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Holy&Evil  作者:
15/20

サウス攻防・後編

/サウスシティ郊外・高台/

[A.M. 03:38]

 一望する眼下に広がる、壮絶なまでの光景。

 ゆらゆらと青い光を揺らめかせ、淡い輝き放つ防御結界に守られたサウスの街に群がるおびただしい数の魔物の群れ。

 街に入り込もうと押し寄せている魔物の波の分厚さは、そのまま防壁の分厚さと変わらない。

 それが街をほぼほぼ取り囲んでいる様を見るだけで、うんざりするほどの数だということがよく分かる。

 街の際では、異形の影と守りの結界が反発し合う、小さな稲光があちらこちらで上がっていた。

 

「天くん」


 コンコン、とヘルメットを叩かれて、天は街から視線を上げた。

 バイクのエンジンを完全に停止させたカルミラが、重いヘルメットを脱いでいく。

 多少、汗に濡れた彼女の長い金色の髪がその中から落ちて、肩に、背に広がる。

 カルミラにならってヘルメットを脱いだ天の頬にも、生ぬるい、濃い瘴気を含んだ風が当たった。


「見たところ、決壊しているのは、ロキにやられて修復したばかりの北東の防壁だけのようね」


 カルミラが細い指先で空中に線を引く。

 その指が指すとおり、街は北東の防壁部分から北側が完全に敵の手に渡っていた。

 そして、そこから線を引くように、無事な防壁をも飲み込んで、青い防御結界が街を包んでいる。


「一番に奪回するのは、魔法陣(ゲート)システムのある塔よ。あの、北側の一番高い塔」


 示される建物は、結界の光の中にはない。

 一際濃く群がる、魔物の影の中に沈んでいるようにも見えた。


魔法陣(ゲート)システムを取り戻したら、コウがセントラルから結界師(ガーダー)を山ほど送ってくれるわ。システム自体が壊されてなきゃ、だけどね」


 そう言って、くっと、カルミラの美しい顔に苦々しい笑みが浮かんだ。

 万が一、魔法陣(ゲート)システム自体が壊されていたら、今言った策は成り立たないと、そう思ったに違いない。

 カルミラはバイクから降りると、慣れた手つきで両サイドに付いたブースターに手をかけ、螺子などを外していく。

 最後に、乱暴にそれらを蹴りつけ、ゴドン、と重々しい音と共に、ほぼ焼けついたブースターは地面に落ちる。

 幾分、その身を軽くした様子だったが、バイク自体の本エンジンの方も、そろそろ限界に近かった。


「そうだ、カルミラさん。これ、コウさんから預かりました」


 再びバイクに跨ったカルミラに、天は別れ際にコウから渡された袋を手渡す。

 カルミラは袋を受け取るなり、手早く中身を引き出した。

 それは、二挺の自動小銃(サブマシンガン)

