[21]微笑む執事①
ランドルフとシドの老主従コンビ。
孫娘に騎士たちを委ねた二人は、猛烈な勢いで南下していた。
「ぬ、どうしたのじゃ?シドよ」
ハッとしたように東を見た腹心にランドルフ声を掛けた。
「御屋形様。ティアラがざわつかれております。どうやら、妹子が蘇られてようでございますな」
シドの契約している悪魔が、蘇った妹に気をたてていた。死後の世界でも彼女らは犬猿の仲らしい。
「ほう。予想よりも、ちと速い。タクミの仕業かのう?」
「然り」
「ふうむ。アンスカレット家に二人目の神殺しが現れるかもしれぬなかの。よい策じゃ」
孫娘爆弾発言事件でタクミの所在地と目的を知ったランドルフはいよいよ、タクミを認めてきたらしい。
タクミの居ないところでは『小僧』と呼んでいたのに、いつの間にか名を呼ぶようになっていた。
ランドルフも気が付いているのかしれない小さな変化ではあるが、主人のタクミにたいする態度の変化を認めてシドはしわの刻まれた口元に静かに苦笑を浮かべていた。
ある意味、もっとも二人にとって障害だと思われていた人物が態度を軟化させているのだからである。
タクミなら、反対されたら反対されたで御屋形様を暗殺しに掛からないともいえないから。
嬉しさ半分、安堵半分の苦笑いだった。
しかし、まぁ後は……タクミとレイン様が無事に戻ってくれば言うことはない。
そうすれば、一歩前進したタクミとレイン様のいつもの日常が返ってくる。
……そのためにも、帰る場所を…平原を守ってやらねば…
「シドよ。あれを見よ!やはりもう現れておった。エルザントの軍じゃ。二千はおるぞ!」
喝采の声を上げる主人に顔を上げると、エルザントの装甲車部隊が延々と土煙を上げて行軍していた。
主の読み道理、南の小国家がどさくさ紛れに侵攻してきたらしい。彼らに平原を平らげるほどの国力はない。ソニステェル皇国が本気を出す前に平原を蹂躙して富を奪い、さっと引き返す気なのだ。
「華々しい戦場は若いものたちにゆずり、ワシたち年寄りは舞台裏を支えてやるとするかシド。二騎で二千はちとこの年寄りには骨が折れるが、神に戦いを挑んでいるものが今いるいじょう。弱音ははけんぞ」
「何を言われますか!御屋形様、まだまだ若い者には負けませぬ!」
「よくぞ言うたわ!シドよ、ワシの剣を用意せよ!」
「はは!」
シドが虚空をかき抱くようにして胸元を両手で押さえる。ひとつ深く呼吸すると心臓から杭を引き抜くような心持ちで両手を前へと伸ばす。引き伸ばされた手の平には一振りの中剣が握られていた。
悪魔契約者が、その生涯で一本だけ生み出せると言われる神の意志をまったく受け付けない《神無しの剣》。それは術者の成長とともに刃先を伸ばすと言われる事実上の魔剣である。
その剣を掲げるようにして支えるシドに、ランドルフはひとつ頷くと柄をがっしりと掴んで抜き払った。
「よい剣じゃ!レイドゥースの抱いておった剣にもまけんじゃろうて」
それは、さすがに負けが見え見えではないかとおもうシドではあったが主のお褒めの言葉に頷いておいた。
レイドゥースのために打たれたようなあの見事な朱鞘の大太刀。一目でわかるほどの強力な呪物。持っているだけでありとあらゆる危険をはじくのではないだろうかと思わせるほどに過保護なプロテクトの掛かった魔剣だった。
撃ち込まれる銃弾もレイドゥースを避けて飛ぶだろう。
もし、あの剣をレイドゥースが抜けたならばランドルフを超える騎士になるかもしれないと思った。たった一人で二千の敵と戦っても平気で生き抜ける歴戦の騎士を超えるかもしれないと思ったのだ。
「御屋形様!先駆け行かせていただきます!」
「よし、許す!存分に暴れい!」
こみ上げてくる笑いの余韻に任せてシドは馬をとばした。
「タクミ!貴方がいればお嬢様はさらに輝く!必ず生きてかえるのですよ!……ティアラよ、お力添えを!」
魔術師としてティアラに祈る。ティアラを内に住まわす魔法使いの少年のために祈る。
「腐敗の血。落ちるところ、枯死する禍々しき死の風吹きあれん!」
突きだした手の平から黒い霧が吹き出した。シドの走らせる馬を中心にして広がる円。まず、草が枯れ落ち、ついで、大地が干からびていく。その円の半径に入った装甲車ももちろんただですまない、毒気を吐き出す腐り果てた大地にそのタイヤが触れた途端、ゴムが融け落ち、柔な砂場と化した大地がそのジョイント部分に絡み付き、車を次々と横転、炎上させていった。
「御屋形様!」
「おぅ」
よく響くシドの声が戦場に死に神を呼んだ。
シドの隣に並んだランドルフがその片手に握った剣を横に薙ぎながら突き進む。
すれ違った物はすべてまっぷたつに両断されていった。
地震というより、激震というべきじゃないかしら?
