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「そろそろか…」
イリアが呟くと同時に奥の天幕から摂政であるラドルフが姿を現した。その姿を見て、会場内が楽師達が奏でる優雅な曲を残し静まり返り、同時に視線が集中する。誰かが息を飲む音が微かに聞こえた。
誰もが今日と言う日を心待ちにしていたのだ。何百年もしかしたら数千年に一度の好機。初めて公の場に皇帝陛下が姿を現すのだ。
このパーティで皇帝陛下に見初められれば后選定を一気に勝ち抜く事が出来る。
各国の姫君を始め、招かれた客人達の熱気が増す。そして自ずと場が静まる。
静まり返ったのに頷くと、ラドルフは出てきた場所に向かって深々と頭を下げる。すると天幕から皇帝陛下が姿を現した。その事にざわっと会場内がざわめく。こうして皇帝陛下自らが姿を現すのは珍しい事なのだ。
出て来たとしても殆どが薄い幕越しで顔を見せる事等なかった。
そんな皇帝陛下が素顔を見せて現れたのだ。
今回の后選定がいかに重要なモノかを周囲に知らしめる。
だが、イリアはそれ所では無い。驚愕の事実に目の前の光景に目を丸くした。信じられない光景が目の前に広がっているのだ。
皇帝陛下は確かに噂に上る容姿をしていた。深すぎず浅すぎない彫りに、穏やかな目元。筋の通った鼻筋に顔のパーツはほぼ左右対称で、どんな女でも微笑まれれば一発で落ちる事間違い無いだろう。それ程までに整った容貌。
髪は陽の元に出れば綺麗に煌めき、蜂蜜を溶かした様な金髪。目の色は龍族の恩恵を受ける証である紫水晶の色。
確かにたいそうな美形がそこにいた。
しかし、その容姿には見覚えがある。そう、数日前の盗賊事件で知り合い、暗殺者襲来の時にも手助けをしてくれ、あまつさえ今回のパーティを立案したであろう人物……デュオニュースその人と同じ。髪と瞳の色は違えど間違いない。
髪の色も瞳の色も自分と同じで姿変えの魔法で変えていたのだ。
やられた………。
まさか皇帝自ら既にお出ましになっていたとは、イリアは思っても見なかった。デュオは確かに高い地位にいる者であろうと思っていたが、まさか帝国の最高権力者だったとは…… 。
気が付かなかった自分に呆れるしか無い。
姿変えの魔法の気配も感じなかったのはきっと龍族の力だ。彼等の力を今まで目にした事がなかったのが災いした。
「ね、ねぇ…イリア……」
「何だ……」
「私達、すんご~~~く見覚えのある姿が目に入ってるんだけど、気のせいかな…?」
リンディとエクレアの二人も現れた皇帝陛下の姿に驚きを隠せないでいる様子だ。
「……いや、気のせいでは無い。この気配は間違いなくデュオ殿と同じ。気配の質は若干変わっているが基本は同じ。押さえていたものが、一気に溢れ出したって所だろうな」
「……揃ってやられたわね…」
「そうだね…。どうりで城下街とかでクノーラさんが驚いていたのか理由が分かったよ…… 」
三人揃ってため息しか出なかった。
怒る気にもなれなかった。自分は皇帝陛下に対して無礼な事をした覚えも無いし、していたとしても別段それを彼が咎める様子も無かった。それ以前に自分を面白いモノでも見る様な態度をしていた事から大した問題でも無かったのだろう。
「これからはもっと情報収集は徹底的にやらなければな」
「そうね~」
「そうだね」
イリア達の感想はその程度のものだった。
皇帝陛下の正体には驚かされたが知ってしまえば何の事は無い。逆に今までの事にしっくりと納得が出来た。
先程と同じ様に壁際で目の前の光景を観察する事にした。
皇帝陛下の周りには既に沢山の人垣が出来ている。
その先頭にいるのは后選定に招かれた姫君ばかり。更にその中でも皇帝陛下の一番近くにいるのはティルローゼだった。
彼女達は必死に自分の姿を皇帝陛下に覚えて貰おうとアピールしている。
だが、皇帝陛下はそんな姫君達に近付こうとはせずに、無表情でその姿を見ているのみだ。その様子からして皇帝陛下のお気に召した姫君はいないのだろう…とそんな風に考えながら見ていたらふっと紫の瞳と視線が合った。
それはごく自然に。
同時に紫の瞳が柔らかくなった。それを見て彼が笑ったのだと分かる。
そこにラドルフの声が割って入った。
「今宵は急遽開かれた催しに参加して下さり誠に有り難う御座います。后選定の大事な時期であるが故にこうして秘密裏な進行になってしまい、大変申し訳ありませんでした。ですが、我が国にとっても大事な時期であると言う事をご理解下さい」
そしてスッと皇帝陛下が立ち上がった。
「と、まあその様な堅い挨拶はこの辺にして置きます。今宵のパーティは気楽にお楽しみ下さい。それでは最初のダンスを皇帝陛下と陛下がお選びになった方として頂く事で、開始の合図とさせて頂きます」
その言葉に一気に殺気じみた空気が周囲に漂う。姫君達が我が我がと皇帝陛下の周囲に集合している。その中でも最も自信ありげにティルローゼが背筋を伸ばし、皇帝陛下が手を取る瞬間を夢見て立っているのが分かった。
絶対に自分が選ばれると確信している様子だ。
「これは彼の姫君に決まりましたかな」
「確かにお美しい」
その様子に周囲からもこそこそと話し声が聞こえる。
皇帝陛下が一歩踏み出す。
近くからごくりつ唾を飲み込む音が聞こえた。誰もが固唾を飲んで見守る中、一歩、また一歩と皇帝陛下とティルローゼの間の距離が縮まって行く。
そして皇帝陛下がティルローゼの前に立った。その瞬間、ティルローゼの勝ち誇った雰囲気が、後ろの方で眺めていたイリアにも分かった。
が、それは一瞬の事。
皇帝陛下は勝ち誇った様子を見せたティルローゼの事など眼中に無いかの様に目の前を通り過ぎた。その事に周囲は騒然としていた。
だが、周囲の事など全く気にした様子も無く、皇帝陛下はゆっくりと歩く。
自然と、人垣が左右に割れる。
それはイリアの前まで続いていた。
「ねぇ…、ちょっと……」
「なんか、こっちに近付いて来てない?」
「……ああ」
皇帝陛下の歩みは途中で立ち止まる事無く、イリアに向かっている。しかも何だか先程の無表情とは違い、微笑んでいる気がする。
それが何とも面倒事の気配がしてならない。
皇帝陛下はイリアの目の前に来るとピタリと歩みを止めた。
その事に唖然としていたが、リンディとエクレアは慌てて頭を下げて、左右に分かれる。
その場にイリアと皇帝陛下が残る形となった。
そして皇帝陛下はスッと手を差し出し、定例通りの言葉を述べる。
「私と踊って欲しい、シュッセル国のイリア・シュッセル姫」
国名と名をはっきりと告げられた。
イリアに断る術は無い。
「お受け致します」
そうしてイリアは皇帝陛下の手を取った。




