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Holy&Evil  作者:
10/20

セントラルシティ

/整備道路上・セントラル行き/

[P.M.21:53]


 時速百二十キロを軽く超える、カルミラのバイクが疾走する。

 道を塞ごうとする魔物を、跳ね飛ばし、轢き潰し、四散させながら。

 日が落ちた当初、戦闘を覚悟していた二人であったが、魔物は遠巻きにこちらを窺ってしかこなかった。

 不思議に思ったのもつかの間、すぐに、出かける前にルカに貰った護符のこと思い出し、それがその力のためだと気付いた。

 後はひたすらに、セントラルまでの道のりを走るだけだった。


 二人の間に会話はなかった。

 と、いうよりも、会話をすることすらできない風圧が天の顔にかかっていた。

 ハデスは相変わらずカルミラの後ろに背を向けて座り、銀色の髪を風に梳かれながら、バイクに轢かれ、潰れて、遠ざかっていく魔物の死体の数をつまらなさそうに数えている。

 不意に、カルミラが前方を指差す。

 その先には、まるで闇に迷う者を誘い、導くかのような光がある。

 暗闇の夜空を切り裂く灯火。

 ひときわ輝く、高くそびえ立つ塔の先端は、光の洪水の中に在って更に眩い星の光のようだ。

 近づくほどに、この夜の闇にも決して染まらない、巨大な街が姿を現す。


 ランドセンタ・セントラルシティ。

 大陸崩壊の後、人間に残された知識と技術の結晶を集め、世界の中心とされた街。

 全世界の情報発信源であり、同時に世界最大の人口を抱える、唯一の巨大都市。

 夜といえど人間の絶対安全を保障された、侵食不可能な街。

 同時に、ここが人間にとって最大の要であることは、言わずとも知れている。


 ここになってようやく、カルミラはバイクのスピードを落とした。


「悪いけど、ハデス、貴方を中には連れて行けないの。来てくれてありがとう、とても助かったわ」


 若干声を張り上げて、肩越しの悪魔にそう伝える。


「この辺は珍しいから見て帰っても楽しいかもしれないけれど、あんまりセントラルに近付き過ぎると、魔物退治者(バスター)が飛んでくるから気をつけて」


 カルミラの物言いに、ハデスは小さく鼻で笑った。


「俺がやられるとでも?」


「逆よ。向かって来た魔物退治者(バスター)を貴方が殺したら、私、始末書どころじゃ済まされないもの」


 カルミラは、今にも声を上げて笑い出しそうな顔でそんなことを言う。


 それもそうだろう。

 ハデスは一応、世間的にはサウス管理統括(カルミラ)の『監視下』という扱いになっているのだ。

 例えば、そんなハデスが人を手にかけ、魔物退治者(バスター)と敵対したとなれば、カルミラに責が問われるに決まっている。

 そうなってしまえば、どんな恐ろしいことになるか、……想像だに易い。


 二人のやり取りに天が苦笑する間にも、バイクはどんどんセントラルに近づいていく。

 ハデスはほんの少しニヤリと笑って、タンデムの上に立ち上がると、夜風に乗るように暗闇の空へ飛び立つ。


「ハデスさん、また後で」


 笑顔で手を振る天を振り返りるハデスが、もちろん答えることは無い。

 そのままふわりと大気に溶けるように身を躍らせると、何処かへと、夜の空の彼方に消えて行った。

 天とカルミラは、その姿を見送り、一度視線を交える。

 そしてバイクは再び、スピードを上げて走り出した。






/ランドセンタ・セントラルシティ正門/

[P.M.22:12]

