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Holy&Evil  作者:
7/20

悪夢

 ……意識はまるで、水底に漂うように揺らめく。

 開いているはずの目は、うねうねと、歪む宙をただ見上げている。

 

『……僕、……倒れ、たのか……?』


 手足の感覚が薄い。

 頭の奥が重い。

 咽喉が渇いて、声が出ない。

 軽い吐き気を覚える。

 耳の奥で聞こえている、自分の心臓の音さえ弱い。

 微かに赤い視界に、母の胎内にいた時に見ていた風景はこういうものだったのではないかと、思う。

 

――――……ぉい、伊吹、目ぇ覚めたのか?」


 額に触れてきたのは、大きく無骨な、男の手。

 虚ろな思考の中、確かに見覚えのある、その手と声。

 意識は緩やかに、己の中に返ってくる。


「……ィ、ザー、ク、……先、輩?」


 かすれきった天の声に、男は歯を見せて微笑む。


「おぅ、まだ起き上がんなよ」


 イザークの大きな手が、身体を起こそうとした天をベッドに逆戻りさせた。

 イザーク・マジョン。

 屈強な体躯に、背には両刃の大斧。

 黙って立てば、子供を泣かす強面。

 なのに子供と同じような顔をして笑う、イースシティ、(ワン)管理所の凄腕魔物退治者(バスター)

 まるで弟のように世話を焼いてくれた、懐かしい、……僕の先輩。


 のちに北東の大破壊と呼ばれることになった魔物たちの大襲撃で、故郷と呼んでいた街が地図から消え、たった一人の家族の、姉と生き別れた。

 姉は僕とは違い、体が弱く、一年の半分以上を床で過ごすような人だった。

 だけど、彼女がその弱い体に秘めた魔力、術力は僕よりもはるかに強大なもので、『上級魔物』に狙いをつけられた彼女は、壮絶な混乱の中、僕の目の前で連れ去られた

 姉のことを、諦められなかった。

 行く先も、行く宛ても、目星一つ着かないまま、姉の行方が分からないものかと旅をし、独り、何度も何度も、姉を助けられなかった自分の無力さを嘆いた。

 そうしてしばらく世界を彷徨い歩いた後、たどり着いたのがイースシティだった。

 認めたくはなかったけれど、その頃には、もう姉は死んだかもしれないと絶望して、心身ともにぼろぼろになっていた僕を温かく受け入れてくれた人々、街。

 そこで人々の優しさに触れ、イザークと知り合い、正式に魔物退治者(バスター)になろうと心に決めた。

 何よりも、大切な人一人守りきれなかった自分が悔しくて。


王管理人(おやっさん)も人が悪ぃなぁ。おい、伊吹、へこたれんなよぉ? 俺も王管理人(おやっさん)も、お前にゃ期待してんだからよ」


 片目を瞑って、笑いかけてくれる。

 その、外見に似つかわしくない無邪気な笑みが彼らしくて、とても好きだった。


 ……この夜を、忘れられるわけがない。


『あぁ…、やめてくれ…』

 

 そう思った瞬間にも、目の前の光景は、正しくあの日の夜をなぞる。


 窓の外が、激しく光った。

 まるで、稲妻が落ちたような一瞬の光。

 だが続くはずの雷鳴は無い。


「何だ? ……ちょっと行って来る。おい分かってんだろうな、お前は来んじゃねーぞ!」


 止める間もなく、イザークは部屋から駆け出していく。


 駄目だ! 駄目だ、先輩!


