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[24]微笑む執事④



 静かな微笑みを顔に刻んだままタクミは冷徹にリシトを観察していた。


 タクミの朱の瞳に、最初透けて見えていたリシトだったが、その躯がだんだんと存在感を増しているのは決して見間違いなどではない。


「すぐにでも綬肉させられるけど……器が来ないな。アデューめ、ちゃんと仕事をしているのか?」


 黒玉を雨のように降らしてリシトを地面に縫いつけながら、タクミは周囲を窺った。


 すべてがうまくいっているならそろそろ現れるはずだ、リシトの寵愛者である人間が。


 キョロキョロと周囲を見回していると、黒玉から発っする嵐に楽しげな悲鳴をキャッキャと上げていたベレッタが、その小さな手でタクミの顎をガシッと掴んできた。


「神などという生き物が、そうそうキッチリと動くものではないぞ。タクミ」


 少し舌足らずだったベレッタが急にしっかりとした言葉をあやつりだした。しかも、その言葉使いはとても古風だ。


 ギョッと目をむき固まるタクミ。


「……なんで……ここにいるんです?」


 瞳が朱色に染まったベレッタは冷たい無表情で薄く笑った。とても邪悪で怖い微笑みである。


 こんな、……ボクより冷たい笑いが出来るのは彼女しかしらないよ。


「ユーリさん……」


「夫のいるところ、妻が居るのは当然のことじゃろう?」


 フフンと鼻で冷笑する邪悪なお子様。タクミはハッキリと確信した、この胸に抱いたパンダ状態の少女は、一部の地域で悪魔と同義に呼ばれる最古にして最凶の魔女に乗りうつられている。








「先輩があれだけ来れないように細工してたのに来ちゃったんですね。大事にされてるんだから、その心のとおりに大人しくしてたらどうですか?」


 ヒョイヒョイっと黒玉を投げつつ、タクミはひとつ大きな溜息をついてからユーリに言ってみた。


「それは男という生き物の身勝手なところじゃぞ、女をわかっておらん証拠じゃ。わらわは、レンマとなら地獄なりとも付きおうてやりたいのじゃ。レンマとともに居れる世界ならそこがわらわの天上。どこなりと支え合い寄り添いたい……軟弱な女の戯言と言うは許さぬぞ、わらわにはレンマに勝る部分がいくらでもあるからな」


 ベレッタの躯で大人の女を講釈されるタクミ。笑ってしまうほど滑稽だが、その大きく見開かれた瞳から伝わってくる強い思いがタクミを笑わせなかった。


 なにより、言ってることが結構、タクミにも当てはまる気がしてならない。


 ボクもレインに内緒で、こんなところに来ているもんな。まあ、彼女にはボクがここにいることは言ってないから大丈夫だろうけど……。


 言わないでいてよかったと、内心ホッとするタクミ。







 タクミは、ずいぶん前にルクスが居場所をばらしたことを知らなかった。下僕ルクス、すべてが終わった後でお仕置きされること決定。罪状、レイドゥースを不安にさせたこと。タクミにとっては第一級犯罪である。






「わかりました。来られたことについてはもう何も言いません」


「うむ」


 満足げに顎を引くちびユーリにタクミは小さく笑った。


「でも、来てくれたからにはなにかボクの役にたってくれるんでしょうね?ただ様子見にくるだけだったら、邪魔なだけです。その子供の体ごとどっか行ってください」


「うむ。まぁそう邪険に扱うでないぞ。これでも少ない力を使って精神を分離させたのだからな」


 答えになってないよ。


 ユーリさん。


 ほにゃ~っと疲れた顔を浮かべてみせるユーリ、態とらしいったらない姿だ。


「さすがに、精神を三つも安定稼働させるのは骨が折れるな」


 嘘つけ、嘘を!


 魔力量と精神の図太さは、ボクの十倍以上あるでしょうが。


「それはお疲れのご様子ですね。なんでしたら、ボクの力でお国の方に飛ばしましょうか?飛ばすだけならできますよ」


 内心の憤りを隠してニッコリと提案して差し上げた。


 しかしタクミの真意は言葉の通り、ただ吹き飛ばすだけだ。さながらミサイルのように千キロほど投げ飛ばす。まず、人間には耐えられる移動法ではない。


「妾に嫌味が言えるようになったとは……しばらくみなかったうちに性格が悪くなったのう」


 もちろん、タクミの師匠であるユーリも言葉の意味をはっきりと理解した。


「弟子は師に似るらしいですよ」


「汝……そんな性格では女にもてないぞ」


「レインお嬢様にはこんな面は見せませんからイイです。……それに千年以上、独り身だった人に言われたくないですね」


「身持ちが固かっただけじゃ!!」


 小さな拳で殴られた。そのままホッペタを思いっきり左右に引っ張ってくる。子供の力とは思えない凶悪な力でかなり痛い。……少しは気にしていたのだろうか?







