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[28]固まる執事④



 ソラステェル軍の進撃に─────というより、レイドゥースの行進に押しまくられギシラ軍がその分厚い自陣を分断されようとしていたまさにそのとき、戦巫女エミルの細く小さな躯がブルッと震え、一気に血の気が引いた。


 まるで死神に背中を撫でられたように、一瞬ですべての汗と戦の高揚感が冷えきった。


(殿下の身になにかあった)


 それは、戦線を立て直そうと矢継ぎ早に指令を飛ばしていたエミルに天啓のようにはっきりと伝えられた。精神的に王子と繋がっている彼女の腕に痛みが走る、見ると二の腕に青い不気味な筋が輪状に浮き出ていた。それはまさに、レンマがエストルの腕を切り飛ばした瞬間のことだ。


 無意識に後ろを振り向いてしまった。驚愕の表情。寵愛者が危機に陥ることなんてあるはずがなかったのに………リシト神の力が落ちているのか?


 その事実にエミルは恐怖した。


 信仰が死ぬ。そんなことが……そんな日が二度もくるかもしれないなんて。


「そんなこと……ぜったいにさせない!!」


 下を向きブルッと体を震わせたエミルは目を見開いて絶叫した。キリっとした眉が吊り上がり、吊り上がった唇を上の歯で強くかみ締める。


「絶対に、あんな縋る至高の方のいない不安な朝なんて迎えたくない!あの身の引き裂かれるような心細さ、あんなの…これ以上は耐えられない!!」


 国も、成功も、巫女として仕えたエストルも、どうでもよくなる。ただ、あなただけを。リシトだけに縋って生きたいのだ。


「神よ!」


 利発さの中に優しさの窺えた面貌に鬼相が浮かぶ。


「神よ!ああ、神よ!あなたと共に朝を迎え、あなたと共に夜に眠る。あなたの声が聞こえる限り、私はあなたの忠実な僕です」


 そして、私が祈りを捧げる限り、あなたは消えない。いや、消させない。絶対に!


「戦巫女?どうされたのです?」


「神よ!神よ!神よ!私にあなたの牙を降ろしたまえ!」


 戦線維持に必死に勤めていた士官たちが巫女の変化に気づきだした。剣を握ったまま両の手を組み、一心に祈っている。


 その躯から人間味が抜けていき、トランスして神が掛かる。


「聞けっ」


「え、エミル様?!」


 黒衣のマントを羽のように払いながら、エミルが突然皆に振り返った。顔面は蒼白だったが、彼女の今までにない鬼気迫った迫力に皆が後ずさる。


「今この時より、後背に一歩でも下がった者は、リシト神への供物として奈落に捧げる」


 掲げられていた剣が上段から一閃される。


 その剣の鋭さよりも、エミルの発する鬼気に圧倒されて士官たちはただ生唾を飲み込み、顎を縦に振るしかなかった。


「前進し、神の加護を得よ。そして、祈れ。神よ、私はあなたの僕です、と」


 傲然と命令を下すエミル。彼女の視線を受けた伝令兵は躯をブルッと震わせると、逃げ出すような勢いで任務を果たしに行った。


「逃げる素振りを見せた者のいる部隊は、全員の首を落とせ。個の罪は、隊の罪だ」


 そんな命令は無茶だ。そう頭では思っているのに、誰もそれを口に上らせることは出来なかった。


 今この時のエミルの御姿は、エストルのそれと被ってきていた。その比類ない信仰心は、寵愛者に次ぐ、神との繋がりとなって現れていた。


 腫気のようにどす黒い神の御腕が彼女の細い体躯を覆っていく。それは、華厳な絶対者の威厳をエミルに備えさせてくれたが、変わりに彼女の体から精気が抜けていくようだった。顔からはどんどんと血の気が引き、唇もひび割れていく。


 だが、エミルはそんな自分の状態の変化などまったく気にせず、ただ一心に祈っていた。神に捧げる言葉を吐き、奇跡をこう。今までよりも、大きく、強い奇跡をギシラの民に降ろしていく。


