[5]薄明かりのロンド②
宴はすでに、宴たけなわだね。
すでに主催者であるラシッド公爵が挨拶を済ませている。
あちらこちらで何だか難しい話が始まっているらしい、ヒソヒソと囁き声が聞こえてくる。
それは他人の醜聞や有象無象の噂話、自分の自慢話といったものから。
新しい人脈を作るための社交辞令的な会話、もっと進んで商談といったものから政治的駆け引き。
よくやるよね、まったく。
まだまだあの中に入っていく気には成れないわね。
タクミが傍に居てくれなかったら、すぐにでも逃げ出したいわ。
子供のころにはただ煌びやかな光に彩られた宴がただただ綺麗でいつまでも見惚れていた。
でも、今のワタシはただ見惚れているだけでは済まなくなった。
それはワタシの成長を現しているのだけど……なんかイヤ。
タクミもよくこんな人たちと普通に会話してられるわよね。
高度で知的な会話をときおり冗談を加えて話すタクミ、さっき意地悪小母さんたちに囲まれたときも自分ひとりじゃうまくきり抜けられなかったろうな。
それにしても、あの人たち……
「まったく、いくらワタシの弟がカッコいいからってワタシに絡む事ないじゃない」
今日のタクミはほんとに素敵だ。
御爺さまの代理人としての立場を意識しているのかも知れないけど、お屋敷の外で見るタクミはいつもの柔和で優しい笑みに鋭さが加わっていた。
立ち居振る舞いを見れば、王侯貴族のようにも見える。
扇子で顔を隠しながらタクミを目で追う御夫人たちの多い事といったらない。
隣に立っているだけで鼻が高いのであるが……周りの人たちがね~。
ほんとに砂糖に群がる蟻みたいに集まってくるんだから。
実際にはレイドゥースの美しさに人々が集まり、男は美辞麗句を女は嫉妬まじりの褒め言葉をかけていただけだった。
精神面を純粋培養されたレイドゥースにはそれがわからなかった、ハッキリいって鈍感だ。
レイドゥースに群がった男たちがすぐに居なくなったのは、レイドゥースがピッタリとタクミに寄り添っていた事とタクミの底冷えする眼光に追い散らされたゆえだった。
群がった奥方たちをタクミが放っておいたのは…
「お嬢さまも社交界に慣れておくべきだとおもいまして」
と、いったところだ。
それでも、何かと意地の悪い小母さんたちに苦戦するレイドゥースを自然にフォローする事も忘れないところが過保護であったが…。
グラスに軽く口をつけたままじっとタクミを見つめているレイドゥース。
微かに開いた唇がグラスのワインで艶めかしい光を放っていて漆黒の黒髪と相まってなんとも妖艶な雰囲気を醸し出している。
ちっ、周りの連中!レインさまを見るな!
周囲で見惚れている身の程知らずどもに理不尽な怒りを感じる。
ヤッパリ、黒いドレスはやり過ぎだったかな?……でもレインさまに一番似合うのはやっぱり黒だし、でも二番候補の白にするべきだったかな?
今回正式に社交界デビューするレイドゥースのために用意したドレスではあったが、ハッキリいってうまく行き過ぎたかもしれない。
今まで、会場のあちこちを周って有力者たちに挨拶をして周ったのもレイドゥースを見せるためだった。
今までの彼女の評価は、剣聖を祖父に持つ軍人貴族の娘、といった所だったが今回のお披露目でそこに美貌と富の二文字がつけたされただろう、ついでに腹心の部下(ボクの事だ)の有能さを見せつけた。
あのドレスを見て息を呑んだ上流貴族が何人いたことか?まさか、たかだか子爵家の娘がこの国の王妃に謙譲されてもおかしくないほどのドレスを着てくれば価値のわかる連中なら驚かない方がおかしいってものだけど。
それが似合ってしまうのはレインさまの美しさの現われなんだけどさ。
「どうしました?お嬢さま。ボクの顔に何かついてますか?」
「えっい(いや)っなん(なんでもないの)」
レイドゥースの顔を覗き込むようにして声をかけるタクミ。
ポーッとしていたレイドゥースがパッと飛び離れて手を無意味に振り回しながらよく判らない答えをよこす。
ちょっと、やりすぎたかな。
周囲への威嚇もこめて風が吹けばキスもアクシデントになる位置まで顔を近づけてみた、注意の戻ったレイドゥースはパニックを起こした子供のようである。
そう言えば、レインさまって昔からパニック体質でいらしたっけ。
ボクが軽い怪我をしたときなんかも今みたいにパタパタ手を振り回してたよな~、そのくせボクが大怪我したときにはキビキビ動くお姉さんになっちゃってさ。
そのギャップもかわいいんだよな~。
ニコニコとしながらレイドゥースの世話を焼くタクミ。
ある意味、特別な空気を会場に造っている二人を老齢の貴族たちが微笑ましく見ていた。
ディープな大人の世界である夜会で二人のとても幼くて温かい関係は奇妙に目立っていた。
「あの二人、兄弟みたいじゃのう?」
それ聞いたら、たぶんへこむと思うな。
