[8]薄明かりのロンド⑤
おっと。
そんな風な感じで、寸前でつんのめって来た人をタクミはかわした。
うん、こいつ等か。
下品な装飾を施した服を着たやつが無様にも転倒する様を眺めながら、貴族の一団を観察した。
鼻を利かすと微かだが力の臭いがした。
レイドゥースの気分を害する者。
タクミは一瞬でそう判断した。
「貴様!ちゃんと前を見て歩け!」
倒れた貴族が尻餅をついたまま叫んでくる。
酷く無様だ、カッコ悪い。それはもうかわいそうに思えてくるほどに。
タクミはどこまでも冷たい目で彼等を見まわした、が直に格上に対する礼をとった。
申し訳ございません、と最高の礼をとり頭を垂れた。
その様に、貴族たちが戸惑う。
滅多にされない古式的な振る舞いをするタクミにあっ気にとられたのだ。
「あ、ベスタさま。こいつあの女の義弟ですよ。身分は平民ですが」
下げた頭の上で一人が声を上げた。
やはり、顔を覚えられていたか。……まあ、ボクの存在を見せつけてやったんだから当然だけど。
一団の中にビスの顔を見つけていたので、タクミは驚かなかった。
レイドゥースを迎えにいったときに見た騎士のなかにいたのを覚えている。
それよりも………。あの野郎、お嬢さまをあの女呼ばわりしやがったな。
と、密かに怒りに燃えていた。
「うん、平民?どういうことだ?」
貴族同士の中でも横柄な声、こいつがサル山のボスか。
頭を起こして無礼にならない程度に相手を観察する。
ジャラジャラと宝石を縫いとめた上等の衣装に身を包んだ男がいた、これまた下品だ、成金でもないだろうにもう少しセンスを磨いてもらいたい。
しかし、かなりの大貴族であることはその服装と取り巻きの態度で明らかだった。
ベスタ…………たしか、フォルト家にそんな名前の騎士がいたはずだ。事前に調べていた東部に派遣された騎士たちのプロフィールが頭の中に浮かんでいった。
その間もビスが、タクミとアンスカレット家のことを報告している。無能な貴族がよく調べたもんだ。
「ふん、平民を家に上げるとは……やはり、礼を知らん女だな」
ふてぶてしい態度で小山の大将がタクミに近寄ってきた。未だに倒れたままだった貴族が慌てて道を譲る。
「おい、俺はさっき貴様の姉に酷い侮辱を受けた。貴様は俺に対してするべきことがわかるか?」
安っぽいチンピラみたいだ、大方、オマエから非礼を働いたんだろうが。
内心ではそう思うタクミ。
「私の主人が礼を欠いたというなら、私は貴方のどんな侮辱にも耐えましょう」
恐れ気も無く返答するタクミに何人かが目を見張る。
「ほう、いい覚悟だな。その覚悟、試してやろう」
言いざま大将が振り上げた右手には銀製のナイフが握られていた。
大きな宝石が柄にはめ込まれた装飾品だった、しかしそれでも人を傷つける事は出来る。
「動くなよ」
弱者をいたぶる被虐の光が男の目にはあった。
ナイフを首筋に当ててペチペチと音をたてた。
そのまま、刃先を上げていく顎先を滑らせてタクミの反応を見ていたが不快そうに眉を顰める。
「ふん、大した忠誠心だ。まったく怖がりもしないとはな……しかし、これでもその涼しい顔を続けられるか?」
今まで、撫でているだけだった刃がスッと皮膚の奥に潜る。
頬の肉を切り割ってユックリと刃が横に動いた。
冷たい銀が頬骨をカリカリと削る音がタクミには聞こえた気がした。
「ふん、あの女に似て可愛げのない。……オマエ等こいつを遊んでやれ」
目下の肉を抉られたタクミはかなり出血していたが、悲鳴一つあげずまったく顔色も変わらなかった。
ナイフについた血を伸ばした舌で舐め採って見せたが、それにも脅えた様子のないタクミに飽きたような顔をするベスタ。
興味を失ったように大将が下がっていく。
変わって周りの連中が進み出てくる。
「ベスタ卿、私の主人の非礼の侘びはこの傷ですんだと思ったのですが?」
静かに問うと、ベスタと周りの連中がタクミを哀れむように嘲るように笑った。
「ああ、そうだな。オマエの侘びはちゃんと受け取った。……それはもういい。今からやるのはな、そう、あれだ。……ただの憂さ晴らしだ」
被虐心に歪んだベスタの相貌、楽しくて仕方ないそんな風に笑っている。
それに、合わせて他の連中も笑う。これまた、気持ち悪いくらい嬉しそうな顔だった。
「なら、これからは抵抗させてもらいます」