 カルミラのものである証拠のように、双銃と同じ白と黒の鷹がグリップに描かれている。


「あらぁ、兄さんもえらく気の利いたものくれるじゃない?」


 笑顔を零しながら、手際よく弾倉の弾数を確認して、両脇に抱える。

 そしてその笑顔のまま、カルミラは再び眼下を見下ろした。


「さて、さっさと片付けて、この防御結界解かせなくちゃ。いくらなんでも、これじゃあ」


「ええ…」


 カルミラの言葉にうなずきながら、天は唇を噛み締めて、もう一度青く揺らめく結界に守られた街を見下ろした。

 いくら英雄と呼ばれる存在であっても、これだけの規模の術を、この威力で放出し続けるなどと、自殺行為にも近い。

 そうしてまで全てを守り続けている、ルカの事を思う。

 そしてあの、今にも何かの弾みで掻き消えてしまいそうな結界が本当に消えてしまったなら、一体どんな状況になるのかなど、考えなくとも簡単に想像がついてしまう。

 天が握った拳が、ぎりりと音を立てた。


「僕のことは気にしないで、カルミラさんは皆のところへ向かってください。大丈夫、絶対に負けませんから」


 ヘイゼルの瞳に燃えるような戦意を灯して、いつもよりも増した闘志を身にまとう天に、カルミラは思わず口元を引いた。


「それは頼もしい! ま、何にせよ、まずあの分厚い魔物の束に突撃して、結界際まで行かなくちゃ。……そうだ、天くん。いっそのこと飛んでくれない?」


 ヘルメットからゴーグルだけを取り外して着けると、カルミラはガラス越しに天に向かって片目を瞑って見せた。


「……はい?」


 にこやかな笑顔を振りまくカルミラを振り返りながら、天は思わず眉根を寄せた。




                       *

 目の前に広がる、濃い闇。

 既に限界ギリギリで、汗だくの自分たちが張る結界を食い破ろうと迫り続ける魔物の赤い目が、薄い結界の膜一枚向こうでぎらぎらと光っている。

 もし今、ここにいる誰か一人でも術力が尽きてしまったら。

 自分達さえ守っている、街全体を覆う青い防御結界が消えてしまったら。

 そんなことを考えるたび、背中を冷たい汗が滑り落ちた。


魔法陣(ゲート)システム塔に一番近いのはお前らだ。どうにか行けねえか?」


 通信機の向こうから、もう幾度目か、シュテフ管理者(おやっさん)の声が届く。

 確かに、薄い結界の向こう、すぐそこには、暗闇に沈んだ魔法陣(ゲート)システムを設置してある塔の入り口があった。


「俺らだって何も考えてねえわけじゃないよ、おやっさん! でも、数が多すぎて」


「持ちこたえるので精いっぱいだ!」


「塔の中にもあいつらが居るのが見える! 上手く塔に入れても、あれじゃあ」


 苦々しい思いで見上げた、魔法陣(ゲート)システム塔の階段の窓にちらつく魔物の影。


「くそ…っ、俺の足さえ、まともに動けば!」


 そう唇を噛み締めながら地面を殴りつけた男に、仲間たちは視線を送った。


「ランスさん、あんたは無理をしちゃいけねえ」


 仲間に諭されながらも、ランスと呼ばれた男はぎりぎりときしむ体に鞭打って立ち上がるところだった。

 彼は、そのたくましい太ももが貫通するほどの大怪我を負っている。

 止血されてはいるものの、巻かれた包帯に染み込んでいる血の量は生半可なものではない。

 それでも彼は両足で大地を踏みしめて、闇に沈んだ魔法陣システム(ゲート)塔を見上げた。


「そんな甘いことを言って、この中で魔法陣(ゲート)システムを動かせる知識があるやつが、居るか?」


 仲間たちは、ぐっと言葉を飲み込む。


「壁が壊れてここらが襲われた時、魔法陣(ゲート)システムの技術者がほとんどやられたろう。死んでないのは救いだが、今ここで、俺以外に誰があれを動かせる?」


「でも、彼らを守って怪我を負ったのはあんたも一緒だ!」


 仲間の声に、ランスは情けない笑みをその顔に浮かべる。


「俺は、おやっさんが庇ってくれたから足だけで済んだんだ」


 彼が足を踏み出すと、固く血止めをしたはずの足にまた血が滲んだ。


「このまま、来るか分からない助けを待つだけじゃ、だめだ」


 中央から街を包み守っている、英雄のお嬢ちゃんにも、限界がある。

 それは皆が分かっていることだ。

 彼女の力が尽きるのは、一時間先か? 十分先か? それとも今か?

 ……そして仲間の力が尽きるのは?


 駆け出したランスの足から、鮮血が吹き出した。


「やめろ、ランス!」


「ダメだ! ランスさん!!」


 引き止めようとした仲間の手を、ランスは振り払う。

 己が剣を手に、彼は結界を通り抜け、闇の中へと飛び込んでいった。


 血の匂いに気付いた魔物が、一斉に、結界の外に躍り出たランス目がけて襲い掛かってくる。

 降り落ちる爪をかわし、嬉々として飛びかかってくる魔物の体当たりを避けながら、走る足を止めない。

 だが、すぐそこに在るはずの塔の入り口さえ遠く感じる。

 幾何かの距離を走り抜けたはずだったが、それこそが錯覚だったとランスはすぐに気付いた。


 体にまとわりつく瘴気の濃さは、完全にいつもの夜とは違う。

 通常通りの退魔装備しかしていない自分に、通常以上の負荷がかかる。

 濃すぎる瘴気に苛まれて、傷口から体内が侵されていくよう。

 踏み出したはずの足から感覚が抜け落ち、ついには、血が溢れだすように力が抜けた。

 塔の入り口に手をかけた姿で、ランスは崩れ落ちる。


「こんな、ところで…っ!!」


 渾身の力で塔を振り仰いだランスの頭上に、狂喜に満ちた魔物の赤い目、目、目。

 彼を取り囲む魔物が揃って、刃のごとく、鋭利な爪を振り下ろす。

 その瞬間が、スローモーションのように見えた。

 ランスは、ただ目を見開くしか出来ない。

 いつもとは違う闇の重さに気付けなかった己の未熟さと、甘すぎる考えと行動の招いた、当然ともいえる絶望が、ただ目の前にあった。


「ランス……ッ!!!!」


 叫ぶ仲間の声が、遠い。

 無数の爪で、目の前が埋まる。

 完全なる死が、……見えた。




――――ガ…ッ!!! グシャッ!!!!


