賢者
息を深く吐きだして、天は顔を上げた。
ほんの微かに感じていたカルミラの気配が遠ざかり、やがて感じられなくなるほど距離が出来ると、のろのろと立ち上がる。
彼女の事だ、これからまた何かしらの仕事に取り掛かるに違いない。
カルミラが休養を取らないことは素直に心配だったが、彼女の気持ちを考えると、そうやっと仕事に没頭している方が、気が紛れると考えていると思っていいだろう。
今までもずっとそうやって来たのかと思うと、やはり胸は痛んだ。
そんなことを考えながらぼんやりと前を見た時、視界の端、廊下の奥の奥を、スーツを着た誰かが歩いて行く姿が見えた。
天が改めてそちらを見やった時には、もうその人影は廊下の向こうに消えている。
「……コウさん、かな?」
そう思ったのはスーツの色が似ていたからだけであって、確信は微塵もなかった。
それでも消えて行った人を追いかけて、天は歩くよりも早く、駆け足に廊下を進んでいく。
何もない廊下に立ち尽くして、何もできずにいるのは嫌だった。
コウならきっと、自分の知り得ない何かを、既に知っているんじゃないか。
例えばそれは、朔やアルトリアを助けるための糸口だったり、カルミラの求める魔界へ乗り込む術であったり。
それ以外の話であったとしても、きっと聞いて損はないはずだ、と自分を言い聞かせて廊下の角を曲がった。
追っている人物は、丁度、更に奥の廊下の角を曲がったところ。
「…っ?!」
その一瞬だけ見えた人影が持っていたものに、驚愕する。
白銀の、一振りの剣。
しっかりとは見えなかったけれど、その僅かな輝きだけで十分、分かってしまえる。
その手に持たれていたのは、アルトリアのエクスカリバー。
コウが、夜が明けたら『賢者』に託すと言っていたはずだ。
それを、何故!
駆ける速度を上げて、天は廊下の角を曲がる。
だが。
「……誰も、いない…?」
飛び込んだ廊下は、ただただ、がらんとしていた。
明かりは先ほど通って来た廊下と同じだけ点いているというのに、僅かに暗い気がして、天は周りを見渡した。
もちろん、特に代わり映えするわけでもなく、おかしなところも見当たらない。
強いて言うならば、若干、雰囲気が違う気がする、という微妙な感覚の変化があるくらい。
ほんの数秒前に、ここに誰かがやって来たはずだとは思えないほど、何もなかった。
廊下の突き当たりに、物々しい扉が一つ。
入って行けるような場所はそこしかなく、廊下の左右にはドア一つない。
「……中、かな?」
そして、扉の前に立って、天は思わず眉間にしわを寄せた。
扉は、幾重にも重なる強固な鎖が重ねられるようにして、閉じられていた。
一見すればただの鉄の鎖のようにも見えるが、すぐにそれが、その鎖自体が、強力な魔力を含んだ呪具だと分かる。
天は、勢いをつけて大きく後ろを振り返った。
もちろん、誰もいるはずがない。
思わず、得体のしれないものに対する恐怖でゾクゾクっと身が震えた。
自分がここに辿りつく、ほんの数秒間の時間差で、この強力な呪を纏った鎖を解き、奥の扉の部屋の中に誰かが入って行ったとは簡単には考えられなかった。
『じゃあ、僕が見たあの人は何だったんだ…?』
「……疲れてるのかな、やっぱり」
自覚はないけれど、と肩を落としながら、もう一度、鎖に閉ざされた扉に向い合った。
鎖に雁字搦めになっているとはいえ、ノブはしっかり見えるところにある。
「まさか、開く訳ないもんな」
などと軽口をたたきながら、天は両手でノブを握った。
案の定、扉は開く気配はない。
ほらやっぱり、と内心、深く納得したと同時に、丁度目の前の位置、扉と鎖の隙間のような空間がぼんやりと光を放ち始めて、天は飛び上がって後ろへと後ずさりした。
「な、っ何?」
光は、ゆっくりと収縮して、薄明るい文字を浮かび上がらせる。
思わず、侵入者対策の術か何かが発動したのかと身構えたが、浮かび上がった言葉はただふわふわとそこに在るだけ。
よく見て見れば、その言語は現代語ではない。
術者がよく魔法陣などに組み込む、術式言語だ。
