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[32]苦笑いのマーチ②



「いい加減、私をエティマに通しなさい!!もし、タクミが泣いてたら、あなた、後で酷いわよ!!?」


 酷いもなにも、後などにこの悪魔を残しておく気のさらさらないレイドゥースだったが、なかなかに倒れない敵に感情を高ぶらせているのも確かだった。


 傷つけても傷つけても悪魔は底の見えない回復力で傷口を塞いで迫ってくる。見た目、ソラステェルが押しているように見えるのだが、無限とも思える回復力で少しずつ押されているのは客観的な事実だった。


 それがわかる冷静な彼女だからこそ、イライラが募っているのだ。秀麗な眉がきつくなる。


 そしてだからこそ、口について出るのは彼の名前。


「タクミに会いたい。会いたい。会いたいのっ」


 だから、邪魔しないで。


 レイドゥースは魔剣を斬り下ろした。




 気を失っていられたのは不幸なことにほんの一瞬だったらしい。というより、強制的に召喚、覚醒させられたようだ。


「きゃー!!」


「黙れ。ルクス」


 目覚めた瞬間、ボスの顔だよ。これは叫んじゃうでしょ。


 眉間の間に壮絶な皺を浮かべて苦虫を100匹ほど噛み潰したような表情のボスは、見てるだけで心臓に悪い。


 と、とりあえず言い訳をしないと。


「どうしてこうなったかじっくりと問いただしたいところだが……今はいい」


 さっきも頑張ってお嬢さんを救おうとしてました!と、云うタイミングを失った。


 口をあうあうあうと開閉するルクスを見もせずに、タクミが親指でためた中指を勢いよく弾いた。


 すると、レイドゥースに向かって降り注いでいた悪魔の血が不自然に弾けた。


 もう一度弾くと、タクミを慕うスラムの民たちを苛んでいた呪が解けた。


 さらに弾くと、泥や悪魔の体液で傷つき薄汚れたティコの毛並みが輝きを取り戻した。


 そして最後についでのように、俺に向けて底冷えする眼差しを注いでくださった。心に凶悪な傷を負ったかわりに、肉体の傷だけは綺麗に塞がっていった。


 喜べばいいのか、悲しめばいいのかどっちかわからない不思議な気持ちである。


「ルクス。鎧を用意してくれないか、この姿で参陣するのは場違いすぎる」


 にこりと笑いなおしたボスは、まったく汚れていないスーツの裾を摘んで見せた。


 目が笑ってないのが相変わらずなので怖いけど、取りあえず、ぶち切れることはなかったらしい。


 それは一瞬で悪魔リシトを潰せるほどの力をこの若い魔法使いが手に入れたことからくる余裕だろう。


「す、すぐ調達してきますよ。ええ、ボスに似合いのいいのをね」


 ルクスは飛び上がるように起き上がると、そこいらに大量に落ちている鎧の中から綺麗な物を引っぺがしに行った。


 その背中に「はやく、ね」っと声がかかる。それはとても平坦な声音で、感情は込められていないものだったが、ルクスを三倍速で働かせる程度の効力が含まれていたようだった。




 攻撃だけは面白いように当たっているのだが無限とも思える回復力にそれが意味あるものかどうか、わからなくなってきた頃だった。


 蚯蚓が鎌首をもたげる様に天頂に伸び上がったのだ。


 空まで続く塔のようなその巨躯にソラステェル軍が息を呑んだ。これが落ちてきたら人間などひとたまりもないだろう。大きな影が太陽を遮り、その黒の中にいる戦士たちの心胆を寒くさせる。


 毒液を吐きながら耳に不快な音をレイドゥースに届かせた。




 悪魔が笑った。奴は我々を押しつぶす気だ。




 だれもがハッキリとそう悟り、全力で抵抗を開始した。


「来たれ。我らが軍神よ。隆々たる神の御腕に納まりたる神剣を我らが大地に突き立てたまえ!」


 より一層の奇跡を降ろし、果敢に攻め立てる。


 それは戦場においてソラステェルの戦姫になったレイドゥースも同じだった。


「ティコ。お願い」


「ニャーゴ!」


 鋭い彼女の声に間髪入れずに魔獣が応えた。悪魔に食らいついていた顎をぐるぐると振り回して胴の半ばを食い千切り、その傷口に頭を思い切り打ち付けて悪魔の巨躯を突き飛ばした。


 続くようにレイドゥースが駄目押しの突きを放つ。収束された威力が悪魔の傷口から潜り込み、真裏の肉壁を爆発させた。


 伸び上がっていた首がわずかに揺らぎ始めた。


「こっちに落ちないでね」


 レイドゥースだけでなく、ここにいる皆の願いとは裏腹にソラステェル側に向かってその巨躯が倒れ始める。無数の矢を打ち込んで抵抗をしてはいるが、それで倒れる方向が変わるとも思えなかった。