 強靭な門が、城壁と同じようにそびえている。

 カルミラは通用門の前にバイクを止めると、あからさまに機嫌の悪そうな表情を押し隠しながら、ゴーグルを外した。

 もちろん、それに天が気付くほどなのだから、彼女の機嫌の悪さは滲み出るようにして身を覆っている。

 カルミラの後に続いてヘルメットとゴーグルを外しながら、天はサイドカーから下りた。

 一切の外敵から街を守るために、門は硬く閉ざされている。


「素直に通してくれると、楽なんだけどね」


 天に向かって苦笑い浮かべて見せたカルミラは、大きく一息、息を吸い込んでから通用門を叩いた。


「サウスシティ管理所統括、カルミラ・樹。セントラル中央塔緊急任務を終え、急行しました。門を開けてください」


 しばしの沈黙の後、小さな確認窓がパシリと音を立てて開いた。

 扉の向こうにいる門看守らしき人物の目だけが、その小さな窓から見えている。

 その険しい、疑いに満ちた、訝しげな視線。

 カルミラの端正な顔に張り付けられていた仕事用の笑顔が、外見は一部分も変わることなく、内側で、怒りと苛立ちと鬱陶しさに引きつったのを、天は隣で感じ取っていた。


「身分証明と任務パス、もしくは通行パスを」


 確認窓から差し出される小さな機械、データ照合機に、指先の魔物退治者(バスター)管理チップで触れる。

 もちろん、カルミラの後に、天も指先を差し出した。


「任務パスは出なかったわ。確認するなら早くして頂戴」


 門守はじろりと二人を睨め上げ、またパシリと音を立てて確認窓を閉めた。

 カルミラは腕を組み、抑えきれていない苛立ちをため息にして吐き出し、少しでも気を紛らわせるために天へと振り返り、問いかけた。


「天くん、セントラルには?」


魔物退治者(バスター)登録の時に一度来たきりです。……あ、そうですね、…そんな感じです」


 若干言葉を濁した天に、ふぅん? とカルミラは少し疑問に首を捻りながら返す。

 本当はもう一度、別の理由でセントラルに来たことがあるのだが、街を見て回るどころか、一歩たりとも外に出ることも出来なかったので、実質その一度と言ってもおかしくはない。

 特に今、言う必要は無いだろうと思って、天は言葉を止めた。


「そうか。私は、……そうね、久しぶりだわ。こんなことで戻ってくるとは思わなかったけど」


 そう言って、セントラルシティを取り囲む絶対の防壁を見上げるカルミラの横顔は、思い出に浸り、懐かしんでいるのか、たくさんの感情と思考が含まれた複雑なものだった。

 パシリ、と機械的な音を立てて再び、確認窓が開く。


「現在、セントラル中央塔からサウスシティ管理所統括に緊急任務は配信されていない。よって任務内容を述べよ」


「何ですって?!」


 門守の無機質で業務的な言葉と、その返答に、カルミラは間髪入れず叫んでいた。

 そして途端に何かを思い出して、ぐっと口を閉ざす。

 明らかにこちらを不審に思った門守の目が、一層の冷たさを含んで睨みつけてくる。


「天くん、ちょっと!」


 その視線から逃げるように背を向け、天を呼ぶ。

 すぐ近くの門にまで声が聞こえないように、カルミラは天の腕をグイと引っ張って距離を失くす。

 金色の前髪が自分の前髪に触れ合うほど近づいて、天は思わず赤くなった。


「しくったわ……。任務の内容が重大すぎるのよ。十二英雄消息不明、その調査なんてもの、上でことを運ぼうとするに決まってる。任務が公にデータとして載る訳がない。……ヤバいわ」


 ぼそりと、細く綺麗な指で眉間を押さえて呟く。


「な、何でそんな超重要任務が僕らのところに来たんですか? 任務パスがなくて、門守もデータ調べられないって…、どうやって中入るんですか?!」


 このままでは、せっかくセントラルに来たというのに街の中に入ることも出来ない。


「いや、手は、あるんだけど、……久しぶりに帰って来て早々これか…、元はと言えば任務パス作らなかったあっちが悪いんだし、私は悪くないんだけど、あぁ…、忙しいだろうに、でもなぁ…」