「まったく、せっかく汝の欲しがっている入れ物の場所を教えてやろうと思ったのに」


 愚痴るように言われた台詞に一瞬で脳が反応した。


 タクミの斜眼が大きく見開かれる。


「入れ物?!」


 グヮシっと肩を掴んで目線にまでユーリの体を釣り上げた。真剣な視線で見つめているのにユーリは不遜な顔でフフンっと笑っていた。


「どこにいます?!」


「ふふふふ……あそこじゃ」


 勢い込んで聞いた、俺の鼻先を掠めて視線が飛んだ。


 焦がれる思いで振り返ったそこに欲しかった入れ物がいた。


「旧ギシラ王家エストル殿下殿……貴男を待っていた」


 血まみれの体に妄執のごとき炎をその目に宿して男が一人、廃墟の街で神を求めて近づいてきた。












「おのれぇ。おのれぇ。おのれぇ……おのれぇ…………下船の輩が高貴なる我の邪魔をしおって……」


 失血に青ざめた表情は、地獄のような有様に豹変したエティマの街を横切っている間に幽鬼のようになっていた。


 エストルの眼前からは絶え間なく痛みを伴う冷たい突風が吹き荒れていた。


 子供の頭ほどもある瓦礫が風圧でいくつも飛んできてエストルの躯を叩いた。右に左に躯が揺れたが、すでにエストルの精神は痛みなどから飛んでいた。


 口からは絶えず、怨嗟の声と愚痴が漏れていて、苦しみもがく彼が頼みとした神の無様な姿を睨み付けていた。


「リシト神よ。貴様を貶めはさせない。そんなことは許さぬ。先の約定を、我が国の復興を果たせ。我に力を与えろ、そすれば貴様の敵は我が排除しよう」


 両の掌が無意識に持ちあがり、肌が弾け骨までも見えているリシトのアストラル体をかかえようとした。


「それは駄目だ。君は寵愛者として得た数々の特権のその責務を果たすんだ。そう、君がえらばれたその意味は今、この瞬間にこそある」


 エストルがゆっくりと不自然なほどにゆっくりと視線を下げた。


「なぜ、神に弓引くか。不遜なる外道者が」


 エストルのうつろな瞳がいつの間にか、目の前に立っていたタクミとユーリの姿を捕らえた。


 周囲は魔法の風に炎を煽られていよいよ凄惨な状態になってきたのに、このふたりは汚れひとつなく、笑みすら浮かべて立っていた。


 しかも、彼らの後ろには酷い有様とはいえ、未だにリシトが健在だというのに、だ。


「君と一緒さ。欲望のためだ」


「我と同じ?貴様と我の欲望が対価だというのか?!我はこの大陸を欲した。崩れることのなき千年の王国を夢見たのだぞ!!」


 激高するエストルにタクミは軽く肩を竦めて見せた。


 君に理解できるかはわからないけどね、と前置きすると笑みを浮かべて話し出した。


「世界でたった一人の本気で愛した女性を手に入れるのと、一つの国を手に入れること。いったいどちらが難しいのかは、人それぞれ違ってるだろうけど、ボクには前者の方が難しいね」


「それは言えておるな。我ら魔法使いにとっては国盗りなど造作もない。唯一の伴侶を見つけることのほうがよほど難しい」


 うんうん、と頷くユーリ。


 彼女がやると説得力のある頷きだ。


「女だと?くだらん!そんなことで我が覇業を潰されてたまるかぁ!!」


 絶叫とともにエストルが踏み込んでくる。


 傷ついた身とは信じられないほどの速さで一気に間合いを詰めてくる。


「コオォ!」


 腰に吊された華美な装飾の細剣を残った腕で一息に抜き払い、そのままタクミの顔めがけて斬りあげた。


 斜め下から迫る白刃をタクミは潜るようにして交わし、エストルの剣の内にその身を置いた。


 エストルの眼前10センチほどにタクミの顔が来る。


 赤く染まった悪魔契約者の目でタクミはリシトの寵愛者を見た。


「お嬢様より遅いな。まぁ、荒廃した王族にしてはやるかな」


 交錯する視線の中でタクミが薄く笑った。


「おのれ……っぐぅ」


 エストルが剣を引くより速く、タクミがエストルの袖を掴んで担ぎ投げる。タクミの背中で綺麗に一回転したエストルの躯が尖った瓦礫で埋まった地面にたたき落とされた。


「おお!一本背負いというやつじゃな!?レンマがこのごろ女性用護身術として街でおしえておるぞ」


 立ち上る埃からちゃっかり距離を取りながらユーリが目を大きく開いて拍手する。彼女はとことんマイペースだった。


「かぁ……」


 背中を強打され空気とともに血塊を吹いて倒れ伏すエストルの顔の間に脚を置くようにして悠然とタクミは立った。


「リシト神は今日、この時に悪魔に堕ちる。……知ってるかい?神が悪魔に堕ちるには何が居るか?……それは物質的な魂の入れ物、肉だよ。なら、ここで問題だ。受肉に必要な肉体はいったいどこから来るのか?…………意外なことだけどね、この世界の住人はあまりそのことを知らない。だから、この世界の住人は寵愛者に選ばれると光栄だなどという。馬鹿げた話だ。寵愛者など、神の欲する肉の器に過ぎないのに」


