[26]固まる執事②
殺意にぬれた瞳をした男がニヤッと笑いながら、走った。
目の前に男の得物が居た。
戦場で無防備にも立ち尽くし、警戒を怠った姿はマヌケ以外のなにもんでもない。
異神を崇める愚か者は死ね。
馬で突進させて真横を駆け抜けざま、マヌケの背中に槍の穂先を引っかけるようにして駆け抜けた。
いや、確かに駆け抜けたのだ。ただ、その後で倒れたのはマヌケではなく
「なんでお嬢さんがここにいるのー?!」
ルクスの背中から駆け抜けていった馬からギシラの軍服を着た男が転がり落ちた。首もとにはいつのまにか細身のナイフが根本まで深々と埋まっている。
しかし、今まさに天に召された男をルクスはまったく見ていなかった。
「洒落になんないよ。……ボスといっしょに組みあげた華麗にして完璧な作戦道理なら、ここに到着するのは明日のはずでしょーが。もぅ、カジマのおっさんはなにしてるんだよ?!」
これは、ボスに報告して減給してもらわねば。などと下らないことを考えている間も冷や汗が溢れてくる。
何気に、ルクスは人生のピンチを自覚した。
お嬢さんが怪我する=ルクスの人生も儚くなる。の方式はタクミの手下としては当然すぎるほどに頭に入っていた。
やばいよ。やばいよ、ほんとにピンチだよ!なんとかせねばと、取り敢えず目の前を彷徨いていた馬に飛び乗った。
都合よく、乗り手の居ない馬が手にはいるなんてラッキィーだなぁと思ったりするルクスだが、その乗り手を殺したのが自分だなどとは気づいていない。
あれは、殺意に反応して勝手に手が動いた結果であった。
「ルクスさーん!」
お嬢さんのいるだろう集団の方から先行してくる兵士がいた。必死の形相で馬を操るその姿、ぶんぶんと振り回す手。
あれは……ハットンだ。
「ハットンくん!あれはどういうことだい?なぜにお嬢さんがこんなに早くここに?!」
こちらからも馬を寄せつつ、叫んだ。
途中、隙だらけの背中に殺気が飛ぶが、これも勝手に手が動いて始末した。
「いや、こっちもよくわかってないんですけど、お屋敷を出てから小一時間くらいしてから急に鬼みたいなスピードで姫様が走り出しちゃったんですよ。それに続いて、剣聖様を除く騎士たちが姫様を追いかけだしました」
「なんで急に?!」
「あの、見張ってた連中が言うには、剣聖さまとお話されてる途中で姫様が変になったって……」
あんたか、じいさん!!
なんとなく事情を理解しルクス、額に血管が浮き出る。
おのれ~、偏屈じいさんの分際でお嬢さんを危険にさらす気か?しかも、自分はこっちに来てないだと!?
最終手段、『最強の爺で盾』作戦すらできないじゃないか!
「まずいぞ。むちゃくちゃ、拙い!これはもしかするとお嬢さんの目的は戦争に行くことじゃないかもしれないぞ」
「ええ。姫様はバルベスを通り越して、ここに直接向かわれました。目的地はあそこでしょうね」
ルクスとハットンは目で頷きあう。
レイドゥースは戦功を立てようと躍起になるような女性ではない。剣術の達人であるくせに、暴力を好むような性格をしていなのだ。
彼女が向かう先は、最前線などではない。
最前線のさらに向こう、彼女の大事な人のいる場所、惨劇の地エティマだ。
「ハットン。いったい何人で着た?」
頭を高速回転させながらルクスが聞いた。
「はい!スラムの連中、みんなできましたから二千くらいです」
旧ギシラの民軍が二千。
アンスカレット家の騎士が三百騎。
さらに、レイドゥースとカジマの一騎当千の騎士が二騎。
タクミの遣い魔である珍獣ティコ。
戦力としてはなかなかだが、それでも敵の大群に切り込むには危険な数である。なにしろ、敵軍は頭がちょっとテンパって異常に元気な狂信者の群れが総勢数十万。
二千三百で飛び込んだところで包み込まれて削られていくのが落ちだ。二千三百騎ことごとく散ったところでレイドゥースさえ無事ならルクスとしてもかまわないのだが、そう上手くいくとも思えない。
「むむぅ。後に続く軍が居ないと孤立して危ないな。よし、ハットン。君はキギリアんとこ伝令してきて、お嬢さんが切り込みを架けたら間をおかずに戦線を前にあげろってね」
さも、簡単なことのようにルクスがいった。
ハットンは苦笑する。
