得出来ないそうです」
は?
「「自分はここ半年間、少し勤務日数を増やしていっぱい働いたんだから、そんなに少ないはずがない!」って言われました」
バカ・・・なのか?
「じゃあ君は何日分の有給が貰えたら納得するんだと聞いたんですが、「それは会社がキチンと調べて下さいよ!」とのことでした」
まあ、アルバイトの伊勢谷くんは仕方がないとして・・・
「高良川さん、もう一回キチンと調べて貰って良いですか?」
この子もバカなのか・・・?
「橋間くん・・・」
「はい」
「送った資料にも明記されていますが、ウチでは有給が付与されるのは入社から半年後です」
「はい」
「そしてそれ以降は一年ごと、つまり、入社してから『半年』『一年半』『二年半』経った時が有給が付与される時になります。」
「はい」
「伊勢谷くんは入社してから1年4カ月働いています」
「・・・はい」
橋間くんの「はい」に少しずつ苛立ちが混じってくる。
「まず、彼には入社から半年後に2日分の有給が付与されています。そして、その時からまだ一年が経っていないので、合計の有給付与日数は2日分となります」
ほんの少しの沈黙の後、橋間くんが口を開いた。
「・・・わかりました。とりあえず、会社として有給は2日分しか付与出来ないって伊勢谷を納得させればいいんですね!?」
・・・は?
「・・・橋間くん、念のために確認ですが、今までの話の中で、伊勢谷くんは労働基準法通りの有給付与を望んでいたわけではなかったのですか?」
「いえ、彼は労働基準法通りの付与を望んでいます」
「それなら君が彼を納得させるも何も、望んだ通りの結果が出ているはずなのですが・・・」
そこで橋間がキレた。
「そういう理屈だけじゃないんですよ!」
!
「僕らはずっと営業畑の人間なんですから、労働基準法とか何とかなんてよく知らないに決まってるじゃないですか!短い間かもしれませんが、伊勢谷は一生懸命頑張って仕事をしてくれました。そういうところを見て会社が情的な何かをしてくれてもいいじゃないですか!」
・・・なるほど。つまり・・・。
「・・・要するに、伊勢谷くんに有給をたくさんあげる為の方法が知りたいってことなんですかね?」
ここで橋間くんの声のトーンは最高潮を迎えた。
「その方がわかり易ければそうとらえて貰っても構いません!」
そして私はそうとらえることにした。
「個人的にはオススメしませんが、もしも有給をたくさんあげたいだけであれば、簡単な方法が二つあります」
橋間くんはいわゆるイケメンだ。
そして、営業能力が高い割にちょっとおバカなところが部下からはとても人気がある。
だからと言うだけでもないのだろうが、彼は部下に嫌われることを非常に苦手としている。
きっと彼は今、伊勢谷に嫌われないようにと必死なのだ。
「まず一つ目の方法は、伊勢谷くんに後三カ月勤務をして貰う方法です。そうすれば入社してから一年半が経った時点で新しく一年分の有給が付与されます」
橋間は相槌を打たない。
少し大声を出してしまったことが気まずいのだろうか。」
「伊勢谷くんの場合には、ここ半年間の勤務日数がおおよそ月に20日程度だったはずです