 叫ぼうとしても言葉になるわけがない。

 あの時、僕は、そんなことを叫びはしなかったから。


 見たくない、見たくない、『この先』なんて。


 バタバタと、管理所一階(下の階)が騒がしくなる。

 尋常じゃない声。

 伝わってくる戦意。

 管理所から駆け出していく足音。


 ……お願いだ、やめてくれ。


 また光る窓の外。

 僕の身体は正確に、あの日あの夜の行動を再現する。

 ベッドから起き出す。

 立てかけてある愛用の大剣を支えに、部屋を出、階段を下り、皆が出て行った外を目指す。

 真夜中だというのに、西の空が燃えるように赤い。


 目を覚ませ、覚まさせてくれ……。


 重い足取り、それでも前に進む。

 街に警報音が鳴り始め、一気に深夜の街が騒がしくなる。

 必死に進む自分の頭の隅で、もう一人の自分が懐かしい街の風景を眺めていた。

 仲間とよく買い出しに走らされたグローサリー店。

 師匠でもある、気のいいおじさんのいた理髪店。

 中央の広場、そこにある噴水に、先輩によく突き落とされた。

 全員フル戦闘装備をして走らされた道、おもしろがってついてきた子供たちの姿。

 正式に魔物退治者(バスター)になって、イースシティ王管理所で過ごした日々。

 辛く厳しい戦いの日々ではあったけれど、それ以上に仲間に恵まれ、穏やかで温かで傷付いた心を癒してくれる、そんな日々だった。





 ……既に崩れ去った西門にたどり着く。

 瓦礫に手をかけながら、その先にある光景に目を向ける。

 街の外は真っ赤。

 何故赤いのか分からない。

 地面にはもう何人か、朝には笑い合っていた仲間が倒れている。

 王管理者(おやじさん)を中心に据えて戦闘陣形を組む、皆が対峙している敵は、僕には見えなかった。

そして今もまた、見えない。


「伊吹! 何故来た…っ」


 誰かが僕に気付く。

 イザーク先輩が振り向く。

 王管理者(おやじさん)が横目に僕を見た一瞬、その時は来た。

 一面の紅蓮。

 音すら燃え上がる、それは炎にも似た衝撃波。

 一番手前にいた仲間から、燃え上がり、跳ね飛ばされていく。

『それ』は、あまりにも早かった。

 街の大きさを完全に超える、とてつもない強大さ。

 何処にも逃げられる場所はないと、瞬時に誰もが悟ってしまった。

 次々に誰かから燃えていく。

 助かる術など、見つかるはずがない。

 だから、……死を、覚悟したのに、


「お前は生きるんだ、伊吹」


 目の前にあったのは、いつもと変わらないイザーク先輩の笑顔。

 寡黙で、一度だって笑いかけてくれることのなかった、王管理者(おやじさん)の笑顔。

 仲間の手が、僕に伸びてくる。

 絶望しかないはずの目の前にあったのは、いつかの絶望から僕を救い出してくれた時と変わらない笑顔。



――――――…みんな……っどうして……――――



 ……意識が飛ぶ。


 暗闇から引き戻される。

 そして目覚めて、目の前にあったのは燻ぶった炎と、瓦礫。

 声は、出ない。

 壁であったものに背をつけ、呆然としている自分の手足も、少し焦げている。

 言葉の代わりに、がちがちと歯が鳴る。

 手を動かすと、体の上に覆い被さっていた何かの形をしていたものが、灰のように崩れて散った。

 イザークの大斧だけが、形を成して眼前に立っていた。

 誰もいなかった。

 震える手を伸ばして、大斧に触れる。

 それは、まるで砂でできた模造品か何かのように、簡単に砕け散った。

 誰もいなかった。

 もう、目の前には。



 ……何故僕だけが生きている?

 何故?


――――そう、何故お前だけが生きている?


 胸の奥底をさらうような、冷たい響き。

 あの日の光景が薄れ、霞んで、暗闇に染まっていく。

 やがて、あの日の景色の全て飲み込んだ闇から這い上がって来た無数の黒い手が、僕を掴んだ。


――――何故生きている?


――――お前は何人の命を犠牲にしてここにいる?


――――お前にその価値はあるのか?


 手に続いて、小さな瞳が闇の中から浮いてくる。

 足元は水面なのか。

 浮かんだ目と目が合った途端、体はドポンと水中に沈んだ。

 水の中には無数の目。

 苛む様に、僕を疑うように、それは恨めしげに睨みつけてくる。


――――お前のために命を使った彼らに、お前は何をしてやれた?


――――お前はそこまでして生きる理由があるのか?


――――死を覚悟した、お前こそ死ぬべきではなかったのか?


