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[29]固まる執事⑤





 真紅の魔獣。






 その突然の出現に驚いたのは、敵も味方も同じだったが、敵さんのほうはかなり逝ってらっしゃったから、味方ほどの動揺もなく攻撃を続行してきた。


 困ったのは味方の方だ。


 ソラステェル軍の突出していた部分の人間は、全員がレイドゥースを守るためだけにここにいる。


 その守るべき対象が見たこともない化け物の背中に連れ去れてしまった。しかし、見たところレイドゥースを落馬から救ってくれたようにも見えるし、瞳から怪光線を放ちながらレイドゥースの向かいたい方に進んでいる。


 客観的に見れば味方か?との判断も出来た。


 ……が、遙か頭上に連れて行かれた我らが姫君はそんな客観的な目でこの魔獣を見られるわけがない。女性らしい悲鳴をあげながらジタバタと藻掻いている。なぜ、そんな風に藻掻いているかというと、落ちそうになった彼女にティコが赤毛を巻き付けたからだ。手触りのよい絹のような毛並みなのに弾力にあふれていてまったく引きちぎれない。レイドゥースがジタバタすればするほど、ティコは安全のために毛を搦める。それが続いた結果、大きな糸巻きのようになってしまっている。


 そんな姫君を見ていると「やっぱり敵なのか?」と思えてくる。


「な…なななななに?なんなの?いったいこれってどんな生き物?」


 暴れるうちにも、なんとか彼女は自分がいるのが巨大な動物の背中だということは理解したようだったが、それがさっきまで自分の背中にいた可愛い弟のペットだとは気がつかない。怖々とした視線で下の方を覗いたりした。


「お嬢さまぁーー!!だいじょーぶですよー!貴女の新しい騎馬だとでもおもってくださいーい」


 涙目になっていたレイドゥースが下の方を見ると随分小さく見えるルクスが大声で叫んでいた。


「いったい、なんなのーー?説明してぇーーー」


 当然すぎる質問が飛ぶ。


 今までは、タクミを迎えに行くという最優先事項で暴走していたが、さすがに突然、あんな物の背中に乗せられては、質問せずにはいられなかったらしい。 って、そこもサラッと流してほしいんだけどなぁ。






 ルクスはここでも苦笑させられた。


 こっちが困る時に限って、しっかり聞いてて質問するんだもんな。狙ってるのかな。


「この子なにー?」


 害意をまったく感じていないので、レイドゥースとしても足下の獣を斬るのをためらっているようだった。


 外そうと藻掻くたびに巻き付いてくる赤毛だったが、そのまとわりつき方はとても優しくて暖かい感じがする。そう言えば、さっき受け止めてくれたときもぜんぜん痛くなかった。


 敵じゃない。っと頭の冷静な部分では判断することができたけど、こんなのは余りにも異常だ。昔話にも聞いたことがない。


「ねー、なにー?」


 唯一答えを教えてくれそうなルクスにもう一度問いただした。味方の面々も無意識に聞き耳を立てる。


 彼はフッと笑うと、完璧な解答を導き出したハイスクールの生徒みたいな表情でこう云った。


「お嬢様ーーそれはですねー」


「この子はーー?」


「お嬢様の弟のペットですーー」


 はい?なんですか、その答えは。っていうか、答えになってないですよ。


 なんで、突然出現したの?どんな生き物?……っとかその辺はどうなのよ?いろんな問題を解決する答えをちょうだいよ。


 と、皆は思って、姫君を見あげたわけだったが、レイドゥースはその視線の集中の中でとっても幸せそうに笑っていたのだ。


 足下の鮮やかな真紅を見ていると脳裏に閃くものがあった。






 ひょっとして……ティコなの?


 そうワタシが思った瞬間、生き物が鼻面を持ち上げて自分の背中を見るような体勢になった、これまた見覚えのある深緑の瞳が上目遣いにこっちを見つめてくる。その視線はとても優しくて、嬉しそうだ。


 間違いないわ、この子はティコだ。ワタシの弟のペット!


