[7]薄明かりのロンド④
倒れている女性には見覚えがあった。この女性も騎士である。
皇都での学友であった。
「トリア!大丈夫?」
女性、トリアに手を掛けて起こすレイドゥース。
「…レイン…さま?」
顔を起こした女性がレイドゥースを見上げた。その表情には安堵にちかいホッとした表情が広がっていた。
「トリア、何よそれ、びしょ濡れじゃないの!?」
レイドゥースは立ち上がらせたトリアの白いブラウスがピンク色に染まっているのを見て憤慨した。
もっていたハンカチで顔を拭ってやった。
拭い終えるとその目の前でニヤニヤとこちらを見ている集団を睨みつけた。
「女性になんてことするのよ!あなた達、恥を知りなさい!」
覇気と力を解放して叫んだ。
高潔な騎士としての雰囲気をもつレイドゥースにニヤニヤ集団の後ろのほうに居た数人があとずさった。
「恥?なぜだい?平民が俺たち貴族に尽くすのは当然だろう?」
集団の真ん中に居たやたらと華美な男がまったく悪びれずに言った。その手には空になったワイングラスが握られている。
男の言葉に安心したように再びニヤツク男たち、どうやらこの男が集団のボスらしい。
ミアンの言った有力貴族の子弟だろう。
「彼女は皇騎士よ」
無礼な物言いにレイドゥースの声が切り裂くようなするどさで響く。
低い声にさっきよりも本気の力を載せて放つ。
周囲に陽炎のような靄がたった。
鋭い剣先をのど元に突きつけられたような緊張感に男が一瞬、硬直する。
しかし、直ぐに顔を真っ赤にして顔を歪めた。
ほんの少しでも、自分が後ろに下がった事が許せないらしい。
男の雰囲気に周りの取り巻きも構えだす。
「レインさま、彼はフォルト公爵家の統領息子です。…手を出すと…」
小声でトリアが警告する。平民出の皇騎士であるトリアは凄腕の騎士だが身分というものにすごく弱い。それは平民という階級にとって自然なことだった。
そのこともレイドゥースをいらつかれた。
「関係ないわ」
冷え冷えとした言葉をその口から吐き出す。
身分を傘にきる人が嫌い。
身分にどこまでも脅える人が嫌い。
ワタシは騎士なんだ。
ここにいるのはみんな戦士だ、それ以上でも以下でもないはずなのに。
「無くはないね。どこまで言ってもそいつは平民だ。俺たちと同列にはならねえよ」
物騒な雰囲気を撒き散らして男、フォルト家の跡取りが近づく。
清廉なレイドゥースの覇気も乗り越えてしまえばその美しさもあって被虐心を煽る獲物でしかない。
嫌な笑みを顔に貼り付けて進む男が手を振ると取り巻きたちが二人に迫ってきた。
「ベスタさま、彼女はこれでも皇騎士です。御気をつけて」
後ろにいて見えなかった男が跡取り息子に耳打ちした。
その男を見てレイドゥースの瞳が険を帯びる。
「ビス」
口の中で呟く。
皇都からバルベスへの車の中でいっしょだった騎士だ。
人を見下したような口調が耳に障った男だった。
ビスはこの東の地で自分の仲間を見つけたのだろう、彼に似合いの権力という樹の下でともに雨を避ける仲間を。
ビスが見つけた樹はフォルト家の跡取りだ。
ほんの少しでもビスと交流を持ったことがレイドゥースには痛かった。
「ほ~、上等のドレス着た美人にしちゃ物騒な鬼気だすわけだ」
ベスタがレイドゥースの姿を下から上まで舐め上げるように見て笑った。
「そう言う、あなたは貴族って言うよりその辺のゴロツキみたいね」
「なんだと!?」
語気を荒げるベスタ、それにともない取り巻きが力を出し始める。
タダの気の強い女ならともなく、皇騎士が相手なら全力を出す必要がある。
何人かが彼らの神の名を詠んだ。
「軍神アデューよ、我らに御身の神剣を」
手を組んだ彼らの周囲に赤いオーラがたち昇る。攻防両方に優れた力を発揮する神の奇跡。
ソニステェル皇国唯一の神を称える彼らにレイドゥースが眉間に小さな皺を寄せた。
ワタシの神とあいつらの神が同じであることに酷い憤りを感じた。
彼らの祈りの声は偉大なる軍神に対する侮辱に思えた。
「レインさま」
背後で覚悟を決めたように唾を飲む声が聞こえた。
