“居場所の形”が増えた朝
アルバローザ公爵家に来て一ヶ月半。
アレックスは少しずつ、屋敷で見る景色に慣れ始めていた。
朝の廊下。
侍女たちの丁寧な挨拶。
厨房から漂うパンの香り。
遠くで庭師が木を切る音。
以前はすべてが“未知”で怖かったのに、
今はどこか“安心できる風景”になっていた。
だが、その朝──
アレックスの部屋の扉の前で
アメリアは不思議な違和感を覚えた。
(……アレックスの気配がしない)
静かすぎる。
そっと扉を叩く。
「アレックス、いる?」
返事がない。
少し胸がざわつきながら扉を開けると、
アレックスは窓辺に座っていた。
小さな背中が丸くなり、
窓の外をぼんやり眺めている。
「アレックス?」
声をかけると、アレックスはゆっくり振り返った。
「……おはよう。」
けれど、声にいつもの明るさはない。
アメリアは隣に座り、
静かに問いかけた。
「どうしたの?」
アレックスは少し迷い、
膝の上で手をぎゅっと握った。
「……アメリア、最近……
廊下で侍女さんとか、庭師さんとかに……
いっぱい声かけられてるよね。」
「うん!みんな優しい人たちだよ?」
「うん……知ってる。
……でも、その……」
アレックスは俯いたまま、
言葉を探していた。
「……アメリアが他の人と話してるとき……
声、かけていいかわからなくなる。」
アメリアは目を瞬いた。
「えっ、アレックス、遠慮してたの?」
アレックスは言いにくそうに、
かすかに頷いた。
「……邪魔しちゃいけない気がして……
アメリアが誰かに笑ってると……
僕、入っていいのかわからない……」
胸がきゅうっとなった。
(……アレックス、まだ“居場所”を探してるんだ……)
アメリアはそっと手を伸ばし、
アレックスの手に触れた。
幼い手同士の、小さな触れ合い。
「アレックス。」
「……なに?」
「声、かけてほしいよ。
一緒に話したいし、そばにいてほしい。」
アレックスの指がぴくりと動く。
アメリアは笑顔で続けた。
「どんなときでも、アレックスは遠慮なんてしなくていいの。
家族なんだから。」
アレックスはしばらく黙っていた。
その横顔は少し強張っていたけれど──
やがて、ゆっくりと小さく笑った。
「……じゃあ……」
「うん?」
「アメリアが誰かと話してても……
呼んで、いい……?」
「もちろん!むしろ呼んで!!」
アメリアの勢いに、アレックスは驚いたように瞬きをしたあと、
ふっと表情をゆるめた。
「……ありがとう。」
*
その日の朝食。
大きな食堂に家族がそろう。
アメリアは席に座ると、
アレックスが少し迷いながら近づいてきた。
「……ここ、座っていい?」
「いいよ!むしろここがアレックスの席だよ!」
アレックスが座ると、
カインが低い声で静かに頷いた。
「アレックス。
家では遠慮はいらん。
ここにいる全員が、お前の味方だ。」
マリアも微笑む。
「アメリアがあなたを探してばかりで大変なのよ?
もっと声をかけてあげてね。」
アレックスは耳まで赤くしながら、
かすかに呟いた。
「……うん……」
その様子にアメリアはふふっと笑う。
(ほら、アレックス……少しずつ……“ここが家”になってきてる)
食堂の窓から朝日が差し込み、
テーブルの白いクロスがやわらかく光った。
*
朝食のあと。
廊下を歩いていたアメリアを、
アレックスが少し遠慮がちに呼んだ。
「……アメリア!」
振り返ると、
アレックスが小走りに近づいてきていた。
「どうしたの?」
アレックスは少し戸惑いながら言う。
「……えっと……呼んでみた。」
アメリアは嬉しくて、笑顔が弾けた。
「うん!その調子!!」
アレックスは胸の前でぎゅっと小さな拳を握った。
(“呼ぶ”って……こんなに勇気がいるんだ……)
アレックスの中で、
またひとつ“居場所の形”が増えた朝だった。




