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約束は、夜明けの鐘が鳴る前に

作者: 星宮 翠
掲載日:2025/12/21

王都の鐘が夜明けを告げるまで、あと三刻。

 リリアは静まり返った回廊を歩きながら、自分の鼓動の音だけを聞いていた。


 ――この国は、今日で変わる。


 王太子アレクシスの婚約発表が、夜明けと同時に行われる。

 相手は隣国の王女。平和条約のために選ばれた、完璧な相手だ。


 そしてリリアは、その場に立つことはない。


 彼女は王城付きの記録官だった。魔法史と条約文を管理する、ただの文官。

 身分も血筋も、王太子の隣に並ぶ理由は何一つない。


 それでも――

 リリアは、アレクシスに恋をしていた。


「まだ起きていたのか」


 不意に声をかけられ、リリアは足を止めた。

 振り向けば、回廊の影から現れたのは、よく知る銀髪の青年だった。


「殿下……」


 アレクシスは苦笑し、いつものように身分を下げるような真似はしなかった。

 今夜は、もう“いつも”ではいられないからだ。


「君も眠れないらしい」


「……はい」


 それ以上、言葉が続かなかった。

 言えば、壊れてしまう気がして。


 二人の間に、沈黙が落ちる。

 それは長年、積み重ねてきた静かな時間と同じ重さを持っていた。


 最初は、ただの仕事だった。

 条約文の確認、歴史資料の照合。夜遅くまで並んで机に向かうことも多かった。


 アレクシスは、王太子でありながら驕らず、リリアの意見を尊重した。

 リリアは、彼の理想と現実の狭間で揺れる姿を、誰より近くで見てきた。


 ――だからこそ、知っている。


 彼がこの婚約を、国のために受け入れたことを。


「……明日で、すべて終わりますね」


 リリアの言葉に、アレクシスはわずかに目を伏せた。


「終わるのは、役目の一つだ。国は、ようやく安定する」


「はい。良い選択だと思います」


 正しい言葉を選んだつもりだった。

 けれど胸の奥が、静かに軋んだ。


 アレクシスはしばらく黙ったまま、夜空を見上げていた。

 やがて、低い声で言う。


「君は、ここを離れるのか?」


「……婚約発表のあと、地方の文書院へ異動が決まりました」


 それもまた、国にとって正しい配置だった。

 王太子の“過去”を知る記録官が、王都に残らないための。


「そうか」


 それだけ言って、彼は小さく息を吐いた。


 リリアは、その横顔を見つめながら、覚悟を決めた。

 今、言わなければ。

 この想いは、永遠に記録されない。


「殿下。……一つだけ、お願いがあります」


「なんだ?」


「夜明けの鐘が鳴る前に、少しだけ……昔の話を、してもいいですか」


 アレクシスは驚いたように目を瞬かせ、そして頷いた。


「ああ。構わない」


 二人は回廊の窓辺に腰を下ろした。

 リリアは、あの日のことを語った。


 初めて王城で迷った日のこと。

 条約文の誤記を見つけ、二人で夜明けまで修正した日のこと。

 理想を語る彼の言葉に、胸が高鳴った夜のこと。


 それは、記録官としては残せない、私的な記憶だった。


「……殿下の言葉に、救われたことが何度もありました」


 声が震えないよう、必死に抑える。


「私は、あなたが目指す国を、心から尊敬しています」


 それ以上は、言えなかった。

 恋だと告げるには、遅すぎた。


 けれど――


「リリア」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。


「それは、君がいたからだ」


 アレクシスは、真っ直ぐこちらを見ていた。


「誰にも言えない弱さを、君だけは記録せずに受け止めてくれた」


 彼は、ゆっくりと立ち上がり、リリアの前に膝をついた。


「私は、正しい選択をする。だが、忘れない」


 そっと、彼はリリアの手を取った。

 それは口づけよりも慎重で、誓いよりも静かな仕草だった。


「夜明けの鐘が鳴る前に、約束しよう」


「約束……?」


「国が本当に平和になったとき。

 君がまだ、私を信じてくれるなら――」


 彼は、はっきりと言った。


「その時は、肩書きではなく、一人の男として会いに行く」


 鐘の音が、遠くで鳴り始めた。


 リリアは、涙をこらえながら微笑んだ。


「……はい。お待ちしています」


 夜明けは、別れを連れてきた。

 だが同時に、確かに未来も残していった。


 約束は、記録されない。

 それでも、確かにそこにあった。


最後まで読んでくださりありがとうございます!

派手な展開や劇的な出来事はありませんが、

夜明け前の一瞬に交わされる言葉や視線が、

読んでくださった方の心に少しでも残っていれば嬉しいです。


感想や評価をいただけると、今後の励みになります。

ありがとうございました!( . .)"



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