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[33]苦笑いのマーチ③



 タクミがいる。会いたくて会いたくて夢中で求めて走った弟がここいる。

 あまりに突然すぎて心が早鐘のように打っている。カッと顔に血がのぼるけど、駄目駄目。そんな場合じゃないでしょ。っと、自身を叱り付けて、でもでも、それでも、嬉しくてたまらない。

 ついさっきまで、死と真正面に向かい合っていたのに、わたしはなんて現金なのだろうと笑いたくなる。


「ぼくが合わせます。返しましょう」


 ほら、わたしよりずっと年下のタクミのほうが、ずっと冷静で今が観えてる。わたしはお姉さんだったはずなのに、彼にはまったく適わなくなっている。

 それが、嬉しい。


「ええ。いきましょ、タクミ。流転の型よ?覚えてるかしら」


 昔、わたしが皇都に発つ前。お爺様に仕込まれた剣聖技。

 君はずっと見ててくれたよね。あの頃、怪我で満足に走ることもできなかった君だけど、お日様の下でずっとわたしたちは同じ時間を過ごしてた。


「もちろん。忘れるわけがありません」


 背後で微笑む気配がする。胸がキューっと締め付けられて、思わず目を閉じそうになった。


「いくわよ」

「いつでも」


 打てば響くように返ってくる言葉に、フッと笑い、次いで視線を鋭く戻した。

 悪魔の巨体を支える剣を半瞬よりもっと短い間、手元に戻す。ほんの僅か、タメには見えない初動の停滞を残して、レイドゥースの魔剣が風を纏うようにかち上げられた。リシトの巨体が宙に押し上げられる。しかし、所詮は一撃だ。すぐに落下しはじめるだろう。


 しかし、今ここには二人がいる。

 レイドゥースに半瞬遅れて、まったく同じ動作で動く騎士がいた。まるで、影のようにレイドゥースに従い、彼女の体勢が整う間を稼ぐように、悪魔の体を上へと押し上げるように回転斬りを加える。悪魔の体がさらに浮く。


 タクミの刃が悪魔の体を抉り抜けると、再び、レイドゥースの魔剣が戻ってくる。

 人々には、つがいの鳥が戯れにくるくると踊っているように見えた。

 終わることのない捨て身技の連撃こそが、剣聖ランドルフの編み出した流転の型。隙の大きさに見合う攻撃力を有している。


 そして、最大の欠点は完全に息のあった二人がそろったことでなくなった。

 まさに、流転。どこまでも終わることのない演舞の剣戟。見る間に悪魔が空に浮かされていく。

 身を翻して剣を振るう間、決して二人の視線が合うことはない。ただ、互いの背中に確かな存在を感じるのだ。なにも恐れることなく、大きな隙をさらしても、まったく怖くない。

 だって、こんなにも信頼できるから。

 剣を握る手に今まで以上の活力が注がれる。斬り上げた剣の軌跡も美しいほどだった。

「やーっ!!」

 渾身の一撃は、ついに、悪魔を弾き返すことに成功した。


 レイドゥースの一撃によって弾き飛ばされた悪魔の巨躯を見やりながら、タクミは苦笑いを浮かべていた。

 まったく、すごい。としか云いようのない剣技だった。

 魔法を用いて自身の体を運用しているぼくだからこそ、なんとかついていけたようなものだ。

 並の者があの動きを実行すれば、最初の一撃を繰り出した際に壊れてしまっただろう。

 悲鳴を上げる肉体各部の治癒を平行して行っていなければ、ぼくも間違いなく壊れたな。っとわかる。

 それなのに彼女からは、まったく肉体の悲鳴が聞えないのだ。

 あの動きこそが、彼女の普通らしい。


 術による補佐もなしに、見事に悪魔を返してしまった。悪魔の巨躯が都の尖塔のように伸び上がり、そのまま真後ろに轟音を上げて倒れた様は、圧倒されるほどの現実でありながらもどこか非現実的だった。


 これは伝説になるんじゃないかな。

 ルクスは不意にそう思えて笑えてきた。

 なるよねぇ。これだけの活躍をして伝説にならなかったらそれこそおかしいよ。ということは、俺ってばソラステェルの新しい伝説を目の当たりにしてるっとことか。


 新たな神殺しはまだお若い貴族のご令嬢ってわけだ。

 アンスカレット家の格がこれでまた一つ上がっちゃうなぁ。

 筆頭執事補佐として子爵家のすべてを取り計らうタクミの子分をしているルクスであるから、お家の格が上がるのは多いに結構なことである。ただの子爵家と、英雄の生家である子爵家じゃあ雲泥の差というやつだよ。ああ、這い上がる優越感に背筋がぞくぞくしちゃう。

 でも、まてよ。


 アンスカレット家の格が上がるってことは、ボスのいい人の身代も上がるってこと?

