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メメント・モリ、メメント・ドミニ

作者: 大鳥星座
掲載日:2026/07/19

 目が覚めたら病院のベッドだった。

 やたらと頭が痛むことを気にしながら、朝臣(あさおみ)は直近の記憶を紐解く。


 確か、銀行の駐車場。アクセルとブレーキを踏み間違えた高齢ドライバー。

 猛突進してきた自動車の進行方向から、慌てて逃れたはず。

 その時に足がもつれて、倒れ込んだ拍子に、フェンスの柱へ頭をゴツンとやってしまった、と思う。


 打ちどころが悪かったのか、勢いがあり過ぎてしまったのか。

 意識を失い、救急搬送されたのだった。


「やれやれ、一時はどうなることかと。余分に〈天命〉を持ってて良かった」


 そんな彼のベッド脇に、在るはずがない、在ってはならないものがいた。


 全身もれなく真っ白なガイコツ。

 身に纏うのは真っ黒なローブだけ。

 何という、古典的な、クラシカルな姿だろう。


「…………ぎゃあ」


 理性が制動をかけて、短い悲鳴を上げるに済んだ。


「ん? 朝臣、まさか。とうとうわたしが視えるようになったのか」

「一応驚いちゃったけど、えっと、何だよアンタ」

「見ての通り、わたしは死神。命を運ぶものさ」


 なるほど、なるほど。と、朝臣は頷いて、自分の正気を疑った。

 病院のベッドで起きたら、死神に遭った。

 夢か? 幻覚か?

 頭を打った拍子に、脳機能のどこかがイカれてしまったのか。

 怖ろしい想像に、朝臣の背を冷たい汗がつたった。


「ア、アジャラカモクレン、キュウライス……」

「そんな架空の呪文が効くと思うな、どアホ。わたしを追い返そうだなんて失礼だぞ」

「す、すみません……殺さないでください」


 落語の知識は無効だった。

 命乞いをする彼へ、死神は「そんなことするもんか」と、優しい声音で安全を保証してくる。骨ばかりなのに声がするとは、これいかに。どんな仕組みだ。


「わたしはね、朝臣、おまえの名付け親でもあるのだよ」

「何だって? じゃあ、アンタがこんな古めかしくも雅やかな、似合わない名前を俺につけたのか」

「そんなこと言うな。似合わないなんてことない」

「学生時代、しょっちゅう揶揄われたんだぞ。おじゃるとかアソンとか呼ばれた」

「ああ。それは知ってる。おまえのそばでずっと見てきたからな」


 死神の発言に思考が止まる。そばで? ずっと?

 守護霊気取りなのだろうか。事実だとしたら、ゾッとする。


「おまえの恥ずかしい秘密も全て承知しているよ」

「やめてくれマジで。悪い夢なら、覚めてくれ」

「安心しろ。誰にも言わないから。おまえの父親とわたしは古馴染みでね、ぜひ名付けてほしいというから、そうしてやったのだ」

「そんな話、聞いたことねえよ……」

「信じてもらえると思わなかったのだろうな。面白い男だったよ」


 聞いてもいないのに語り出す死神。

 朝臣は周囲を見渡すと、幸いにも病室には他に誰もいない。


「おまえの〈天命〉もまた尽きるところだった」

「テンメイって? 余命? 寿命?」

「寿命というと、かなり違うな。それはおまえたちにとって、肉体の経年・加齢によって達する、生命活動のおおよその物質的強度の限界を、計算しようとするものだろう」

「じゃあ何なんだ」

「ふむ……〈天命〉が尽きた時、生物は死ぬ。だがそれは必ずしも、その個体の限界、余命に達する時に一致するとは限らない。肉体の生命力との関わりはないのだ。急病の発作、事故、他殺、不審死など……〈天命〉の終わりは、そういった死に方をする例(ためし)ばかりだな」

「それって、何ていうか……運が悪い、っていうものか?」

「うむ、さよう。〈天命〉とは、実質上、生き死にについての命運を左右するものだと言って良い。この星の有機生命体は皆、その身の内に〈天命〉を宿す。その残量の多寡によって、生存し得る刻限が定められるのさ」


 死神は余分な〈天命〉を生者死者から収穫してまわり、地球の大気や海中に還元する役割を担う、という。科学的に未観測の存在である〈天命〉は、地球という一つの生命体の分泌物が元になっているのではないか、とも。