 ……やめてくれ。


――――自分の代わりに、誰か他の者が生き残ったほうがよかったと思わないか?


――――生き残ったこと自体、間違いだとは思わないか?


 もう十分だ、やめてくれ。

 伸びてきた黒い手が、首にまで絡みつく。

 真っ黒に締め付けられた身体。

 身動きがもう、取れない。


――――今からでも遅くない、死ね


――――死ね


――――死ね


 無数の声が、頭の奥で反響する。


死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね



 そして、目の前が真っ暗に染まった……。





 …。

 ……。

 ……急に、声は遠のいた。

 真っ暗で身体は動かないのに、僕を捕らえている暗闇は、確かにここにまだあるのだろうに。


 ……歌が聞こえていた。


 知らない歌。

 知らない声。

 なのに、懐かしいのは何故?

 誰かが歌っている。

 思い出すのは無理だ。

 だってはじめから知らない。

 心当たりすらない。

 そんな記憶さえない。


 なのに、こんなにも、……懐かしいのは何故……?


 何かが見えてくる。

 誰かが見えてくる。

 真っ暗だった目の前に、何かが見える。

 思わず手を、伸ばした…――――



「……ル、…カ……?」


 小さな手が、指先に絡みついた。

 天の声に、心配そうにこちらを覗き込んでいたルカのもう片方の手が、ゆっくり額に触れてから離れる。


「気がつきましたか、天殿。うなされておられたので起こしに来たのですが、急に静かになられたので……」


 天はぼんやりとしたまま、天井を見上げたが、まだこちらを心配そうに窺ってくる黒曜石の瞳に、再び視線を戻した。

 ルカの髪は断ち切られてしまったせいで後ろ髪は短くなっていたが、鬢の髪はまだ長いままだった。

 軽鎧は身に着けておらず、どうやらカルミラのものらしい服を着ている。

 ロンギヌスを握る手には、相変わらず大量の護符が巻かれていた。


「ル、カ……、うた、歌って、くれてた…?」


 まだぐったりとした天の言葉に、ルカは少し首を傾げ、それから頭を左右に振った。


「いいえ、歌など……、何処からも聞こえませんでしたが」


「……そう、か」


 もう一度だけ目を深く閉じて、息を吐く。

 夢の中で聞いた歌がどんな歌だったのか、もう思い出そうとしても思い出せなかった。

 ゆっくりと、天は上体を起こす。

 それを手伝った後、ルカも立ち上がった。

 ベッドの傍らに立つ彼女を見上げようとして、鼻に詰められていたティッシュに気づいた天は、小さく声を零して、情けない笑みを浮かべた。

 きっと、カルミラとルカが二人で、ぶっ倒れた自分をベッドまで運んでくれたに違いない。

 そして必死で、というよりも何か面白がって自分の鼻にティッシュを詰めてくれたのだろうカルミラの姿が簡単に想像できてしまって、思わず笑ってしまった。


「もう、大丈夫そうですね」


 穏やかな笑顔を浮かべたルカ。

 天の無事に心から安堵したと言わんばかりの笑顔の柔らかさは、初めて見る、歳相応の少女の笑みだった。


「カルミラ殿ももう起きておられます。昼食を取ったら出発だそうです」


「わかった、ありがとうルカ」


「はい」


 部屋を出て行くルカの後ろ姿を見送ってから、天は傍らの机やら壁やら、床やらに放置されている自分の装備を眺めた。

 さすがに完全戦闘装備でベッドに寝かせることは許せなかったのか、二人がはぎ取ってそこらじゅうに散らかしたに違いない、と簡単に推測できた。

 床に足を下ろし、ゆるりとため息を吐く。

 先刻の戦いを思い出し、何故あんなことが出来たのかと考えてみたが、やはり思い当たることはない。

 ただそれでも、血を吹いて倒れたのはその反動だろう。

 自分の体に一体何が起こったのか、それさえも自分自身ですら分からなかった。


 ただ、……思う。

 あの時に、あの力があれば。

 あの時の僕にもっと、力があれば。


 立ち上がり、壁に立てかけてあった龍の大剣の刀身にゆっくりと額を当てると、天は静かに泣いた。



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