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猫又日録~ねこまたにちろく~  作者: セアル


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3/7

世界の色が変わった日

「ああ、本当にこれなら全く問題ないね。 健康体、といって差し支えないよ」


 それは『宮元動物病院』の診察室の一コマ。

 エーちゃんを拾ってその日のうちに駆け込んだ近所の動物病院で、もう十数年来の長い付き合いだ。

 その時は人のよさそうな大先生だったが、今は若先生が取り仕切っている。

  

「……えっ、先生それって!?」

「うん内臓のレントゲンも綺麗だし、血液数値も異常なし、食欲もあるのなら、もう月に一度の定期健診も必要ないようだよ」

  

 凛は、その言葉がにわかには信じられなかった。


 エルはつい二三日前まで、生死の境を彷徨っていたのだ。

 カリカリどころか缶詰さえも受け付けず、水で溶いてペースト状にして何とか舐めさせた。

 ほんの一日前はそれさえも、とうとう水さえも受け付けず、呼吸も耳を側に近づけても聞き取りにくいほど弱く、正直今度こそ本当にダメかと思った。


 側を離れがたくて、ずっと不眠不休で看病しいて、疲れからか僅かに寝て目を覚ました時、目の前の寝床にエルの姿がなくて、慌てて探したら階下からポリポリと音が聞こえてきたので慌てて見に行ったら、既に食べる事さえ出来なかった筈のエルがカリカリを食べているではないか。

 それも、若い猫のようにガツガツと。

 『元気になった』と喜ぶ気持ちなんかなく、まるでそれは何か悪い事の前触れのようで……。

 そう、死ぬ前にほんの少しの間だけ持ち直す、そんな症状のようで。


 凛はエルをペットキャリーに入れると、急いで病院に駆け込んだのだ。  




 ───だから───


「ふふ、おめでとうエル」


 先生がそう言った意味も、正しくは理解できなかった。




 ───それは新緑が香る、初夏の出来事───

  








 エルの健康状態は良好のまま夏が過ぎ秋になり、空き巣の事件が切っ掛けで、エルが齢二十年と言う月日を経て『猫又』になったと知る。

 

 冬が来て、春が巡り、一年が経とうとしていた。


 あの日以来、普段は猫のエルとして過ごし、夜は人間形の猫又エルになって凛と共にベッドで眠る毎日。

 殆どが『抱っこ』状態で一緒に眠るだけだけれど、時々美味しく『精気』を頂かれてしまう。

 凛としても、破廉恥な事をしているという罪悪感はあるのだけれど、最初に拒絶した時の経験が一種のトラウマになってしまっていて、強い拒否が出来ない。

 それに最近は心より体が馴染み始めてしまっていて、抱き締められる感触が心地よくて安心できて側にいないと落ち着かない、なんて事もしばしばなのだ。


  

 そんなある日、学校帰りの凛は駅のホームでありえないものを見付けた。

 ルディの毛並みのフォーリンタイプのアビシニアン。

 遠目の後姿と言えど、一発で自分の愛猫だと分った。


「ん? あれ、エーちゃん、えっ何でホームにいるの!? えっ、えっ、なんで電車に乗ろうとしてるの!? あっあっ、乗っちゃった! 猫の姿のままだけど、中身は猫又だから大丈夫だろうケド……え~い、乗っちゃえ!」


 あまり乗ったことのない路線だったけれど、勢いのまま駆け込み乗車に成功した。

 エルが乗ったと思われる車両まで移動したが、その姿は見当たらない。

  

「あれ~エーちゃんいないなぁ、小さいからなぁ、座席の下かなぁ。 いくらお客さんが少なくても、覗き込むのも呼んでみるのも迷惑だしなぁ。 まぁ、見付からなかったら、次の駅で降りて帰ろうカナ」


 何気なく空いている座席に座ると、トンという軽い音とともに柔らかな風が制服のスカートを揺さぶった。


「わきゃ! エーちゃん、どこから湧いて出たの!? どうする気だったの? どこに行く気だったの??