 目の前の魔物が、凄まじい勢いでひしゃげた。

 幾体もの魔物がそれに巻き込まれ、もんどりを打って倒れ込む。


 一体何が起こったのか。

 どうして自分はまだ命があるのか。


 ただただ驚いて、どんな言葉も出せそうにないほど絶句したランスの脇を、こちらもまた魔物同様、奇妙な形にひしゃげた丸い物体が音を立てて転がっていく。


「ヘル、…メット?」


 何故そんなものが、『空から』落ちてきたのだ?


 疑問にランスが空を仰ぐよりも先に、自分を取り囲んでいた魔物たちが一斉に奇声を放ちながら、空を見上げた。

 ひたすら深い闇色の夜空に、瘴気さえ割く、真白な衣。

 その瞬間だけは、敵も、味方さえも、空を見上げた。

 そして、目にしたものが何であるのかを理解する前に、『それ』は降り立った。


――――凄まじい、斬撃と共に。


「うおおおおおおおおおぉっっ!!!!!!!!」


 振り下ろされる、緑の大剣。

 それを揮う、剣戟の向こうにいる、白き外套をまとった者が吼える。

 その一撃で、大地は一瞬にして魔物の血で染まった。


 ランスの前に降り立った戦士は、まるで地に伏す者をその背に庇うように在る。

 大剣を手に、明るい髪色をしていたにも関わらず、闇に溶けることのない真っ白な戦闘着に身を包んだ後ろ姿は、かつて見惚れたことのある、憧れつづけた英雄と寸分違わぬものだった。


「あ…ぁ……、朔、様…」


 無意識の内に、ランスはその名を呟く。

 だが、すぐに弱った体を瘴気に蝕まれ、彼は英雄の背に守られた安堵感の中、意識を手放していた。


 気を失ってしまった、傷を負ってまでここまで来た魔物退治者(バスター)の様子に、天はすぐさま彼を肩に担ぎ上げ、向かってくる魔物を蹴散らしながら結界の側まで駆けた。

 そして、半ば呆然とした状態で結界を張り続けているシュテファン管理所の魔物退治者(バスター)たちにランスを引き渡す。


『間に合ってよかった』


 無事、結界内に引き入れられたランスから視線を戻し、再び、闇の中からこちらへと群がってくる魔物を見据える。

 遠く、壁のような分厚さで結界に集っている魔物の波の向こう側を、カルミラの駆るバイクのテールランプが赤い光の尾を引きながら走っていくのが見えた。

 バイクのスピードとターンの衝撃を生かして、自分をここまで『飛ばした』カルミラは自動小銃(サブマシンガン)を小脇に、親指を立てて見せると、物凄い速さで西側へと消えていく。

 天は笑顔で彼女を見送り、そして一つ、大きく息を吐いた。

 天の視線の先には、見るも無残にひしゃげたヘルメット。


「あぁ…、あのヘルメット、弁償だな」


 そんなことを呟いて、肩を落とした。

 それでも、口元に浮かんだ笑みは消えない。

 この場にまるで似つかわしくない暢気ささえ、魔物たちはまるで関係が無いと、天の周りに群がり、集まり始めていく。

 天はゆっくりと顔を上げ、波のように押し寄せてくる魔物の群れを睨みつけた。

 闘志の満ちた、ヘイゼルの瞳。

 大剣を握り込む音が合図であったかのように、天は大地を蹴った。

 




                      *

 ダララララララララララッ!!!!!!!!