 もちろんカルミラもここまで来て、街に入れませんでしたと大人しく帰るつもりはないらしい。

 両手で顔を軽く覆うと、少しうなだれて唸る。

 どうやらカルミラは、ぐるんぐるんと現状の打開策に対して思考を巡らせている様子だ。

 しかしながら天には、どれだけ考えてもすんなりこの門を潜れる手だてを思いつくことが出来なかった。

 仕方なく、カルミラの考えがまとまるのを待つしかない。

 そんな風に、こそこそ、ぼそぼそ、門に背を向けて話し合っている二人の姿に不信感目一杯の門守は、ある意味痺れを切らしたのか、先ほどよりも際立って冷たい声で、二人に呼びかけた。


「おい、あんたら、そんなバイクでどうやってここまで来たんだ?」


 黙って振り返った自分たちに向けられる門守の、まるで人間ではない何かを見るような目つき。

 隣に立つカルミラの眉間にしわが寄り、その美しい面に、すうっと影が射したのを、天は見た気がした。


「最近、特例が多数報告されててな。つい一昨日も、ウエスで知恵のついた、話す生ける(リビングデッド)を昇華した話が出たところだ」


 天は思わず、苦笑いを更にひきつらせた。

 さすがに、魔物が往来する夜道をこんなバイクで走って来たのだ。

 よほどの能力があり、高度な守りを持った魔物退治者(バスター)でもおいそれとやってのけることじゃない。

 そしてその常識から考えて、この門守は、自分たちがまともな知性のある魔物か何かだと疑っているわけだ。

 今の人間たちにとって一番安全で、一番重要である街を守る役目を負った警備担当、門守たち。

 街の中に、魔物と疑わしき者など入れるものか、と言わんばかりの立派な仕事っぷり。

 天は、憎たらしいとか、呆れるとか、そういった気持ちなどとうに無くなって、感心だけを覚えていた。

 カルミラはにっこりと、今までにない笑顔で、そんな門守、もちろん見えているのはいまだ目だけだけれど、に笑いかけた。


「私たちを疑いたい気持ちは分かるわ。でもご期待には添えなさそうね」


 穏やかに微笑むカルミラの笑顔は、ちょっと気を抜いていたら男は誰でも見惚れそうな魅力があった。

 門守の彼も、その微笑には少し心を奪われたようだったが、すぐに気を取り直したかのように数度頭を振ったのが見えた。

 改めてこちらを疑いにかかる目に、カルミラはため息を吐きだす。


「いい加減、私たちもここで時間を喰ってるわけにもいかないのよ。悪いんだけど、今すぐ中央塔上層部に繋いでくれるかしら? できれば、コウ・ウインズゴッドに」


 ため息混じりに吐き出されるカルミラの口から出た名前に、門守だけではなく、天も驚いた。


 ウインズゴッド。 


 この世界で、その名前を知らない人間はいない。

 誰もが身につけている、魔物や邪気から守る、宝玉やアミュレットを制作し、全世界に配給する、現世界で最大の会社。

 魔法や術が認識されるようになったことに混乱を見せる人々を諭し、その使い方を誰もが理解できるようにと学校を造り、魔物と戦う者達を養成し、そのシステムと管理所を設立することを提案した。