 それはつまり、高嶺の花がますます高地に移っちゃうってことなんじゃないの。

 ルクスは本末転倒な事態に苦笑する。


 お嬢さんに釣り合う権力を合法的に手に入れ、それから、告白し、恋愛し、結婚する。というある意味王道ともいえるプランこそが我らがボスの最終目標である。


 お嬢さんを寵愛者から外し魔法使いとして自身を完成させるなどというプランは、その本筋から派生した脇道にすぎない。その脇道が、本筋へと至る道を長く伸ばすことになるとは思っても見なかった。


 まさしく、苦笑しかない事態だ。

 まったく予測のできない事態にはもうただ笑うしかない。ルクスは本当に珍しく素の顔で笑ってしまった。


「なるほどね。まだまだ働き甲斐があるってことでしょ。ボス」


 倒れ伏した悪魔に追撃を掛ける二騎に向けて囁いた。

 血に塗れた黒衣の男は神妙な様子で胸に片手をやり、頭を下げる。


 早く戻ってお屋敷の掃除をしよう。

 領民たちに大声で触れ回らないと。馬蹄に荒れた道を均して、炊き出しをしないと。

 それから広間を綺麗に飾り付けないと、なんたってただの戦勝の宴じゃないんだよ。

 そりゃ、本家の連中にしてみりゃ、お嬢さんの初陣の祝いってこともあるだろうけどさ。あ、もちろん俺にとってもそれがまったくないってことでもないんだけど。


 でもまぁ、俺にとっちゃ、そんなことよりなにより大事なことがあるわけで…つまりは、ボスが初めて表の世界に姿を現したお祝いってことが重要なんだよ。なんたって俺の主人はボスなわけで、それ以外を線引きしていいる今の生き方が好きなわけで。


 顔を上げたルクスはいそいそと戦場を後にしだした。

 背後ではいまだに常軌を逸した気配が振動になって伝わってくるが、もはやルクスは振り向きもしなかった。


 タクミが来た時点ですべては、終わったことなのだ。


「合わせて」

「はい。お嬢様」


 苛烈な悪魔の攻めの合間に睦み会うように交わす視線が心地よかった。

 タクミに守られた背中はとても心強くて、ああ、この子はいつの間にこんなに大きくなっていたんだろう、とますます驚かされる。


 あの城壁の街バルベスで再会した時から、まるで知らない人のように様変わりしていた私の弟。大人の男の人として、すごく立派になってて嬉しくてたまらなかった。


 お爺様が、タクミに大きな仕事を任せられているのを知って自慢でならなかった。

 そして、命を削りあうギリギリの戦場でこんなにも安心させてくれるような男になっていると教えられて、もう、どうしようもなくなった。


 そう、もうどうしようもない。

 選択肢はすべて消え去り、逃げ道が塞がれていく。情けないほど、あれに対して逃げ腰な私だけど、今なら云えそうな気がする。この嬉しさに昂揚した私なら、君に伝えられる。


 云ってしまおう。

 今、云わないとたぶんまた暫く私は伝えられなくなるだろう。

 恋愛に対して積極的な友人のミアンはいつも云ってた。女は度胸で恋をする。

 私は迫り来る悪魔の巨躯を大剣で弾きながらティコを進める。


「タクミっ!」


 視線を合わせずに彼を呼んだ。

 私は思い切り息を吸い込んで僅かに視線を下げる。カッと体温が上がったのが分かった。

 タクミの視線を背中に感じる。


 でも答えが返ってこないのは、突然、無防備になった私を守るのに忙しいからだ。

 悪魔の口から飛ばされたギザギザの歯をタクミがすべて叩き落とし、先ほどの呼びかけに応えようと顔を向けてくれた。なんですか?お嬢様。優しく微笑んでくれたタクミは、次の瞬間に、そう訊いてくれるだろう。


 だけど、私はもうそんな僅かな間ですら、待てなくなってしまっていて、伝えてしまった。


「好き」


 それはとても普通に云えて、私にしては上出来の告白だった。それに満足して笑った。

 視界の真ん中でタクミが不自然に固まった。


 固まった彼の黒目が大きくなって、私を見つめてくる。にこりと微笑み返すと、君の表情が紅潮していき、固まっていた体が再起動しはじめる。


「え?ええ?」


 混乱する弟に大いに満足して私はティコの頭から飛んだ。

 目の前には、悪魔の大きな傷口が横たわっている。今、最高の一撃を決めれば、それは悪魔に対する致命の一撃となるだろう。


 真っ赤になって狼狽する弟を置き去りにして、レイドゥースは文字通り神を殺す剣を放った。完全な弧を描く巨大な斬撃は、剣聖ランドルフ云うところの奥義《覇道》にそっくりであったそうな。



<<完>>


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