 それは、エストルが民に施した寵愛者のみに与えられたはずのルネサンスとまったく同じ奇跡だった。民から人間性がさらに抜け落ち、その代わりに力が増す。


「さぁ、我が神よ。今こそ、あなたに飲ませてさしあげます。幾千幾万の人の命を!この血の数だけ、あなたの信仰は生きているのです」


 目前に迫ったソラステェル軍への、最大の反撃が始まった。






 突如として、勢いが変わったギシラ軍に最初に気がついたのはレイドゥースの肩にちょこんと座っていたティコだった。


 小さな鼻をヒクヒクさせて、そこら中から香ってくるリシトの匂いにその深緑の瞳を細めた。


(これは、とうとう私の出番かな?)


 ティコはその見た目小さな口をニューッとつり上げて、笑う。その大きく開いた口の中に獰猛な牙が見えた。


 細めた視界の向こうに、物騒な気配を全身から醸し出す人間が写った。すごい力だ。レイドゥースには劣っていたが、人間種としては特出した力を纏っている。そこまで、見て取って「ん?」というようにティコの首がクルッと百八十度傾いた。


(寵愛者?……まだ、いたのか)


 見落としをするなんて主人にしては珍しいことだった。不可解に思うが、すぐに理由に思い当たる。


「ニャコス」


 主人がミスをすることなんて、ありえない!あったとするなら、それは他の奴の責任だ!!


「ニャコスー!」


 レイドゥースの肩から馬のお尻に飛び移ると、追従しているルクスに歯を剥いた。






 だからって…………なんで、オレのせいになるのさ?


 非難めいた泣き声を、にゃにゃにゃとあげるティコにげんなりさせられた。そりゃ、寵愛者が二人もいるなんてまったく知らなかったけどさ。調査不足って云われりゃその通りだけどさー。だからって、オレだけの責任になるのは納得いかないよ。


「ぬおー!なぜだか、敵が死ななくなってきたような気がしますぞー」


「もっと、バッサリ斬っちゃわないとむりだって」


 隣で、カジマが悲鳴をあげているのに的確なアドバイスをしてやった。カジマのように細剣で急所を跳ね斬るようなやり方では、倒せなくなってきていた。


 刃を傷つけずに、人を斬るその技量は凄まじいものだったが、その業もこうなっては意味がない。


 レンマが敵の不死性に苦しんだように、ソラステェルもギシラの狂信に苦しみだしていた─────のだが。


 お嬢さんだけは、変わりないなぁ。


 レイドゥースだけは、敵の異常な力など問題にしていない。それどころか、敵が強くなったという感覚すらないのだろう。敵が強くなったところで、レイドゥースとの絶対的な差が埋まるはずもない。


 彼女の大きくて美しい瞳は前だけを見つめて、怯む様子もなく突き進んで行っている。


 お嬢さんのスピードだけは落ちないんだから、困るよなぁ。


 ルクスは、ほんの少しずつではあるがレイドゥースの馬から離されていっていることに気がつき苦笑いした。


「これは、いよいよ。おまえの出番だな。ねー?ティコ」


 ニッと笑みをやると、不満たらたらな泣き声をあげていた子猫がピタッと泣きやみ、次いで微笑み返してきた。誇らしそうでありながら、すこし物騒な笑みだった。







 乱戦になっているので火砲の類はさすがに使用を控えられていたが、さすがは狂信の軍団だ。斬り結んでいる先頭集団に向けて誤射を恐れる様子もなく、雨あられと鉄の矢が降ってくる。


 しかも、その一本一本に込められた力も異常に力強い。


 軍神アデューのフィールドをたやすく貫いて騎士たちを苦しめてきた。なにしろ、眼前の敵を捌きつつ、矢の雨をたたき落とさなければいけないのだ。しかも、向かってくる敵は矢が当たることなど恐れていないのだから、余計に始末が悪い。