 セントラルにある世界管理システムを制作、管理し、東西南北の街とセントラルを繋ぐ移動手段、魔法陣システム(ゲート)を新たに作り出した。

 街を守る防壁も、それを動かせる装置も、魔物退治者(バスター)たちの武器、防具も、一般への生活機器も。

 この会社がなければ、人間は、壊れ果てた世界の中、これだけの水準を保って生活をしてはこられなかっただろうと言い切れてしまう。

 そのウインズゴッドを取り仕切るのが、コウ・ウインズゴッド。 

 英雄、樹朔と並ぶ有名人。

 並みの魔物退治者(バスター)、いや、十二英雄さえ凌ぐほど、世界一多忙な人だ。

 しばらく絶句していた門守はやがてゆっくりと思考を取り戻して、その顔に乾いた笑みを浮かべた。

 もちろん、こちらに見えたのは目だけだけれど。


「あの、コウ・ウインズゴッドに? 冗談はやめて、いい加減任務内容を述べるか、諦めてあんたらが来た方法で休憩所にでも行ったらどうだ? それで、夜の間にちゃんとした通行証か任務パスをあんたらに任務を言い渡した奴にでも貰ったらいいだろう。何の証明も出来ずにここを通れると思っている方がどうにかし……」


 天が止めに入る間もなかった。


 ドカンッ!!


 と、カルミラは、彼女特製の改造魔物退治者(バスター)ブーツで通用門を蹴りつける。

 当たり前だろうが、全く信用されていない口ぶりに、カルミラの顔からはとっくに仕事用の笑みは消え失せ、余裕も、ついでに忍耐も、ゼロになっていた。


「いいからさっさとコウに繋げって言ってるのよ! あんたが用心深くていい門守だってのは報告してあげる。だけどこっちは急ぎなの。四の五の言わずに、言うことだけ聞いてなさい! じゃないと後でたっぷり後悔させてあげるわよ」