嬉しそうな顔がキョトンとした物に変わる、タクミが手の中に取り出した黒い鉄の塊を取り出したのを見たからだ。
全員が爆笑した。心のそこからこいつは馬鹿だ、と確信した笑いだった。
「くっくくくくく。オマエ、何のつもりだ?拳銃なんか取り出してよ」
笑いの余韻に身を浸しながらベスタが言う。
「私は信仰心を持ちませんからね。神の奇跡を降ろせないんですよ。…自衛くらいにならこの武器は使えますからね」
「自衛だと?馬鹿かオマエ?軍神の加護を得る俺たちソニステェルの民族に拳銃なんぞ効くかよ!んなことはガキでも知ってるぜ」
再び笑いに身をゆだねようとした瞬間、パシュッと空気の抜けるような音がした。
「ああっ熱っ」
タクミの目の前で指を鳴らしていた貴族が頬を押さえた。押さえた掌の中には酷い擦過傷が出来上がっていた。サイレンサー付きの拳銃は間抜けな音からは想像できないほど危険な力に満ちていた。
撃たれた本人、以外が呆然とする。
「軍神アデュー御自慢の戦闘フィールドは攻撃力と防御力を飛躍的に向上させます。しかし、攻撃されるとそのフィールドは確実に薄くなる。あなた方も皇都で学んだでしょう?同じ場所を攻めさすなと、あなた達程度の力なら同じ場所に二発打ち込めば確実にフィールドは貫けますよ」
うっすらとタクミが笑った。
「さて、続きをしましょうか?私もすこし頭にきてますから」
「血生臭いですね」
不意に張られた結界に興味を惹かれてきてみれば、そこは猟奇殺人の現場のようだった。
あまりに多く流れた血臭がこの閉じられた空間に溜まっていた。
呆れたような声にタクミは顔を上げた。
「ルクス。……夫人はどうしたんだい?」
普段どおりのタクミ。
ちょっとは、違った反応してよ。
ルクスは足元に転がる人間たちを乗り越えながら思った。全員、死なない程度にボロボロにされている、しかも、ただの拳銃で。
「夫人は酔い潰して客室に放り込みました。ついでに服も脱がしといたから明日の朝には勘違いしてくれるでしょうね」
「ちゃんと、してやったほうが良いぞ。女性はそういうの解かるらしいから」
うめき声を上げる貴族の顔を靴底で踏みつけながら、悟ったようなことを言うタクミ。
はい、と返事しながら全員の傷の具合を観察する。
体に開いた穴を確かめて、首を捻った。
「とても傷の位置が変に思えるんですが、どうしてです?」
なんとなく理由は察しがついたが一応聞いてみた。
「ああ、利き手じゃないほうに打ち込んどいた、後はダメージの残りにくいお尻。この傷なら一ヶ月あれば十分治るからね」
神とか魔とかが関わらない傷は何もしなくても直りが早いのだ。
楽しそうにニンマリ笑うタクミの笑顔にルクスは悪魔の尻尾を見た気がした。
ボス、やっぱり戦争に使う気なんだね。
「会戦したら真っ先にこいつ等を死地に叩き込むぞ。ルクス、ちゃんと夫人に根回ししといてくれ」
何があったか解かんないけど、いや間違いなくお嬢さん絡みだろうけどさ。
うれしそうだね、ボス。
それにしても……。
「ボス、この連中は確かフォルト家の坊ちゃんのお仲間でしょ?」
「うん。よく判ったね。」
そりゃあね。騎士のプロフィール表作ってボスに渡したのオレだしね。
そのとき、その辺の事も調べたんだよ。
「でもここに、お坊ちゃんいませんよ」
そうなのだ、ここにはたぶん、いやゼッタイにボスの機嫌が悪い(?)原因であるベスタ坊ちゃんがいないのだ。
「ああ、それならこいつ等見捨てて途中で逃げてったよ」
逃げた?結界が張っていたのに?わざと逃がしたのか?
「いいんですか?相手は馬鹿でも大貴族ですよ」
この質問に対する答えを聞いて俺は坊ちゃん貴族を憐れに思ったね。
「……ボクの血を舐めた」
ゾッとするような声音。
肩越しに答えたタクミ、動物のように体はピクリともさせずに首だけを動かすその仕草。
抉れた頬肉は綺麗なピンク色をしているはずなの何となく毒々しい紫が混じって見えた。
顔の半分から胸元まで赤黒く染まったタクミ、失血で紫色になった薄い唇がグニャリと歪んだ。
細められた漆黒の瞳の奥に間違いなく悪魔がいた。
この目を何度見ただろう、この目を見る機会は多くはなかった。
だがこの吸い込まれそうなほどに底の見えない瞳こそが、今まで好き勝手生きてきた自分がこの男に従った理由だろうか。
虚像の様に生きてきたルクスをあのどこまでも冷たい目はどのように写していたのだろうか?