 一体どこから聞こえてくるようになったんだ、と思わせる音は、徐々に自分たちの方へと近づいてくる。

 術力の限界が近づいて、まともな意識さえ手放しかけていた魔物退治者(バスター)たちは、目を凝らして、魔物の襲い来る結界の向こう側の闇を見た。

 滑るように走ってくる、眩いヘッドライトの光。

 それに照らし出されると同時に、幾多の魔物が蹴散らされ、飛び散る。

 まるで舞うように回転する、『それ』の赤いテールランプ。


「……バイ、ク?」


 誰かが声にした頃には、その形は完全に視界に入っていた。

 今までこちらだけに向かって来ていた魔物たちが、嬉々として闇の中へ、バイクに乗った人物に襲いかかりに飛んでいく。

 だが、途端に撃ち抜かれる。

 それに怒りの奇声を上げ、新たな魔物が束になってバイクに襲いかかったが、その全てが無駄に終わった。

 絶え間なく銃撃を浴びせられ、地に落ちた魔物は、定常円旋回したバイクの重々しいタイヤにことごとく引き潰された。

 極限まで来ていた結界への圧力が徐々に軽減し、見る間に魔物の数が減っていく。


 何が起きているのか。


 魔物を蹴散らし、バイクを駆る人影を見つめたまま、魔物退治者(バスター)たちは呆然とするしかなかった。


「貴方たち!!」


 魔物の奇声が響く闇の中、それをものともせず、闇を割いて耳に届いたのは、良く通る女性の声。

 自分達の目の前の結界の向こう側に群がっていた魔物の数はすっかり薄くなり、ようやくはっきりと、バイクに跨る人の姿を目で捉えることが出来た。


「もうすぐセントラルから結界師(ガーダー)が来るから、それまで必ず持ちこたえなさい!」


 張り上げられる声。

 金色の髪をなびかせた女性が、自動小銃(サブマシンガン)を乱射しながら、魔物の群れの中、バイクを駆って行く。

 眼前を通り、去っていく。

 その僅かな瞬間、彼女は確かに、自分たちに向かって笑いかけて見せた。


 再び、銃撃とヘッドライトの光が遠ざかっていく。

 一瞬の出来事に呆然としたまま、呟いた。


「……樹管理所の、…カルミラさんだ……」


「…あぁ、俺たち、……助かるんだな…」


 仲間と視線を交わし、絶望しかなかった魔物退治者(バスター)たちの顔に、笑顔が浮かぶ。

 口にした言葉に、確かな希望が灯っていた。





                       *

 ランスが意識を失う寸前に呟いた名は、彼がつけていたインカム型の通信機を伝って、街中で、限界を超えつつも結界は張り続けていた魔物退治者(バスター)たちの耳に届いていた。


「…朔、様?」


「朔、様だって…?」


 誰もが、仲間と顔を見合わせてその名の主を思い浮かべた。



 もちろん、ランスのその小さな声は、街の中央にいるシュテフの持つ通信機にも、同じく伝わっていた。


「なん、だと…? 朔様、が…?」


 シュテフの、信じられないと言わんばかりの微かな呟きさえ、すでに絶望だけに支配されていた人々の間には、大きく聞こえた。

 そこに居た全ての人が、その声を、その名を、聞き逃すことは無かった。


 シュテフの声は、本当に小さなものだった。

 それでも、彼の人の名だけは、ルカの耳にも届いた。

 口から下、顎にはべったりと吐血したものが赤く汚して、美しく整った顔を、今は苦痛だけで歪ませている。

 美しい槍を持つ手は、小刻みに震えていた。

 幾度か吐き出した自分の血に染まった地面に片膝を落とし、どう見てもとうに限界など超えているにもかかわらず、彼女の手から神槍が離れることは無かった。

 錆びた機械人形が軋み揺れるかのように、ルカの頭が上がる。


「…朔さま?」


「英雄さまが?」


「朔、様、…が?」


 その名を口々に呟きながらさざめく人々の声が、次第に大きくなっていく。

 ルカはもう一度、重い頭を上げる。


『……朔、様…?』


 もう何も聞こえなかったはずなのに、小さくその名を呟いた自分の声が耳に届く。

 顔を上げた先には、広場から真っ直ぐに見える東門。

 自分が放出している防御術の明かりで、薄青い光に照らし出された街並みが見える。


 その向こう。

 ……ずっと向こう。


 どんな敵にも、どんな夜にも屈しはしない、太陽のような笑顔を浮かべた、英雄の中の英雄。

 夜の闇にも染まらない、懐かしい、真白な外套に身を包んだ戦士が、振り返る。


 そんな幻を、……見た。



 うわあああああっ!!!!!