魔法陣を必要とするほどの大魔術を編むことは自分には出来ないので詳しくは分からないが、言葉を読むだけならできる。
そういえば昔、姉が、術式言語をすらすらと読んでいたな、と懐かしくさえ思った。
天はもう一度扉の側に戻り、光る文字に目を通す。
「なになに? や、くそくの、果てに、選ばれし者をここで待つ。我等は……」
「おい! そこで何をしている!!」
今度こそ、天は飛び上がって驚いた。
振り返ると、先ほどの会議室の前にいた黒服のガードマンが血相を変えてこちらに走ってくるところだった。
「そこは関係者以外立ち入り禁止だぞ! それよりもお前、どこから来た!」
言葉も出せずにびっくりしたままの天の前に立ったガードマンは、怒りの形相を露わにして怒鳴りつけたが、すぐにそれを和らげた。
「おや、あんた、カルミラ様の連れの魔物退治者だったか?」
どうやら顔を覚えていてくれたようだ。
言葉の出ないまま、素早く何度も頷いて見せると、ガードマンは扉の前からグイと天を押し退けた。
「今回は見逃してやるから、早く休憩室に行って大人しくしていろ。ここには絶対入れないぞ。入れるのは、十二英雄だけだ」
更にぐいぐいと天を押し、元来た廊下の角まで押しやると、あっちへ行けと手を振る。
仕方なく、天は廊下を戻り始めた。
今一度振り返って見たが、ガードマンの彼が厳めしい顔をしてこちらを睨みつけてくるだけだった。
歩き出した天は、目にした術式言語を頭の中で繰り返す。
『約束の果てに選ばれし者をここで待つ。我等は……』
目を閉じて、瞼の裏に焼きついた光の紡いだ言葉を思い出す。
「我らは、抹消された伝説の中に在るもの、……か」
あの部屋がもし、本当に十二英雄しか入ることの出来ない部屋であるならば、自分が見た人影は誰か、十二英雄の一人だったのかもしれない。
それならば、エクスカリバーを手にしていた理由も頷ける。
『サウスに帰ったら、ルカにあの部屋が何なのか聞いてみよう』
そう心に決め、最初の場所まで戻ってくると、天はそこからまた、まだ行っていない廊下へと足を向けた。
*
先ほど見て回った方面より、明らかに今向かっている方が広い。
その理由は、すぐに分かった。
廊下は吹き抜けになり、下の階を覗き込むように見えるようになる。
「うわ、医療施設階ってこんなところにあったんだ!」
身を乗り出すように、柵に手をかけて下の階を覗き込む。
最新医療器が揃いに揃った、医療施設階。
こんな時間でも、あくせくと働く白衣の人達が歩き回る姿がここから良く見える。
この場所から、上層部の者たちが、医療施設階に収容された重要者の容態や状況について話し合ったりするのだろう。
真っ直ぐ前には、真下にあるベッドに収容された者を拡大してみることのできるスクリーンまで備え付けてある。
『僕も、こんな風に見られてたんだな……』
乗り出していた体を戻すと、天はそこからもう一度、真下を見やった。
そこにある治療室には、見覚えがあった。
……鼻と口に細い管を通され、点滴針の刺さった腕。
指先一つ動かない手足を投げ出して、見上げていた遠い天井。
せわしなく視界をうろつく、白い服の人たち。
声も出せない。
感じるのは脱力感と、深い虚無だけ。
『ねえ、意識が戻ったら話くらいさせてもらえるでしょう?』
あの時、おぼろげに聞いた明るい女の人の声。
その正体は後で知ることになったのだが、あの時は本当にそれどころじゃなくて……。
きつく閉じたまぶたの裏にちらつく、瓦礫の山、燻った炎と煙。
そんな映像を振り払いたくて、そこからまた歩き出した。
『天くん、セントラルには?』
カルミラの問いかけに、ちゃんと答えはしなかった。
セントラルに来たのは、魔物退治者登録のときと、……イースシティ崩壊後。
満身創痍というのなら、あれがそうだろう。
体は隅々まで邪気に侵され、良く生きていたものだと我ながら思う。
体がまともに動くほどに回復するまでの数日間、この医療施設階にしかいたことがないから、素直に、セントラルシティに来た、とは言い難かったのだ。
自分がここに居たということを、カルミラは知っているのだろうか?