「にゃーん」

「『にゃーん』じゃ無いでしょう!? ちょっと、エーちゃん?」


 周りにいる乗客の迷惑にならないように小声で問いただしているのに、彼の様子は普通の猫そのままで

 ……何聞いても、猫のフリで通すつもり!?……

 一方的に猫に話しかける様子は、事情を知らない一般人から見れば奇異な行動に映ってしまうだろう。

 凛は問いかける事をやめ暫く黙っていると、エルは制服のスカートを枕にするようにして寄りかかり丸くなって、規則正しくお腹を上下させる。

 その様子に、思わず凛の頬か緩む。


「……最近、この姿で寝てくれないから久しぶりかも。 お腹見せてコロンとしている姿は、本当に可愛いんだよなぁ」


 思わず無防備なお腹をモフモフモフ~と撫でまくるが、起きる気配は一向になくて、そこうしている間に次の駅に到着した。

 さて、エルを抱えて降りようとしたのだけれど、何かがクンと引っかかって


「って!なんで座席に爪を立てているの!! コラ!引っ込めなさい! あっ、あっ、これ以上したら座席の糸をひっぱっちゃう~」


 公共の乗物を破損させてしまう訳にもいかず、何とかして爪を剥がそうと苦心したものの、無常にも電車は出発してしまった。


「あ~あ~、出ちゃったじゃない。 えっ! この先快速!? 終点まで止まりませんってぇ!」


 思わぬ小旅行となってしまう事態に。

 ガタンゴトンと規則正しい音が耳に響く、先程の駅で殆どの乗客は降りてしまい、今この車両にいるのは、自分達だけだ。

 どれ程の駅を過ぎただろうか、勢いで乗ったが為に最終駅が何処なのかも分らない。

 やがて車内の電光掲示板に『高原入り口』の文字。


「もう、エーちゃんの所為でこんな遠くまで来ちゃったじゃないの! こんなトコ随分昔にしか……あっ!」


 凛が何かに気がついたのと、駅に到着したのと、エルがモゾモゾと動き出したのは殆ど同時だった。


「ここに来たかったの? 私とエーちゃんが初めて会ったあのハイキングコースに。 この電車折り返すみたいだから、このまま乗っていれば帰れるけど……私あんまり場所覚えてないけど、どうする? あの場所まで行ってみる?」


 凛は静かにエルに話しかける。

 澄んだグリーンの瞳がじっとこちらを見て、口から出たのは鳴き声じゃなく


「……いや、大丈夫だよ、もういいんだ……」


 そう人の言葉で告げると、長い尻尾を先だけをパタパタとゆっくり振っている。

 犬が尻尾を振るのは『嬉しい』時と相場が決まっているのだが、猫の尻尾の表現はそれとは違い感情も豊富で千差万別だ。

 この振り方の場合は『何事かを考えている』時やそれに近く、決して『大丈夫』な時ではない。  


「そんなに行ってみたかったら、ちゃんと言ってくれれば、お父さんとお母さんに、場所を聞いておいたのに。 じゃぁ今度の日曜に改めて来ようか、勿論エーちゃんは人間の姿でね」




 家に帰りついたのは、一番星が輝こうかと言う時刻。

 携帯で「電車で寝過ごしてしまった」と、家に連絡を入れていたとは言え、流石に多少のお小言は覚悟して玄関を開けようとしたのだが、エルは家の前から動かない。


「あれ? エーちゃん家に入らないの??」

「今日は満月だからね『猫の集会』があるのだよ」

「わぁ、イイナ~行きたいかも」


 猫好きなら誰しもが一度は行ってみたいと憧れる、噂の『猫の集会』

 凛は子供のように目を輝かせているが、エルは首を振る。


「マリアは早く帰らないと、母君に怒られるのでは? それに残念ながら人が来ては『猫の集会』にならないのだよ」  

「う"、人間は参加しちゃダメなのね……ハイハイ分りました。 他所様の子とケンカなんかしちゃ、めっ!だからね」


 飼主の半八つ当たり気味のその仕草も可愛らしくて、表情があまり変わらないはずの猫の口角が微かに上がる。


「夜中までには帰ってくるから、ちゃんとベッドは開けておいておくれ」

「っ! もういいから、早く行っちゃいなさい」

  




 何の事はない、住宅街の小さな公園。

 昼間は子供や、小さな子供を持つ母親や、お年寄りのオアシスとなっている場所。

 だが流石に夜は人っ子一人いない。


 しかし今夜は様子が違う、冴え冴えたる満月の光に導かれて、一匹、一匹と猫が集まってくる。

 集まった猫たちは特に何をする訳でもなく適当な距離をとり、思い思いの場所で、思い思いの行動を取る。

 寛ぐ猫、グルーミングにいそしむ猫、我関せずと眠る猫、恋を囁く猫、縄張り争いか普段から仲が悪いのか、喧嘩に発展してしまう猫。

 そんな思い思いの猫達を、エルはベンチに陣取り何をするでもなくじっと眺めていた。

 二本に分かれた長い尻尾を、パタパタとゆっくり振りながら。


 猫又だからといって、最初から何でも出来る訳ではない。

 それは生まれたての赤ん坊が徐々に成長していくようなもの。

 不老長寿の猫又に生まれ変わった時、今までの猫としての考え方が一変した。

 脳が変化を起こすのだろう『人間』と同じ様な考え方を持つのだ。

 ただ妖力はそう簡単に扱う事は出来ず、最初は精々『猫又』特有の二本の尻尾を隠すのが関の山。

     

