[4]薄明かりのロンド①
「ねぇタクミ。ラシッド公爵家に遊びに行くのっていつ以来かしら?」
「そうですね、公爵家のレテェルク子爵がご結婚した祝いの席に招かれたのが最後ですから丸5年ぶりです。そのころから東は忙しくなりましたからね。…ラシッド公爵様もこの5年近隣三国との調整に忙しいようでしたからこの宴もあれ以来のことですよ」
「そうなんだ。あの遊び好きの公爵様がね~、でもタクミはよく公爵家に行くんでしょ?」
嬉しそうに質問する声、男の出世を単純に喜んでいるのがわかる。
「……御屋形さまの代わりですよ。月に一度、平原とバルベスに関する会議の席に着くだけです、発言権も無いようなものですから誰が来ても変わりませんよ」
苦笑とともに答える声、照れ隠しだ……ほんとは喜んでくれて嬉しいんだろうな。
「そんなことないよ~。あの厳格な御爺さまに選ばれたんだよ!世襲で出てる貴族なんかよりズットすごいよ」
力いっぱい力説してるよ、たしかに御屋形さまに選ばれたってのはさすがだよね、でもあの爺さんは厳格ってのとはちょっと違うけど。
「それにあの実力主義の公爵様が会議に席をおいてくれたんでしょ?」
「はい」
「ほら!認められてる証拠じゃない」
「そっそうかな~」
我が事のように喜ぶお嬢さまに褒められて照れる筆頭執事殿。
ラシッド邸への道すじ馬車を走らすルクスは車両の中から聞こえる声に聞き耳をたてていた。
レイドゥースが屋敷に戻ってくるまでルクスはタクミの年相応な笑顔を見たことは無かった。
いつでも彼の顔には眉間に皺が寄っていたような気がする。
笑い顔なども、冷笑かとてつもなく邪悪な笑みしかみたことなかったのにね。
ほんとお嬢さんが戻ってきてくれてから、ボスの違う顔が見れておもしろいったら無いよ。
戦争前の緊張感が四年ぶりに解かれたこと、派手好きな事でも有名なラシッド公爵アテジアが大々的な宴を開く理由としては十分だった。
呼ばれたのは近隣の領主から国境近くに配備された騎士たち、招待客の数は500人は下らないだろう大パーティーだ。
もちろん、我がアンスカレット家の皇騎士であるレイドゥースや御屋形さまも招待状を受け取っていた。
そしてオレのボスもね。
「アンスカレット子爵家の者です。」
ルクスがタキシードのポケットから招待状を門衛にわたす。
門衛が馬車に刻印された家紋を見て、にこやかに迎え入れた。
「どうぞ、中にお入りください。何時もどうりの場所に御留ください」
「ありがと」
顔見知りの門衛に手を振って邸内に入っていきながらルクスは周囲の視線を鬱陶しく感じていた。
たかだか子爵家が馬車で乗り入れるのが気に入らないってか?