トリアが半身に構えていた、大貴族に逆らうということに顔が真っ青だがレイドゥースを見捨てる気はないらしい。
その事実にほんの少しレイドゥースは笑った。
神の力が広間に満ち溢れている、立ち昇るオーラに押されるように周囲の客たちが離れていく。
テーブルのチキンに刺さっていた脂に汚れたナイフを逆手に掴み上げてレイドゥースに向けてくる。
突出していた三人がそれぞれナイフやフォークを構え、一瞬だけ目配せした。
来る、誰もがそう思い悲鳴をかみ殺した瞬間。
三人が空を舞った。
壊れた人形のように錐もみして宙を舞う男たち、彼らの放っていた剣呑なオーラが霧のように霧散した。
変わって場を支配するのはどこまでも美しく凛としたオーラ。
ハッと気がついたとき、三人がもと立っていた場所、ベスタの目の前にレイドゥースが立っていた。
高速で移動して三人を吹き飛ばした筈なのにレイドゥースのドレスの裾が跳ねた様子も無く、息も乱していない。
いっそ冷え冷えとした冷気を放ちながら陶然と立つレイドゥースにみなが息を呑む。
「まだやりますか?ベスタ卿」
レイドゥースの声は特別大きくは無かったが広間中の人間に聞こえた。
ベスタは屈辱で歪んだ顔でレイドゥースを見た、次いでテーブルに突っ込んでのびている騎士を見比べた。
「……いや、やめておこう。認めるよ、彼女は騎士だ。すまないことをした」
平静な声を絞り出すようにしてだしたベスタはのびている取り巻きを助けもせずに広間を出て行った。彼に続いて取り巻きが引き上げていく。
その時漏れた、失笑にベスタの握り締めた拳が震えていたのがレイドゥースにもわかった。
プライドがあるなら、他人を辱めるな。彼はそんな当たり前のことすら、おそわらなかったのだろうか?それが彼の持って生まれた身分からくるものなら……。
ほんの少しだけ、ベスタが哀れに思われた。
「レインさま、ありがとうございました」
神への感謝の意を小声で捧げオーラを消していると、ホッとしたような声でトリアが礼を言ってきた。
「もう、トリア。貴女ならあんな連中、一蹴できたでしょうに。なんでやられるまんまなのよ」
呆れたような憤慨したようなレイドゥース。
「それは、その~」
曖昧な笑みを浮かべてトリアが苦笑いする。
レイドゥースも皇都時代での生活と変わらないトリアにため息を付くほか無い。
皇騎士だったトリアはレイドゥースと同じ淑女院で過ごしていたが、その時から平民と言う身分を常に気にしていた。
これはもうトリアの性格だ、レイドゥースもほんとのところは彼女の性格を諦めていた。
これが彼女なら仕方ないと思ったのだ。
「派手に暴れたね~アンタに見とれてた奴多いのに、これでみんな怖がって近寄ってこないよ」
嬉しそうな声、確かめるまでも無くミアンだ。
半眼で振り返るとそこにはいい気味だと笑うミアンがいた。
「ミアン、あなた見てないで手伝いなさいよ。か弱い女の子が大勢の男たちに囲まれたのよ、周りの連中も誰も助けに来てくれないし」
「かよわい?誰が?そんな子いないよね」
ミアンの突然の出現にビックリしたまま固まっているトリアに聞いていく。
「あ、そうですね。ホントに」
言ってしまってからハッとしたように口に手を当てる。
トリアがユックリと視線をレイドゥースに動かすと…。
「ひど~い。そんな風に思ってたなんて」
ほんのさっきまで、凛とした近寄りがたいほどの高潔な雰囲気を出していたのに今のレイドゥースはとても親しみやすかった。
神が動いた……。
パーティーに参加しているなかでも感覚の鋭い者たちは現世に降り立った神の息吹を確かに聴いた。
最初に誰かが神の御足にすがったのを感じたときは、誰かが酔って暴れているのかと思ったが、次いで誰かが強大な奇跡を降ろしたときには自分の感覚を疑った。
神が名も呼ばれていることなく召喚され、その御手で誰かを抱き締めたのを確かに感じた。
感覚をもう一度確かめなおした時には、すでに神は消えていた。
しかし、確かにそこには神の足跡があった。