しかし、ルクスは気にした様子もない。この泥沼化した戦場をどうやって操れというのかって?そりゃ難しいどころの話じゃないけどさー、それはキギリアが悩めばいい話であってオレの考えることじゃないよね。
彼は自分のために必死で戦線を押し上げるだろうしね。
「んじゃ、オレはお嬢さんのとこに合流するわ」
「わかりました。オレはキギリアのところに行きます」
肩口でティコが鋭く鳴いた。
結い上げた黒髪が馬のしっぽのように後方に置いてきぼりにしながら、レイドゥースはわずかに視線をあげた。
始めて見るが、そこが戦場だとハッキリと解る。
「お嬢さま、敵軍が見え始めましたが、なにかお考えがおありですかー?」
馬の首ひとつ後れてはいたがなんとかカジマが追い上げてきていた。
高速で翔けつづける馬の背に揺られながら、正面からの風圧に負けないように大声で聞いてくる。
「敵軍は、その大部分が素人からなる民軍ではありますが、その中核を成すのはおそらく旧ギシラの正規軍。一筋縄ではいきませんぞ。さきに国境守備隊と合流するのが上策かと」
もっともな意見を提示するカジマ。
しかし、カジマもその意見が取り入れられるなどと本気で考えているわけではない。
「カジマ。わたしは戦争に来たんじゃないの」
静かな声。
なぜか、レイドゥースが口元で呟いた言葉が風の妨害を超えてカジマだけでなくすべての騎士たちに届く。
「わたしは、ただこの先に向かいたいだけ。助けたいだけ。会いたいだけ!」
最初、落ち着いていたレイドゥースの言葉が徐々に激しくなってくる。
「あの人たち、ハッキリ言って邪魔なのっ」
カジマの額に冷や汗が流れた。
「迂回なんて時間の無駄。わたしの行く先を開けるなら、それで良し。もし邪魔するなら・・・」
騎士たちの額にも冷や汗が流れた。
誰か、お嬢様をとめてくれー。と、横目で促しあうが無情にも聞きたくない命令が彼らに下る。
「蹂躙して進むわっ」
宣言してしまったレイドゥースにティコの深緑の瞳が爛々と輝いた。自分の役目を果たすときがだんだんと近づいてくるのがはっきりと解ったのだ。
レイドゥースの脚が乗馬の腹をグッと締めた。
タクミ、無事でいてね。
わたしが絶対に迎えに行ってあげるから。
タクミがレイドゥースに送った《神無しの剣》に無意識に手をやり、その鯉口を静かに切っていた。
朱塗りの鮮やかな鞘からわずかに覗いた白刃が太陽の光に輝いた。
地平に縦に1キロ、横に数十キロに渡って広がる戦場にレイドゥースたちが突入していった。
一本の槍のようになった三百騎は、戦をしている場所としては信じられないスピードで架けていった。
バラバラになって戦っている民軍など眼中にないように疾走する。
「退きなさい!」
あまりの勢いに敵も味方も思わず道を譲ってしまっていた。
開いた道をさらに勢いづいたレイドゥースが疾走し、それに必死で追いすがる騎士たち。そして、そのまわりにいつの間にかレイドゥースを守るように集まってきたスラムの住人たち。
レイドゥースを先頭に楔形を作った集団は敵の中核を成すギシラ正規軍の正面に躍り出た。
「偉大なる我が守護神アデューよ、我が身に帯よ、神剣!」
躍り出た自分たちに向けて、敵陣から多数の火砲が火を噴いた。
閃光が走り、レイドゥースの前方とかなり左の方に着弾した。地面から火の柱が空高く立ちのぼる。
ちっ、とレイドゥースの可憐な口元から鋭い舌打ちが聞こえた。
しかし、それに脅えた様子もなく、神の奇跡を乞うとそのまま直進した。立ち上る猛烈な炎もレイドゥースの召喚した奇跡の前には、簡単に弾かれていく。
しかし、直撃すればそれなりに効果があるだろうし、初弾を外した敵も弾道を修正し今度は精度を上げてくるだろう。
「レイン様。次弾がきますぞ!次ももっとたくさん、近づくにつれて的もでかくなりますぞ」
「問題なし!進みなさーい!」
戦場を何度も経験しているカジマの意見は速攻で却下されてしまい、そのにやけ面が心なしか顰められる。
カジマの提案する安全策は今のところすべて却下されていた。急いでいるレイドゥースにとってはそのどれもが消極的で時間が掛かりすぎるからだ。
しかし、だからといってカジマもなにもせずにいるわけにはいかない!