「そっかぁ。なら問題ないわね」


 ないのか?!


 皆がずっこけそうになりながらも突っ込みたかった。斬りかかる敵兵も、雨のように降り注ぐ鉄の矢も全部忘れて突っ込みたかった。


 だけど、相手は我らが信仰の対象。ぐっと堪える。


 が、それもここまでが限界だ。


「ティコったら、たまに風船みたいにふくらんでたけど、こんなに大きくなれるなんて知らなかったわ。ほんと、変わった子猫ちゃんよね」


「それ猫じゃないですよ!!」


 敵の存在を一瞬だけ忘れて、皆が叫んだ。









 それは、本当に唐突だった。突然現れたソラステェル軍の隙。全軍がギシラの刃を眼前にして、横を向いている。誘いではないか?などという思考はすでに出来なくなっている。ただ、眼前に出来た好機を逃さぬようよりいっそうの進撃をしようとした。


 まさにその時だ。ここから遙か遠い西の地に立つ1人の魔法使いが、リシトの寵愛者を捕らえていた。


 ギシラの軍がその瞬間、停止した。それは本当に信じられない行動だったので、今度はソラステェル側のほうが罠かと訝ったほどだ。怒濤の勢いで迫る人の波が、ほんとうに一瞬で止まったのだ。


 リシトの信者たち全員が同じ瞬間に激しい痛みを感じたのだ。


 まるで全身の皮膚を剥がれて、剥き出しになった神経をゆっくりと撫で上げられているような、いったいどこを押さえればその痛みに耐えられるのかもわからない、そんな痛み。


「皮膚がないっ!躯は?!躯が消えたのか?」


 未だに意識を薄くではあるが保っている信仰心の薄かった兵士たち、彼らが藻掻きながら叫ぶのをエミルは激痛の中で聞いた。


 ジットリと垂れる汗が目に入って痛かったが、そんな自分の躯の痛みなど問題にならない痛みが伝わってくる。


 激しい痛みの中で彼女は理解した。私には躯がある、皮膚だってある。この痛みは私の痛みじゃない。


 これは躯をなくした誰かの強烈な意識が、私たちに流れ込んできてるんだ。


 その誰かが、誰であるか?……敬虔な信徒であるエミルにそれがわからないわけがなかった。


(神よ!ここです。貴方の御肢体はここにいます!)


 悲鳴のような祈りを捧げた。


 それは狂信の祈りだった。


 エミルだけではない。リシトを心より信仰しているギシラの民たちは、エミルに続いてこの痛みの意味を理解して、己の躯を神に捧げようとした。


 個体としてでは、エストルほどの依代とはなりえなかったかもしれない。しかし、群体としての彼らはエストルの変わりになれるほどの存在になりえた。


 殉教者たちは呼ぶ。


 悪魔に墜ちた神を。


 ハレルヤ。ハレルヤ。我らリシトと共に歩む者。






 エミルが右手を振った。その方向にいたギシラの民が溶けて混ざり合った。肉と肉が混じり合い不気味な肉塊がギシラの陣の右手に出来上がった。エミルはさらに左手をかかげあげると左陣が溶けた。


 そのまま操り人形のようなギクシャクとした動きで回転する。


 クルリと腰の関節が外れているような動きで回転すると、エミルを中心とする全天が人ではなく肉の塊になった。時折、鎧の擦れ合う音と馬のいななきの間に、人の悲鳴が漏れるが、そのほとんどは無言でエミルの決意を受け入れていた。


「人が溶けてるっ!」


 敵の悲鳴のような怒声が耳に届くがもはや、そんなことは遠い世界のことのように思えた。


 肉の塊がエミルの躯に向けて波のように迫ってきた。


 それを陶酔した瞳で見つめるエミル。


「我はエミル。前代の巫女、ティアラの血を継ぐ者」


 うっとりと呟いた次の瞬間、エミルは肉に潰された。その小さな体が一瞬で血を孕んだ箱になり、すべてと同じになった。


 悪魔がその肉に逃げ込むだろうことを望み、すべての意識は消えた。







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