 歓声が、沸き起こっていた。


「朔様だ!!」


「英雄様がお戻りになられた!!」


「助かる! みんな助かるんだ!」


「朔さまがみんなやっつけてくれるよね!」


 英雄の名を口々に叫びながら、立ち上がる人々。

 あれだけ濃かった不安が、悲愴感が吹き飛び、絶望に今にも押しつぶされそうだった広場の雰囲気は、一瞬にして一変していた。


「おい! 確か道具屋に退魔火あったんじゃないか?!」


「夕方搬入したやつか! あれ全部出せば…」


「動ける奴は動け! 朔様と、魔物退治者(バスター)の皆をサポートするんだ!」


 急に活気づいて沸き立った男衆たちが、それぞれに寄り集まって街の各箇所へと散らばっていく。


「おいっ、気をつけ…っ、ぐ…!」


 シュテフが止める間もなく、街の人々は笑顔さえ浮かべて動き始めた。

 無理矢理立ち上がろうとしたシュテフの腹の包帯に、血が薄らと滲み出してくる。


「おやっさん! ダメだ、無茶しちゃ…っ」


 同じく怪我を負っている仲間に支えられたシュテフは、ままならない体に苦々しく奥歯を噛む。


「くそっこんな怪我…っ」


「……あの」


 声をかけられ、顔を上げたシュテフたちの前には、まだ不安げな表情をした女性たちが揃って立っていた。


「私たち、ほんの少しだけなら治療(ヒール)ができます。力は弱いけど、皆でやれば少しは……」


 突然の申し出に唖然とするシュテフたちの返事も待たずに、女性たちは各々頷き合って傷付いた者たちを治しにかかる。


「……ありがてぇ」


 シュテフは、仲間たちを見、動き出した人々を見、最後にルカの小さな背中を見つめて呟いた。

 たった一人の英雄の帰還に、ただ怯え、絶望するしかなかった人々は、誰もが戦うことを選んだのだった。





                       *

 一薙ぎで、数十体もの魔物の上半身と下半身を切り離す。

 切っ先から飛ぶ血が、また大地に弧を描くように伸びた。

 あれほど集っていた魔物の姿はほぼなくなり、無残に死骸となったものが山と成してきた頃、カルミラのバイクのヘッドライトが、走り去っていった方向とは反対側から近づいてくるのが分かった。