なにしろ、なにも対策を講じなかったとあってはタクミ殿にどんな目に合わせられるか?!といった心配でカジマの毛の生えた心臓がドックンドックン言っていたのだから。
「ドウマ。来い!」
後方に向けてカジマが大声を張り上げた。
「はっ」
アンスカレット支給の鉄鎧に加えて一際大きな盾を胸の前に翳した騎士が後方から叫び返してきた。
なにしろ先頭のスピードが凄まじいので、隊列など組めたものではないのだ。脱落者がでないのが不思議でならないスピードである。隊長であるカジマにも隊のどこにだれがいるのか把握していなかった。
というか、把握しようと一瞬でも立ち止まれば、そのあいだにレイドゥースに置いていかれてしまいかねないからだ。
「おまえのお国芸を見せて見せろ!自慢の氷壁を前方に作れ」
途端、カジマの躰を冷たい風が撫でていく。
「大神フェンリル!貴君の氷柱が如き強靱なる銀毛でもって我が敵に身も凍る抱擁を」
ドウマが軍神とは違う神に祈りを捧げた。
大きく掲げた盾に掘られたフェンリルの紋章から真っ白な狼が飛び出し、敵軍から迫る火砲に向かって空をけった。
先頭を駆けるレイドゥースの脇を抜け、見知らぬ神狼にティコが毛を逆立てたのを尻目にさらに前方に突き進み、敵陣から火を噴いた火砲を確認した瞬間、銀色に輝いて爆ぜた。
目の前に出来上がるダイヤモンドダストのフィールド。
その空間にぶち当たった火砲の弾は、その役目通りレイドゥースに向けて飛んできた。
しかし、フィールドを抜ける瞬間に弾丸が纏っていた熱エネルギーがすべて掻き消されており、それはすでにただの金属の固まりにすぎない。
一瞬で抜き放たれる大太刀。
剣光一閃。
「見事よ!ドウマっ」
眼前に飛んできた大人の頭ほどもある弾丸をあっさりと真っ二つに切断しながらレイドゥースは味方に向けてお褒めの言葉をかけた。
しかし、後ろを振り返るでもなく、太刀を振り回して飛んでくる弾丸をたたき落としながらさらにずんずんと進んでいってしまった。
「レ、レイドゥース様。ちょっとお待ちをって……待ってくれるわけがないですなぁ。くぅ、お前たち、全力でレイドゥース様を守れ!」
カジマは思わず伸ばした掌を握ってしまった。レイドゥースはもうかなり前に突出してしまっている。
「た、隊長ぉー。お嬢様、早すぎます。とても前面には展開できませんっ!」
「泣き言を云うんじゃない!左右だけでも抑えるのだぁっ根性で追いつけぇ」
カジマが泣きそうな声でそんなことを云っていたとき、奇しくも同じ発言を部下に向けて飛ばす男が2人いた。
一人は、スラムの住人を束ねてきたバレル。
もう一人は、今現在、国境線を支えている貴族キギリア。
「「「追いつけ!死んでも追いつけ!追いついたら、死守だ。シシューーーー!!」」」
バレルは忠義と敬愛から、キギリアは保身と成功のために。
理由は違えど、レイドゥースを軸にして戦場にひとつの方向性のベクトルが出来上がった。
突出するレイドゥースを追うようにして前進するソラステェル軍。
一本の槍が戦場を突き通し、無数の刃がその傷口を広げるように群がっていく。それはあまりにも見事な突撃陣。
今、レイドゥース・ファン・アンスカレットはそのドルスたる皇騎士に相応しきソラステェル帝国の先陣に立った。