戦慄とともに理解した、広大なソニステェル皇国を守護する戦の神は信奉者を選別している。
間違いない、その誰かは我らが軍神に愛されている。
寵愛者がいる。
百万人に一人とも言われる存在に固まってしまった理解者たち。
ある者はありがたい。と、手を合わせ。
ある者は嫉妬した。
そしてここにも一人。
「うん、アデューが降りたか?これはお嬢さまなんかあったかな」
神を呼び捨てにする罰当たり、タクミである。
神の降臨にもタクミはまったく慌てていなかった、彼に言わせればレイドゥースほどの女性が寵愛者になるのは至極当然のことなのである。まったくと言っていいほど神にたいする畏敬の念と言うものをタクミからは感じられなかった。
神の存在もタクミにとっては便利な力、その程度の認識であった。
小走りに廊下を歩くタクミの背中からは「速くお嬢さまのところに行かねば」その決意だけが不必要なほど読み取れた。
「くそ。あの女、どうしてくれようか!」
荒れた声を上げるのはフォルト公爵家の統領息子ベスタである。
広間を出るまでは平静を保てたが、廊下の中ほどで我慢の限界を迎えたらしい。
屈辱と羞恥で真っ赤になっている。
取り巻きたちはベスタに追従するようにレイドゥースを口汚い言葉で責めていたが、みな一様に顔色が悪かった。
さっき、吹き飛ばされた三人はこの中でももっとも腕の立つ騎士だった。
三人のうち一人は皇騎士候補にまで上った男だった。
なのに、レイドゥースにはまったく敵わなかった。何をされたのかもわからない、気づいたときには三人が倒されていた。
悲鳴が喉から漏れそうだった、なんとかその悲鳴を飲み込んだのもベスタの前だったからだ。
「公衆の面前でこの俺を辱めるとは!何としても仕返ししてやる」
ベスタの言葉に取り巻きたちが苦虫を噛み潰したような顔になる。
戦闘不能になった三人を抜いてもココにはまだ騎士が八人いる。
しかし、ここに居る全員でレイドゥースを闇討ちしても返り討ちにあうのは目に見えているからだ。
ベスタが癇癪を起こしてそんな無謀な命令を出さないように彼らは祈った。
「ビス!オマエはあの女を知っていたな。あれは何だ!」
八つ当たりで壁を殴りつけていたベスタが思い出したように叫んだ。
「は、彼女はアンスカレット家の息女です」
ベスタの余りの剣幕に身を縮ませながらビスが答えた。
「ち、剣聖の血筋、女丈夫かよ。しかし…」
陰鬱に笑うベスタ。
「所詮は中級貴族。皇国でも有数の大貴族である我がフォルト公爵家とは格が違うわ!」
ベスタは狂相を表して暗く笑い続ける。何かを思いついたらしい彼に取り巻きたちも追従する。
「ベスタさま、何か思いつかれましたか?」
「ふふん。都の実家に使いを出せ!あの女を俺の妾として召し上げる」
上機嫌でベスタが言う。取り巻きたちは一瞬あっ気にとられたがすぐに意味を悟った。
「なるほど…さすがはベスタさま。フォルト家からの結婚の申し込みとあれば……」
「アンスカレット家も断れませんな」
ニヤニヤと笑う取り巻きたち。
「見た目は十分に美しいからな、ベッドの上でもあの態度を保っていられるか、……楽しみだ」
暗い欲望を込めた笑い声が通路に響いた。
自身の考えに機嫌を良くしたベスタはレイドゥースを下にすることを思い描きながら廊下を再び歩き出した。
このとき、彼がもう少し早く帰りの帰路に付いていたなら彼らの人生はもう少し長く続いただろう。
劇的な人生は遅れなかったかもしれないが貴族らしい怠惰と荒廃の人生を歩めた事だろう。
二次会場には出入りの通路が一つしかなかった。だから、これは必然かもしれない。
レイドゥースにコテンパンにされたベスタがさっさと逃げ帰っていたなら出会わなかったかもしれない。
もしくは、もう少しラシッド公爵がねちっこい性格だったなら、まだ大丈夫だったかもしれない。
しかし、現実にはそうはならなかった。
L字路の曲がり角、ベスタが取り巻きたちと角を曲がろうとしたとき角から先に現れたのはブラックのスーツを上品に着こなしたアンスカレット家の執事、タクミだった。