 真昼の青空色をした瞳は、見るも恐ろしいほどの苛立ちで険しさを帯びている。

 ひどく何か言いたげな門守は、そのままカシャリと確認窓を閉めた。


「くそう、こんなことなら前もって手ぇ回しておくように言っておくんだった。まさかパスがいるようなことになるとは…」


 腕を組んで、苛立ちにまかせてふんぞり返ったカルミラは、通用門を睨みつけたまま悪態をつく。


「夜の街は、特に警備部隊はどこもこんなもんですよね」


 カルミラの苛立ちも分かるが、門守たちの仕事も分からなくはない。

 鉄壁のセントラルの大門を見上げながら、天はどこか懐かしげに呟いた。


 通用門の中が少し騒がしくなった。

 仲間たちと相談でもしているのだろう、聞こえてくる声はどれも訝しげなものばかりだ。

 ほんの短い間があって、確認窓が再び開く。

 そこから、先ほどとは違う男の目が見え、小さな通信機のようなものが差し出された。

 それを奪うように受け取りながらも、通用門に額を当てるような近さで耳に当てる。

 カルミラがその通信機で交わした会話は、とても短いものだった。


「三分? 待てないわ。三十秒でやって」


 それだけ告げて、カルミラは門守に通信機を返した。

 静かに、確認窓が閉まる。


 そして、待つこと暫し。

 カルミラが言った通り、本当に三十秒程度だったかもしれない。

 急に、門の中は騒がしくなった。

 かしゃり、かしゃりと確認窓が数度開かれ、こちらを窺い見る。

 出てきたのは違う目ばかり。

 それもその全てが好奇の輝きに満ちており、一体何故なのか、天は疑問に思わずにはいられなかった。


 そしてついに、二人の為に門は開かれた。

 バイクを押し進め、素早く門の内側に移動する。

 すぐさま、背後で門は閉じた。

 街の外と中を隔てる、特別に強い退魔術を施した強化レンガで造られた分厚い防壁の内部。

 灯りが無く、薄暗くはあるが光を必要としないのは、防壁内部だと見て取れる強化レンガ一つ一つに組み込まれた退魔術式が薄らと光り輝いているからだろう。

 よほどの魔物でなければ、防壁付近に寄ることも出来ない強さ。

 また、この中に入ることなど出来はしない。


 門をくぐって、街まで続く一本の道。

 そこにずらりと並んだ十数名の門守達が一斉に、二人に向かって敬礼した。


「非礼、お許しください。ようこそセントラルシティへ」


 先ほど、通用門の確認窓から二人を好奇の目で見ていた目たち。もちろん、カルミラに怒声を飛ばされた目もいる。

 その見事なまでの変わりように、思わず舌を巻いた。


「ありがとう。良いお仕事を続けてください。……行くわよ、天くん」


 淡々と社交辞令を述べたカルミラはそれ以上何も言わず、バイクを押して防壁を抜けきるまでの長い一本道を進んでいく。

 敬礼を続ける門守たちを横目に見た時、天は、彼らの向こう、詰所に使われている部屋で煌々と光っているデータ照合機の繋がれたパソコンの画面に気付いた。


『ああ、あれのせいか…』


 微かに見えた画面の中には確かに、自分の姿と、カルミラの姿。

 ここに来たとき、照合機にかけた自分たちの魔物退治者(バスター)としてのデータを、彼らが見たに違いない。

 はるか後方になった門守達の声が、微かに天の耳に届く。


「あの優男、あれがイース最強の伊吹かよ…」


「あの美女がサウスの管理統括? 本当に、英雄の…?」


「しー、いらないことを言うな。ウインズゴッドが黙っちゃいないぞ」


 仲間にたしなめられて、口を噤む門守たち。

 背中にまだ彼らの視線を感じながらも歩き続ける天は、ほんの微かに、隣を行くカルミラを見やった。

 どうやら、カルミラにも彼らの声は聞こえていたようだ。

 視線が交わると、目を細め、少し疲れた苦笑いを浮かべて見せた。


 ようやく防壁の中を歩き抜け、街へ通じるもう一つの門を潜ると、目の前に広がる景色は一変する。

 目も眩む、光の洪水。

 夜を夜として見せない、辺りを照らし尽くす、溢れる電気の光。

 建物を飾る、幾つもの電飾、美しいネオン。

 どこの街よりも発展した、セントラル独特の、機械で整備された街並み。

 夜だというのに、通りに連なる開け放たれた店々、活気のある人々、その人波。

 そう多くはないが、車が走り、バスが走り、どうみても十代の子供たちが笑いながら夜道を歩く。

 絶え間なく耳に届く、賑やかな音楽。

 セントラル中央ストリートにある、有名なビルに掲げられた巨大スクリーンには、美しい声で歌う美女の映像。

 活動する機械たちの音。

 夜を楽しむ人たちの声。

 それは世界が崩壊する前の旧世界では、どこに行っても見ることができた光景。

 今となってはセントラルでしかありえない、不可侵な夜の場景だった。

 呆然と、目の前に広がる光景に見惚れていた天の背を、カルミラはポンと優しく叩いた。


「観光は、時間があったらさせてあげる。早く乗って、行くのは中央塔だから」


「は、はい」


 ひらりとバイクに跨るカルミラに続いて、天もサイドカーに乗り込んだ。

 静かに、バイクは走り出す。

 自分たちの脇を過ぎていく風景に目を向けながら、天は心のどこかで感じてしまう違和感に戸惑った。


 機械に寄り添い、発達した旧文明は確かに在った。

 だけど今は、それだけでは生きていけないことを、誰もが知っている。

 魔法を、術を操り、武器を手に、人外の異形と戦い生き延びる。

 夜の時間を恐れずに笑う人々の姿に、天は微笑みながらも、込み上げる不安に胸を押さえた。


 そんな一魔物退治者(バスター)の戸惑いなど知らず、セントラルは今日も、夜の闇に怯えることはなかった。

 



