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Ⅰ.
リロイ・バーニンガムは思う。
世の中は不公平であると。
彼の生い立ちは平凡極まりない。どこにでも居る夫婦の間に次男として生まれ、どこにでもあるような生活をして育った。
彼が世の不公平に気付いたのは彼が六歳の時だ。
小等教育が始まり、初めての魔法学科教育が行われた。周囲がたどたどしくも初歩の初歩である燐光の魔術を行い、自らの指先に光を灯す中、彼の指先だけは普段と変わらないままだった。
その後も魔法の学科が行われる度、彼はどれ一つとして成功出来ず、その事実はやがて級友達のからかいのタネになった。
他の学科がいくら優秀であろうと、この世界の生活の根幹を成すにまで至った魔術を行使出来ない事は、周囲から見れば劣等と呼ぶに値した。
月日が経ち、彼等が成長するにつれそれはエスカレートし、からかいは暴力を含むものに変わっていった。
級友達に馬鹿にされ、お前は魔術を使えないと揶揄されたが、それでもリロイは努力を怠る事なく、魔術を成功させようとした。
彼は図書館に通い詰めあらゆる書物を読み漁り、学んだ。
だがその全ては実を結ばなかった。
ただ――その代わりに得る物があった。
魔法が人々の生活を支える中、道楽や玩具遊びと言われるような物でしかないそれは、彼にとっては魔法に代替し得る素晴らしい物だった。
彼は図書館に収められていた数冊の本を借り出し、その日の内に全てを読み尽くし、最初に得た予感を確信に変えた。
かくして、リロイ・バーニンガムは科学者の一歩を踏み出したのであった。
「科学者? 酔狂な肩書きを名乗るのね、貴方」
フェイリスの問い掛けに、皮肉った笑みで肩を竦めて少年は答えた。
「酔狂だなんてとんでもない。僕は至って真面目ですよ。まあ商売相手はもっぱら伊達や酔狂の変人ばかりですが」
「……それで? 貴方が科学者である事と私にどんな関係があるの?」
「そうですね。エンジンという物をご存知で?」
「……いいえ」
「でしょうね。まあ大雑把に言うと爆発の力を推進力等に変える機関の事です。昨年、それの実物公開と論文発表を同時に行った人が居まして。まあ随分な驚きに満ちて受け入れられました。科学者のみにですがね」
爆発という単語にフェイリスが方眉をぴくりとさせる。
「昨年のは蒸気機関エンジンだったんですが。いや、やられましたね着想自体は僕もあったんですよ? しかし如何せん齢十五の若輩では資金力が違いますからね。
思考は我が身一つで出来ますが形に為すのはそうもいかない。僕が小型レプリカにアルコールランプで四苦八苦してる間に大型魔導機サイズの蒸気機関を利用した車を作られてしまいました。
論文だけでも提出しておくべきだったなぁ。あぁでもやはり実証が伴わない研究は僕の主義に反するしなぁ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「はい?」
「結局、私に何の用なの?」
フェイリスが途端に饒舌になったリロイを制して尋ねると、リロイは苦笑を浮かべた。
「すいません。どうにもこの手の話は止まらなくて」
照れを隠すようにリロイは咳払いをすると指をピンと立てた。
「問題はサイズなんです」
「え?」
「何故大型魔導機サイズだったのか。まあ端的に言って一番の要因は燃料なわけです。石炭を使い、長距離間の駆動を目指すなら石炭を大量に積まなくてはならない。
石炭を積むのは蒸気機関車本体ですから車両自体を大きくせざるを得ない。それに合わせて出力の確保の為にエンジンも巨大化する」
「だからそれが一体――」
「ネックは燃料なんですよね。そこで考えた訳ですよ。爆発を魔法によって行えば機関の小型化を出来ると。そこで貴女なんです」
リロイのその言葉にフェイリスはあからさまに眉をしかめた。
厳しい視線をリロイに送り、押し殺した声で言葉を発した。
「だから私が必要? 馬鹿言わないで」
「馬鹿じゃないですよ。もう貴女に決めました」
「何故」
「先程の男性の頭」
リロイは指先で自らの頭を指差し、にやりと笑う。
「僕が貴女に目星を付けてから抱えた不安は爆発のコントロールです。でもその不安はもうなくなりました。
先程の爆発。男性に怪我をさせずに頭髪だけに熱を与えていた。貴女の爆発に対する高いコントロール能力を示す証左です」
それから思い出したように手を叩いて続ける。
「そうそう。不安はもう一つ。貴女の運動能力ですが……あのトレイ投げ見事でしたね。運動能力も高そうですね。うん、やっぱり貴女しかいないですね」
朗らかな笑顔を浮かべるリロイに対して、フェイリスは険しい表情のままだった。
「一方的に話を進めないで。……私はやらないわ」
「やって下さいお願いします」
「……貴方が自分でやれば良いじゃない」
「そうもいかないんですよ。僕魔法使えませんから」
「簡単な爆発の魔法くらい――」
「もう一度言います。僕は魔法を使えません。これは比較的にではなく絶対的にです」
「え?」
「僕は生まれてこの方、魔法を使えた事がありません」
Ⅱ.
