第19話 ママと和解する話
ママはゆっくり歩いて、こっちに来た。
「大活躍ね。本当にバレエ初心者だって、詐欺だと思われているわよ」
誇らしいのか、呆れているのか、ママは複雑な表情だ。
とはいえレッスン中も、一緒に来ていたお母さん連中と一緒にずっとお喋りしていた様だから、どこまでこっちへの見学モードだったか分からない。
「でもまぁ、これでバレエに対する偏見もなくなったでしょ。ねぇ? これでもまだバレエの事は嫌い? ってどうしたの、泣いているの?」
ママに目ざとく涙の跡を見られた感じ。
「違う。そうじゃない。バレエは大好き、っていうか大好きになった。でもボクはもうこの教室には」
「え、ちょっとどういう事?」
そうこうしている間にも、着替え終えた子達が、そんなボク達の横を通りながら「バイバーイ」とか「またねー」とか声かけたり、肩や背中を叩いて行ったり。
そんな今日出来た友達たちに、小さく手を振った。
そして彼女たちを見ていたら、また涙が出てきた。
「でも、今回だけだからって。ボクが決めたから。だから」
「あらあら」
ママはそんなボクの肩に手を置いた。
「それは始める前に、アユミが勝手に言っただけでしょ。どうしても嫌だって言われたら、もぅ仕方ないけど。でもそうじゃないんでしょ」
「え?」
ボクはママの顔を見た。とても満足そうに笑っていた。
「でもアユミだったら多分、バレエ気に入ると思ったから」
ボクは涙をぬぐってママの方を見た。
「いいの? 続けていいの? また来週も来ていいの?」
今日出来た友達、ネギお姉ちゃんやキーちゃんやユイ先生や、他の子達ともまた会えるの?。
「あ、あー……」
ママはようやく、ボクが何を言っているのか分かった様だ。
「そうよねー、アユミは今回だけだよ、絶対だよって言っていたもんねー」
ママは揶揄う様に、煽って言った。
「え? でもさっき」
「どぅっしようかなー、そんなに毛嫌いされている様なら仕方ないもんねー」
「違うよ、ボク、バレエ続けたいよ!」
どうやらボクの勘違いというか、思い込みだった様だ。
でも今 折角だから、それを条件か何かを持ち出そうとしている。
それでもボクはバレエがしたい、続けたい。その為だったら、
「続けたい! 何でもするから」
もう、条件が不利になってもいいから、実利を取りたい。
というより、続けられるなら本当に何でもする。
「そう。じゃあママの言う事、ひとつ聞いてもらおうかな~」
「だから、何なのっ!」
もう勉強だって真剣にするし、乱暴な事も……出来るだけ控える。
スカートだって、スカートだって、この際は制服だけじゃなく私服で穿いても良いよ!
と、そう覚悟を決めていたら、
「じゃあねぇ、アユミが中学に入ってからだけど、柔道部にだけは入らないで」
ママは満面の笑みで、そう言い切った。
「え゛!?」
ボクは目が点になった。
「聞こえなかった? 柔道部だけはダメよ」
「え、そぅいう事なの?」
あまりにも意外過ぎて、ボクの目はちょっと呆然となった。
「だって死活問題よ。もし柔道部なんかに入ったら汗臭い柔道着を毎日洗わないといけないでしょ!」
「いや、毎日洗わなくても」
先輩は、週に一回ぐらいって言っていた。
「そんな汗まみれの柔道着を次の日も着るなんて、ママ許しません。2着か3着でローテーションかけるとしても、柔道着はぶ厚いから乾燥機で乾かなくて、次の日も部屋干ししなきゃいけないでしょ。そんな柔道着がずっと部屋に掛かっている生活なんか、ママ耐えられない!」
あ、何か本当に嫌がっている。
ふとボクの頭の中で、部屋に乾かない柔道着が何着も掛かっていて、むわーんと独特の匂いが広がっている光景が浮かんだ。
「で、でもバレエだって、汗臭いレオタード洗わなきゃでしょ」
「レオタードはいいの。乾燥機で乾くし、部屋に干していても大丈夫だから」
あー。何か気付かなかったママの嗜好が分かった気がする。
いつまでたっても、元タカラジェンヌなんだ。
今度はバレエのレオタードとか舞台用衣装がキラキラキラーン! と部屋干しされている光景が頭に浮かんだ。
「分かった、柔道部も相撲同好会も入らないから」
「良かったー。ママ、本当に嬉しいわ」
そう言ってママはギュッと抱きしめてくれた。
