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第三幕

 ぎこちなくジャラルドがほほ笑んで見せると、リトルロゼの口角は垂れさがった。大きな瞳を細め、顔を真っ赤にさせている。

 何故そこで泣きそうな顔をする。冷や汗がジェラルドの背中を走った。

 顔を赤くさせて唇を尖らせたら要注意だ。リトルロゼ爆発三秒前ってことだ。照明係が三日ほど前に口にした言葉が脳裏に蘇った。

 慌てて彼女の気を紛らわせる方法は無いのかと周囲を見渡す。色彩豊かな舞台衣装。綺麗に磨かれた姿見。床に散らばる小道具たち。

 小道具。その中の一つにジェラルドは目を付けた。

「ほ、ほらご覧! 君にピッタリな物があるよ」

 右手で掴んだそれをリトルロゼの前に差し出す。

 精巧に出来た木彫りの小さな薔薇。髪飾りになっているそれを、そっと彼女に飾り付ける。

 亜麻色の髪に咲いた深紅の花。

 姿見の前まで手を引き、その様を見せさせる。髪飾りは大人っぽくもなく子供っぽくも無い。まるで彼女のために誂えたかのようにしっくりとその髪に納まっていた。ついでに似合う似合うとおべっかも口にする。

 肌を上気させてリトルロゼはジェラルドに抱きついた。

「じぇるぅ! ありがとぉ」

 小さな身体全体を使って嬉しいといった感情をぶつけてくる。初めて当てられた無垢なその思いにジェラルドは戸惑う。

 空のようにくるくると変わる変化に驚く。だけどその様々な表情が彼は懐かしさを覚える。遠い昔に置いてきたものだ。腹の探り合いなんてない、幼き幸福だった日々。

 背を屈めてリトルロゼの目線と合わせる。射るようなアイスブルー。世界が純粋に光り輝くものだと信じきっている目。明日の夜明けを当たり前だと確信している、その瞳。

 美しいとさえ思った。

 手をそっとリトルロゼの頬に当てる。暖かい柔らかな感触。

 リトルロゼは首を傾げている。三つ網が解かれた長い髪が揺れ、彼女の首筋が露出する。

 白く、細い首。その下を脈打つ血管。

 弾力のある皮膚に隠された命の水。

 キチリ、とジェラルドの中の何かが軋んだ。

 咽が、渇く。

 口の中で牙が震える。

 リトルロゼは気づいていない。彼の目覚めを。

「じぇるぅ?」

 甘い声。

 食欲をそそる、誘惑に満ちた声。

 理性による制止はとっくに失われていた。ただただ咽の渇きを満たすことしか考えられない。

 大丈夫だ。

 ほんの、少し。少し味見をするだけだ。

 自然とリトルロゼ目掛けて手が伸びる。肩を掴み、自身の方へと引き寄せた。

 リトルロゼの身体が震えた。大丈夫だ、ほんの少し、ほんの一滴だけだ。

 それぐらいなら、許される。

 そして、ジェラルドは牙を──。

「やぁ。ここにいたのかい」

 ねっとりとした男の声。

 とっさにジェラルドはリトルロゼを掴む力を弱める。すぐさまリトルロゼは彼から離れる。

「モンドしゃまー!」

 歓喜の声を上げて、彼女は入口に立つモンドに飛びついた。モンドは易々とそれを受け入れる。

 金の吸血鬼の胸の中でリトルロゼは頬擦りをする。その表情は、幸福という文字がよく似合う。頬を薔薇色に染め、アイスブルーの瞳には彼しか映していない。

「おや、リトルロゼ。素敵な髪飾りだね」

「うん、かわいいでしょー」

 朱色のラインを引かれた唇を緩ませてモンドは答えた。

「あぁ。よく似合っている。まるで姫の頭上に輝くクラウンのようだよ」

 そっとモンドは白い指をリトルロゼの髪に差し込む。そのまま一房だけすくって小さく口付ける。

 優雅な一連の動作は文句の付けようもない完璧な流れだ。童話に詠われる王子を思わせた。

「何か用か、モンド」

 怒気を含んだ声音。口に出してからそれにジェラルドは気づいた。

 何故だかは知らない。ただ腹が立った。招かれざる来訪者に。

 しかし当の本人は特に気にした様子もなく返事を返してきた。

「そろそろ息抜きも終えただろう? 練習を再開するそうだ」

 団長からの伝言だよ、とモンドは片目を閉じながら付け加えた。

 この男のそういう仕草がジェラルドの怒りを誘う。恐らくモンドもそれを理解していてわざと挑発している。

 今、言葉を口にすればまた怒気を含んだ声になる。わざわざモンドを喜ばせることもない。ジャラルドはあえて無言もままこの場から退室する。すれ違いざま、彼は横目でリトルロゼを見る。

