お二人は大変お似合いだと存じます!
元々、この婚約には不満しかなかったのだ。
何故公爵家の令嬢というだけで、馬鹿の相手を押し付けられなければならないのか。
だからもう、うんざりして、仕方なかった。
下賤な男爵令嬢に対する小さな報復だって、後悔もしていなければ、反省もしていない。
シルキィは優雅に食事をしている最中に割って入った婚約者を止める気も諫める気も失っていた。
「シルキィ・エバンズ公爵令嬢、お前はハルミィ・ポエマー男爵令嬢を虐げた罪で、私の婚約者から外れて貰おう。将来の国母にその様な者を据える訳にはいかない!私には彼女の様な優しくて可憐な女性が相応しいのだ!」
「はい。畏まりましてございます。では、婚約破棄でしょうか、解消でしょうか、どちらでも宜しいですけれど、双方慰謝料無しという事で構いませんでしょうか?」
昼下がりの喫茶室、紳士淑女がひしめくその場で突然婚約がなくなった。
すらすらっとシルキィのいう言葉に、ホアン王子が美麗な顔で間抜けな表情をする。
金の髪も紫の瞳も、麗しい白皙の頬も、台無しだ。
「君に瑕疵はあるだろう!」
「はあ、では、構いませんが、わたくしが男爵令嬢を虐めた賠償金ですね?」
「そうだ!」
大した金額にはならないだろう。
教科書に、杖に、制服に、衣装に、あとなんやかんや。
「分かりました。ではわたくしから殿下へは男爵令嬢との浮気という事で、不貞の慰謝料。男爵令嬢には数々の暴言と名誉棄損を受けたのでその分も上乗せして請求させて頂きますね。あら、わたくしの方が沢山頂けるなんて、嬉しいですわね。殿下、お気遣いありがとうございます」
「は?」
「肩を抱いてますでしょう、ほら。学校で接吻もしていたと証言もありますし、不貞です。信頼関係を損なう行為です。わたくしの取るに足らない嫌がらせの比ではございません」
扇で指し示せば、慌てた様にホアンがハルミィの肩から手を離す。
離した所で全員が見ていたのだから無理だ。
「今更離しても無理でございますよ、殿下。だってその方の衣装も殿下が贈った物ですよね?婚約者に贈るべき衣装を婚約者以外に贈ったのですから、殿下に割り当てられた婚約者への贈答用の公費からは差し引く事は許されませんので、個人資産から全てお支払いするよう手続きも進めさせますね」
「は?その位いいだろう!?」
「公費はきちんと使用先が決められているので、良い訳は無いですよ。まあ、良いと思うのでしたら陛下にお尋ねなさいませ。帳簿の写しを全て陛下にお渡しいたしますから」
帳簿?と王子を始め、その場に居合わせた一同が顔色を悪くする。
「殿下の支出を全て記してあります」
「何故知っているのだ!」
「婚約者ですもの。わたくしも早く殿下から解放されたくて、日々重箱の隅をつつく様に粗を探して参りましたの」
「お前は姑か!」
王子の返答ににっこりと微笑む。
「姑以上の情熱を以てあたらせていただきました!」
「誉めていないぞ!?」
褒められても困るけれど、と思いつつシルキィは軽食を摘んで口に運んだ。
「そんな事より殿下。その横にいらっしゃる方も国母にはなれませんけれど、大丈夫でございます?」
「何故だ!ハルミィは可愛らしく優しい女性だ!」
もぐもぐと咀嚼したあとで、ごくりと呑み込んでからシルキィは答える。
「でも可愛らしくて優しくても人の婚約者に手を出す性に奔放な女性でございますからね」
「せっ……お前、言うに事欠いて、そのような不埒な…」
「不埒な事を言うより、実行している人に言われたくないですが」
尤もな言い分に、食堂では令嬢達がうんうんと頷いている。
けれど、ハルミィも声を張り上げて、ホアンに縋った。
「申し訳ありませんっ、私が殿下を好きになってしまったからっ」
「は……ハルミィ!」
「好きになったらどんな相手でも手に入れるご令嬢でございますのね。婚約者のいる殿方にも構わず近づいて、妻のいる殿方でも好きになったら仕方ないと言う理由で浮気をされるのですね?」
「……いえ、殿下だけでs」
「騎士団長の子息のオスカー様、筋肉が素敵とベタベタ触れるので婚約者のソフィーヌ様がオスカー様の腕を消毒したそうでございますよ」
「それは友人で、好きな方ではありません!」
「つまり好きではない殿方にもベタベタと触って肉感的な交流を図りたい不埒な女性という事でございますのね?」
「そっ…そんな…そんなつもりじゃ……」