フェイリス・アルバートは劣等生である。
彼女が魔法を使えば大抵魔力の固定化がままならず単純なエネルギーとして放出され爆発になってしまう。
その事は長年彼女を苦しめた。
周囲が次々と新たな魔術を会得していく中、彼女だけは炎と煙にまみれるだけだった。
どれだけ魔力を調整しようと爆発の規模が変わるだけで結果そのものが変わるわけではない。
周囲から馬鹿にされ続けた彼女はいつしか表情を凍らせ言葉少なになっていった。
友人も出来ず、中等教育を終えるまで彼女は孤独な学生生活を送り、高等教育に移る前に働き始めた。
どうせどれだけ学ぼうと変わらない。自分は魔術を用いない職に就くしかないのだという諦観がそうさせた。
ウェイトレスを始めた彼女は実直に働いた。常連客に自分の魔法について知られ、爆発娘という、彼女にとって屈辱的な渾名をつけられてもそれは変わらなかった。
店主夫妻はそんな彼女を気に入ってくれたし、馬鹿にされる事には慣れていたから辛いとは感じなかった。
ただ時折、街中なら様々な所から眺める事の出来るシューティングスターレースを眺めては、あんな風に空を翔てみたいという憧れを膨らませた。
それが叶わないと思いながらも、そう思ってしまう自分が、彼女は大嫌いだった。
街中が歓声に包まれていた。
昨日に引き続きの、王者「蒼雷のリィン」がするレースとあってリィンのファンが歓声を上げている。
それを、観客席の外からフェイリスは眺めていた。
レースは佳境。蒼い燐光が尾を引いて流れていく。フェイリスはそれを、単純に綺麗だと思う。
魔力の発現によって魔素が発光を起こす事で燐光は放たれる。それは本人の資質に左右される。故に燐光はその本人のパーソナルカラーとして捉えられる。
しかし、フェイリスは自らの燐光を見た事がない。燐光が放たれるより先に爆発が起きるからだ。
果たして自分の燐光は如何なる色なのか。
憧れを胸にレースを眺めるのにも痛みが伴うのは、自分の劣等感も根深いと嘆息せざるを得ない。
見上げた空にはいくつもの燐光が舞っている。あの光の中に自分も入ることが出来るなら、それはどんなに素晴らしいことだろう。しかし、その憧れを自分は否定しなくてはいけない。
振り払うように頭を振って、レースから視線を外す。せっかくの休みなのだ、こんな陰鬱な気分でいるのは勿体無い。
立ち並ぶ店の中でもお菓子を取り扱う屋台に視線を移して見て回る。店によって様々な甘い香りや果物の香りを楽しみながらどれを買おうかと考える。
甘い物好きという女の子らしい趣味は、彼女の数少ない楽しみの一つだった。
陰鬱な気分が薄らいでいくのを自覚しながら店を回っていると、聞き覚えのある声が聴こえてきた。
「ああ、すいません。そのシロップもっと多くしてもらえますか。もっと……ええ、それくらいで。どうも」
見ると、昨日店に訪れた少年――リロイがいた。手にはこの辺でも特別甘いと有名なワッフルに滴る程のシロップをかけた代物を持っている。いくら甘い物好きを自負するフェイリスでも、それを食べるところを想像すると胸焼けを起こしそうになる程のものだった。