たぶん、薄っぺらに見えたんだろうな。
殺してもくれなかったし。
出会った頃の自分と主人を思い出してルクスは笑った。
「あれは殺す。……なんとなくムカついた、あれはゼッタイなんか企んでたからな」
自分を殺してくれなかったボスが殺そうとしているのが、今の自分が馬鹿だと言える男だとはね。
あのときのオレは貴族のボンボン以下かよ。
しかし、ボスもね~。
お嬢さまの事がなかったら気にも止めないほどの事件だのにさ。
あっさり一瞬で殺して終わり、今まではそうだったのにさ。
「ねぇ、ルクス。どんな殺し方が一番苦しむかな?取りあえず、酸素と反応して酸性を表す毒に血を変えてやろうかな。皮膚が解け落ちて体中の神経がむきだしになったら楽しい事になるだろうね。それとも神経系の毒で動けなくしてから少しずつ壊死させてやろうかな、指先から腐り落ちていくように調整してさ。…う~ん、これより面白い死に方ってあるかな、君はどう思う、ルクス?」
なんでオレに聞くかな?
「だって君、元殺し屋だろ?」
ああ、何考えてるかが解かんないってとこがオレのチャームポイントだったのに。
ボスに考え読まれちゃうなんて………。
しかも、オレの衝撃の過去をそんなアッサリばらすなんて酷い。
「ねぇ、どうなの?」
「そうですね。最初に喉を焼いて、腕を腐り落とさせて、ついでに外に出せないくらい顔をグチャグチャにするって言うのどうです?現フォルト公爵は非情な方ですからね。どんなに馬鹿な息子でも取りあえず社交界に出て普通の貴族やってたから我慢してたんでしょうが、外に出せなくなった息子をどうしますかね?まちがいなく、あの親は息子を生涯幽閉しますね、奇病に息子がかかったなんて噂は醜聞にしかなりませんからね。魔法は神の奇跡でも癒せませんからね。今までもってた物を全部奪っちまうんですよ、生きながらに地獄に落としてやったほうが面白いですよ」
「なるほど、それの方が長く苦しめられるな。さすがはルクス」
はっ、言っちゃった。
長年に渡って染み付いているプロの技はまだオレから抜けていないのか?
ボスもオレのプランを気に入っちゃって、手を打って喜んでるし。
って、そこまで喜ばないでよ。オレの方がえぐい事サラッと言ったみたいじゃん。
「ボス、いい加減その真っ赤なの止めたらどうですか?」
とりあえず、話しかえちゃえ!
「うん?おっと、忘れてた」
忘れないで!血液は三割飛び出るとやばいんだよ!
ケロッとした顔で傷口に指を当てるボス。
「戻れ」
一言。
赤黒く染まったスーツからその色を抜けていく下から上へと。
「相変わらず、面白い魔法ですね」
傷口に向かって吸い込まれるように血液が戻っていく。
結晶化していた血液が水のようになる。
最後の一滴が傷口に吸い込まれると端からピタリと傷口がくっついていく。
指を傷口にそってスッと滑らせると、そこにはもう斬られた跡すらなかった。
凄い事は凄いが、なんか気持ち悪いんだよね。
神の奇跡とは違うからしょうがないけどさ、魔法ってなんか怪しいんだよね。
「気持ち悪がるな。昔、君が死にかけたときはボクの血を輸血してやっただろうが」
また、読まれた。て、それより輸血?ボスの血を?大地すら腐らせる悪魔の血をですか?
「だから、オレの力がある程度は知覚出来るんだろうが、解かってなかったのか」
嘆息しているボス、呆然とするオレ。
なんかボスの力の行使を感じるのは変だと思ってたけど、感覚の慣れかと思ってたのに。
ハハハハハハ、なんとなく笑っちゃう。
「ルクス、ボクはお嬢さまのとこに行く。暫く、人が来ないように結界を維持してるからその間にこいつ等どっかに捨ててきてくれ。床についてる血とかリンパ液とかはティコに食べさせてね」
シュタっと右手を上げると、ボスは地面の騎士たちを踏みつけながら行ってしまった。
どこに行ったって?決まってるだろそんなこと、言わすなよ。
それにしても、この人数どこに捨てようか?
面倒なことだ。
「ティコ。おまえ、こいつらも食べちゃってくれない?」
袖口を振るとボテッとした音ともに毛玉が零れ落ちた。
どっかから、ボスが拾ってきた蛭子の獣。
部屋に有ったヘルシャ猫の毛皮の帽子を獣の皮膚にして張り付けたので見た目は上品なヘルシャ猫そっくりだった。(ボスもけっこう無茶苦茶やるよね)しかし、猫みたいに人懐っこくない奴なんだよね。
「ニャメ!ニャクニッタ。オニャヘニャントハニャラケ」
だめ!タク言った、おまえちゃんと働け、だってさ。かわいくね~よな。
て、おまえはいったい何者なんだ?
滑るように(アメーバみたいだ)廊下を進み、喧嘩の跡を消していくティコ。
ボスへの忠誠心が一番強いのはもしかしたらこの毛玉かもしれない。
は~、しゃあない。こいつ等、捨てに行くか。
えっと、その後は夫人の相手しなきゃなんないし。
今晩、オレ働きすぎじゃない?労働基準法違反だね。