                       *

 セントラル中央塔。

 天は口を開けたまま、そびえ立つ三つの塔、巨大なビルを見上げた。

 ここが人間たちのマザーコンピュータ。

 この世界を生きるための、最重要部、中枢核である。

 塔はセントラルシティの、どの建物より高く、三つの建物で成り立っている。

 中でも、中心の塔。

 その最上階は、まさしく街を一望できる高さに在り、今も神々しいほどの光を放っていた。

 街の外から見た、セントラルシティ全域を照らしていた光。

 それは間違いなく、電気系統の光ではなく、術によって発せられる守りの光だった。

 星かと見紛う輝きと美しさ。

 そして自分が術を操ることの出来る者だからこそ感じる、優しい力の波動に、天は目を細める。


「ほらほらほら、ぼさっとしない! 行くわよ!」


 バイクを止めるなり、そう捲し立てるカルミラに背を押されて、天は歩き出した。


 中央塔に入ることが出来る場合というやつは、限られている。

 一般的には魔物退治者(バスター)登録をする、その時のみだろう。

 万が一、この場所が敵の脅威にさらされた場合、セントラル全域に住む者達は即刻、死に直面する。

 そしてゆくゆくは、全世界の人間があらゆる意味で窮地に立たされる。

 それほどまでに重要で、重大な、人間たちの要の場所である。

 警備も厳しく、用の無い者は決して入ることは出来ない。

 中央塔で働く人物も多々いるが、ほぼほぼ、一般人たちには立ち入り不可能な場所と考えてもいいだろう。


 それなのに、カルミラは躊躇いも、遠慮すら微塵もなく、ズカズカとエントランスに続く階段を上がっていく。

 エントランスの両脇にいる屈強な警備員が、ちらりとカルミラの姿を見た。


「うえぇ? いいんですか! カルミラさん!」


 カルミラを追いかけて階段を駆け上がろうとした天は、唐突に誰かの視線を感じて、空を見上げた。

 在るのは、高い建物だけ。

 何百もある、窓という窓。

 そのどこかに誰か人がいたとしても、ここからその姿を見て捕らえることが出来る訳がない。


 だが今、確かに、……誰かが僕を見ている。

 明確な意思を持って。


「天くん! 何してるの、早く!」


「あ…、すみません!!」


 天はまだ警戒を捨てきれないままに建物を振り仰いで、それから、カルミラの後を追って中央塔に入って行った。


 ……天の読みは、確かに合っていた。


 今、天たちが入っていった塔の、ほぼ向かいに当たる別の塔の窓の一つから彼らを見つめていた男は、静かに口元を緩めたところだった。

 その闇色の外套は、明かりを灯していない部屋の暗さと同化するかのように、黒い。


『……今の魔物退治者(バスター)、……それにあの外套(ふく)。……ふふ、懐かしいな』


 男の指先が、窓ガラスをなぞる。

 それは、彼の視界から、天が消えたエントランスの上に触れるような動作だった。

 男は鳶色の瞳をゆっくりと細めて、中央塔の最上階に在る、守りの光を見上げると、音もなく身をひるがえし、その場から姿を消した。




                       *

 背後で自動ドアが音もなく閉じると、目の前には中央塔の管理塔一階、エントランスホールが広がっている。

 広々としたの中央ロビーには、大きな受付カウンター。

 そこにはいつでも受付係たちが座り、その側だけでなくフロアのあちこちに警備員が立っている。

 ここまでは、天のみならず、多くの者が知っている中央塔の姿だ。

 普段なら、新たに魔物退治者(バスター)となるために登録に来た者や、その管理に携わる関係者などで忙しく賑わう場所だが、夜というだけあって人気は全くと言っていいほどない。