イース最強の、などとうそぶかれている理由を、知っているのだろうか。
ぼんやりとしたまま、ただひたすら真っ直ぐに道なりに歩いていたため、突き当たった部屋のドアが自動で開いたことにも気付かなかった。
はっと意識を取り戻した時には部屋の中へ足を進めており、後ろで自動ドアが音もなく閉じたところだった。
途端に、ゾクゾクゾク、と背中を、戦慄が走り抜けていく。
全身を駆け抜けていったのは、桁違いに強力な魔法の発動にも近い、神秘の力の波、その塊。
強大な魔者と対峙した時に感じる恐怖と、似てもいる。
だが根本的に違ったのは、その力の波動が、完全なる聖の気を帯びているということ。
天の手は、小刻みに震えていた。
無理もない。
絶対的な聖者を前にして、怯えぬ人間などいないだろう。
崇め敬う、尊い存在は、時として己の醜さと弱小さと、心の内の邪さをありありと見せつけるものとなる。
今まさに、この場所の有り余るほど溢れ出る聖なる気の波は、罪を背負ったまま楽園へ迷い込んでしまった罪人の気分を味わわせてくれた。
入ってはいけない場所に来てしまった、と瞬時に理解した。
それでも即座にこの場所から去ることが出来なかったのは、どんな心境であれ、この場所の聖なる気が、溢れんばかりの光の波動が、心地よいと感じていたからだった。
まだ、先へと続く廊下があり、僅かばかりの階段が上階へと続いている。
そこでふと、思い出した。
中央塔の最上階で、ひときわ眩い、星のような輝きを放っていた場所があったことを。
足を踏み出す。
それだけに、えらく時間がかかった。
膝が、体が震えはじめるのが分かったが、ごくりと咽喉を鳴らしてつばを飲み込むと、更に一歩、足を進めた。
ゆっくりと廊下を進み、階段を上がって、もう一つ透明な扉をくぐる。
そこまで来てようやく、この場所がどんな場所なのかを把握した。
間違いなく、塔の最上階。
一面のガラス張りの展望フロア。
見下ろせば、セントラルの夜の街並みが見えるだろうけれど、それは叶わなかった。
何故なら、光が、一面にこのフロアを埋めているから。
自分の影さえも、異質。
自分の存在さえも、異質。
そんな風に思ってしまうほど、清浄なる気と、眩い光に満たされた場所だった。
もう、ここから一歩も先へ進むことは出来なかった。
進めば途端に、この光に『あてられて』しまう。
僕には、これ以上は進めない。
そう理解して、天はただ時間も忘れて、光の中に立ち尽くしていた。
輝きに目が慣れてくると、ゆっくりと輝きの中心に目を凝らした。
ここよりももう一回り内側に、同じくガラスで覆われた円形の部屋が作られている。
その床に張り巡らされた機械と、太いコードの束。
術の増幅装置にしては、あまりにも大業で、あまりにも数が多い。
それを見て、部屋そのものが全ての装置なのだと分かった。
中央にいけばいくだけ、眩しさを増す光の中心に、一人、誰かが立っている。
目を凝らして見えるような、そんな生半可な光ではなく、捉えられるのはその姿形しかない。
それでも、光の中にいて当たり前だと思えるほどの聖者が、そこに確かにいた。
知らずと、天の頬には涙が流れていた。
呆然としたまま、流れていく時間。
幾筋かの涙が流れ、顎から落ちた後に、天は我に返った。
それは、自分よりももっと光に近い場所に居た人の姿に、気付いたからだった。
光を中心に据え置く、透明なガラスの壁に片手を添えたまま、床に膝を屈した、男の後ろ姿。
まるでそれは、聖者に懺悔する罪人のように見えた。
「……コウ、さん?」
知らぬ間に頬を流れていた涙を乱暴に拭いながら、天は呟いた。
その声が届いたのか、柔らかな茶色の髪を揺らしながら顔を上げたコウが、振り返る。
真っ白い聖なる光に照らされたコウの虹色の瞳が、今は見惚れるほど美しい空の一番深い色、天上の蒼を湛えている。