「天くーーーん!!」


 高らかに、カルミラが名を叫ぶ。

 声の方へと天が顔を向けた時、アクセルをフルスロットルで固定したバイクから、カルミラが羽根のような身軽さで飛び降りるところだった。


「うわぁああっ!?」


 慌てて、バイクの進路から飛び退く。

 バイクはそのまま、物凄い勢いで魔物を跳ね飛ばしながら、天が倒して山と積み重なった魔物の残骸目がけて突っ込んでいく。

 くるりと空中で器用に一回転したカルミラは、その手に持つ自動小銃(サブマシンガン)でバイクのエンジンに狙いをつけると、迷いなく引き金を引いた。

 爆音が響き、逃げ損ね、爆発に巻き込まれた魔物が火だるまになる。

 屍の山が、炎で浄化されていく。

 燃え上がる火が、暗闇しかなかった辺りを照らし出していた。


「ああ、勿体ない…」


 火に照らし出された魔物を薙ぎ払い、切り倒しながら、天は燃え上がったバイクの無残な様子を横目に見て、そう吐き出した。

 無事地面に着地したカルミラは、天に背中を預け、汗ばんだ手を拭うと、武器を自動小銃(サブマシンガン)から愛用の双銃に持ち替えた。


「いいのよ。ブースターつけて走ったやつはエンジンやられちゃうから、どのみち廃棄なの」


 さらりとそう言って、カルミラは飛びかかってきた魔物を打ち抜く。

 例えそうだとしても、自分なら、惜しげもなく爆破させることは出来ないだろうなぁ、などと考えて、天は小さく肩を落とした。


「それにしても、結構片付いちゃってるわね。急いで戻ってきたんだけど」


「はい、でも塔の中はまだです。僕の剣じゃ、塔ごと壊しそうで」


「ははっ、そうね、やっちゃいそう」


 カルミラは声を上げて笑うと、強く握った拳を頭の横辺りに掲げた。


「じゃ、魔法陣(ゲート)システムは任せて。天くんは他の危ないとこ、よろしく!」


「わかりました。カルミラさんも気を付けて!」


 天もまた、カルミラに振り返ることなく、後ろ手に彼女の拳に自分の拳を軽く打ち合わせると、二人は合図を取っていたかのように対極へと走り出した。


 向かってくる魔物に容赦なく弾丸をくれてやりながら、塔の中に駆け込んだカルミラは、一度だけ振り返って天を見た。

 炎を目印にまた波のように押し寄せてきた魔物の群れの中へ、大剣を手に、何の迷いもなく駆けこんでいく天の背中。


 赤い炎に照らし出される外套は、それでもなお白い。


 その背中がどこか懐かしく感じられて、一瞬、見知ったものと重なる錯覚にさえ陥って、カルミラはどこか寂しげに口元を引いた。





                        *

 塔を上り始めるなり、わらわらと身を潜めていた魔物たちが襲い掛かって来た。

 それにご丁寧と言われそうなほど銃弾を撃ち込みながら、カルミラは駆け上がる速度を落とさなかった。

 魔法陣(ゲート)システムを管理する階にくるなり、勢いよくドアを蹴破る。

 そこにまとまっていた魔物に容赦なく弾丸を浴びせると、想像していたよりもずっと被害の少ない状況にほっと息を吐いた。

 一番気になっていた魔法陣(ゲート)システムの制御機器に、目立った破壊は見られない。

 どうやら、技術者の誰かが気まぐれに集めていたのだろう、小ぶりの魔除けの法玉が機器の上にいくつか転がっている。

 間違いなく、それのお陰だろう。


「わぁお、ラッキー!」


 ドアだけは閉めて、電気もつけずに制御機器に駆け寄る。

 歩いた床に、先ほど仕留めた魔物のものとは明らかに違う血痕があり、まだ新しい血だまりを踏んだ靴が、暗い室内でも見てとれるほどの足跡を残した。

 死体や『食べ残し』がないのなら、ここにいた誰かが魔物にやられて死んだわけではなさそうだ。

 それでも、この血の量を見れば、この場所に居た技術者たちの誰かが相当な怪我を負ったことは容易に理解できる。

 舌打ちを返しつつも、カルミラは片っ端から通信システムの電源を入れた。


「コウ、聞こえてる?!」


 床に転がっていたインカム型の通信機を手早く拾い上げ、装着しながら声をかける。

 さすがのカルミラでも、魔法陣(ゲート)システムを一人で動かすほどの知識はない。

 メイン電源が生きていることを確認するなり、サウスシティ管理統括のパスコードを打ち込み、最重要セーフティーを解除した。

 途端に、通信機の向こうからコウの声が返ってくる。


「よくやった、カルミラ! こちらは準備万端だ。後は任せろ」


 その声が、インカム型の通信機からだけでなく、制御機器に設置されているスピーカーからも零れる。


「座標チェック、転移圧力、オールクリア!」


「転送、開始します!」


 通信機の向こうから聞こえてくる、魔法陣(ゲート)システムの技術者たちの声。

 それを合図に、薄い強化ガラス一枚隔てた向こうに設置された魔法陣(ゲート)システムが稼働を始める。


 部屋中に、軽い電子音が響く。

 そこから溢れ出る、目も眩むような緑色の光。

 それこそ、光の門だと言わんばかりに輝きを放つ。

 光の中に揺れる、幾多の人影。

 そして現れた者に、カルミラは思わず声を上げて驚いた。


「ラファード!」


「カルミラ様!」


 彼を筆頭に、次々と魔法陣(ゲート)システムを通りやってくる結界師(ガーダー)たち。


「まさか、貴方が来るなんて」


「お気になさらず、コウ様の命令です。結界師(ガーダー)の総指揮は私が取ります、さぁ、行け!」


 ラファードの命令に威勢のいい返事をする結界師(ガーダー)たちが部屋を出ようとする前に、カルミラは思い出したように指示を飛ばした。


「そこからじゃなくて、この部屋の窓から隣の屋根に飛んで! そうすればすぐに結界内よ」


 守備に強い結界師(ガーダー)たちは、魔物退治者(バスター)たちと比べて、明らかに激しい運動等に自信が無い者が多い。

 カルミラが指差す窓を見た結界師(ガーダー)たちは少し臆した様子だったが、それでも、一人ずつ不器用に窓から外へと出て行く。


「ラファード、今、シュテファン管理所の魔物退治者(バスター)たちが張っているみたいに内側から結界を固めて。迅速にね! 完了次第、ルカの結界を解くわ。……こんな量で力を放出し続けて…、あの子…っ!」


 唇を噛み締めるカルミラを見て、元より真面目なラファードの冷静な面に更に確固たる意志が灯る。


「分かりました、ご安心を。……下に辿りついた者から配置に着け! サウスの魔物退治者(バスター)がここまで結界を張り通したんだ。セントラルの結界師(ガーダー)の名が泣くような真似をしてくれるな!」


 了解! と一揃えになった返事が通信機から聞こえた。


「それじゃ、私は外へ…」


 バガン!!