馬車や車、果ては飛行機が止められているのは邸宅からかなり離れたところだ、中に乗り入れられない人たちはすこしではあるが邸宅まで歩かなければならない。
おそらくは格上と思われる貴族たちからは屈辱と憤激、格下からは嫉妬と羨望の気配が伝わってくる。
ルクスは彼らの視線を一身に浴びながらことさらユックリと馬車を進めていた。
「ふふふ、人間の負の感情……ああ、なんて気持ち良いんだ。アダッ!」
呟いた瞬間、頭に衝撃を食らった。
「どうしたのタクミ?急に壁殴ったりして」
「いえ、蚊が飛んでただけですよ。あははは」
酷いよ、ボス。ちょっと浸っただけなのに……。
宴の始まる時刻としては少し早めに到着したつもりだったが、どうやらボク等が会場の大広間に到着したときには始まっていたらしい、楽師が流行の曲を奏でていた。
軽い酒と食べ物を摘む、招待客たちが楽しげに談笑している。
だが、まだ主人のラシッド公爵は広間に現れていない、丁度いいくらいに到着したようだった。
楕円形をした出入り口が正面の大きな扉以外にもたくさんある。
壁際の暗幕の付いたところには小さな扉が付けられていて、宴の最中にでも気分の盛り上がった男女がさり気なく出て行けるよう工夫されている。
隠し通路は入り口と出口が2つずつ細い通路になってついておりここを通る人は他の人と出来るだけ出会う確立を減らしているのだ。
その後はもう、部屋を持つものなら個室に下がろうが、広い庭園の暗がりだろうがどこにでも行けるというわけである。
女好きの公爵らしい設計だった。
隠し通路の天幕から中を伺う背中に今日、何度目かの質問をする。
「……ねぇタクミ~。これ変じゃないかな?」
艶やかな光沢のある黒いドレスを身に纏ったレイドゥースが裾をちょっと挙げて自分の体を見ようと首を捻る。
パーティー用のドレスを着るのなんて本当に久しぶりだった。
鎧を着るのに成れた体にはヒラヒラとしたドレスがどうも合っていないような気がする。
「全然、変じゃありません。とってもとっても綺麗です!ボクが見立てたんですから間違いありませんよ」
レイドゥースは本当に美しくてタクミは自分の顔が知らぬ間に赤くなっていたのにまったく気づかなかった。
タクミ、顔真っ赤だ。
レイドゥースの姿を褒めちぎるタクミ、彼の顔はもうリンゴのようだった。
タクミのその様にレイドゥースは満足した。
他のだれに褒められてもこんなに嬉しくは無いんじゃないだろうか、そんな風に思える。
嬉しくて自然と微笑えむと、目の前のタクミがさらに赤くなった。
「そっかぁ。タクミはわたしのこと綺麗だって言ってくれるんだ~」
ワタシまで伝染して赤くなってしまう。
このドレスが自分に似合う、それが嬉しい。
このドレスを見立ててくれたのがタクミで嬉しい。
実際、タクミが用意してくれたドレスは彼女が今まで見た中でも一番綺麗だった。
今までは、母親のお古を舞踏会などに来ていっていたのだ、それでも十分に美しかったがこれは物が違うような気がする。
しかも、これはどう見ても新品だし。
「ねぇ?タクミ」
「ハイ。なんですか」
「このドレスほんとにワタシが貰っちゃっていいの?」
そうなんだ、このドレスは今日タクミがプレゼントしてくれたのである。
貰ったときはうれしくてうれしくて涙が出そうになったけど…………落ち着いて考えると、これは結構高いと思う。
「もちろんです。ドレスもお嬢さまに来てもらって喜んでますよ」
「そ、そうかな」
恥ずかしいセリフをサラッと笑顔とともに言われてしまうと…………嬉しすぎて言葉も無い。
「さ、お嬢さまもパーティーをお楽しみください」
暗幕の影からタクミに手を引かれて出てしまった。
そのまま背中を押されて広間に連れ出される。
結局、値段のことは聞きそびれてしまった。
あらま~舞踏会なんか嫌いだって言ってたくせに~。
やっぱり同伴している女性の力だよね。
広間でレイドゥースをエスコートしている青年は広間を次々とテーブルの間を挨拶をして回っている。
彼が貴族階級でも騎士でもないただの一市民だと気づく者はいないだろう、それくらい彼の作法と動きには不自然さがなかった。
時折、彼らの間で談笑が漏れるのが聞こえてくる。
社交辞令のように行われる政治に関する高度な会話にも危なげなく答えている。
グラスに注がれていた林檎酒を傾けながら二人を見ていると青年と視線が一瞬絡まった。
不自然な感じも無くフッと振り返った彼がオレに対してこめた眼差し、それは……
「ちゃんと仕事しろ!」
ってことなんだろうね。
ハイ、ハイ。ちゃんと働いてますよ~。
「どうかなさいましたか?ルクスさま?」
おっと、集中集中。
「いえ、なんでもありませんよ。……レシド伯爵夫人。ただ、あなたの美しさに見ほれてしまっただけ…………。」
「まぁっ」
年はかなり逝ってる人だけど……反応が可愛い人だね~。
オレの一言に頬染めちゃってさ。
うわっ耳まで真っ赤だよ。
慣れてないんだね、かわいそ~に旦那とうまくいってないってほんとなんだ。
今日はオレが今までの沈んだ生活を吹き飛ばすくらい楽しく過ごさせてあげるからね。
そのかわり、君の旦那の動きは教えてね……ひどいようだけどこれも仕事、ボスの命令だからさ、悪く思わないでよね。
ほんと今日はサービスしちゃうからさ。
さり気なく婦人の腰に手を回す、かすかに身を硬くするがそれ以上の反応は無い、よし!