せっかくの甘いものを食べようという気勢を削がれてしまい思わずため息を漏らす。
「何をしてるの貴方」
これも何かの縁かと思い、なんとはなしに今まさにワッフルにかぶりつこうとしていたリロイに背後から声をかける。
「おや、こんな所で奇遇ですね」
「なによそれ?」
手にもったワッフルを指して言うと、リロイはそれを掲げて見せた。
「特製ワッフルです。甘いものは頭脳労働に不可欠なので」
「それにしたって度があるでしょう。そこまで行くと美味しくなさそうだし」
「美味しくありませんよ? そもそも甘いもの、そんなに好きじゃありませんし」
キョトンとした顔で言うリロイを、怪しむように睨んで溜息を吐き出すと、フェイリスはワッフルを取り上げる。
「体壊すわよ。こんなの食べてたら」
「すいません。心配していただいて」
リロイが苦笑するのを見て、フェイリスは脱力してしまう。
大人びた表情を見せたかと思うと、歳相応の少年らしい表情も覗かせる。不思議な雰囲気をまとった少年だとフェイリスは感じる。
不意に周囲で歓声が上がった。二人揃ってコースに視線を向けると青い光が驚異的な加速で後続を引き離しにかかるところだった。
フェイリスは鮮烈なまでに舞い散る蒼い光に目を奪われ微動だにできなくなってしまう。
「……憧れますか」
まるでフェイリスの内心を見透かすようにリロイが言う。
フェイリスは自分が馬鹿にされたような気がして、見上げた視線を鋭くしてリロイに向けた。
しかし、見つめたリロイの表情は真剣そのものだった。
「僕もね、憧れます。あんな風に自由に空を飛べたらって」
リロイは薄く笑んでレースに視線を戻した。
「昨日、つまらないって言いましたけど、あれは負け惜しみです」
少し躊躇うように区切ってからリロイは続けた。
「魔法を使えないのは不便です。昨日も話しましたが僕は魔法を一切使えません。詳しく言うと魔素、及び魔力を用いた技術全てです。
魔力を原動力とする魔導機も、魔素の放つ燐光を灯りとする照明も。複雑だろうが単純だろうが関係なく使えません」
今の時代においてそれは致命的なまでの欠点だ。劣等とすら言えない。現在あるありとあらゆる文明の利器が使えないのだ。
「でも……でもですよ? 僕は諦めていません。あの自由な空を」
「……本当に飛べると思ってるの?」
「当然です。今はまだ無理ですがいずれ全く魔力を介さない飛行機関も作り上げるつもりですよ僕は。そうして僕自身もあの空を手に入れます」
答えたリロイの瞳には強い意思が感じられた。
自分より絶望的だろうに。憧れるだけの自分とは違い、それを現実に変えようとするリロイをフェイリスは羨ましかった。
――いや。
羨むだけでは、憧れるだけでは駄目なのだ。
「私は飛べる?」
「当然です。しかも飛ぶだけじゃない。誰よりも早く飛べますよ。いえ、僕が誰よりも早く飛べせます」
「誰よりも……?」
フェイリスの問い掛けに、リロイは不敵な笑を浮かべて指を指した。指先の向かう先はレースであり、その先頭を翔る蒼い光だった。
「僕達の目標は一つ。「蒼雷のリィン」の王座陥落」
「な……」
「レースを引っ繰り返します。僕の科学で」
Ⅲ.