 生物は、自発呼吸によって〈天命〉を体内へ取り込み、常におのれの持ち分に足して補いつつ、その量を増減させている、とのことだ。


「じゃあ俺は死ぬはずだったんじゃないのか」

「うむ。頭を打って死にかけていた。だからわたしが、手持ちの〈天命〉におまえのを差し替えた」


 言うやいなや、死神の白骨の手が朝臣の腹にズボッと突き込まれる。

 悲鳴を上げる間もなく、ヌバッと取り出されたのは、火のともったロウソクだった。


「ロウソクに視えるだろう? わたしにとっては異なる見た目だが」

「えーっと……」

「恩に着るがいい。おかげで素寒貧だが、せがれが早死にするのを防げて良かった」


 またズボッとロウソクを返品する死神にビックリしつつ、朝臣は礼儀として一応、感謝を述べた。どうやら命の恩人でもあるらしいから。


「……ありがとうございます」

「うむ。しばらく安静にしたら、元気に生きてゆきたまえ。今後も見守っててやるからな」


 それは正直に言って勘弁してほしいところだった。

 だが、死神は言った通り、その後の朝臣の人生を至近距離で眺め続けた。


 当時二十九歳、独身のサラリーマンだった朝臣は、当初、死神の存在を疎ましく、煙たがりながら、生活を続けた。

 しかしながら、つかず離れず、ときにコッソリ助言をくれたり。

 悩みを抱えたら、一緒に解決策を考えてくれたり。

 彼の行く末を案じてか、やたらと心配してきたり。

 死神の名付け親は、親心で彼に接し続けてくれた。

 朝臣にだけ視える、秘密の友人のようであった。


 死神の強い勧めに根負けして、渋々婚活をし、可もなく不可もない、つり合った相手と巡り合って、籍を入れた。

 つつましい暮らしを心がけ、産まれた子どもたちに愛情をそそいだ。


 やがて年月が過ぎ、子らが親離れして自立していくのを見送る。

 それぞれが家庭を持ち、また新たに営みを育んでゆくのを、老いぼれながら朝臣は見守った。


 彼のそばから、ついぞ死神は離れなかった。

 親離れ、子離れできてないのは俺たちだけかと、朝臣は冗談ぶって笑った。


「何か言い遺すことはあるかね」


 今際の際、死神は、ついにその命を閉じゆくせがれに問うた。


「……アンタのおかげでしあわせだったよ」

「おいおいおい、泣かせてくれるじゃないか。わたしに涙腺とかないが。スカルジョ」

「それいじょういわんでいい。むぎわらかいぞくだんにはりあうな」

「わっはっは。じゃあな、朝臣。わたしのせがれや」

「ありがとう、ととさん」


 事切れた老体を前にして、死神は長い間、微動だにせず、顔を眺め続けた。






「……やれやれ。いい人生を送れたようで何よりだった。さてと」


 死神の目前から、朝臣老人の遺体が忽然と消失した。

 と思うと、死神のガイコツ姿が、今しがた旅立ったばかりの男のものにすげ変わっている。


「ようやく本当の意味で、わたしのものになったな。朝臣、せがれや」


 コキコキと首を鳴らした途端に、その姿が若々しいものへと逆行する。

 髪の抜けきった皺くちゃだったのが、全身に活力みなぎる、青少年へ。


「うん。これくらいの歳頃がちょうどいいだろ。ま、気分で時々、着替えるとするかね。某ゲーム風に言うなら、霊基再臨? みたいな。違うか」


 死神はついに、朝臣の全てをおのれのものとした。

 死んだ彼のパーソナリティ、記憶、知識、考え方、遺伝情報、身体のつくり。豊富な幸福、豊富な経歴。

 今やそれらは全て、名付け親の手中に在る。


 律儀に臨終まで待った甲斐があった。

 名付けるということは、対象の主となるということ。

 名前を付けた相手に対し、全てを掌握する支配権を持つこと。


 死神ははじめからこうするために、ずっと朝臣に引っ付いていたのだ。


 事故で死にかけた後、姿が視られるようになってからは特に、自分の言いつけを破らせるようなことのないよう、極力気を配ってきた。

 もし一度でも歯向かわれていたら、失敗に終わったことだろう。

 ずっと、友好的に接してきてくれて良かった。

 本当に、朝臣はいい子だった。


「さあて、何して暮らそうかなあ」


 死神の機能を持ち得たまま、朝臣という男を流用し、その存在は人混みに紛れていってしまった。




〈終〉

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