 初めて『人間形』に変化したのは、大事な飼主が襲われている現場に出くわした瞬間。

 あまりの怒りに一気に妖力が開花した。

 ただそれでも、未だ不完全ではあるのだ。

 なにせ『人間形』を保つ時は、耳と尻尾を隠せないし、身に着ける物を変化させる事が出来ない。


 ただ、今彼が思い悩んでいる事に比べれば詮が無き事。




「隣、いいかな?」


 不意にかけられた声、人間が参加できるはずのない猫の集会に臆面もなく訪れた者は、緩くウエーブした髪を掻き揚げながら、長い足を組むようにベンチに腰を下ろす。

 その人物の登場にどの猫も慌てる様子も無い、そうエルも。


「……何か用かい、友唯」

「ふふ、そろそろ君が思い悩む頃かと思ってね……当たりかな、エル」


 人間の言葉を話す猫に、驚くでもなく優雅に微笑みながら対応しているのは『宮元動物病院』の若先生 柚木友唯、その人だ。

 エルの尻尾がパッサパッサと大きく早く揺れる様子に、友唯は苦笑が隠せない。


「まるで『がっついたモノノケ』だねぇ、まぁ君の可愛い人はイイ子だから分らないでもないけど」

「だったら不老不死の『猫しょう』である、お前の方こそどうなんだい。 医師の彼女が、お前の月巫女なのだろう」

「元々、私は『金華猫(キンカビョウ)』の流れを汲む猫又だしね。 月に魅了されるのは仕方のない事。 あの遠い日、彼女に調伏された瞬間から私は(かんなぎ)の魂の下僕だ。 だから望んで不老不死の『猫しょう』になったのだよ」

「……個の消滅を受け入れるのか……」

「……魂の輪廻を信じたのだよ……」


 長い沈黙の後、エルはそのまま何も言わずベンチを降り家路の帰途へとつく。

 そんな彼の後姿を見ながら、友唯はポツリ呟いた。


「いつかは選ばなくてはならない、それが私達の運命なのだよ」

  








 日曜日、晴天に恵まれたハイキング日和。

 高原のハイキングコースとはいえ、凛達のコースははっきり言ってピクニックレベル。

 友人と一緒に行くからといって、母親に作ってもらったお弁当を持って凛は大きく深呼吸をする。


 「ん~空気が美味しい~。 天気が良くてよかったね、エーちゃん」

 「うん、そうは思うのだけど」

 「ん?」

 「本当に、これを貰っても良かったのかい」

 「古着で申し訳ないんだけどね」


 人間形のエルが着ている格好は、フィールドシャツにジップレッグパンツとハイキングの王道でもある格好に、猫耳を隠す為にリバーハットも完備。

 今朝の二人の待ち合わせ場所は、近所の公園。

 そこの公衆トイレ前で凛は「これに着替えてね」と猫のエルに紙袋を渡した。


 凛としては猫のエルのままでも十分楽しいが、猫のままでは人目を気にしながら話しかけるなんて味気ない。

 だからと言って人の姿でまっぱだなんて、即行で警察行き決定だ。

 先達の経験から、靴とジャケットは父親の物でも大丈夫だが、足の長さが違うことが十分すぎるほど分っていたので、古着屋でハイキングウエアを揃えておいたのだ。


 全体的に本体と同じルディ系統の色で揃え、それを完璧なまでに着こなしているエルに我ながら満足げ。  

 電車に乗る前から、電車に乗っても、そして高原入り口の駅に降り立っても、女性達の視線や密やかな黄色い声が耳に届いて、凛は思わず言いたくなる。

 「ウチのエーちゃん、可愛いでしょ、カッコいいでしょ~v」とウズウズしている凛の様子に、エルは苦笑するしかない。

 これ見よがしに抱き締めたり、頬に口付けを落としたりしているのに、クスクスとくすぐったそうにする位で、全くの愛猫扱いで変わらない様子が嬉しくないことはないのだが、折角の人間の姿での初デートだと言うのに、いつまでたってもペット枠で男扱いされていないのが、全く持っていただけないのだ。