 その強行な戦術にソラステェル軍全体の進軍が目に見えて遅くなる。それだけでなく、ついにはルクスやカジマですらレイドゥースに追いつけなくなってきた。


「もう!邪魔ばっかりして、退きなさいったら!」


 矢の雨を神業めいた太刀捌きで打ち落としながら、彼女は不機嫌そうに愚痴った。とても珍しいことに、眉間に縦縞が浮かんでいる。


 あとほんのちょっとで敵陣を抜けることができるのに。なんで最後の最後になってこんなにわたしの邪魔するのかしら。


 通してくれさえすれば、わたしはそれでいいのに。


 なーんて皇騎士としては失格な気持ちでいっぱいのレイドゥースだった。


 タクミと再会する以前のレイドゥースだったら、皇騎士としての自分を優先させたんだろうけど、彼と過ごした一日ごとに彼女の中の優先度は変わってきているのだ。


「って……ちょっと?!馬を狙うのって感心しないわよ」


 さらに不快感を露わにするレイドゥース嬢。敵の狙いが自分から、騎馬に移ったのが気に入らないのだ。


 本物の騎士は馬は狙わないものだ。


 水平に至近距離から投げつけられた無数の投げ槍が馬の足や胴めがけて飛んでくる。


 可哀想なことではあるが、レイドゥースのようにタクミや神の加護を受けていない騎馬に対しては弓矢や投げ槍は向こうから外れてはくれない。


 さらに云うなら、騎乗しているレイドゥースの獲物が問題だった。


 彼女が持っているのは、彼女だけを守るようにプログラムされた魔剣だ。そして、長いとは云ってもそれは剣の長さ。


 装備しているのが槍だとかなら、レイドゥースの技術で騎馬を守ってやることもできなかったもしれないけど、そうじゃなかった。


 味方を巻き込む覚悟で放たれた火砲がレイドゥースの騎馬の真ん前の土を吹き飛ばした。爆風に煽られて馬脚が上がる「わ、駄目よ。暴れないでっ」っと悲鳴のような忠告を出した瞬間、がら空きの騎馬の胴に鋭い槍先がドスドスっと衝撃が走り、途端、今まで力強く躍動していた騎馬が崩れ落ちた。


 慣性でレイドゥースの小さなお尻が馬上から浮き上がった。「キャッ」と短い悲鳴が漏れる。それを目にした後方の味方からは、蛮声にも似た悲鳴があがった。


「姫様っ!」「お嬢様っ!」


 そんな悲鳴の中で独りだけが、レイドゥース以外の存在に叫んだ。


「いちばん美味しいとこ持ってくんだな。ティコっ」


「ごろにゃ~んっ」


 いいだろう?ッという風にヒゲをピクピクと動かす毛玉がひとつ。それは、放り出されたレイドゥースを追って馬の頭から飛んだ。深緑の瞳が今までにないほど深い輝きを放ちだし、「フゥーーーッ」っと云う唸り声が可愛らしいその口元から漏れた瞬間、ティコの小さな躯が目に見えて変わった。


 落下してくる小さなお尻の下に駆けつけた途端、ティコの躯が水滴を飛ばす猫のようにブルブルっと震えた、そして見る間にその躯が何倍、何十倍にもふくれあがったのだ。


「え?な、なに?!」


 ポンっと優しくティコの毛皮に受け止められたレイドゥースは自分を受け止めた物の正体が解らずに狼狽えた。


 しかも、自分の乗っかっている生き物はさらにその大きさが増している。見る間に、レイドゥースの視線が高くなっていく。


「ッグニャァアオオオーー!!!」


 アンスカレット家のお屋敷の半分はありそうなくらいの巨躯に成長したティコが、自分の野生を解き放って吼えた。その時でも、泣き声が猫っぽいのはいっそ天晴れである。


 真紅の魔獣はレイドゥースを背に乗せたまま、敵陣に躍り込んだ。







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