涙に濡れたその蒼は、それはそれは、美しく滲んでいた。
こちらに気付いたコウは、静かに衣擦れの音をさせて立ち上がり、頬の涙を拭いながら微笑んだ。
「伊吹くん、かい? ……はは、恥ずかしいところを見られたな。それにここは立ち入り禁止だよ」
全く持って天を咎めていない口調で告げながら、コウは天の傍らに立つと、もう一度頬の涙を手のひらで拭った。
「…すみません」
「いや…、その様子じゃおおかた、私がドアのロックを忘れたんだな」
そう言って、泣いたせいで赤くなった目を細めながら、天を促して出口へと歩み出した。
天も続いて、部屋を後にする。
首の後ろがちりちりしていた感覚や、体の震えが治まり、勝手に涙を込み上げさせていた胸の締め付けが緩んでいく。
正直、ほっとした気持ちはあったが、同時に、あれほどの清浄な空間から離れなければいけないということを、どこか寂しく思う気持ちがあった。
僅かばかりの階段を下り、長い廊下を行く途中で、コウは口を開いた。
「ここは祈りの間だ。通称、光の間とも言ってね、間違いなくセントラル中央塔の最重要機密部所だよ」
それを、一魔物退治者の自分に曝してしまったと言いたげに、だがどこか無邪気に、コウは笑う。
「あの…、あの中央に居た人は、一体、何を?」
天の問いかけに、少しだけ振り返ったコウが、先ほどあの部屋で見たのと同じ、どこか辛そうな目をした。
重くなる口調を、緩やかに微笑むことで和らげている。
コウの微笑には、そんな印象を受けた。
「あれが、『賢者』だよ。……ただ一人、毎夜、ああしてセントラルを守っている」
天は思わず息を呑み、大きく振り返って、光の零れ落ちる廊下の先を見た。
この力の全てが、たった一人の術力だとは信じられなかった。
それも、日没から朝日が昇るまで、この純度の、この量の術力を放出し続けるなど、どれほど熟練した術者であろうとも成し得ることではない。
普通に考えれば、死に等しい行為。
いいや、死に直面する行為だ。
「そんな…、いくら術の増幅器があるといっても…!」
「増幅器? あぁ、違うよ。あの部屋は増幅器じゃない。ただ、セントラルの隅々に防護の力を送るための送術機だよ」
二人して、祈りの間に続く自動ドアをくぐると、コウはすぐにそのドアの脇の壁にあるスイッチで電子ロックをかけた。
体中にかかっていた、ありあまる聖の気が消え去り、深く息を吐く。
そして向い合った天が、絶句して言葉を紡げないでいる姿を見て、僅かに表情を崩した。
「……残酷なものだよ。たった十五の少女を犠牲にして、この街は今日も生きている。何百万の人の命を、彼女は今夜も一人で守っている。……私も、そのうちの一人かと思うと、ね…」
そう呟くコウの顔に浮かんでいたのは、どこまでも寂しい笑みだった。
「……この力が、あの子、たった一人の…? ……十五歳の、『賢者』…」
――――…英雄の中に十代は三人いるわ。ルカともう一人、あと一人は中央塔にいる今年十五よ…――――
カルミラのとの会話が急に思い出されて、天はハッとなって顔を上げた。
「彼女も、十二英雄の一人…?」
「そう、その小さな手の中に賢者の石を抱いた杖を持つ、我々の『賢者』、…風神光」
もう見えない光を見上げるように、コウは今も、光り輝く中心にいる少女へと想い馳せた。
その虹色の瞳には、また涙が滲んでいる。
彼が『賢者』のことをどれだけ想っているのかが、伝わるようだった。
「彼女がここで、ああして、この街を守っていることは最重要機密だからね? 口外しては駄目だよ」
コウはにっこりと微笑ながら、人差し指を唇の前に立てて見せた。
そして歩き出す彼に着いて歩きながらも、天は耐えられずに、コウに食って掛かっていた。
「皆、知らないんですか? 彼女がどれほど偉業をしているかを! どうして?!」
中央塔に辿りつく前にセントラルの街中で見た、夜の街を笑って歩く少年少女の姿。