 反動を伴って叩き潰される時より、いくらかは威力を落とせたのだろうが、悪魔の持つ質量は十分に人を殺せるだろう。


 巨躯が角度を無くして落ちてくる。だんだんと影が濃くなる。数キロはある塔が倒れてくるようなものだ。真下にいる者によっては空が落ちてくるように見えるだろう。


 一瞬、全軍の動きが止まった。


 ただ一人と一匹だけが、抵抗を続ける。


「全員、散りなさい!」


 彼女は諦めるという言葉を知らないのだ。


 だから、当たり前のように飛んだ。


 魔獣の上で魔剣を捧げ、悪魔の巨躯を受け止める。皆が逃げる僅かな時間のためにだ。




 重すぎ!


 思い切り振りかぶって切上げた太刀を支えている両手がガクガクと震えている。


 太刀は神の気で白く輝き、悪魔と触れ合って黒い紫の衝撃を炸裂させている。その衝撃にレイドゥースの細い体躯が風に揺れる蝋燭の火のように翻弄されている。


 こんな大きな悪魔を支えているんだから、当然かもしれないけど……だからといってわたしが逃げるわけにはいかないよね。


 わたしは皇騎士で、みんなの模範となって戦わなきゃならない。それは義務でもあるけど、それ以上に皆を守るのはわたしにとっては当たり前のことだもの。


「止まれーー!!」


 更に、気合を入れて押し返す。だけど、どんどんと悪魔が落ちてくるのがわかる。


 視線を眼下に散らす。まだだめだ。まだ人がいる。


 レイドゥースはグッと口元を引き締めた。


「お願いっ止まってー!」


 足元のティコが苦しげに鳴いている。


 ごめん。ごめんね。でも、もう少し…少しだけ我慢して。みんなが逃げるまで。


 ぐいぐいと押されて腕が軋んでいる。


 まだ、逃れられない。


 もう少しだけ支えないとならない。それがわたしの仕事だもの。頭の端に、死ぬかもしれないという思いが浮かび上がった。冗談っ、わたしは死なないよ。わたしはこれからあの子に会いに行くんだから。


 ぜったいに会いに行く。エティマにいる彼を助け出すんから。白馬の王子のように、悪い魔法使いに眠らされた愛しき君を助け出す。


 そして、わたしはわたしの弟だった彼に……今のわたしの想いを。必ず、伝えるんだ。


 ぜったい。ぜったい。


 固い決意を再び結んだとき、フッと身に掛かる圧力が緩くなった。風がレイドゥースに吹き込んでくる。




「逃げてくださいっー」


 圧力はいよいよ耐え切れないほどになり、大地が重量に耐え切れず、ティコの足を沈めていく。その最中に、悲鳴のような嘆願が叫ばれ、無数の奇跡がただレイドゥースを救うためだけに祈られた。


 彼女だけは守らなければならない。そのためなら、他の誰が助からなくてもかまわない。


 そう決意したはずなのに、彼女に死の影が近づいている。


「我らが王よ。無能なる我らが命を掴み取り、誇り高き姫君を守る盾とされたし」


「盾に」


「誇り高き、守る力を」


「我らがすべてでもって、彼女に守護を」


 押しつぶされつつある主の想い人の下へと彼らは駆け集っていく。それはなにも、彼らスラムの住人だけではなかった。


 皆が集り群集が悪魔を支えようとする。


 最高の勇気を示した騎士のために、命を捧げるように祈った。それしかできないからこそ、非力な己たちの命など本当に捧げたかった。


「命をもって…王よ!守らせたまえ!!」


 壮絶なる決意と共に彼らの声は王の耳へと訊きいれられた。そして、至高の言葉は応えるように返ってくる。


「死ぬ命ならいらないな。ぼくが欲しいのは生きていこうとする命だけだよ」


 訊き間違えるはずなどない彼の、彼だけの声だった。


 振り向く間はなかった。視線だけを後方に覗かせようとした瞬間、彼らの傍らを風が吹きぬけていく。風は、一息に赤毛の魔獣の背を駆け上がり、当然のように彼女の傍らに吹き込んだ。悪魔を支える魔剣の下より押し上げるように力強く。


「え……?」


 ソラステェル最高の勇者の戸惑った声。


 久しぶりに聴く彼女の生の声に、フッと顔が優しくなる。欲望も、陰謀も、殺意も、すべてが剥がれる気がした。


 そうだよ。ぼくは貴女のことをこんなにも。


「ただいま戻りましたよ、お嬢様」


「タクミっ!」


 


 鈍く光る鉄色の甲冑の騎士が腕のなかに大切な物を守るかのように立っている。


 アンスカレット家の執事タカヤ・タクミは主家の娘を守るため、遅まきながらにして、最高の瞬間に参陣し、レイドゥースを救うのである。









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