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[31]苦笑いのマーチ①



 それはあまりにも巨大な肉の塊であり、地面から見上げているソラステェルの民にはその規模も全体的な形も予想することができなかった。


 ただ一人、真紅の魔獣にまたがった女騎士だけが、その余りにも醜悪な目前の物体に不快感を募らせていた。


 原始的な色合いの柿色と紅を混ぜたような肉の色。それが長く長く蛇のように伸びてとぐろを巻いている。血管のような物があちこちに浮き出ており、地面を這いずるたびに、ピューピューっと真っ黒な血を噴出している。


 その巨大で長い肉は、悪魔と堕ちたリシトであり、蚯蚓の悪魔だった。どちらが頭かも解らないが長い肉の両端にギザギザの鋭い歯が並んでいて手当たり次第に貪っている。


「なに……この嫌悪感…これはっ」


 ぞわぞわと背筋を這い登る生理的不快感。


 レイドゥースの柳眉が寄り、ほんの少しだけ「タクミ」意外のものに対して注意力が働いて、彼女本来の凛としたものが声音に乗った。


 足元の獣が唸り声を漏らして、目の前の長い蚯蚓を威嚇している。






「悪魔…なの?これが、お爺様の云ってらした悪魔リシト…」


 余りにも巨大なものが突然に出現したことと、少し落ち着きを取り戻したことで暴走気味だったお嬢様はやっと正気の人間的な反応を示された。


 クッと眉の両端が上がり、口元を引き締める。


 そのままほんの少し黙り込んでいた彼女だったが、次第に彼女の瞳に理解の光が現れてきた。


「そう……そういうことね」


 うふふふ。


 っと小さくだったが彼女は声をあげて笑った。


 瞳がキラリと光っている。


 口元がにまりと吊り上った。


「つまり、あなたを倒せば終わりってわけよね。もうこれ以上、私の邪魔をする人はだーれもいない。私はまっすぐにタクミのところに行ける。そうでしょ?」


 それさえ、わかればよい。


 それに敵が人でないなら、そちらのほうが気分がよいではないか。っとレイドゥースは思う。


 悪魔は絶対に存在を許すことのできない禁忌の獣だ。


 騎士として国防に参加するのはもちろん当然のことだけれども、人同士の斬り合いはレイドゥースにとって快いものとはとても云えないものだった。


 しかし、相手が悪魔ならばむしろ相手として望むところだ。存分に活躍してソラステェルの騎士としての働くのみだ。


 そして私はタクミに会いに行く。






 ティコが上目に彼女を見つめてきているのに気づくとレイドゥースは毛玉の毛並みを撫でてやりながら「手伝ってくれるよね?」と呟いた。


 当然「もちろん」っとティコは表情を歪めて示した。


 レイドゥースは弟の飼い猫に、嬉しげに微笑むと、いつも柔らかな微笑を浮かべていたその顔に冷血なマスクをしっかりと被りなおした。


 彼女の騎士としての本来の姿だ。








 リシトの黒い血は恐ろしいほどの悪臭を放ち、ソラステェルの大地を犯していた。煙をあげて腐っていく母なる大地を眼にして女騎士の覇気に火をつける。


「退きなさい!悪魔よ」


 女騎士が上段から魔剣を凪ぐ。


 剣先から迸った神気と魔力それにレイドゥース自身の業とが一体となった斬撃が、城壁のごとき体躯を真っ二つに裂こうとした。


 プチュッと生理的に嫌な音をして肉が弾ける。中から膿のような白と黒い血が大地に飛んだ。大地がその白と黒によって腐っていく。しかも、斬られた傷自体が新たな肉に押されるようにして塞がっていった。


 女騎士の初撃に遅れて全軍から神気が濃く立ち上った。誰もが一目見て理解


している、突然現れ、すべての敵兵の命を奪って現れたのは悪魔であると。


 神と対極にある忌避すべき輩。


 全軍の兵士たちは、このときやっと突然の侵略行為に納得できる答えを得た。あの旧ギシラの民たちが突然の蛮行に走ったのは、この悪魔に唆されていたのだと。そう思うと今まで戦っていた敵にも情が沸き、ついで目の前の悪魔に対する敵愾心が吹き上がってきた。その上、この悪魔は我らが大地を自らの血肉でもって腐らせている。到底、許せる行為ではない。


「悪魔だっ!」


 誰もが叫びと共に、悪魔に武器を向けた。突然、化け物が現れたからといって取り乱すことなどない。突然、今まで戦っていた相手が消えたからといって取り乱すことはない。悪魔が現れれば、命を賭して大地を守る。それが、大地の民にとって当たり前のことだった。


 弓矢が神の加護を受けて雨あられと、リシトのぶよぶよとした体躯に突き刺さっていく。完全な悪魔ならば歯牙にもかけない攻撃なのだろうが、今の悪魔には確実に効いていた。老婆の醜い悲鳴が振動に乗って直接、脳に飛び込んでくる。


 しかし、それも致命傷には遠い。何しろ、肉体が大きすぎるのだ。


 のたうち回りながらも近づいてくるその巨躯を止めることができない。このままではその巨躯にすり潰されてしまう。悪魔相手に怯むような者はここにいなかったが、恐怖で暴れだす騎馬たちの嘶きがあちこちで鳴った。


 それを横目に確認するとレイドゥースは軽く唇を噛んだ。


「ティコっ!!お願いっ」


 女騎士のお願いに魔獣は素直に従う。体毛が女騎士に緩く絡みつき固定すると、猛烈な勢いで悪魔に飛びついた。下方から体重と速度をつけて体当たりし、その牙と爪でもって直接に悪魔の侵攻をせき止めたのだ。