くすん、と目を潤ませるハルミィを庇おうとする前にシルキィがもう一度付け加える。
「そんなつもりではないのに、無意識に身体が殿方を求めてしまう女性を王妃にするのはかなり危険だと思われますよ、殿下」
ハルミィが言い訳する度に、どんどん彼女の印象が悪くなっている。
既に商売女と直接表現される位には地に堕ちていた。
「そ……それは……」
「だって無意識に身体が殿方を求めるのですから、そんなつもりはなくとも国の命運を左右される国賓の何方かに恋をしたり、身体に触れたりなさる王妃は、大変迷惑な存在ですわよね?」
冷静に指摘されると、かなり怖い。
若干引き気味に、ホアンはハルミィから身体を離そうとするが、強い力で縋りついている。
それがさらにホアンの恐怖を煽った。
「ああでも、殿下がそんな春を売るような女性を妻にしたいと仰せになれば、その立場も未来の花嫁と共に過ごせるよう陛下もお考え下さるでしょうね」
「そっ、ど、どういう事だ」
引き剥がそうとしながらも、必死で問うホアンにシルキィは微笑む。
「臣籍降下して、その野良犬を飼う権利を得られますのよ。あら失礼、野良犬だって餌が欲しければ立場を弁えますものね。まあ、今後の躾は殿下次第といったところでしょうか」
「…は?何故、臣籍降下など……!」
「だって、妻の地位や品格が王族に見合わないのならば、仕方ないと思いませんこと?下に居る者が急に高みに上ってもその地位に見合う振る舞いが出来ないのですもの。高みにいる殿下が愛の為にその高みから降りて、愛を捧げるのですわ。まあ、何て素敵なのでしょう」
ぱん、とシルキィは胸の前で手を叩いた。
「巷で有名な真実の愛、というものですわね。身分差のある男女の恋愛は人々の心を震わせますのよ」
「……いや、だから、それは……っ」
指を一本一本剥がしても、剥がした側からすぐに復帰するので剥がし切れない。
ハルミィは上目遣いでその荒業をやっているのだ。
ホアンは更なる恐怖に陥る。
「ふふっ、仲がお宜しいこと。でも結婚後も誰かに簡単に恋したり肌を許すような女性の管理は大変でございましょうね。殿下を捨てて駆け落ちなどしなければ宜しいのですけれど」
「……いや、その、それは……」
今はそれでも、この生き物から離れられるならいいかもしれない、とホアンは思っていた。
殿下ぁ、と甘えるような声を発しているが、腕に食い込んだ指が痛い。
そして、怖い。
「礼儀作法を学んだ貴族の令嬢という者ははしたない真似を嫌いますの。ですから、そこまで情熱的な愛情表現をしてくださる女性は中々おりませんのよ?殿下はお幸せそうですわね」
「こっ、こっ、これがっ、幸せそうに見えるのか!」
「ええ、とても」
片や引き剥がそうと指を必死で剥がしているが、片や離すまいと必死で縋りついている。
周囲から見てもそれは、到底幸せそうには見えない。
けれど、彼女を可愛いと誉めそやしていた男性達が存在するのも事実。
迷惑がっていた令息達は、あーあと呆れた様に見つめ、目を奪われていた令息達は背筋をゾッとさせていた。
慌てて婚約者を見ては、視線を逸らされている者達もちらほらいる。
物珍しいから、と地雷に捕まってしまうとこうなるのだ。
彼女はその中でも群を抜く、追尾型の地雷である。
一向に離れる気配のない二人の前で、シルキィは悠々と食事を続けていた。
「説明差し上げる必要もないかもしれませんが、勿論のことエバンズ公爵家は殿下の後ろ盾から外れますから、今後は殿下の支援は全て引き揚げますので、そちらのポエマー男爵家をお頼りくださいませね。何せ、わたくしと殿下はもう無関係も無関係、友人ですらない赤の他人でございますからね」
「お前にはっ、情と言うものが無いのか!?」
「他の女性に心も肌も許した最低の浮気男に捧げる愛も情もございませんけれど?ああ、これは殿下の事ではなく一般論でございますけれどね?婚約者でなくなった時点で殿下とわたくしの縁はもう切れておりますので、もしも父と陛下が戻そうとなさったら尼僧になるか自害いたします」
さらっと言ってのけた言葉に、食堂は流石に冷たく静まり返った。
「殿下がどう思われようと自由ですけれど、愛を与えられなくとも政略ですもの、信頼関係が築ければまだ良かったのです。でも殿下がわたくしに与えたのは明確な裏切り行為です。その様な相手には道端の小石ほどの価値もございませんの。情どころか視界に入れるのも憚られますわ」
それは大小様々な理由はあれど、政略結婚をする令嬢達の大半が思う事である。