「兄と妹みたいに見えますな。とても大切にしているのが解る」
あはははは……確かに、立場が逆転してるよね~。
「あら、踊り場に誘うようですわね。あらまあ、真っ赤になってかわいらしい」
今日は朝からず~~っとこんな感じなんだよね。体温上がりっぱなし。
「二人とも背がありますから映えますな」
そうなんだ、ボスは186センチ、お嬢さまも176センチもタッパがあるんだよね、イヤ~ほんと女の子にしちゃデカ……おっとこれを言ったらボスにまた殴られちゃうよ。
ちなみに体重はトップシークレットだからボスも知らないらしい。
「なかなか見事なステップじゃのう。……しかしのう、あれはどうも娘ごがリードしているように見える」
むむ、ボスにも苦手なことがあったんだな~。道理で舞踏会嫌ってたわけだ。
「クルクルと可愛らしい。……無骨なランドルフ殿のお孫とは信じられんのう」
オレも信じられないよ。
「お相手の男性はどちらの方でしょうか?」
オレのボスだよ。
「なんでもランドルフ殿の代理人らしい」
表向きはね。
「婿養子でしょうか?あれほどの男ぶりなら家の孫に当てたいくらいだわ」
お嬢さま以外に仕える人じゃないと思うな。
「お前さんの孫はまだ二歳じゃろうが!」
「……犯罪だよ」
「んっ……?」
シルバー軍団の井戸端会議的お喋りに思わず突っ込んじゃったよ。
夫人とバーで甘いお酒を飲み交わしていたルクスは棚に並んだボトルに写る影を何気に追いかけていた。
肩を預けるようにしてベリーニに口づけていた夫人がルクスの呟きに顔を上げる。
何かを呟く前にルクスがその唇を唇で塞いだ。
夫人がそれにあわせて目を閉じる。
唇を合わせたまま横目で見ると会場を横切る一人の男を見つけた。
あの男の目指す先にいるのはボスだろうな。ちょうど、曲の終わりだし。
ここからはオレの仕事じゃないな、楽しんでばかりじゃなくてボスにも仕事してもらわないとね。
「んん……っふ」
ぴったりと重ねられた口から、ぬるりと舌で唇をこじあけて侵入する。
歯先を舌でなぞり唾液を舐め摂る。
咥内は桃の味がした。
「やあ、レイドゥース見違えたよ美人になったね」
「ふふふ、小父様。さきほど挨拶に伺ったときもそう言ってらっしゃいましたよ」
ダンスの輪から出たところで待っていたように声をかけてきたのはこの宴の主催者ラシッド公爵アテジアだった。
幼い頃からの知り合いであるレイドゥースは親しげに会話できるが、タクミとしてはアンスカレット家の名代としてなんどもアテジアとはあっている、タクミをただの平民と知るものに対して今までの態度はできないでいた。
今までの態度は自分を知らない相手になら出来るというだけの話だった。
知られているなら貴族にとっては平民などとるに足りない存在なのだ。
「そうだったかな?ははは、まあそんなことはいいじゃないか。君が美しくなったのはほんとだからな、何度褒めても褒め足りる事はないよ」
楽しげに語らう二人の背後でタクミは黙ってたっていた。
「ところで、今日は剣聖殿は来ていらっしゃらないのかな?…久方ぶりにランドルフ殿に剣について語っていただきたかったのだが」
大げさに周りを見渡すふりをするアテジア、もちろんこの場に剣聖がいないのはわかりきってはいるのだが。
「それを聞けば喜びますよ。御爺さまは今日は気が乗らないと仰られて来ていません、名代として私の弟を遣わしましたの」
レイドゥースの紹介にあわせて頭を下げる。
「うん、タカヤ来ていたのかい?さしずめランドルフ殿にレイドゥースのエスコート役を仰せつかったといったところかな?あの御仁はあれで子煩悩、いや孫煩悩なところがあるからな」
ここで初めてタクミに顔を向けるラシッド公爵。
大貴族としてはこれでもマシな方だったりする。
タクミがにこやかな笑みでそれに答えた。
それから暫く、世間話に花が咲いた。
レイドゥースの皇都での生活や、タクミがアンスカレット家の家宰として他国に行ったときの話はこの五年この東の地に縛られていたラシッド公爵を喜ばせた。
「いや、このところ外の話をほとんど知らなかったのでね。とても興味深い話だったよ。…そうそう、レイドゥース。すこしタカヤを借りてもいいかな?」
「難しい話なんですか?」
「ああ、バルベスですこし問題が起こっててね。彼とも話をしておきたいんだよ。いいかな?」
「わかりました。お貸しします。……でも、早く返してくださいよ」
タクミの左手を抱くようにして言うレイドゥースに
「ははは、わかった。出来るだけ早くお返ししよう」
茶目っ気たっぷりに左目をつむるとラシッド公爵は自室で待っていると言って会場を出て行った。
「タクミ。勝手に決めちゃったけど……よかった?」
心持心配そうに眉を寄せて聞いてくる。
「もちろん、かまいませんよ。……ただ、もう少しお嬢さまと踊っていたかったですけどね」
「……ワタシも」