 衝撃が粉塵を伴って空高く舞い上がる。


「姫様を守れっ!!」


 悪魔とほとんど接触するようにして、自軍を守ったレイドゥースに向けてスラムの住人たちが無謀なほどの特攻をかける。勇猛果敢さと突撃の姿勢では常に他を圧倒していたアンスカレット家の私兵たちですら取り残されるような壮絶な突撃だった。


 撒き散らされる黒い血を浴びようともまったく怯まず、前進しリシトに取り付いた。手斧や剣でザクザクと悪魔の体を掘り進めて行く。


 全身が黒と白に染まってしまい、来ている鎧が嫌な匂いをあげて燃えている。しかし、それでも彼らは怯む様子もない。彼らは、アデューという神に守られてはいなかったがタクミという魔法使いの加護を受けている存在なのだ、その上、長年リシトの呪いに体を蝕まれていた存在である。耐性というものがあった。


 そして、明らかに正規軍ではないとわかる者たちがこれほどの勇敢さを示しているのだ。


 ソラステェルの正規軍が彼らに遅れを取るわけにはいかない。指揮官たちはこぞって「勇猛なる女騎士に続け」と命令を放った。







 もちろんアンスカレット家の面々も皆がそれぞれが独自に動き出している。猛々しい雄叫びを上げて突貫していく。


「行け行け行け行け」


「おおおっ!」


 噴きかかって来る毒液をかざした盾やマントで防ぎつつ、命知らずな突撃を敢行する。じりじりとティコの巨躯を押し返していく蚯蚓にギリギリまで接近していく。


「我らが軍神よ。魔を破る光を我ら剣聖の徒に与えんことを!」


「「与えんことを!」」


 皆が唱和し、豪槍を至近距離から投げつける。


 光を纏った三百の槍は蚯蚓の巨躯に完全に埋没し、さらに反対側に抜けていった。リシトが苦痛にその長い体をぐにゃぐにゃと歪め、両端についている口らしき物が天を向いて痛みを吐き出した。


 間髪居れずに抜刀し、さらに傷口を広げようとする。


 悪魔の回復力は異常ではあったが、それを上回る勢いで傷を負わしていく。


 侵攻を食い止めたティコを中心に体を両断しようとするソラステェル軍だったが、戦力が集中しすぎたらしい。波のように人々をすり潰すことはできなくなったリシトだったが、天を仰いだ口のある端が、己の体に取り付いた騎士たちを押しつぶそうと降り落ちてくる。


「うお!?」


 落下してくる蚯蚓の頭があまりにも大きすぎてまるで空が振ってくるように見えた。騎士たちは無意識に頭上を庇うがさすがにそれは無理であろう。


 これは防げん!


 っと、誰もが思った瞬間、その一撃を横側から放たれた斬撃がその半ばまで切り裂いて打ち落とした。


「おお。お嬢様」


「姫様!」


 その斬撃の主を探すと当然のようにレイドゥースがいた。彼女が肩に担ぐようにして魔剣でもってなぎ払ったのだ。


 ワッと歓声があがるが、それがすぐに悲鳴に変わる。彼女の背後にもう一端にある口が鎌首を擡げるようにして迫っていたのだ。


 ハッと気づいたレイドゥースが振り向くよりも早く、二つの影が地上から飛んだ。


 レイドゥースを飲み込もうとしたリシトの前進をルクスとカジマが遮った。


「やらせないよっと」


「うははは。死ぬ。ここで頑張らないと後で死ぬ」


 いっぱいいっぱいの引きつった笑いを上げているのはもちろんカジマだ。そして、普段どおり軽く生きているのがルクスだったが、この男も良く見れば額にびっしりと冷汗を浮かべている。


 悪魔と対戦することに緊張しているのかと云うと、実は違う。


 あと少し!


 あと少しでボスが着ちゃうよ。


 悪魔がここに現れたってことは向こうは決着がついたってことだもんね。といより、こっちに悪魔がでてことに気づいたらぜったいに飛んでくるよ。あの人。


 ぐぐぐっとルクスは曲剣を握る両手に力をこめた。


「ここで死力を尽くしてるっぽく戦ってれば、ボスの心象もよくなるはずだよね!」


 打算でいっぱいの彼らは、リシトの攻撃をもろに体で止めた。二人のもっている剣が粉々に砕け散る。


 質量が半端ではないリシトの攻撃を止めたのだ、もちろん剣だけではなく二人の肉体も傷んだ。節々から血が飛び散っている。


 しかし、その甲斐あってレイドゥースの二撃めが間に合った。


 リシトに弾かれた二人の体の間を剣線が走る。巨大な口が真っ二つに裂けて、巨躯がのた打ち回った。


「ありがとう、二人とも」


 斬撃を放ちつつ、落下してくる二人に声を掛けた。カジマは「いえいえ~たいしたことではないですぞ」と、心なしか嬉しそうに答えてきた。


 命を賭してお嬢さんを守った。というのはポイントが高いだろうと思っているのが丸わかりである。


 そして、もう一人。


 返事を返さなかったルクスも会心の笑みを浮かべていた。


「あー、やっぱ俺ってタイミングのいい男だよね。まさに狙い通り。これはバッチリ見てくれたでしょ?ねぇ、ボス」


 落ちながら身を捻ると、先ほどまでは誰もいなかったはずの遠くの丘の上を見た。


 そこには、場違いな黒い紳士服を着た男がいる。






 これでお仕置きがかなり加減されるでしょ?っとルクスは傷だらけの顔でニッと笑うとそのまま気絶した。










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