「ありがとう。ありがとう。私が好きだったバレエを、アユミちゃんも好きになってくれて」
「あ、ママ……」
ああ、やっぱママの頭の中はまだタカラジェンヌか宝塚音楽学校の生徒のまんまみたい。
下を向くと、無意識か? ママの足が5番ポジションになっていた。
と、そこに、八木先生が近付いてきた。
「お疲れ様~。今日は良く頑張ったわね」
そう言って、頭をなでなで しに来た。
「本当に初めてと思えない位。身体はとても柔らかいし、一回やった動きもしっかり覚えているし、バランス感覚も良いし。それに何より華があるわ。もう最高よ!」
「ご指導、ありがとうございます」
ボクの代わりに、ママが応えた。
「それでちょっと、相談なんですけどぉ」
八木先生、ちょっと内緒話っぽく、ひそひそ声になった。
「アユミちゃんの才能、見込みが凄くあるから、良ければ本部教室にも来ません? 週3回位で、今は未だジュニアコースだけど、すぐユースにも上がれると思うの」
どうやら、この教室が、ちゃんと本部教室の営業宣伝を兼ねているらしい。
そのパンフレットも一式持って来て、持った手を支点にざっと扇の様に広げた。
「本格的にバレエ始める場合、普通は3歳から5歳位から始めないと身体が固まってしまっていてプロバレリーナになるのは無理です! なんて言うところですが、見たところアユミちゃんの身体は実に柔軟で関節も大きく開くし、やはり体操やっていたおかげでしょうか。これは凄い奇跡です!」
そう興奮気味に、八木先生は一気にまくしたてる。
「アユミちゃんなら身長もあるし、その気になったら全世界に活躍するようなバレリーナにも。もしタカラヅカに入れればトップスターも目指せると思います」
「ん、まぁ!!」
そう言われてママも目を見開いた。
ママの中でタカラヅカという言葉が、過剰反応している。
「そうね、ママは身長足りなくてトップスターになれなかったけど、この子だったらなれるかもしれないわね」
ママがタカラジェンヌだったことは知っている。でも大活躍したという話は聞いていない。トップスターになれなかった理由は、身長だけでは無いんじゃ……と言いたかったけど、通う許可してもらった手前、今日の所は勘弁しておこう。
「そうね、アユミはちょっと男顔だし、男役が似合うかもしれないわね」
あー、もう完全にママの頭の中のお花畑が満開だ。スミレの花の。
「ああ、あああ、あの……」
バレエを続けるというところから、本部教室への参加とかすっ飛ばして、もはや華やか過ぎる未来像が広がっている。
いや、夢が大きいのは良い。
ボクも少し前までは、体操でオリンピックを目指してはいた。
でも……
そう言葉を濁していると、八木先生はうって変わって、にこやかな表情に戻った。
「そうよね。でもそれは、アユミちゃんが本気で本格的にバレエに打ち込みたいと決意した後の進路よね」
そう言いながら、八木先生の手に扇状に広げたパンフレットが、しゅるしゅると畳まれた。
「でもね、ここで練習を続けて、この教室の練習だけじゃ足りない、もっと本格的にやりたいと思ったら、そっちに進んでも大丈夫よ。きっと伸びると思うの。充分素質はあると思うから。その時は遠慮なく相談して」
そう言われて、やっと安心して息をつけた。
ついさっきバレエを知ったかと思ったら、何か壮大に世界が広がり過ぎた。
でも、出来るのかな? こんなボクでも。
そう思ったら、ママが後ろから抱きついてきた。
「ねぇ、行ってみない? 本部の練習に。こういうのはちょっとでも早い方が良いのよ。本格的にバレエ覚えて、そのバレエ枠で宝塚音楽学校受けて、未来のトップスターよ!」
あああ、ダメだ。ママは未ださっきのモードから解け切っていない。
でももう良い。この教室続ける言質は取った。
そうしたら次は……と周りを見た。
窓際の一角で、ネギお姉ちゃん達が、まだ自主練続けている。
せっかくだ。合流しよう。
「ママ、もうウザいから抱き付くのやめて」
抱き付いていたママの腕を振りほどいた。
「あん……」
「じゃ約束したからね。柔道はもうしないからね。ママ大好き!」
そう言って、ママのホッペにキスして、ボクはお姉ちゃんがいる方に走り出した。
「あらあら」
その様子を八木先生から、何か微笑ましい目で見られた。