 こんな時間にやって来た、魔物退治者(バスター)と思しき二人の人物に、警備員たちは訝しげな視線を注いでくる。

 天は若干、その視線を気にしながらも、どんどん奥へと足を進めていくカルミラの後を追い続けた。

 さすがに状況を飲み込めず、その迷いのない歩調に着いて行くことが躊躇われて、天はカルミラに声をかけようとした。

 だが、天がそれを実行に移す前に、カルミラはぴたりと足を止める。

 彼女の視線は、真っ直ぐに前だけを見ている。

 カルミラの肩越しに受付カウンターを見やって、天はようやく、そこに一人の人がいることに気付いた。


 こちらに背を向けて立っている、ひどく身なりのいい男性。

 自分よりも明るい、栗色の髪。

 背も、幾分か自分の方が高いだろう。

 適度に鍛えられている体躯に無駄はなかったが、少し細身に見えた。

 それは彼が、天が久しく目にすることのなかった服、上等なスーツに身を包んでいたからかもしれない。


「……コウ」


 そう大きくはない声で、カルミラが呼びかける。

 すると、その男性は静かに振り返った。


 こちらを見た途端、男性の顔には柔らかな笑みが広がる。

 その一瞬だけで、天はドキリとした。


 ほんの僅かな光の角度で移り変わる、虹色の瞳。

 それはまるで幼い時に初めて見たシャボン玉のように心を捕らえ、どんな宝石にも勝るとも劣らない美しさを持っていた。

 その面はどこもかしこも整っていて、しかしながら決して傲慢には見えず、許されることならずっと眺めていたいと思ってしまうほど、万人受け間違いなしと言い切れる顔立ちだった。

 その上で、浮かべられた優しい微笑み。

 この時点だけでも、天は彼に好感しか抱かなかった。


 こちらに歩を進めながら、緩やかに開かれる両腕。

 虹色の瞳をした男性は、その笑顔を紛れもなく最上級のものにしながら、口を開く。


「カルミラ、……よく帰った」


 そう言って静かに、だがしっかりと、カルミラを抱きしめる。

 カルミラは何も言葉を返さない。

 ただ、彼が気付いたかどうか、抱擁を浴びせられながらも、カルミラが緩やかに口元を引いたのが天からは見えていた。

 二人は、暫しの再会を噛み締めてから、離れる。

 カルミラはすぐさま天に向き直って、隣に立つ、虹色の瞳を持つ男性の名を告げてくれた。


「紹介するわ、コウ・ウインズゴッド。コウ、こちらが伊吹天くんよ」


「よろしく、伊吹くん。君のことはカルミラから色々と聞いているよ」


 にこりとコウは柔らかな笑顔を天に向けながら、手を差し出してくれる。


「は、初めまして! 伊吹天です!!」


 天は内心、がちがちに緊張しながら、震える手でコウと握手を交わした。

 自分にとって、コウ・ウインズゴッドは、英雄・樹朔と同じくらいに雲の上の人物。

 新聞やテレビでしか見ることのない、憧れと敬意を抱く人。

 自分と同じ魔物退治者(バスター)として尊敬するのとはまた違う、人間がこの世界で生きるために日々最先端で働き続けている、尊敬に値する人。

 そんな人物が、自分の事を知っているよと笑いかけてくれている。


『なんでだ? なんでこんなことになったんだっけ?!』


 天は半ばパニックになりながら、自分を置いて話を始める二人を見やった。


「上に行きながら話せる? きっと急ぎになるわ」


「あぁ、もう都合はつけてある。相変わらず、上層部の連中は忙しすぎて半分も居ないがな。全員の幹部は来ている、話は即座に通るさ。……で、何か情報は手に入ったか?」


 頷くカルミラを見たコウの表情が、凛々しいほどに仕事顔に変わった。

 その顔は、よくメディアで取り上げられ、見覚えのある、コウ・ウインズゴッドの顔だった。


「行こう」


 歩き出すコウの後に続いて、カルミラと肩を並べ、天も歩き出す。

 彼が側を通り過ぎると、警備員たちは一斉に深く頭を下げた。

 そんな様を後ろから眺めながら、天はこっそりカルミラに問いかける。


「……カルミラさん、なんで、コウ・ウインズゴッドさんと知り合いなんですか?」


 天の素朴で重大な疑問に、カルミラはちょっとだけ口元を引き、少し照れた表情で空色の瞳を細めながら、教えてくれた。


「兄なの」


「……へ?」


 絶句する天に、カルミラは苦笑する。

 コウとカルミラ、そして呆然とした天を乗せて、エレベーターは中央塔の中枢核に向かうため、静かに扉を閉めたのだった。



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