 閉めておいた階段からのドアが、勢いよく叩き開けられた。

 銃を構える隙も与えずに飛び込んできた数匹の魔物は、そのままスピードに乗って、カルミラ目がけて爪を振りかぶる。


「カルミラ様!!」


 ラファードが叫んだのと、彼がカルミラを物凄い速さと勢いで抱き上げてその場から飛び去ったのは同時だった。

 しかし、ラファードが飛び込んだ先は、……窓の外。


 カルミラを抱えたまま、落下を始める体を器用に反転させ、首から吊るしていた法玉を千切り取り、今飛び出た窓から部屋の中へと、それを投げ込む。

 途端に、凄まじい浄化の光が部屋を満たし、窓という窓から閃光が溢れた。

 ギャギャアァッ!! という魔物の断末魔が聞こえ、そして、


 ドガッ、バキ、ガシャガシャン、バリバリ…ッ!! ドザザザ……、


 けたたましい音を立て、民家の屋根をぶち破り、二人は地面に到着した。


 ぱらぱらと、屋根の破片が落ちてくる。

 もうもうとほこりが舞う中、


「…お怪我はありませんか? カルミラ様」


 と、ラファードは先ほどと全く変わらぬ口調と抑揚のまま、カルミラに尋ねるのだった。


「……あんたねぇ」


 カルミラは呆れ果てながら、ラファードの腕の中から顔を上げる。

 怪我など、あるはずがなかった。

 塔から落下する極短い時間で、ラファードはカルミラをその外套の中に包み込み、激突時にもしっかりと腕に抱くことで守っていた。

 体を打つはずだった地面との激突の衝撃さえ、ラファードが下敷きになることで吸収してくれていたのだ。


「今日の兄様の命令は何? 私に傷一つ負わすな?!」


「いえ、貴女の力になれと」


 ラファードは、その体を強打し、打撲で全身が痛むに違いない。

 長い水色の金髪さえほこりに汚れて、早速、満身創痍というのに笑って見せる。


「いい加減、その過保護っぷり、止めてよね! 私はもうウインズゴッドのお姫様でも、エルトフォードのお嬢様でもないんだから!」


 まだ床に倒れたラファードに馬乗りになったままのカルミラは、彼の鼻先に指を突きつけて怒鳴った。

 しかしラファードはそんなカルミラの怒る顔を見て、柔らかく笑っただけだった。


「隊長! 全員、配置に着きました!」


 がりがりとノイズを含みながら、通信が入る。

 落下の衝撃で頭の上の方へ飛んでいた通信機を掴むと、ラファードはすぐさま、声を張り上げる。


「よし。いいな、全員、日の出までサウスを守りきれ!」


 了解!!


 通信機から響く、結界師(ガーダー)たちの頼れる声と共に、街は新たな結界に包み込まれる。

 街を取り巻く、頑丈な防御結界の光を見上げて、カルミラは強く拳を挙げた。


「よし! シュテフ! シュテフ!! 聞こえる?!」


 今度はカルミラが、魔法陣(ゲート)システムの制御室で装着したまま持ってきた通信機の周波数を弄りながら、叫んだ。

 数秒置いて、荒い音声の中、シュテフの声が返ってくる。


「カルミラさん? 今、結界師(ガーダー)が! そうか、あんたの仕業か!」


「私かどうかはいいから、ルカの結界を解いて! 聞こえた?! ルカに術を止めさせなさい!!」


 