きっと本当なら、こんな時代でなければ、あの光の中心にいる彼女も、ああして笑っていられたはずなのだ。
それを思うと、胸が痛む。
どこか必死な天の剣幕にコウは一度面食らったようだったが、次の瞬間には、とても嬉しそうに笑っていた。
「魔物たちも馬鹿じゃない。セントラルさえ潰せば人間など簡単に地上から消せることを知っている。ここだけは、普通の防壁と防護術だけじゃ一晩も持たないんだよ。それでも、セントラルがずっと存続しているのは、『賢者』がいるからこそなんだ」
「…でも…っ」
「あの子が成していることを世界が知れば、色々とうるさい者も増えるだろう。そうしてもし、彼女が祈りの間に入ることができなくなれば、セントラルは終わる」
コウの言葉に、天はぐっと詰まって、唇を噛み締めた。
激しい矛盾と葛藤に、苦々しく表情を歪める。
コウは笑顔のまま、そんな天の肩に手を添えた。
「ありがとう、伊吹くん。君のその気持ちだけで、ヒカリはまた少し救われるよ」
「……っ」
なんて言葉を紡げばよかったのだろう。
顔を上げた天は、微笑むコウの優しく細められた虹色の瞳を見てもまだ、声を出すことも出来なかった。
「この服……、朔の服だね」
懐かしそうに、コウは天の着る、真白な外套を眺める。
「……はい」
「妹はよほど君のことが気に入ったようだね。私も、カルミラが信じるものは心から信用するよ。だから、……君のことも」
片目を瞑って笑って見せる、その笑顔はとても効果的だった。
……もうこれ以上、何も言えなくなってしまう。
その信用に、応えなくてはいけないと思ってしまう。
人知れずセントラルを守り続けている『賢者』を思って、それを黙して見守るしか出来ないことを思って、天はもう一度唇を噛み締めた。
「コウ! コウ!! どこだ!!」
慌ただしい声が、廊下に響き渡る。
尋常じゃない慌て様で、コウの名を叫びながら走る男の姿。
その燃える炎のような赤毛の長い髪が、遠く離れた廊下の奥からも良く見えた。
「ここだ、セシル。どうした?」
「あぁ! コウ!!」
主の姿を見つけたセシルと呼ばれた男は、その険しい表情を一瞬だけ明るいものに変えて、こちらへ駆けつけてくる。
長く赤い髪には、どうも似つかわしくない、上等なスーツ姿。
主であるはずのコウに馴れ馴れしい口を叩いてはいるが、こう見えても、彼はウインズゴッドのとても優秀な秘書の一人だ。
「緊急通信だ! サウスシティから、救援要請!!」
さっと、天の顔から血の気が引いた。
コウの顔から笑顔という笑顔が消え去り、同時にこちらに向かって来ようとしていたセシルの元へと駆け出す。
「状況は? サウスの様子は?!」
コウを先頭に、セシルと天はその後について走り出す。
「城壁が壊れた。一緒に防壁の防御結界の装置が壊れたらしい。サウスへの魔法陣システムは完全に乗っ取られた。転移できない!」
ちっ、とコウが舌打ちを返す音が耳に届く。
「皆は? 街の人は?!」
駆ける速度を上げながら、天はセシルに問いかける。
「樹管理所に行った英雄ルカが現地魔物退治者と防御結界を張ってる。まだ無事だ」
ルカが?!
いくら十二英雄と呼ばれるルカでも、サウスシティ全体を守る防御術を使って、使い続けて、一晩越せる術力など持っていないはずだ。
昨晩のアスタロテとの戦闘で負った怪我だって、完全回復したかどうか疑わしいのに。
ぎり、と天が歯を噛みしめる音を、二人は聞く。
「伊吹くん、カルミラを探してきてくれ! 多分、投影室にいるはずだ。急いで!」
「はい!」
次の廊下の角で二人と別れ、別の方向へと道を折れる。
投影室。
確か、あちこち歩き回っている途中で見たはずだ。
……そう、カルミラさんがいた廊下の、あのずっと奥。
頭の中でこのフロアの地図を思い浮かべると、天は迷うことなく、廊下を疾走していった。




