真冬の朝に現れた運命
真冬の朝。空はまだ明けきらず、薄い水色と灰色が溶け合うように広がっていた。
街路樹は白い霜をまとい、吐いた息はすぐに白い煙となって消えていく。
朱里は両手をマフラーの中に押し込みながら、スマホだけは離さず、画面を覗き込んでいた。
そこに映っていたのは、銀髪の少年。
乙女ゲーム『恋のマジカル学園』のバッドエンドでしか見られない、義弟アレックスの泣き顔。
暗い部屋の中、無表情のまま落とす一粒の涙。
その横顔は痛いほど美しく、悲しくて、胸を締めつける。
「……誰より優しいのに。なんでこんな扱いなのよ……」
雪を踏む音がしゃり、と静寂に響いた。
画面をスクロールすると、アレックスがヒロインを手にかける瞬間の台詞が現れる。
『……ごめんね。これが僕の役目なんだ。』
「うぅ、つらい……。攻略対象じゃないなんて、ほんと納得いかない……」
ため息をついた時だった。
つるん。
足が凍った地面で滑る。
空が逆さになり、視界がぐるりと回る。
スマホが手から離れ、宙に浮いた。
落ちていく画面に映るのは、
涙をこぼすアレックスの横顔。
その光景を瞳に焼き付けたまま、意識はすっと暗く沈んだ。
*
目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。
木の梁が美しい曲線を描き、暖炉の揺らめく光が部屋をやわらかく照らしている。
温かな空気に包まれた部屋。
優しい薬草の香り。
(ここ……どこ……?)
体を起こそうとすると、手が……小さい。
指も短くて、丸っこい。
髪が視界に落ち、黒い色が揺れる。
その瞬間、記憶がどっと胸に押し寄せた。
朱里としての17年。
そして、この小さな身体が生まれた瞬間からの五年間の記憶。
揺りかご。
公爵夫人の柔らかな手。
父の大きな背中。
侍女たちの優しい声。
ふたつの記憶が自然に重なり、
「自分」という存在にぴたりとはまり込んだ。
(……悪役令嬢アメリアに……転生してる!?)
しかも──
(今日……アレックスが来る日だ……!!)
推しの義弟。
前世で何度も救えなかったキャラ。
いじめられ、不遇で、バッドエンドしかまともに描かれなかった少年。
(今世は……絶対守る!!
いじめないどころか、全力で可愛がる!!)
勢いよく立ち上がったタイミングで扉が開き、
公爵夫人──マリアが微笑みながら入ってきた。
「あら、アメリア。起きていたのね。」
「うん!今日、弟が来るんだよね!」
マリアは目を細めて頷く。
「ええ。あなたのパパの親友夫婦の遺児の子よ。
アレックス君っていうの。きっと仲良くできるわ。」
胸がどきどきしてしょうがない。
窓の外を見ると、庭の一角で白薔薇の蕾が揺れていた。
(蕾……まだ開いてないのね……綺麗……)
朝の光を映して、透けるように白い。
この花が、後にふたりの物語をつなぐ鍵になるとは、
この時のアメリアはまだ知らない。
外門のほうで馬車の音がした。
心臓が跳ねる。
手が少し震える。
その震えは寒さではなく、胸の奥に湧いた期待のせいだった。
扉が開き、
白い光の中に小さな影が立っていた。
雪をかぶり、寒さに震える銀髪の少年。
碧い瞳は不安と緊張に揺れながら、それでも消えない強さを宿していた。
「……アレックス?」
声をかけると、少年の肩がわずかに揺れた。
アメリアはそっとしゃがみ、
ゆっくり目線を合わせる。
「今日から家族だよ。どうぞよろしくね。」
アレックスは硬直したまま、
それでもかすかに頷いた。
「……よろしく、アメリア。」
その瞬間、
背後の窓辺で蕾の白薔薇がふるりと揺れた。
まるで、
始まる運命を静かに告げるように。




