第13章 ― 血の流れの中の友情
救急車は夕暮れを切り裂くように走っていた。
サイレンの音が、街の静けさを引き裂く。
車内では、
ヨンビが青白い顔で横たわり、荒い呼吸を繰り返している。
その隣に、ヴェルは黙って座っていた。
彼の手は、微かに震えている。
戦いの興奮の残りではない。
――失うことへの恐怖。
今まで、一度も感じたことのない感情だった。
病院に到着すると同時に、
ヨンビは緊急治療室へと運ばれた。
処置室の扉が強く閉まり、
ヴェルは消毒薬の匂いが漂う冷たい廊下に、一人取り残される。
待合の椅子に座り、
血に染まった自分の手のひらを見つめながら、彼は呟いた。
「……もっと早く動くべきだった……」
ICUのガラス越しに、
心拍モニターの音が静かに鳴る。
ピッ……ピッ……
――だが、突然。
画面の波形が乱れ、
機械音が鋭く、不規則に変わった。
誰の心臓も、同時に跳ね上がる音だった。
慌ただしい足音が廊下に響く。
最初に駆けつけたのはレオ。
続いて、ジン、ユキ、クレイジー、ゾンビ、フラッシュ。
誰一人、いつもの冗談を口にしない。
医師がICUから出てきた。
その表情は硬い。
「容体は危険です」
短く、しかし重い声。
「大量出血。命の危険があります」
空気が凍りつく。
「必要なのはRh-null血液」
「技術的にはAB型・Rhマイナス」
「極めて希少です。時間がありません」
ヴェルは動かなかった。
だが――
記憶が、胸を打つ。
かつて、自分が血を失い、死にかけた夜。
名も知らぬ男が、彼を救った。
――俺たちの血液型は同じだ
ヴェルは立ち上がった。
「先生……俺の血を使ってください」
全員が、同時に振り向く。
「俺とヨンビは同じ血液型です」
「Rh-nullです」
医師は真剣な目で彼を見つめる。
「危険だ。覚悟はあるか?」
ヴェルは、迷いなく頷いた。
「あります」
やがて、
点滴のチューブがヴェルとヨンビを繋ぐ。
ゆっくりと流れる血。
ついさっきまで、互いを倒そうとしていた二人。
戦場では敵だった。
だが今――
命という名の一本の線で、結ばれていた。
重苦しい沈黙の中、数時間が過ぎる。
そして。
心拍モニターの音が、安定した。
ヨンビの瞼が、ゆっくりと動く。
呼吸が整う。
「……なんで……ここに……?」
掠れた声。
椅子で眠っていたヴェルが跳ね起きる。
「えっ!? 目、覚めたのか!?」
「よかった……本当に……」
安堵の笑み。
「心配させるなよ」
その時、扉が開く。
ユキが中を覗き、固まった後、叫んだ。
「ヨンビ、意識が戻った!!」
レオたちが一斉に駆け寄る。
その瞬間だけ、
ICUは安堵と小さな笑い声に包まれた。
そこには、
柱も、敵もいない。
――ただ、失いかけた仲間を取り戻した少年たちがいた。
ヴェルは静かに立ち上がり、
何も言わず部屋を出た。
病院の駐車場。
震える手でタバコに火をつける。
煙が立ち上ると同時に、
音もなく、涙が落ちた。
遠くからレオがそれを見ていたが、
あえて近づかなかった。
病室で、レオは静かにヨンビに告げる。
「お前が昏睡してる間、ヴェルは毎日来てた」
「救急車を呼ぶようユキに頼んだのも、あいつだ」
「……お前を救った血も、ヴェルのだ」
ヨンビは、長く黙り込んだ。
目が、潤む。
「……俺は……完全に負けたな……」
それは、
喧嘩だけじゃない。
――人としての敗北だった。
回想 ― ヨンビ敗北の瞬間
駐車場の炎は、ゆっくりと消されていく。
サイレンは遠ざかり、
ヨンビとヴェルを乗せた救急車は病院へ向かった。
その頃――
校舎の屋上。
二つの影が、動かずに立っていた。
夜風がヤミの黒いコートを揺らし、
その影は、笑う怪物のように伸びる。
隣で、レインがフェンスにもたれかかる。
無表情。静かで、しかし危険。
レインが沈黙を破る。
「……ヨンビが落ちた」
驚きはない。
確認するような声。
ヤミが小さく笑う。
「もう少し持つと思ってたがな」
レインは救急車を見下ろす。
「ヴェルは変わった」
「彼は戦っただけじゃない……救うことを選んだ」
ヤミはニヤリとする。
「それが面白い」
「そして……腹立たしい」
レインは息を吐く。
「ヨンビの敗北で、学園の柱構造は崩れ始めた」
「旧体制は、長くは持たない」
ヤミがゆっくり振り向く。
乱れた髪の奥で、目が光る。
「最初から、それが目的だっただろ?」
レインは一瞬、黙る。
「……ヴェルが勝ち続ければ、学園戦争は避けられない」
「シガンシナは黙っていない」
ヤミは低く笑った。
「上等だ」
「来させればいい」
レインがヤミを見る。
「じゃあ、お前は?」
「まだ動いていないのは、お前だけだ」
ヤミはポケットに手を入れる。
「俺か?」
「俺は……待ってるだけだ」
「何を?」
ヤミは、まだ煙の残る空を見上げた。
「ヴェルが気づく瞬間を……」
「すべてを守るには――」
「誰よりも大きな怪物になるしかないと」
レインは眉をひそめる。
「……もし、彼が拒んだら?」
ヤミの笑みが、歪む。
「その時は――」
「俺が、教えてやる」
強い風が吹く。
遠くで、
学校の鐘が鳴った。
レインは背を向ける。
「新しい時代が始まったな」
ヤミは、小さく笑いながら歩き出す。
「そして――」
「血が、その合図になる……ハハハハ」
― つづく