 

 そんな二人の微妙な温度差を交しながら、昔エルを拾ったコースへと足を向たのだが


「あっれ~おかしいな、お父さんから聞いたのはこっちの方なんだけど」


 整備された道を進んでいたのだが、目印の大樹から二股に分かれる筈の道で立ち止まってしまった。

 道はそのまま一本道、分かれ道は存在せず、進みたいと思う方向はうっそうと茂った藪の中。

 どうやら、十年来ていない内にコースが様変わりしたらしい。

 どうしたものかと頭をひねっていると


「大丈夫だよマリア、さぁこっちだ」

「ふぇ!?」


 エルに手を引かれ、ずんずんと腰まで生えているヤブ草の中を突き進む。

 十数年前、この場所は猫のエルが餌場としていた縄張り。

 草が生い茂りその道を隠してしまってはいるが、十年程度では立ち木に大した変化はない。

 昔の記憶を頼りに暫く進むと、急速に茂みがはれボロボロになった散歩道が顔を出し、その両端は見事なまでの夏白菊が群生していた。


「うっわぁ~v すっごい、綺麗~……ねぇ、ここなの?」

「……あぁ、そうだよ……」


 エルはグルっと辺りを見回すと、ある一点の場所に意識が集中する。

 フィーバーフューの名でハーブとしても使われている、その独特の強い香りがエルを包む。

 あの時は、これほどは咲いていなかった。

 僅か数株で、その間に身を任せるように倒れたのだ。


 そう、この場所で私の世界は終わるはずだった。

 あの日から、私の世界の色は凛一色だ。

 それ以外は、何もない。

 それ以外、必要もない。


 凛は、適当な木陰にシートを広げピクニックバッグを置いた。 


「折角だからここでお弁当食べよう。 エーちゃん、今日は人間のご飯だよー」


 呼ばれ振り返ったエルは、優雅に優しげな笑みを浮かべている。

 そう選んでみれば何の事はない、いやすでに答えは出ていたのだ。


 ───だから、もう迷わない───


「勿論、美味しく頂くよ」


  






 帰りの電車の中、凛はちょっと困った事態に陥っていた。

 行楽帰りの人で混んでいるいる所為もあるのだが、あまりにもエルとの距離が近い。

 壁際に向き合うように立っている二人。

 エルは長い手を壁について、人込みから凛を守っているような姿勢ではあるのだが、その実、周囲から完全に視線を遮ったような状態。


 そんな中、真上から蕩けるような何かを孕んだ視線のままじっと凛を見つめ続けて、彼女に少しでも隙が出来れば(例えば電車が揺れたり、車内アナウンスで気がそれたり)容赦なく、口付けをしてくるのだ。

 それも行きの電車の中で戯れるように仕掛けた、頬に軽いキスではなく唇に、それもフレンチキスを。

 いくら人目を遮られているとはいえ、公共の場所の公衆の面前でこんな事をしているだなんて、 凛は恥ずかしさのあまり真っ赤になって涙目状態。


「ちょっ、エーちゃん、いい加減にっ!」


 小声で注意するも、彼の表情はけろっとしたもので


「……私は決めたから」

「ふぇ!?」

「だから、この一瞬一瞬を大事にしないとね」

「んっ!」


 電車が駅に着き、人々の雑踏が入り口に集中する。

 その隙を縫ってエルは凛に深く口付ける、呼吸も奪うほど深く激しく。



 私は、君さえいればいい

 君の存在があればいい

 不老長寿で、君とは生きる時間が違う猫又だけど

 終生、君の側にいて添い遂げよう

 そして、君がこの世から消えてしまったら

 その時は、私も共に逝くことにしよう



 それは一匹の猫又が、自分のあり方を選んだ日






 さて、好き勝手をした悪戯っ子のお仕置きは『柔らかなベッドに入れてもらえない』と言う最大級のペナルティー。

 部屋のドアの前で、強請る様に猫の声で鳴いてみても、精一杯の破壊力を込めた艶声で囁いてみても、飼主の怒りは全く持って解けなくて。


 『さじ加減』と言うものも学んだ日。

寿命の違いはどうするんだろう、的なモノを書いてみました。



猫又……猫が二十年生きると、尻尾が二つに分かれる日本の妖怪


猫しょう……猫又が百年修学を積んで、不死になった日本の妖怪

     (しょうの字がPCでは表現できません)


金華猫(キンカビョウ)……月の精気を数年間浴びつづけてなる、中国の妖怪

     美女または美青年に化けて、人をたぶらかし生気を奪う

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