「夫人、踊りませんか?」
強引にクルクルと回る男女の中に連れ出す。
「あっああの!ワタクシ……その、もう長く踊った事が……」
「大丈夫、オレがきっちりエスコートします、踊ってくれるでしょう?」
ここまで来る間に、踊り場の中心にまで移動してしまっている。
ここまで着て、オレの手を離してこの場を離れればオレだけじゃなくて彼女も恥をかくことになる。
ああ、そんなに恨めしげな目で見上げてきちゃって……お返しに微笑がえしっと。
下を向いちゃったよ、でもま~手を取ってくれたってことはオッケーてことだよね。
「大丈夫、オレのリードに合わせて……」
耳元に顔を埋めて囁くと、ビクッと身を震わせた。
ククク、いい反応だよ、ホント。
曲に合わせて二曲ほど踊ると夫人もずいぶん楽しめるようになって来たようだ。
曲の合間にグラスを開けて、曲が始まるとまた踊る。
踊るときは出来るだけ周りの注目を集めることも忘れない、立ち居振る舞いに気をつけて何気ない動きにも華を持たせると結構目立つもんだ、そうする事によって夫人の自尊心を満足させてやるのだ。
夫人はもう夢見心地でオレに体を預けている。
どうですか~ボス!バッチリ働いてますよ。
ダンスの中でターンするときグルリと周りを見渡せば人だかりに囲まれたボスとお嬢さまがいた。
なんか、お嬢さま脅えたみたいに見えるよ。
ボスにしがみ付いちゃってさ。
まあ、あのお嬢さまの装いを見れば金持ちの奥方が寄ってくるのもわかるわな。
お嬢さまは解ってないみたいだったけど、あのドレス一着にかけられた金を積めば今、行われているパーティーより大きなパーティーが開けるよ。
あのドレスは芸術の都とも言われる色彩都市ボンペルで先ごろトップデザイナーの仲間入りを果たしたルマーニに特別に注文した一点ものだ。
新鋭鬼才のルマーニが手掛けただけのことはあるよね。
絹繻子の濡れた獣の皮のようにしっとりした衣装が体の線を際立たせるようなフォルムだった。
裾はながく膨らむことなくスリムに流れいるが左右に控えめのスリットが入っているので鈍重なイメージは無い。
そして、腰に巻かれたサテンが腰の辺りでの黒バラの大輪を形作るように結ばれている。
黒バラの彼方此方には黒曜石の欠片が散りばめられ会場中の光を吸収しているようだった。
そして胸元の中心、心臓の位置に形作られた十字架には銀と大きな黒真珠で装飾されている。
手首まで黒の下地を着ており、ストッキングも黒と全身黒ずくめではあるが、レイドゥースの白い肌とのコントラストが陰気なものとはちがうなんとも華やかな雰囲気を作り出していた。
金に糸目をつけずボスが依頼して創った服はまるでレイドゥースのためだけに作られたように見える。
そいいや、二度同じ服を作るなって誓約書書かしてたっけ……徹底してるよな。
それにボスの服も普段着てるやつじゃない、あれもルマーニの作品だよ。
あれだけ華麗なお嬢さまの隣に立っても全然自然だよ、さすがはボスってとこかな。