愛があれば最上、無くても信頼関係を、というのが望みだ。
その先の人生を生きる為の唯一の縁といっても良い。
婚約中に不貞を働くような男性は、その後も何かと問題を起こすだろうし、政略結婚の要である両家の子供が次の後継となる場合にも支障を来すのだ。
令嬢個人の感情を抜きにした所で、嫁に出す実家の家門とて馬鹿にされるようなものなのだから。
両家の縁を繋ぐ為の意味をなさないのであれば、婚姻の意味がない。
「まさか、自分が愛さずとも、婚約者は自分を無条件で愛するものだ、などと思ってはいらっしゃらないでしょうね?」
そう問いかけられて、初めてホアンはぽかんと口を開けて、食い込む指から逃れる動作をやめてまじまじとシルキィを見つめた。
その眼は違うのか?と問いかけているようで、シルキィは紅茶を一口飲んでから答えた。
「容姿が美しかろうと、財産に恵まれていようと、権力があろうとも、不貞を働いて自分を足蹴にするような男性を愛し続けられる奇特な方はそうそうおりませんのよ。だって芽が出ないとわかっている砂漠に幾ら水を注いだところで、ねぇ、殿下。何も生まれはしないのですもの」
「だが、愛していただろう?」
「いいえ?政略ですから、そう在ろうと努力はして参りましたけれど、最初から御不満だったでしょう?好意が無いどころか、敵意を向けてくる相手に与える慈母の愛など持ち合わせておりません」
シルキィとホアンのやり取りに我が身を重ねたのか、寄り添う婚約者同士と距離を取る者に食堂は二分されていた。
「ああでも、美しさや財力や権力に恋をする女性もおりますので、殿下がどうあろうとも相手の望む物を殿下が持ち続ける限り愛して下さる女性は少なからずおりますよ。ですから、どうぞ、わたくしの関係ない場所でお幸せにお暮しくださいませ」
力なくホアンが傍らを見れば、可憐な笑顔を浮かべる握力の強い男爵令嬢がいる。
礼儀作法も苦手で成績の悪い、女性の友人が一人もいないという男好きの令嬢だ。
顔は可愛い。
栗色の髪はふわふわしていて、大きな緑の瞳は宝石のように輝いていて。
そして、握力が強い。
絶対に放すまいという意思がそこに宿っている。
「…………」
「これで、一緒に居られますね、殿下っ!」
にっこりと微笑む笑顔が怖い。
これだけの騒ぎを起こして、どれだけ冷たくこき下ろされようと、笑顔を浮かべる胆力も怖い。
「殿下のお隣には、ハルミィ・ポエマー嬢が相応しいですわね、殿下の仰せになった通りでございます」
恭しく淑女の礼を執って、公爵令嬢シルキィ・エバンスは食堂を堂々と出て行った。
話が終わったというより、食事が終わったからという雰囲気で。
彼女の派閥に属する者達もまた、一礼して去っていく。
今まで王子の周りに居た側近や友人達は、静かに遠巻きにしたまま去って行った。
シルキィの言った通り、ホアンは国王陛下に言い渡された。
婚約解消はホアンの有責で行われて、個人資産は公費と慰謝料の弁済に回されたのである。
見合う爵位をという事で、王家の所有する子爵位と王子領の一部を与えられて、臣籍降下。
けれど、ハルミィとの結婚は成立しなかった。
「王子だから素敵だと思ったんです。でも王子じゃなくなってしまったから、ごめんなさい」
それがハルミィの答えだった。
相手が元王族の子爵というだけでも出世なのだが、満足できなかったようだ。
「……そうか」
けれど、ホアンにも文句を言う元気も縋るほどの情熱も残っていない。
地雷だと分かっているので。
シルキィの言った通り、ハルミィの望む権力を失ってしまったからには当然の結果と言えよう。
断種はされていないが、子供が出来たとしても王族の血が流れる子爵というだけで、いずれ貴族の中に埋もれていく。
もう既に、彼は王城に立ち入る権利さえ失っていた。
公爵令嬢のシルキィ・エバンズは他国の準王族に嫁ぐ事が決まったと風の便りで耳にすると、ホアンは懐かしい日々に思いを馳せた。
もしも、あんな事をしでかさなければ、と。
だが、まだ彼は知らない。
数年後に、何処の誰とも分からない相手の子供を宿したハルミィが「貴方の子供よ!」と訪れる恐怖を。
ハルミィと王子は最後まで結婚しないけれど、ハルミィは子供を置いていなくなるので子育てはしてます。
そしてまたハルミィが来て子供を置いて、また出て行く。
ホラー!
※ご指摘頂きましたが、全然聖女じゃないです(消しました!すみません!)