椅子の上に座って食事して自分はおしりを掬い上げられたようにポオーンと2メートルほど上に飛んでしまった。
あんまり高くない天井に頭をぶつけて泣いちゃうようなことがなかったのは、天井も一緒に上に飛んでたから、天井だけじゃないわ、綺麗なレースのかかってる机も、おいしいスープがなみなみと入った縁の欠けてないお皿も、銀色に光ってるフォークも、バスケットに入ってた甘いパンも、座ってた椅子も、それから一緒にお話していたお兄様も。
「ベレッタ。怪我はないかい?」
両脇を抱えるようにして抱いてくれてるお兄様、飛んでるあいだに抱き留めてくれたからおしりを打って泣いちゃうこともなかった。もちろん、私は怪我ひとつない。
「おにぃたま、あいがちぉ」
「……ご飯を、飲み込んでからしゃべりなさい」
リスみたいに脹らんでたホッペタはなかなか元に戻らない。私は必死で口の中の食べ物をのどの奥へと押し込んだ。水が飲めればいいんだけど、さっきの激震でみんなどこかに飛んでっちゃった。
「ぷはっ……ありがとう、お兄様」
「大丈夫そうだね」
そう言いながら、ひょいっと私の体を上へと持ち上げるお兄様。怪我がないかぐるっと見てくれたのだ。
お兄様。力持ちだなー、内のお兄ちゃんと同じくらい痩せてるのにぜんぜん平気に持ち上げてくれる。
嬉しくなった彼女はタクミの手元に抱きついた。
「作戦……成功」
コアラのように抱きついているベレッタを胸に貼り付けたままタクミは厳かに呟いた。
そのまま晴れやかに微笑む。
周囲は血を流して倒れている者や、ぴくりとも動かない者が転がっていたが、いっさい気にせず店を出る。
綺麗に舗装されていたエティマの街は見る影もなくなっていた。あちこちにヒビの入ったアスファルトに街道、完全に倒壊した家屋に、先ほどまで入っていたような傾いた家屋。
あちこちに煙が上がっている。
「すごいな。昔あった大震災ってやつより酷いかも……」
酷い、酷い。と、つぶさに街の被害を観察していくが、吐き出される言葉に悲しみの色はない。
「だけど予測を超えたほどの破壊力でもない。力をフルに使ってこの程度なら、ボクの敵じゃないよ。リシト」
瞳孔に混じっていた微かな朱が、タクミの深い笑みに誘われるようにその濃さを増していく。
赤く赤く、深淵なる赤に。
「見えてきたよ。リシト」
触れること叶わず、見ることも叶わないはずの絶対の存在たる神がタクミの瞳にははっきりと見えていた。
胎児のように膝を抱えて座り込んでいる女性が倒壊したビル群の屋根の上に見えている。
「精神体に成りきれずにいるようだね。もう一押しすれば受肉する」
『……タクミ聞こえるか?……タクミ?』
先輩?
魔力を解放したタクミの鋭敏な感覚が、自分を呼ぶレンマの声をとらえる。
「聞こえてますよ。……そちらからも見えてます?」
心で届け。と念じて会話をする。
この場合、魔法を使って会話しているのはあくまでタクミであり、レンマは虚空に向かって独り言を言っている感じになる。
まぁ、他人が離れてみれば二人とも同じように見えるのだろうけれど。
『何かいるのは肌で感じるんだが、オレの目にはまったく見えない。やっぱり、剣もってきとくべきだったかな?あれ持ってればユーリが見せてくれたんだろうによ。見えない敵なんて怖くてしょうがないわ』
「先輩。土地神の影響どのくらいでてるかわかりますか?」
『ん~。そうだな、さっきまでよりかなり体が重いな。体重計にのってみなきゃわからんけど……たぶん、三倍くらいは重くなってるんじゃないか?』
神という生き物が人間に与える加護とか奇跡とかいう力には、もちろん代償が必要である。それが信仰だ。信仰されることによって神という生き物は存在を固定されて生きることが出来る。
この世界の人間は当たり前のように、自分の生まれた土地の神を信仰する。住む場所が変わっても滅多なことでは宗旨替えしない。
そして、ほとんどの神は自分を信仰しない存在を嫌い排除しようとする。その力が今、レンマの体に異常な重力として現れているのである。彼の体重は、普通に見たなら七十キロ代のはずだが、計ってみると五百キロを超えているのだ。
その高い重力に耐えきったからこその、超人的な身体能力である。
普通は信仰した神の加護とによって相殺される力なのだが、あいにくとレンマは神無しである。
「なるほど、それなりに力はあるってことですね」
『当然だな。仮にも一国の守護を担った神の半身だからな……で、その神様はどの辺りにいらっしゃるんだ?心の準備ってもんがいるから、教えといてくれ』
「街の中心部から、ほんの少し東よりですね。宿にしてた娼館のブロックから三つほど外れたところ。背の低くなった娼館の屋根から顔半分飛び出してますよ」
『屋根だと?!偉くでかい女だな。……二十メートルくらいか?』
「膝抱えてますから、立ち上がったらもっと大きそうですね。でも神霊にとっての大きさなんて関係ないものですよ」
実際、立ち上がったら見上げるような大きさだろう。立たれたら見上げるのに首が痛くなりそうだと思う。
『で、様子はどうだ……おまえにも気づいてるだろ?仕掛けてきそうか?』
「下向いてますけど。眼球が動いてるのがこっちからでもわかります。術者を捜してるみたいですね、見つかるのも時間の問題でしょう」
『気をつけろよ。こっちも仕事を片付けたら応援に行ってやる』
この場合の応援はそのままの意味だ。普通人のレンマには霊体には触れられない、声援を送る程度の役にしか立てないのだ。
「それでは計画は第2段階へと進めますか。……各々がた。予てよりの手配どおりに…………」
薄く微笑んだタクミと、リシトの血走った目が絡まったのはこの時だった。