 ……シュテフは、通信機から届くカルミラの怒声に跳ねるように顔を上げて、ルカを見た。

 両膝を屈してなお、ロンギヌスを手に結界を張り続けている。


「お嬢ちゃん! もういい! 術を解くんだ!!」


 駆け寄ったルカの肩を掴もうとしたシュテフの手は、彼女とロンギヌスがまとう術力のあまりの強さにバチリと音を立てて弾かれた。


「くそっ、嬢ちゃん!! お嬢…っ、やべぇ、ぶっ飛んでるのか…!」


 何度も呼ぶ声さえ、受け付けない。

 それ以前に、今のルカには、周りの音も、声も、聞こえていなかった。

 結界を張りつづけなければという意思の強さだけで、ルカはそこに居たのだ。


「シュテフ、シュテフ! 通信機をルカの耳に当てて! 早く!」


「お、おう」


 シュテフは通信機のボリュームを最大にすると、ルカの術力に弾かれない程度の距離に通信機を近づけた。


「ルカ!! 帰って来たわ!! もういいから結界を解きなさい、ルカ!!」


 二度目にカルミラがルカの名を叫んだ時、ようやく、彼女に反応らしい反応があった。

 微かに肩が揺れ、口の中に残っていた血を吐き出すように零しながら、か細い声が、己の名を呼ぶ主を呼ぶ。


「……か、る、ミラ、ど、の?」


 我を取り戻した黒曜石の瞳が、おぼろげに、泳ぐように辺りを見回した。


「ルカ! セントラルから結界師(ガーダー)が来たわ! もう大丈夫、……術を止めなさい」


 通信機の向こうから聞こえる声は、確かにカルミラのもの。

 ぎりぎりと軋みを上げる体を少し起こして、見上げた空。

 自分のもの以外にも、はるかに強度を増した防御結界が街を包んでいる。

 

 ……ああ、嘘じゃないんだ。

 もう、いいんだ……。


 そう納得して、ルカは微笑んだ。


「ありがとう、ロンギヌス…」


 そう呟くと、ルカを包み込んでいた青い光は瞬く間に消えた。

 そのまま倒れ込み行くルカの体を、シュテフが慌てて支える。

 ルカが意識を失うのと同時に、青緑の神槍はゆっくりと傾いて、地面にカランと音を立てて転がった。



 ……その様子をシュテフから聞いたカルミラは、ようやく、安堵の息を吐いた。


「お疲れ様、ルカ、よくやってくれたわ…。後は夜が明けるのを待ちましょう。それから防壁を…っ、……天くん、…は?」


 カルミラの顔が、一瞬で蒼白する。


「誰か…、天くん、見てない?! 彼、結界内に居るわよね?!」


 通信機で呼びかける、あちこちに居るはずの魔物退治者(バスター)たちが返してくれる答えは、ことごとく同じものだった。

 ……一言、「見ていない」と。


「じゃあ…、まだ、外に!」


 半ば呆然と、カルミラは通信機を下ろす。


「カルミラ様…」


「分かってるわ! 強い結界ほど、出入りすると綻びが出来るんでしょう?」


「その通りです」


 カルミラが正しく結界のことを理解している、その言葉を聞いて、ラファードはうなづきながら立ち上がり、二人、壊れた民家を出た。


「天の野郎が外に? そんな…、助けにいかねぇと!」


「ダメよ」


 通信機の向こうのシュテフは、カルミラのあまりの冷えた声に言葉を失った。


「たった一人の為に、これ以上街を危険に曝せない。……誰一人、結界の外に出ることは許しません」


 きっぱりと言い切る、それはこの街の管理統括としての言葉だった。

 通信機を通してカルミラの言葉を聞いていた誰もが、返したい言葉があっただろうに、その思いを飲み込む。

 無情な決断を下しながら、誰よりそれを苦と思っているのは、間違いなくこの管理統括の任にある彼女なのだから。


「私は念のため、防壁の壊れた北東に当たるわ。中心の事は、シュテフ、任せたわよ。何かあったら連絡を。ラファード、引き続き結界師(ガーダー)たちの指揮を」


 そう指示を飛ばすと、カルミラはまるでいつものように颯爽とした足取りで駆け出していく。

 引き止めることはしなかったが、ラファードは、カルミラがその手のひらに痛いほど爪を喰い込ませて拳を握っていたことに気付いていた。

 走り去っていく彼女の後ろ姿を、どこか心配げな表情で見送ってから、ラファードもまた己の任務に戻って行った。



 ……駆ける速さを落とさぬまま、カルミラは強く唇を噛み締めていた。


 まさか天を、この夜の中に一人、街の結界外に残すことになってしまうなどと思いもしなかった。

 明らかに自分の失態だ。


 だが、ようやく街を安全に守りきる手立てを得たのに、それを自ら壊すようなことが出来るわけもない。


 分かっている、私は管理統括の立場にある。


『私を恨んでいいわよ、天くん』


 はっ、と声を上げて、カルミラは己を笑った。

 そして祈る。


――――だから、生き抜いてくれ、と。


 お互いを称えて、別れた声が最後だとは思いたくはない。

 振り切るような速さで駆けながら、カルミラは目の前に広がる闇を睨みつけた。





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