断崖都市。
レースの発展と共に反映していった都市は常にレース場である地の裂け目、その岩壁に作られていく。
最初は地上のみにあったそれも、時を重ねるにつれ地下、つまり岸壁をくり貫かれて広がっていった。レースを観戦できるようにコースに沿って岩壁には窓型に穴が開いており断崖側にはコース、その反対側には観客向けの飲食店が立ち並んでいる。
フェイリスが働く食堂もその一角にあり、フェイリス自身の住まいもそこから少し奥まった地下住宅である。コースに近ければ近い程人が多く、位置は高ければ高いほど裕福な傾向にある。
高さで言えば中層に住まうフェイリスはリロイが住居に案内すると言われ、予想していたのは自分の住居と大差ないものだった。
だが、実際に案内されたのはかなり奥まった区画であった。奥へ奥へと歩くにつれ明かりが減っていき、壁面も剥き出しの岩壁になっていき最早ただの洞窟と変わりない様相を呈していた。
「こんな所まで広がってたんだ」
「まあ割と最近ですね。色々と不便もありますが、慣れればどうということもありませんしね。さあここです」
リロイが言うと岩壁の一部に取り付けられた扉の前に立ち止まる。岩壁に不釣合なほどしっかりした作りの扉をリロイが開く。
促され中に入ったフェイリスは思わず感嘆の声を上げた。
「何これ……」
中は意外なほど広い――が、如何せん物が多い。フェイリスには見た目からどういった用途で使うのか分からない工具や、作りかけと思われる機械の部品。棚やテーブルにはガラス製の容器に収められた薬品等が所狭しと散乱している。
「すいません散らかっていて。歩きにくいでしょうが気を付けて。奥に貴女に見せたいものがあるんです」
リロイが先導して歩いていくのを後ろから追いかける。所々躓きそうになるのをなんとか回避しながら移動していくと部屋の奥に更に扉があるのに気付いた。
リロイがそれに手を掛けて押していくと、鉄製の扉が重い軋みを上げて開いていく。
「さあ、ここです」
光のない室内で最初に感じたのは油の臭い。暗い室内には何があるかは見て取れない。
それを察したのかリロイが扉横にあるスイッチを操作すると、天井に取り付けられた照明が一斉に光を灯した。
そうすることで浮かび上がってきたのは、一つの魔導機。しかしそれは一般的な魔導機とは一線を画した異容であった。
第一に、一人乗りにしては大き過ぎる。一般的なレース仕様のスマートさとはかけ離れた無骨なフォルムは至るところに取り付けられた機械類が原因だろう。だが、その中で異彩を放つのは機体後部に取り付けられた部分だ。
「それが気になりますか?」
「これは?」
「それがエンジンです。まだ試作段階ですが、これから貴女の協力次第で完成します。これがこの機体の心臓になる部分です」
そう言ってリロイがエンジンに触れる。いくつものパイプが繋げられたそれは、まさに心臓だ。
「これから翼も付けていかなくてはなりませんし、調整も考えればそれなりの時間を要することになります。しかしこれが完成すれば僕達はきっと誰よりも早く飛べる。そう信じています」
「これがあれば、飛べる……」
「そうです」
「信じていい?」
「一つ良いことを教えましょう」
そう言ってリロイは人差し指を立てて、不敵な笑みを浮かべた。
「科学者は実現可能な事しか考えません。破天荒に見えてもそれはあらゆる法則や、理論、数値から導き出される“答え”なのです。ですから「飛べる」というのは実現可能な答えなのです」
リロイが身をどかし、フェイリスに道を開ける。
「さあ、触れてみて下さい。貴女の翼に」
恐る恐るフェイリスが歩を進める。機体の傍に寄ってリロイを見ると、彼は力強く頷いてみせた。
そっと手を伸ばして触れる。金属の冷たい質感と、確固たる力を感じさせる硬質さ。指を滑らせ、エンジンに触れる。
「……」
そっと触れたそこから、フェイリスは鼓動を感じた気がした。これがあれば飛べると彼は言う。それを信じるに値するかどうかは未だ分からない。それでも信じてみたいと思う。飛んでみせると宣言した彼の瞳を見た瞬間からある予感をフェイリスは信じたい。
――飛べる。
彼はそう信じている。ならばそれを自分も信じてみたい。
少なくとも憧れるだけで何もしない自分を捨て去りたい。
希望がないと思い込むのはもう止めるのだ。彼でさえ捨てていない希望をどうして自分が捨てられようか。
フェイリスは自分がそんな情けない人間だとは思いたくなかった。
「私が手伝えばこれは完成するのよね?」
「完成します」
「じゃあ……手伝う」
フェイリスの言葉に、リロイの表情が一息に明るくなる。
「本当ですか!? ……ありがとうございます」
両の手をリロイに取られ、握られる。驚いて見たリロイの顔は無邪気そのものだった。
「僕達なら飛べます。きっと誰よりも速く」
「ええ、きっと」
フェイリスは信じることにした。
彼の信じる科学の力ではなく、彼自身を。
誰よりも速く飛べると信じる彼の想いを。