 右の掌を口元に当て、手首の肉を咬みちぎった。


 勢いよく飛び出る鮮血がタクミの顔を赤く染めるが、まったく痛痒を感じていないようにタクミは右手を振る。


 エストルの躯を中心に円を描くように血痕による魔法陣が描かれる。何度となく描かれたタクミの魔法陣だったが、これほど大量の血を使用するのは初めてだ。


 ユーリもその様に、スッと目を細めホォローのために周囲の邪気を払い始めた。


「かつて、ギシラ王家には一人の巫女がいた。彼女の名はティアラ。彼女はリシト神に寵愛者として選ばれ、他者らからも、そして自らもそのことを喜んでいた」


 タクミの右手が複雑な文様を描き出す。空間に円球場の陣が立ち上り、周囲の空間と別れたように青白い閃光が蛇のようにのたうった。


「だが、その後はどうなった?狂った神の煽りをくって神聖から堕ちた『豊穣を約していたリシトの一面』にその身を奪われ、人に悪魔ティアラとして討たれ、最期には魔法使いの力の源にまで墜ちている」


 右手で円陣を構築したまま、左手を頭上に掲げた。


「そんものに……いつまでも」


 今までの牽制とは違う、本気の黒玉がタクミの掌のなかで時間とともに成長する。


「そんなものに……レインをしておけるか!ド阿呆目!!」


 直径十メートル以上に成長した黒玉が放たれる。それはとてもゆっくりと周囲の空気を吸い込みながら、四肢がもげかけて避けることもできないリシトに向かった。


 リシトが指の欠けた掌をかざし、瓦礫の手を作り上げるが、それもこの巨大な黒玉に、タクミの魔力の結晶体に触れると、その部分からなんの抵抗もなく消えていった。


 怨嗟と慟哭の絶叫が大気を切り裂くほどの大きさで耳を打ったが、タクミは一切、攻撃の手を緩めなかった。


 タクミの魔法弾が巨大なリシトの肢体を飲み込んでいく。巨大な黒玉は着弾しても爆裂することなく、前に前にと進んでいった。


 身を引いて逃げるリシトをゆっくりと飲み込んでいった。


「あぁぁぁ……」


 起きあがることも出来ず、倒れ伏したままのエストルの口から嘆きの声が漏れた。






 アストラル体が崩れた。





「タクミ。仕上げじゃ、ここを抜かるなよ」


 アストラル体の消滅を確認したユーリが緊張した叫びをあげる。


 その見つめる先は消えたリシトの居た場所ではない、タクミの足下に倒れ伏すエストルだ。


 ユーリの忠告に小さく頷きながらもタクミの視線はエストルを見たままだった。


「がぁっ」


 ビクンっと電撃を喰ったようにエストルの躯がなんの前触れもなく跳ねた。


 エストルの目玉が限界まで見開かれ、信じられないように己の躯を見ようとしていた。


「な…なん…だ……?」


 エストルの顔が不自然に脹らんで、いつのまにか舌が回らなくなっていた。


「受肉だ。君は悪魔の肉としてその体をリシトに提供しなければならない」


 タクミには、自分の言葉がエストルに届いているのかすでにわからなくなっていた。


 ドンッと跳ねたと思ったら蛙のように腹がボテッと膨らみ、胴がズルズルと伸び出した。


「タクミ!何をして居る?さっさと喰らえ」


「わかってます。でも、意識が消えてからでいいでしょう?ボクも人を食べたくはない」


「そこまで化ければ、もう人とは言えんじゃろうが!」


 どんどんと醜悪に巨大に膨れあがるエストルだったものを見ながらユーリの言葉をもっともだと思いつつも、瞳の色が消えてから終わらそうとタクミは思っていた。


 そのさまにユーリが肩で息を吐いた。


 この異邦人の少年は夫と同じで、どこか固い部分がある。


 柔軟で、残酷な判断を下せるくせに、どこかが甘い。


(しかし、その甘さに惹かれるのも事実)


 しょうがない、性分というものじゃな。ユーリは小さく微笑んだ。








 右手で支えていた神を完全に包み込む円陣いっぱいに肉が膨張し、紫の入ったピンク色をした巨大な一本の蛇のようなものから短い手と足が中程にピョコヒョコと生えていた。


 大量のタクミの血で紡いだ方陣を内部から溢れてくる肉の質量が破壊しようともがいているのが右手越しにヒシヒシと伝わってきた。


 今まで涼しげだったタクミの額にジットリと汗が浮き始めた。


 しかし、ここに来て、ようやく目の前の肉塊から人間の気配が消えた。タクミの目元が鋭く引き締められる。


「神喰い」


 魔法陣に掌を添えると、その中身が一気に吸い込まれ出した。おぞましい肉塊が方陣を通してタクミの中に流れ込む。それはリシトの力そのものだった。


「ティアラよ。半身を取り込み、己が力を完全とせよ」




 坦々としながらも耳にハッキリと聞こえる声がこの異常な世界に響いたとき、エティマの惨劇は終演の時を迎える。









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