 青空を閉じ込めたようなその瞳は、もうジェラルドを見ようとはしなかった。ただ愛する人だけをまっすぐに見詰めていた。

 何故か、胸が痛んだ。

 苦しげに眉を歪ませ、彼女に背を向ける。

「邪魔してごめんね?」

 からかうようなモンドの声が耳に届いた気がした。

 激昂し、振り向いた時にはドアは閉じられていた。


   * * *


 ──何故! 娘よ、何故私を見ない? 【暁の王 第三幕】


「お前の眼は太陽の眼。私を照らす命の瞳」

 踊り子の手を取り、王は言葉を続ける。地に跪いて決死の思いを娘に告げる。

「私の全てをお前にあげよう! 国も宝も名誉も……この命すらも。それなのに、何故私を愛を受け入れぬのだ?」

 懇願するように踊り子の手を自身の額に押し当てた。

 その姿は大国に君臨する王のものではなかった。

 愚かで臆病なただの男だ。

 愛する者を求める、ただの男だ。

 娘は長い睫毛を震わせて首を振る。真珠のような涙が王の手に飛んだ。

「王様。私は旅の者。身分に差があり過ぎますわ」

 静かに王の手から逃れて踊り子は彼に背を向けた。露出の高い衣装は彼女の肉付きの薄い背中を王の目に晒させた。褐色の肩が小さく揺れていた。

「それでも構わぬ! 私はお前を愛しているのだ!」

 王は手を伸ばす。小さな踊り子の身体をその腕に収めるために。しかし、踊り子はそれを拒絶した。

「王様。貴方の愛は受け入れられません。私は……お慕いしている方がいらっしゃるのです」

 踊り子はまっすぐに王を見つめる。だが、その眼は王の望むような眼差しを浮かべてはいない。

 王はゆっくりと伸ばした手を下ろす。ゆるゆるとその手は自身の腰にさした銀製の剣に伸びた。ぐっとその柄を握りしめる。

「娘よ、お前が舞い続ける限り私の愛を受け入れないというならば……」

 王は踊り子を見つめた。その眼には暗い情愛が渦巻いている。深くて重いその色。

「ならば、お前が私しか見れなくしてやろうぞ!」

 王は剣を抜いた。薄明かりが怪しくその切っ先を輝かす。


 照明が半分消される。市勢のざわめきが響き渡る。

 その中央で取り押さえられる曲芸師。その体には痛々しい拷問の跡が残されている。

 彼の頭上から、兵士が斧を振るった。その刹那、彼は愛した娘の名を口にした。


「さぁ、娘よ。あの男は死んだ! もうお前を愛せぬ。お前は愛されぬ。この私以外にな」

 今度こそ王は──ジェラルドは踊り子を抱きしめた。強く強く。痕がつくほどに強く。

 観客が息の呑む音が劇場に響いた。それをかき消すように踊り子は叫ぶ。

「いや……いや! 離して! こんな、こんな……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 絶望の悲鳴。迫真の演技だ。首を振り狂乱する様はたとえ演技だと知っていても見る者の胸を痛めた。

 ジェラルドは彼女をかき抱く。その悲鳴を打ち消そうと、胸に彼女の顔を押し付ける。

「そうだ……。こうすれば良かったのだ。最初から」

 小さく呟かれたその言葉は用意された台詞では無かった。だが、あまりに自然な口調だったので誰もそれがアドリブだとは気づかない。

 顔を上げてジェラルドは笑う。

 歪んだ笑い声。鬼気迫る愛に狂った男のものだ。

「もう離さぬ。お前は永遠に私の物だ」

 踊り子の頬を両手で包み込み、貪るような口付けを与える。血が出るほどに、相手の舌を吸い上げる。

 口付けを終えれば踊り子はもう泣いてはいなかった。放心したように力なく王の腕に身体を預ける。たなびく長い黒髪を撫で、ジェラルドは踊り子の顔を見た。

「愛してる」

 その顔は、美しく成長したリトルロゼのものだった。


   【続】

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